もう一機の次世代戦闘機②

 白く滑らかなフォルムの松波は、麗櫻国航空宇宙防衛隊に所属する小型宇宙戦艦である。現在は定期整備のため本部の港に停泊していたが、それもほぼ終了していたため二十分で発艦可能ということになった。


 松波に乗り込むと、莉々亜と陽介はすぐに管制室に向かった。千鶴は整備官に案内され、パイロット専用の更衣室へ向かった。


 更衣室の前で待っていたのは、いつも常影の隣にいるスーツの男だった。常に挑戦的な笑みを湛えた常影とは対照で、彼は気真面目を体現したような硬い表情で千鶴の前に立った。意外と身体が高かった。


「防衛省の斎藤雉早だ。早乙女常影や本田研究員と同様、次世代戦闘機の開発運用を主とするプロジェクトに関わっている。度重なる常影の非礼は申し訳ないが、よろしく頼む」


 差し出された握手に応えると、雉早は続けた。


「我々は以前から君を次世代戦闘機のパイロット候補に挙げていた。我々というのは防衛省と航空宇宙防衛隊の両方だ」


「……それは、俺が赤色人種だからですか?」


「申し訳ないが、そうだ。君は幻覚症状を克服した希少な赤色人種だ。それに加えて君が防衛隊のパイロット志望者であり、なおかつ高い操縦技術を有しているからでもある」


 幻覚症状に触れられ、千鶴は押し黙った。


「ほとんどの者がそれらで君を評価し、有無を言わさず君を専属パイロットにさせようとした。しかし本田研究員だけは賛成せず、必死にあらがっていた」

「莉々亜が……?」


 雉早は頷いて、片腕に抱えていた赤いものを千鶴に差し出した。


「その理由は本田研究員から直接聞くといい」


 様々な事実が嵐のように押し寄せている今、そんな余裕があるだろうか。


 千鶴は無言で見たこともないデザインの赤いパイロットスーツとヘルメット、そして分厚い冊子を受け取った。


「それは操縦手順書だ。古臭い言い方かもしれんが、君に武運があることを祈っている」

「……ありがとうございます」


 雉早に会釈をし、更衣室に足を踏み入れた。背後で扉が閉まる。


 しばし静寂の中で目を瞑ると、千鶴はエメラルドの瞳を開いて顔を上げた。


 千鶴はロッカーを開けてパイロットスーツを置き、フィンガーレスグローブを外した。


 両手の大きな深い傷跡が露わになる。それに見向きもせず、千鶴は急いでパイロットスーツに着替えた。


 首の上までチャックを閉めて丁度着替え終わったとき、突然艦内の照明が黄色に切り替わった。大気圏突破に向けた発艦準備開始の合図だ。艦内放送で直ちに近場のシートに座るよう促された。


 千鶴は更衣室の壁面に畳み込まれていたシートを引っ張り出し、そこへ座るとベルトで体を固定した。

 黄色だった照明がオレンジに変わり、ベルトには自動でロックがかかる。いよいよ発艦だ。


 重たい戦艦は戦闘機のように滑走路からの離陸ができない。したがって、戦艦は海上から離陸する方式が採用されている。


 まず戦艦は船のように海上を移動し、海中に沈んでいる巨大カタパルトの真上に停止する。するとカタパルトが浮上して、大きな振動と共に戦艦と連結する。


 艦内のオレンジの照明が回転灯に切り替わると、カタパルトは海面と平行を保ったまま戦艦を持ち上げるように上昇を開始する。


 海上数十メートルという高さまで戦艦が持ち上がると、次にカタパルトは艦首が空を向くようにその角度を変え始める。


 角度の変化により重力の方向が変わり、椅子の背に体重がかかった。


 回転灯が赤に変わる。


「松波発艦十秒前」


 アナウンスがカウントダウンを始める。


「3……2……1……、発進」


 落ち着いたアナウンスの後、戦艦は急加速でカタパルトを登り始めた。


 カタパルトから勢いよく押し出された松波は、その勢いで空へ空へと突き進む。重力制御装置によっていくらかGは緩和されているものの、それでも体は後方に押し付けられた。


 その状態で十分ほど経過したとき、今度は体がふわりと浮遊するような感覚がやってきた。大気圏を抜けたのだ。すぐに重力制御装置により重力が地球環境と同じになる。


 しばらくして赤い回転灯が黄色の照明に変わり、数分後には通常の照明に戻った。


「大気圏突破完了。異常なし。各自持ち場に戻れ」


 アナウンスと同時にベルトのロックが自動的に解除され、千鶴は椅子から降りた。


 パイロットスーツと同じ色の赤いヘルメットを取り出し、操縦手順書も持って更衣室横の待機室へ移った。


 待機室のベンチに腰掛けると、千鶴は操縦手順書に急いで目を通し始めた。


 その表紙には『CRANE』と書かれていた。

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