6-4


 そこからの展開は、早かった。


 祖父ロボは本当にあっという間に、慰安旅行の日程と行先を決めてしまうと全社に通達、即座に参加者の確認を取ると、全てを決定してしまった。


「というわけじゃから、お前も適当に理由をでっち上げて、しばらく家を空けることを、あの馬鹿と、その嫁さんに言っとくんじゃぞ」

「分かったよ」


 慰安旅行の詳細な計画を、いつもの社長室で聞かされたのは、俺が祖父ロボにその話をしてから、僅か数日後のことだった。


 目的地は。インペリアルリゾート。


 インペリアルジャパンの観光事業部が、全国で運営している最高級リゾートホテルの総称だが、今回の俺たちの目的地は、その中でも海辺にあるホテルの一つで、様々なアクティビティを備えた一流ホテルである。


 場所は、この街からもそれほど遠くない。車でも、朝から出発すれば、その日の夕方前にはたどり着ける。それくらいの距離だ。


 ということを俺は事前に、ネット等を使って調べ上げていた。

 初めての旅行が、それ程楽しみだったとも言える。


 しかし目的地は事前に聞いていたからいいのだが、俺を微妙に困らせたのは、その日程だった。


 ただの偶然だろうが、俺たちの慰安旅行の日程は、俺の両親の二十年越しの新婚旅行のものと、かなり被っていたのだ。


 まぁ、完全に一致してるわけではない。

 

 出発は、俺の両親の方が早いが、帰宅は、俺の方が早い。


 なので上手くいけば、俺が数日家を空けることを話さなくても、両親がそれに気が付かない可能性はあるが、しかしそれはあくまで博打であって、不慮の事態も想定するのなら、やはり嘘を吐いてでも、俺が泊まり込みをする理由を話す必要がある。


「うん? どうしたんじゃ、統斗」

「いや、なんでもないよ。旅行、楽しみだなと思って」


 この偶然には驚いたが、祖父ロボにそれを知られるわけにはいかない。

 なぜなら俺は、まだ祖父ロボに、両親の新婚旅行のことを話していないからだ。


「いやー! でも本当に楽しみだなぁ!」

「そうかそうか、お前がそこまで喜んでくれるなら、ワシも、企画した甲斐があったというものじゃ」

「はははは! いやー、じいちゃん、ありがとう!」

「なんのなんの! ガハハハ!」


 よし、なんとか誤魔化せただろうか?


 とは言っても、この旅行が楽しみなのは、本心だ。


 俺は心の中で、どうやって両親に、俺が外泊することを納得させるのか、色々と思案するのだった。




「部活の合宿?」

「そうなんだよ。ちょっと学校に泊まり込みで」


 祖父から慰安旅行の詳細を聞いた日の夕飯の席で、俺は両親への説得として、とりあえず、正攻法で攻めてみることにした。


 部活の合宿があるから家を空けるという、あまりにベタすぎる設定だが、ここは無駄に設定を捻っても、意味はないと判断した。


 この交渉に、失敗は許されないのだ。


「それはいいけど……、随分と急な話なのね?」


 俺の真っ赤な嘘に対して、疑問の声を上げた母が、首をかしげながら、追及の手を緩めない。


 ここが、勝負どころだ。


「いやー! 夏休みの間、ずっと部室で、囲碁やら将棋やら打ってたら、みんなで盛り上がっちゃってさ! 顧問も許可してくれたし、こうなったらもう、みんなで耐久勝負でもしてみるかって!」

「……随分と、熱心な囲碁将棋部だな」


 うるさいよ、親父。

 俺は、相変わらず新聞に夢中な我が父を、ちらりと睨む。


「そうねぇ。夏休みに入ってから、ずっと学校で部活してるし、随分と楽しいのね。囲碁将棋が」

「そう! そうなんだよ! いやー、やってみたら、意外とハマっちゃって! まぁ半分遊びみたいな部活だから、楽しめてるってのもあるけどね!」


 俺を肯定してくれる母に、過剰なほどに食いついてしまった。

 まぁ、全部嘘なんだが。


 しかし、囲碁将棋部っていうのは、やっぱり無理があったか……。


 夏休みに入ってからも、殆ど毎日、朝食を食べてすぐ家を出て、夕飯前にギリギリ帰るみたいな生活してるので、流石に、設定に無理が出てる気がする。


「でもねぇ、学校に泊まり込みって、一体どこで寝るの?」

「部室だよ部室! みんなで寝袋とか持ち込んでさ! それに、夜通し勝負する予定だから、寝てる暇なんてないって!」


 俺は、嘘に嘘を重ねるが、だんだん苦しくなってきてる気がする。

 というか、実際苦しい。


 数日間ぶっ通しで、寝ずに囲碁と将棋を打ちまくるって、どれだけの囲碁将棋好きなんだろうか。


「まぁ、いいんじゃないか。好きにさせても。もう、子供じゃないんだし」


 ナイス親父!

 俺は、相変わらず新聞に夢中な親父に、感謝の視線を送る。


 面倒くさいのか、興味ないのか分からないが、ナイスアシスト!


「そうね。統斗も、もう高校生ですもんね。じゃあ、その合宿費用を用意して……」

「あぁ、大丈夫大丈夫! 合宿っていうか、ただ学校に泊まって、みんなで遊ぶだけみたいな感じだから、そんなの要らないって!」


 なんだか、嘘を吐いてお金を騙し取るみたいな罪悪感から、思わずまた嘘を重ねてしまったが、余計に不自然になってしまった気もする。


「そうなの? それじゃあ、御飯代ごはんだいだけでも、後で渡しておくわね」

「わ、分かったよ……」


 母は、どうやらあまり深く考えずに、俺の嘘を受け入れてくれたようだ。

 流石に、飯代めしだいまで拒否するのは、不自然すぎるか……。


「おい、もういいだろう。飯にするぞ」

「はいはい。それじゃ、後で詳しいこと、ちゃんと教えてね、統斗」

「りょ、了解」


 家長である親父が、ようやく新聞紙をたたんで、夕飯の催促をした。


 どうやら、この話は一端、ここで終了のようだ。

 一応、家を空けるための両親の許可は得られた、ということらしい。


「それじゃ、いただきま~す」

「いただきます」

「い、いただきます」


 なんとか目的を遂げたという達成感と、旅行に行けるという高揚感、そして、親に嘘を吐いたという罪悪感を胸の奥に押し込んで、俺は母の作ってくれた夕飯に、箸を伸ばすのだった。




 そこからの展開は、更に早かった。


 夏休みと言っても殆ど毎日、悪の組織の総統として成長するために。忙しく活動しているから、というのもある。


 悪の総統として活動しながらも、学生らしく、夏休みの宿題も同時にきちんとこなしているから、というのもある。


 だがなにより、両親には内緒で、人生初めて旅行をするという一大イベントが、俺の気持ちをはやらせ、時間の流れを、いつもより早く、感じさせたのかもしれない。


「それじゃ、行ってくる」

「お留守番……、は今日だけね。合宿、頑張ってね。ちゃんと戸締りするのよ?」

「分かってるって。楽しんできなよ」


 気が付けばもう、両親が、二十年越しの新婚旅行へと向かう日がやって来ていた。

 俺は玄関で、沢山の荷物も持って、旅行先へと向かう両親を見送る。


「それじゃ、ちゃんと野菜も食べるのよ? あんまり夜更かし……、はするのよね。でも、無理しちゃだめよ?」

「了解了解」


 なかなか玄関から出ようとせず、色々と俺の心配をしている母と、特になにも言わない父の見送りが終わると共に、俺は素早く自分の部屋へと戻る。


 ここからは、俺の時間である。


「さぁ! 準備を始めるぜ!」


 思わずテンションが上がってしまい、一人で叫び声を上げてしまった。

 少し恥ずかしい。


 慰安旅行は、もう明日だ。

 今まで色々と忙しかったので、まだ準備は、終わっていない。


 俺はベッドの下から、この日のために用意した、大き目の旅行カバンを引きずり出すと、ウキウキと、旅行の用意を始めるのだった。




「おう! 統斗! こっちじゃこっち!」

「じいちゃん!」


 そして慰安旅行の当日、黒塗りのリムジンから降りた俺を出迎えたのは、いつもは社長室にいるはずの、祖父ロボだった。


 その日は朝から、色々と様子が違っていた。


 両親がいない家で、一人で起床して、一人で朝食を食べて、食器を片付け、身だしなみを整え、戸締りを何度も確認し、大きなカバンを抱えて家を出るのは、なんとも言えない、不思議な非日常感だ。


 インペリアルジャパン本社に向かうリムジンも、いつもと違っていた。


 けいさんが、乗っていなかったのだ。


 俺は一人でリムジンに乗ったのだが、こんなことは、この車に乗るようになってから初めてだった。


 そして、もはや見慣れた本社ビル前の様子も、またいつもと違っていた。


「凄い数のバスだなぁ。これで目的地まで行くのか」


 本社ビルの前には、大量の観光バスが停車していた。

 その並び様は、まったく壮観ですらある。


 辺りには、普段はビジネススーツや戦闘員のタイツに身を包んでいる組織の構成員たちが、私服姿で集まっていた。


 みんな笑顔で談笑したりしていて、これからの旅行への期待感に満ちた、なんとも良い雰囲気だ。


「あらん! 統斗ちゃんじゃない!」

「ローズさん!」


 観光バスの群れに見惚れていた俺に話しかけてくれたのは、やっぱり私服のローズさんだった。


 筋骨隆々の肉体に、派手なピンクのロングパンツと、ヒラヒラとした上着を着こなしている。化粧の方も、普段の三割増しだ。


 しかし、全身くまなくド派手に決められているが、それがローズさんには、よく似合っていた。


「統斗ちゃんのおかげで、慰安旅行が復活したって聞いたわよ! もう! 本当に嬉しい! ありがとねん!」

「そんな、俺のおかげってわけじゃ、ないですよ」


 ローズさんが俺の手を取って、ぶんぶんと振りながらお礼を言ってくれる。

 少し痛いが、そんなに喜んでくれるなら、むしろこちらが嬉しくなってしまう。


「俺もいるっスよ!」

「ふふふ……、僕もいるよ」

「それにしても、これから行く旅行先って、ローズさんは、前にも行ったことあるんですか?」

「もちろんあるわよ! 昔から、慰安旅行って言ったらあそこだったの! とってもいいところなんだから!」


 なるほどー。それは楽しみだなー。


「無視されたっス! 悲しいっス!」

「ふふふふふ……。放置プレイも悪くないね……」


 いつもと同じ様な、真っ白いタンクトップ姿のサブさんと、対照的に黒ずくめなバディさんがなにか言ってるが、無視だ、無視。


「みんなで、このバスに乗って行くんですか?」

「うふふん! 、それで行くわね」


 なんだかローズさんが、俺に意味深な視線を向けている。


 ……あたしたちは?


「あっ、どうやらお姫様たちが、来たみたいよん?」

「お姫様?」


 お姫様って誰が?


 なんて思っていると、ローズさんが俺の背中を押して、そのお姫様たちの前へと押し出してくれた。


 お姫様とは、一体誰の事を言っているのか、俺は、すぐに理解する。


「あっ、統斗様。おはようございます」


 契さんが、俺に向かって礼儀正しく、頭を下げて挨拶をしてくれる。


 当然のことながら、契さんは、私服姿だった。


 夏らしい、淡いブルーの爽やかなワンピースを着ているのだが、彼女の、その大人の魅力たっぷりな、美しいボディラインによって、清楚なはずのワンピースから、隠しきれない色気が溢れてしまっている。


 少しサイズが小さいのだろうか? 暴力的なまでに大きい胸から、見事にくびれた腰、そして豊満なお尻へと向かう身体のラインが、くっきりと出てしまい、なんとも目に毒だ。まったくけしからん。


 契さんは、下げていた頭を上げると、かぶった麦わら帽子の下から、俺に柔らかく微笑んでくれた。


 なんだろう、胸がドキドキする。


「おう、統斗ー! 旅行楽しもうな!」


 続いて千尋ちひろさんが、俺に向かって無邪気に手を振っている。


 当たり前のことだったが、千尋さんもまた、私服姿だった。


 お洒落なプリントの半袖Tシャツに、丈の短いレギンスと可愛らしいミニスカートを合わせるという、かなりシンプルな格好だったが、いつもの安っぽいジャージ姿とのギャップから、妙に女性らしさを感じてしまう。


 千尋さんの美しく引き締まった手足は、まるで彫刻のようだ。

 よく見れば、白いシャツに描かれている柄の隙間から、黒いスポーツブラが透けて見えているような気がするが、それがむしろ、健康的な色気を醸し出している。


 眩しい夏という季節そのものが、この元気で、明るく、天真爛漫な女性には、良く似合っていた。


「統斗ちゃん、お待たせ~!」


 最後にマリーさんが、俺に向かって、小悪魔のような視線を向ける。


 もはや必然と言ってもよいが、マリーさんはもちろん、私服姿だった。


 小さなショートパンツで、その美脚を露わにしているのだが、いつもは履いていないハイヒールタイプの、夏らしい編み込みサンダルのおかげで、その足の魅力は、更に引き立っている。


 更に上半身は、思わずワンサイズ小さいんじゃないかと心配してしまうような、身体に密着したピチピチのTシャツ姿で、その可愛いおへそが、丸出しになっている。


 白衣は当然羽織っていないが、普段の格好を知っている俺からすると、それが見事な解放感に繋がっていた。


 普段の知的な眼鏡の代わりにかけている、イエローのサングラスが、彼女の厚い唇と相まって、非常にセクシーだ。



「みっ、みんな! お、おはよう、ございます……」


 初めて見た最高幹部たちの私服姿に、俺は思わず、ドギマギしてしまった。


「統斗様? どうかしましたか?」

「おっ! なんだー? 照れてるのかー?」

「や~ん! 統斗ちゃんのえっち~!」


 そんな俺を、当の美女三人が囲んでしまうものだから、胸の動悸は、しばらく収まりそうにない。


「おっ、お前ら、どうやら、みんな揃ったようじゃな」


 契さんたちがやってきたことを確認した祖父ロボが、キャタピラをギュルギュルと回しながら、こちらにやって来た。


「それじゃローズ、そっちは頼んだぞい」

「はぁい! 任せてちょうだい! ほら! 行くわよ、あんたたち!」

「了解っス! 見事に盛り上げてみせるっス!」

「……カラオケ、やる?」


 祖父ロボになにやら頼まれたローズさんは、豪快に笑いながら、サブさんとバディさんを連れて、バスに乗り込んでしまった。


「あっ、もう出発なのか? それじゃ俺たちも」

「いや、ワシらは、ここで見送りじゃ」

「……えっ?」


 俺の疑問は無視して、ローズさんたちが乗り込んだ観光バスの扉が閉まると、クラクションを一つ鳴らし、出発してしまった。


「……あれ?」


 俺の動揺も無視して、その先頭のバスの後ろに続いて、残りのバスも次々と出発してしまう。そしてあっという間に、あれだけ大量に合った観光バスは、全ていなくなってしまった。


 後には祖父ロボと、俺と、俺にへばりついている最高幹部三人だけが、その場に残されてしまう。


「って、なにこれ? 俺たちお留守番?」


 突然の展開に、思わず心に隙間風が吹いてしまう。


 なんだこれ。どうするんだこれ。

 ここまでテンション上がってただけに、落差が凄いぞ……。


「それじゃ、行くぞい」

「えっ? 行くってどこに?」


 呆然としてる俺に、祖父ロボが告げる。


「旅行と言ったら、列車じゃろうが」

「……うん?」


 こうして、俺と悪の組織の、楽しい楽しい慰安旅行は、始まったのだった。


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