もう一機の次世代戦闘機④

 千鶴は必死に操縦手順書に目を通していたが、次第にその目は単に文字を追うだけになっていた。何度も同じところを読み返している。


 雪輝の行動が一国の戦艦を出撃させる事態を引き起こしていると思うと、動揺は隠せなかった。もしも雪輝が赤色人種であることに気づけていれば、こんなことにならなかったのではないだろうかと考えてしまう。


 千鶴は頭を抱えて大きなため息を吐き出した。「くそう!」とベンチに拳を叩きつけて、それからまた必死に操縦手順書をめくった。


 すると不意に待機室格納庫側の扉が開いた。

 ポニーテールの莉々亜が立っていた。


「千鶴君、初期起動の準備ができたわ」


 莉々亜は、微笑みのかけらもない真剣な面持ちだった。


 千鶴は立ち上がると、操縦手順書を置いてヘルメットに持ち替えた。これから先は手順書など持っていても無意味だ。


「基本操縦だけはなんとか叩き込んだ。俺も、いつでもいける」


 莉々亜はわずかにうつむいたが、意を決したように顔を上げた。


「ついてきて」


 莉々亜の後をついて千鶴は格納庫に入った。がらんと広い空間に二人の足音が響く。


 あるところで莉々亜は立ち止まると、振り返らず千鶴に背を向けたまま言った。


「雪輝君が乗っていった機体はFALCONファルコン。戦闘機型とヒト型の変形を可能にした初の実用機として作られたの。人工ROPシステムはもちろん搭載されているけど、ファルコンにさらに改良を加えたものがもう一機の次世代戦闘機。それが千鶴君に乗ってもらうCRANEクレインよ」


 莉々亜は真横にある機体を見上げた。千鶴もそちらに目をやった。


「これが、クレイン……」


 ヒト型で安置されている機体は白く、そのボディには黒いラインが入っている。ファルコンのようにどことなく鳥をイメージさせるデザインだったが、ファルコンと比べて手足は比較的長いように思えた。


 背中にある羽のような部分は、戦闘機型になった時に主翼になる部分であろうと推測される。胸には『CRANE』と刻印されていた。


「ファルコンは初の実用機と言ったけど、実のところプロトタイプのようなものなの。人工ROPシステムをより活かせるのはクレインの方よ。だからファルコンをクレインの囮としてあえて表に出したの。そうすればきっとより性能の高いクレインは表に出さずに済む。そう思ったの。でも……」


 莉々亜は目を細めた。


「ファルコンだって盗まれていいものじゃない。人工ROPシステムは外部に漏らすべきではないの」


 そう言うと莉々亜は再び千鶴に背を向けて、すぐ目の前の作業台にあるノートタブレットのキーボードを叩き始めた。


「次世代戦闘機の売りは、戦闘機とヒト型の変形が自在にできるということなの。どうして戦闘機型とヒト型に変形可能な機体なんて作ろうとしたかわかる?」


 手を止めて振り返った莉々亜に、千鶴は「兵器としてじゃないのか?」と尋ねた。


 莉々亜は首を振って否定した。


「私は、災害時に人命救助を迅速にするためだと聞いたわ」


 その答えに千鶴はやや面食らった気持ちになった。莉々亜は視線を落として続けた。


「災害現場に戦闘機型で駆けつけ、その場でヒト型に変形して重機に勝る仕事をする。とてもいい考えだと思ったわ。千鶴君が言ったように防衛官は戦うことだけが仕事じゃない。災害や大きな事件が起こったとき、私たちを助けてくれるのは防衛官だもの」


 莉々亜はクレインを見上げた。白い機体の目には、まだ光は灯っていない。


「ROP代謝経路の解明とそれを新エネルギーとして応用する技術を開発しようとしていた私は、その知識と技術を人命救助用の機体へ応用してほしいと頼まれた。だから快諾したの。こんなことになるとは思ってもいなかったから。でも、研究は私の想像していたものとは全然違う方向へ進んでいった……」


 それは星空の下で莉々亜が言っていた悩みだった。じっと耳を傾けていた千鶴に、莉々亜が向き直った。


「私がそれに気づいたとき、私にできることはたった二つしか残されていなかったの」

「二つ……?」


「そう。一つは、クレインの初期起動のパスワードを関係者にさえ教えず、私にしかクレインの初期起動をできないようにすること。そしてもう一つは、クレインの専属パイロットの決定権を握ることよ」


「専属パイロットの決定権……」


 雉早が言おうとしていたことが、莉々亜の口から語られてゆく。


「初期起動のパスワード設定は私がしたから、私が誰にも教えなければクレインは誰にも動かせない。パイロットの決定権はパスワードを人質みたいにして握ったわ。上層部はすでに赤色人種であり櫻林館の学生でもある千鶴君に目星をつけていたから、千鶴君をパイロットにするか否かの二択しか残されていなかったんだけど……。だから私は――」


 言葉を詰まらせて、莉々亜はうなだれた。


「だから私はブルーバードの店員として櫻林館に潜り込んだのよ。上の人たちが目を付けた千鶴君に、本当にクレインを預けられるかを判断するために」


 こうして本人の口から聞くと、やはり胸の奥が鋭利なもので切り裂かれるようだった。

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