第14話 噺家と生活

 噺家が所帯を持つのは大抵二つ目の頃が多い。今時の噺家は大抵大卒だから入門の時点で既に二十二歳になっている。浪人でもすればそれ以上になっている訳だ。

 今は前座を四~五年修行するから二つ目になる頃には二十代後半になっている。

 真打になるには、それから更に十年は必要だ。だから、それまでに身を固める者が多い。


 俺は春もめっきりと暖かくなって来た三月のある日、昨年神田に出来た二つ目専用の寄席「連雀亭」に取材に出向いていた。

 ここは、協会の垣根を取り払い、二つ目であれば一応誰でも出演出来る。講談の神田一門も加わっているので、続き物が読まれるそうだ。

 開場から半年を過ぎて、実際の所、運営が順調なのかを見にやって来たのだ。ビルの前にやってきて、出演者が書かれた看板を見ると三人の名前が出ていた。

 昼の部はワンコイン五百円で見られる。儲けよりも、二つ目の修行の場としての意味合いが強いのだ。

 その中に盛喬の弟弟子で盛季という者がいるが、その者が出ていた。以前盛喬に

「機会があれば一度聴いて欲しい」

 と頼まれていたからだ。

 寄席は二階なので上がって料金を払う。今日はあくまでも一般の観客の目で見た記事を書くつもりだったからだ。

 パイプ椅子がおよそ三十も並べられていただろうか? その中でもやや前の方に座る。

 時間になり出囃子が鳴り、一番目の噺家が出て来た。寄席では見ることが出来ない一門の噺家で、その意味でも新鮮だった。

 正直、噺はまあまあだったが、どこか自信なげ感じだった。経歴を見ると二つ目になりたてだと判った次第だ。

 二番目が盛季で、演目は「真田小僧」だった。この噺は……


 子供が父親に小遣いをねだるが、断られる。そこで子供は父親が居ない時に母親に、白い服を着てステッキを持ったサングラスのオジサンが尋ねて来たけど、小遣いをくれたら言うと半ば脅かしてまんまと小遣いを貰ってしまう。その後に子供は「よく見たらそのおじさんは、いつも来る横丁のあんまさんだった」といって、外へ逃げ出して行ってしまう。

 悔しがる父親、その後帰ってきた女房に言うと女房がその顛末を聞きたいと言う。それを聞いた父親「そんなに聞きたかったら一円出せ」

 今は寄席ではこう落としてしまうのが殆どだが、実はこの落とし方はごく最近出て来たものだ。ちゃんと演じると、この後女房が子供を「女房はうちの子は近所の子ども達より知恵が働くなんていう。

 父親はあんなのは知恵者じゃあない。それに引き換え真田幸村の子どもの頃はと、真田三代記の一説を女房に語り始める。

 子どもが戻ってきた。金を返せというと講釈を聞きに行って全部使ってしまったという。何の講釈かと聞くと真田三代記だといい、すらすらと語り出す。子どもは六連銭とはどんな紋なのかを聞く。上に3つ下に3つ並べてあるんだと話しても何度も聞くので、父親がこういうふうにと50円玉を並べ始る。

子どもは今度は自分が並べるといい銭をかき集め、持って表へ飛び出して行ってしまう。

「こん畜生、また講釈を聞きに行くのか」「今度は焼き芋を買ってくる」「ああ、いけねえ うちの真田も薩摩へ落ちた」

 と落とすのが本当なのだが、時間の関係でここまで演じられることは寄席では殆どない。

 今日の盛季は時間もあったのでキチンと最後まで演じた。


 トリの噺家芸術協会の二つ目が終わると楽屋を尋ねた。

「ああ、神山さん。驚きましたよ、出たら正面に居るんですもの。面くらいましたよ」

 盛季が笑いながら先に声を掛けて来た。

「良い出来だったんじゃない。最後までちゃんと演じたし」

 俺としては褒めたつもりなのだが

「よして下さいよ。これでも六代目圓生一門ですからね。これだけは、あんなまがいのオチは出来ませんよ。某一門は良くやりますけどね。そこはちゃんとやりますよ。それに、俺、子供が生まれたんですよ。だから子供が出ている噺を多く掛けているんですがね」

 そう言って苦笑いをした。そうか、自分の子供が生まれたのか。実生活が自分の噺に影響することはあるもので、その昔、古今亭志ん生は子供が生まれて嬉しくて高座で「桃太郎」ばかりを演じていたという。

「まさか、桃太郎なんかもやってるの?」

 冗談半分で言ったのだが、どうやら本気と思ったみたいだ。

「やだな~、でもやりましたよ。まあ、普段でも比較的やる噺ですけどね」

 そう言って笑っていた。ちなみに桃太郎という噺は……


 いつまでも寝ない子供に父親が「桃太郎」の話を語って聞かせるが、いちいち細かい所を突っ込んで来るので、しどろもどろになる。それを見て子供が「桃太郎」の本当の意味を語って聞かせるは両親はいつの間にか寝てしまう。「ああ、親なんて他愛ないものだ」

 そう言って落とすのだが、寄席でも良く掛かる話だ。やはり盛季も志ん生並に子供の噺をしたかったのだと思った。

「実際、噺に子供って良く出て来るくるじゃないですか。今までは自分の子供の頃を思い出してやっていましたけど、これからは自分の子供を見ながら噺を拵えるのかと思いましたよ。まあ、今はまだまだですけど、何時かはもっと上手くなって、この噺ならこいつ! って言われるようになりたいです」

 盛季の言ったことは噺家なら至極当然なことだ。ただ何となく二つ目を過ごして来た者と目的を持って過ごして来た者では真打に昇進した時に既に差はついているのだ。

 よく、「真打は噺家としてのスタート」というが、実際はこの時に既に差は開いているのだ。俺は改めてそれを認識すると盛季に

「圓盛一門は皆、しっかりして来たね。惣領がしっかりして来たからかな?」

 そんな冗談を言うと

「兄さんは変わりました。師匠なんかは『もう十年早く変わっていたら』なんて言ってますが、それでも目を細めています。自分も今から頑張れば、そのうち上手くなるかな? なんて思っています」

 その言葉を聞いて「がんばれよ!」と声を掛けて帰り道についた。いい記事が書けそうだった。


 その日、少し早く家に帰った。編集部に帰って原稿を書いてしまったら、手持ち無沙汰になってしまった。やることが無いのではなく、中途半端になるから今からではやりたく無かったのだ。

 結局珍しく定時で編集部を出て帰宅した。

 家に帰ると薫の靴が玄関にあった。確か、今日は郊外にTVのバラエティのロケがあったはずだと思った。もう終わったのだろうか?

 寝室に行くと薫がベッドで寝ていた。具合でも悪くなったのかと思い、眠っている薫の額に手をあてて見るがどうやら平熱のようだ。

「あ、お帰りなさい……今日ね、ロケ中止になったの。だから早く家に帰って来ちゃった。何だか怠くて横になったら眠っちゃった」

 目を覚ました薫にもう一度今度は自分の額をあてて見る……やはり熱は無いみたいだ。

 起きてコーヒーを入れて二人で飲んでいると薫は言いにくそうに

「ねえ、わたしが仕事暫く休んだら苦しくなるかな?」

「なに言ってるんだ。俺だって相応の給料は貰ってる。贅沢しなければ平気だろう? お前、役者辞めるのか?」

 俺の言ったことが、よほどおかしかったのか

「違う! 違う! そうじゃなくて……遅れているの……もう10日も」

 その言葉だけで意味が通じた。

「じゃあ……」

「はっきりしないから、これ帰りに買って来た」

 そう言って俺に見せたのは『妊娠検査薬』だった。

「調べてみて、そうだったら明日お医者さん行って来るね。明日は最初からお休みだし」

 薫はそう言うと検査薬を手にしてトイレに入って言った。

 やや間があり、薫が体温計のような検査薬を手にしてトイレから出て来た

「水平にして一分間たつと判るんだって」 

 薫も初めてだが、きっと俺が帰って来る迄に何回も説明書を読んだのだろう。そんな奴だと思った。

 やがて時間が経過した。判定と書かれた小さな丸い窓を見ると、そこにはクッキリと赤い線が浮かび出ていた。

「これって……妊娠してるんだよね! わたし達の赤ちゃんが居るんだよね!」

 今の検査薬の精度は高いと言う。ほぼ間違いなのだろう。俺達の子が薫のお腹の中に宿ったと……

 それを想うだけで胸がいっぱいになった。何も言えなくなってしまった。

 不意に薫がハンカチを出して頬を拭ってくれた。見ると薫の頬も濡れていた。俺もタオルで拭ってやる。

「明日、病院に行ってくるね。病院から連絡するね」

 薫の言葉に何回も頷く。

「いやだ、孝之さん黙ったまま。何か言って」

 顔は笑っているが相変わらず涙を流している薫に言われてしまった。

「良かった……本当に良かった……」

 そっと薫の体を抱き締めた。


 翌日、全く仕事が手につかずミスばかり繰り返すので編集部の皆から変な目で見られてしまった。そして十時頃携帯が鳴った。

「もしもし……あのね、二ヶ月だって。予定日は十二月の末だって。年末よどうしよう~元旦に生まれたら」

 全く困ってなぞいない陽気な弾んだ声だった。

 俺と薫の間に子供が宿った。俺はそれにしても取材した盛季の子供が生まれたからという話をもう一度思い出していた。

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