孤独な闘い③

「そんな話聞いてないぞ! お前はあくまで世界を言葉で説き伏せると言った! 言葉に力を持たせるには脅しとしての軍事力が必要だから、軍事力はあくまでも飾りだと言っていた! だから俺は大人しくしていたのに!」


「そんな甘い考えを信じるなんて、知能は高くてもまだまだ子供ですね」


 笑う雨宮に、雪輝は目を細めて奥歯を噛みしめた。


「怒らないで下さい。それも期待通りなんです。君はそれでいい」


「訳の分からないことを言っていないで、発射ボタンのありかを教えろ! あの大きさの核爆弾が爆発したらどうなるか、お前でもわかるだろ!」


 雪輝は雨宮に向けて片手で構えていたハンドガンに、左手を添えた。


「ああ、コンテナを見たんですね。そうでしょう、とても大きいんです。中身はいつでも発送できるよう準備万端なのでご安心を。宇宙をまたいで迅速確実のコズミックアークですから」


「そんなものは絶対に撃たせない! 教えないとお前を撃つ!」


 それでもなお、雨宮は穏やかに微笑んでいた。そして小さなリモコンのようなものをポケットから取り出し、雪輝に見せるようにそれを掲げた。


「僕はいつだって本気ですよ。パンドラの箱だって臆せず開けられる。一度開けると決めたなら、僕は二度と閉めはしない。そんな中途半端なことをしたって、自滅するだけでしょう?」


 雨宮は微笑みを崩さず、雪輝にそう問いかけた。


「やめろ、雨宮! やめるんだ!」


 雪輝の制止も聞かず、雨宮は笑顔のままボタンに指をかけた。


 十年前のあの日も、雨宮はその微笑みで雪輝を迎えに来た。助けに来たと言って実験動物のような生活から解放し、あらゆる知識と教養を与えてくれた。


 それがたとえ計画の一端だったとしても、本当は赤色人種だと見下されていたとしても、それは雪輝が生まれて初めて注がれた笑顔と優しさだった。


 弾けるような短い音が響いて、同時に大きな衝撃が雪輝の腕から肩、全身へと伝わった。


 雪輝の目の前で、雨宮が仰向けに倒れてゆく。見開かれたエメラルドの目には、それがスローモーションのように映っていた。


「あ……」


 震える雪輝の手から、ハンドガンが落ちた。


「と……父さん!」


 雪輝は倒れた雨宮に駆け寄った。血が溢れる胸の穴を必死に抑えて止血を試みるが、貫通した反対側からも血が流れ出ていて、止血が無駄であるのは一目瞭然だった。


「父さん、ごめん……! 俺が……!」


 パイロットスーツに覆われた自分の両手を見下ろすと、鮮やかすぎる赤に濡れていた。


 その手を雨宮の手がつかんだ。雪輝がはっとして雨宮を見ると、撃たれたにもかかわらず、彼はまだその微笑みを崩していなかった。


「そんな風に呼ばれるの、何年振りでしょう……ね」


 雨宮は喉から声を絞っていた。


「君が……僕のために泣くとは思わなかった。君には恨まれているとばかり……」


 なぜか溢れてくる涙をこぼしながら、雪輝は首を横に振った。

 雨宮の手は雪輝の手を離れ、血で濡れたまま雪輝の頬に触れた。


「僕が悪で……君は、僕の善だ。そう願って育てていた……。世界は痛い目を見ないと変わろうとしない。僕が命をかけて揺るがした世界を……、僕の代わりに、君が良い方向へ導いてくれたらと……」


 うめき声と共に口から血が溢れた。さすがの雨宮も顔を苦痛に歪める。

 雪輝は涙を流しながら、もう一度首を横に振った。


「俺はお前じゃない。俺は俺なんだ。もう自由にさせてほしい……!」


 頬に触れる雨宮の手を、雪輝は握りしめた。


「歪んでいたけど、優しくしてくれてありがとう」


 真っ白の顔で、雨宮はもう一度微笑んだ。


「綺麗な緑の目をした僕の希望……。僕は絶対に箱の蓋は閉じな――」


 青白い唇は、それ以上動くことはなかった。


 堪えようとも堪え切れず、雪輝は声を上げて泣いた。悲しみという一色ではなく、後悔や安堵、虚しさや孤独感、さまざまなものが入り混じっていた。


 そうしてひとしきり泣いた後、雪輝は雨宮の手をそっと置いた。


 力のない虚ろなエメラルドの瞳が、遠くに落ちていたハンドガンをとらえた。ふらりと立ち上がり、歩いて、ハンドガンを拾い上げる。拾い上げたそれは、驚くほど重たく感じた。


「鳥籠から出られたって、行く場所もなく飛び方も知らないんじゃ、残酷だ」


 雪輝は銃口をこめかみに向け、引き金に指をかけた。


 その時、けたたましく警報が響き渡った。


「防衛隊戦闘機、接近中!」


 緊迫した艦内放送が入った。雨宮のデスクの向かいの壁に設置されている大型モニターに、一機の白い大型戦闘機が映し出された。すると突然その映像が乱れ、別の映像が割り込んできた。


「こちらは麗櫻国航空宇宙防衛隊所属の戦闘機だ」


 モニターから呼びかけているのは、赤いヘルメットとパイロットスーツに身を包んだ千鶴であった。芯の通った声が響き渡る。


「コズミックアークの輸送船……いや、トロージャン・ホークに告ぐ。そこにファルコンを、日高雪輝をかくまっているならただちにこちらに引き渡せ!」


 一方的な強制通信なので、雪輝のことは千鶴には見えていないはずである。だがモニターの奥の千鶴は確かに雪輝を見ていた。


「雪輝、そこにいるんだろ。いるなら出でくるんだ!」


 そして千鶴は声を低くした。


「しばらくここで待ってる」


 そう言い残し、通信回線は切られた。映像は白い戦闘機、クレインの光学映像に戻る。


「千鶴……」


 雪輝はそれをしばらくの間見つめていたが、次第にその目には力が戻りはじめ、やがて憎悪が宿り、雪輝は奥歯を強く噛みしめながら銃口をモニターに向けた。


 躊躇ない発砲によりモニターは割れ、真っ暗に沈黙した。


 デスクの方からはコール音が鳴り響いていた。雪輝はハンドガンを握りしめたまま通話ボタンを押すと、相手の声を遮って言い放った。


雨宮貴希あまみや たかきだ。景も佐古も通話できない状況にあるから、代わりに俺が指示を出す。防衛隊の戦闘機は俺が蹴散らしてやるから、ファルコンの発進準備を急げ。俺もすぐに格納庫へ向かう。以上だ」


 相手の話など一切聞かず、雪輝は一方的に通話を切った。


 ヘルメットを拾い上げると、雪輝は倒れている雨宮と佐古を後に残し、手の甲で頬についた雨宮の血を拭った。


 雪輝は前方を睨み据えながら格納庫へ向かった。

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