6-3
「でもさー、旅行はしたいよなー」
「確かに~、ちょっとリフレッシュしたいかも~」
マリーさんが、冷たいオレンジジュースをストローで飲みながら、同意する。
「最期に慰安旅行へ行ったのも、随分昔な気がしますね」
マリーさんの誘惑を振り切った俺は、今は本社ビルにある食堂で、我が組織最高幹部の三人と一緒に、昼食を取っている。
先程の欲望との死闘の結果は、理性の辛勝だった……、とだけ伝えておこう。
「慰安旅行なんてあったんですか? 悪の組織なのに?」
「おう! 昔は毎年、みんなで一緒に旅行したもんだぜ!」
俺の素朴な疑問に、千尋さんがご飯をモリモリ食べながら答えてくれる。
ちなみに、ジャージの前はキチンと閉められている。行儀が良いぞ、千尋さん!
「あれ~? なんで慰安旅行しなくなっちゃったんだっけ~?」
ちゃんと白衣を着込んだマリーさんが、俺のランチからトンカツを一切れ奪うと、美味しそうに
彼女の白衣の下は、推して知るべしだ。あまり気にしてはいけない。
「確か、あなたたち二人が旅行先で暴れて、地形を変えるほどの騒ぎになったからだったと、記憶していますが」
ビジネススーツのジャケットを脱いで、ワイシャツ姿になった契さんが、優雅にアイスコーヒーを飲みながら教えてくれる。
彼女の、そのはち切れんばかりの胸が、薄いブルーのシャツを押し上げ、微妙に目のやり場に困ってしまう。
「あれ? そうだっけ? そんなことあったっけ?」
「あ~、思い出した~! 確か千尋ちゃんが~、初めてお酒飲んだとかで~、大暴れしたのよ~!」
「いえ、その時は、マリーも一緒に暴れていましたよ」
なにも覚えていないらしい千尋さんと、全てを千尋さん一人のせいにしようとするマリーさんに、契さんが冷静に事実を伝えた。
しかしどうやら、数年前までこの悪の組織が。慰安旅行を行っていたというのは、本当のことのようだった。
相変わらず、福利厚生に手を抜かない組織である。
「特に敵との戦闘行為でもなく、ただ暴走しただけの上に、疑次元スペースも使用しておりませんでしたから、被害の隠蔽に骨を折ったので、よく覚えています。
そりゃ怒るわ。
悪の組織の最高幹部が、旅行先で酒に飲まれて、ただ大暴れしましたって。
「むしろ、地形が変わるほどの被害を、よく隠蔽できましたね……」
「幸い、死傷者は出ませんでしたから……」
契さんが右手を額に当て、本当に疲れたようなため息を漏らす。
その仕草は大人の色気たっぷりで、魅力的だったが、同時にその苦労を
苦労人っぽいもんなぁ、契さん……。
「でも~、あれってもう、随分と前の話でしょ~? そろそろ許してくれてもいいと思うのよね~」
「そうだよなー。俺も
マリーさんはストローを口に加えながら、千尋さんは箸を加えながら、お気楽な二人は、無責任に現状を嘆いている。
というか、二人とも行儀が悪いので、やめなさい。
でも、そうだな、旅行か……。
確かにみんなで旅行に行く、という考えは、とても楽しそうだ。
「慰安旅行かぁ……、そうだな、今度じいちゃんに聞いてみるかな」
「おっ! 本当か? 統斗が提案すれば、統吉郎様も考えてくれるかもな! よしよし! 統斗が偉いから、オレの唐揚げを一つあげよう!」
俺の提案に、千尋さんがニカッと太陽みたいに笑うと、自分の唐揚げを一つ分けてくれた。ありがたい。実にありがたい。
「あ~! 千尋ちゃんったらずるい~! だったらワタシは~、統斗ちゃんのトンカツ貰う~!」
千尋さんから唐揚げを貰った代わりとばかりに、マリーさんが俺のトンカツを再び一切れ奪うと、半分だけ食べた。
そして、なぜか、その残った方のトンカツを俺に差し出してくる。
「は~い、統斗ちゃん、あ~んして?」
「なぜ?」
本当に、なぜ、突然、そんなことを?
まったく流れが読めない展開に、俺は固まってしまうが、マリーさんはニコニコとした笑顔で、こちらにトンカツを差し出し続けている。
あの顔だと、恐らく俺がそれを食べるまで止めないだろう。
「あ~ん……」
仕方なく俺は、マリーさんの差し出すトンカツを食べる。うん、美味い。
「あー! ずるいぞマリー! だったらオレも!」
千尋さんがなぜか慌てて、俺にくれた唐揚げを再び箸で掴むと、自分で半分食べてから、俺にそのまま差し出す。
「ほら! 統徒! あーん! あーん!」
「あ、あーん……」
「よし!」
俺が千尋さんの食べかけの唐揚げを食べると、彼女は実に嬉しそうに笑った。
それにしても、唐揚げも美味いな。この社員食堂、外れなしか。
「あ~! 千尋ちゃんの真似っこ~!」
「へへーん! オレは統斗のためなら、手段は問わない女だぜ!」
マリーさんと千尋さんが、可愛らしく言い争いをしている。
しかし千尋さん、俺のためってなんなんですか?
「えっと、その、あの……!」
二人の騒ぎを見ていた契さんが、慌てて自分のアイスコーヒーを口に含むと、俺に向かって、そのまま唇を差し出した。
「んっ、んーん……」
あーん、と言いたいのだろうか。
契さんが目を閉じながら、まるで俺にキスをせがむようにしている。
「いや契さん、それはちょっと……」
「あ~! 契ちゃんずるい~!」
「オレも! オレも!」
「ん~!」
断ろうとした俺の周りで、また一騒ぎ怒ってしまう。
マリーさんが慌てて自分のオレンジジュースを口に含み、千尋さんは熱いお茶を流し込んでしまい悶絶し、契さんは俺へと近づく。
そんな俺たちの騒ぎを、周囲の悪の組織構成員が、好奇の目、というよりは、生暖かい目で見ているのが、なんともむず痒かった。
俺たちは大騒ぎしながらも、みんなで一緒に昼食を食べるのだった。
「慰安旅行? やってもええよ、別に」
俺の提案を、祖父ロボはあっさりと承認してしまった。
「えっ? マジで?」
「マジで」
祖父ロボは、深く首を、縦に振った。
いや、正確には、頭部のモニターと胴体を繋いでいる金属製の管を、なんだが。
ここは本社ビルの社長室。
午後の予定を終えた俺は、家に帰る前に、祖父ロボに向かって、みんなとの昼食の場で飛び出た、慰安旅行の件を切り出してみたのだ。
ちなみに午後の予定だったマリーさんとの実験は、至極真面目に行われたことだけは、ここに明言しておく。
科学的な検証については真剣なのだあの人も。……一応。
「でも、本当にいいのか? 提案した俺が言うのもなんだけど、問題が起きたから、中止にしてたんだろ?」
「まぁ、もう結構前の話じゃからな。あいつらも反省しとるじゃろうし、お前が行きたいというなら、まぁええか、と思っただけじゃよ」
どうやら、祖父ロボの怒りはとっくの昔に収まっていたが、特に理由もないので、再開しなかっただけらしい。
千尋さんとマリーさんが、本当に反省しているかと思うと疑問だが、俺にとっては嬉しい展開だ。
「先日、ブラックライトニングを叩き潰した件から、うちにちょっかいをかける、馬鹿な組織も減ったことじゃしの。最近はお前も訓練ばかりじゃし、リフレッシュするには、ええ頃合いじゃろう」
どうやら、今の状況なら、悪の組織的に余裕がありそうなのも、慰安旅行を許可する要因の一つらしい。俺がブラックライトニングを倒したことにも、それなりの効果があったようで、一安心である。
「どうせやるなら、早い方がええじゃろう。丁度うちの系列会社がやっとる、海辺のリゾートホテルがあるから、場所はそこにするかの」
やると決めたら、祖父ロボは色んなことを、テキパキと、即決で決め始める。
ここら辺のフットワークの軽さと決断力は、隠れ蓑とはいえ一流企業のトップに立っているだけあって、流石だと思う。
それにしても……。
「……海かぁ」
「なんじゃ、お前、海に行ったこともないのか」
「……ないんだなぁ」
家族旅行をしたことがない俺は、実は、海にすら行ったことはなかったりする。
中学校の修学旅行でも、海には行かなかったんだよなぁ。
そういう意味でも、楽しみが増えたという感じだった。
「それにしても、慰安旅行に行くのは嬉しいんだけど、全員で行っても大丈夫なものなのか? やっぱり、グループ分けして日付をズラしたりするとか?」
慰安旅行なんて初めての経験なので、俺はこれからどうすればいいのか、さっぱり分からないのだ。
とりあえず、普通の企業として以外にも、悪の組織として活動してる以上、全員が一度に休んでしまうのは、やはりまずい気がする。
「まぁ、基本的には全員で行くってことでいいじゃろう。とりあえず、この本社ビルで働いとる社員全員、という意味じゃがな。支部にはそれぞれ、個別で慰安旅行を企画させて、日程が重ならないように旅行を行う。抜けた穴は、他で補うといった感じで大丈夫じゃ。緊急事態が起きても、ワープで戻ればええだけじゃしな」
頼りになる祖父ロボが、テキパキと、俺の不安を解消してくれた。
「なるほどなぁ」
よく考えれば、ちょっと前までは、毎年慰安旅行を行っていたのだから、こういう企画自体も、組織としてやり慣れているだろうし、ここは、全て祖父ロボに任せてしまっても、よさそうだ。
「それじゃ、旅行先は、その海辺のリゾートホテルでええとして、後は日程と、参加希望者の確認じゃな。後はこっちでやっておくから、色々決まったら、またお前にも伝えることにするか」
「そうだな。それじゃ、お願いするよ」
俺は、一応冷静を装いながら、内心の
初めての慰安旅行。
初めての海。
初めての経験は、いつだって人の心にドキドキを与えてくれる。
俺は、思わずスキップなんてしてしまわないように気をつけながら、社長室を飛び出して、いつものように家路につくのだった。
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