5-4
マリーさんとの優雅なお茶会から数日後。
本日は土曜日で、悪の総統稼業も、お休みである。
俺は、悪の総統と言っても見習いの身なので、こうして土日は丸々オフみたいなことも、たまには可能なのだった。なんともゆとり総統である。ヴァイスインペリアルは、福利厚生に厚い悪の組織なのだ。
福利厚生に厚い悪の組織ってなんだ、と思わないでもないが、今はその組織の方針にありがたく従って、貴重な休日は、心身ともにリフレッシュするために、有効活用するべきだろう。
俺も。まだまだ学生の身分なので、これくらいの息抜きは、許してもらいたい。
というわけで、今は気だるい土曜の午後である。
午前中は日頃の疲れからか、すっかり寝てしまった。早速休日を無駄にした感があるが、布団の中が幸せすぎたのだから、仕方ない。
家で遅めの昼食を取った後、俺は一応おめかししてから街に出て、駅前近くのショッピングモールにて、ある人が来るのを待っていた。
「ごめんなさい、十文字くん。ちょっと遅れたかしら?」
「いえ。俺がちょっと早めに着いただけですよ、
約束の時間のきっかり五分前にやってきたのは、俺たちの学校の先輩、緑山
「そうじゃ、行きましょうか」
「そうね。今日はお願いね、十文字くん」
そして俺たちは、二人並んで、ショッピングモールの中へと向かうのだった。
……と言っても、これは別に、デートだとか色っぽい話ではない。
つい昨日の話だが、緑山先輩から、買い物に付き合って欲しいと頼まれたのだ。
なんでも、お父さんの誕生日が近いらしく、本日は、そのプレゼントを選ぶのを、こうして手伝ってあけることになっている。どうやら、男性目線の意見を求めているらしい。
それにしても、私服姿の緑山先輩を見れたのは、ちょっとした役得だった。
大人っぽい、グリーンのワンピースを上品に着こなしている先輩は、実に美しい。
「ごめんね? プレゼントは毎年あげてるんだけど、私が選ぶと、その……、つい、可愛いものを選んじゃって、お父さんも、困っちゃってるから……」
「父親とはいえ、異性に送るプレゼントって難しいですからね。俺で良かったら、いくらでも協力させてください」
俺も、母の日のプレゼントとか色々困ったことがあるので、そういったことで悩む気持ちは、分かっているつもりだ。
「それにしても、凄い人ね」
「そうですね。土曜日だからですかね?」
俺は、普段はこういったショッピングモールなどには、殆ど行かないために、そのあまりの人の多さに驚いてしまう。いや、本当に凄い。芋洗い状態というか、人間がぎゅうぎゅうに集まって、なんだか真っ直ぐ歩くことすら、難しそうだ。
「っと、こんなところで怯んじゃだめですね。それじゃ行きましょうか、先輩」
「えぇ、頑張りましょう、十文字くん!」
ちょっと気合を入れて、両手を胸の前に握りしめた緑山先輩が、愛らしかった。
俺も気合を入れて、この人の海に突入する覚悟を決めるのだった……。
そして俺と先輩は、本当に色んな店を回った。
「これなんかどうかしら?」
「うーん、そのぬいぐるみは可愛いな、とは思いますけど……」
なかなかファンシーな店で、緑山先輩が大きなぬいぐるみを抱きしめている。
その普段の大人っぽい先輩らしくない、少し子供っぽい様子は非常に魅力的だったが、流石にお父さんにプレゼントするには、女性的すぎるかもしれない。
「これはどう?」
「お父さん、サーファーなんですか?」
続けて訪れたアクセサリーショップで、先輩が見つけたのは、ビーチシックというのか、ハワイでサーファーが身に着けてるような、派手なネックレスだった。
「ううん。会社の役員だけど」
「もうちょっと、他を探して見ましょうか……」
俺たちは、また次の店へと向かう。
「お父さんワインとか好きだから、お酒なんてどうかしら?」
「俺たち二人とも未成年なんで、そもそも売ってくれないと思います……」
俺と先輩は、互いに見つめ合って、深いため息を吐いた。
「うーん。ベタなところで、ネクタイとか、ワイシャツとかどうですかね?」
「そうね、ちょっと見てみましょうか」
と、次の店へと向かおうとした、その時だった。
「わっ、とっ、おっ」
突然の大きな人の波に、俺は思わずバランスを崩してしまいそうになる。
どうやらイベントスペースで、なにやら有名なバンドがライブでもするらしく、そこへと向かう大勢の人たちに、俺と緑山先輩は、突然飲み込まれてしまった。
その場に踏み止まることができず、俺たちは、人の動きに流されてしまう。
「大丈夫ですか先輩? ……ってあれ?」
緑山先輩からの返事は、なかった。どうやらあの人の波のせいで、はぐれてしまったらしい。周囲の人が多すぎて、この状況で緑山先輩を見つけるのは、ちょっと難しそうだった。
まぁ、普通に携帯で連絡を取ればいいだけ、なんだけど。
「……うん?」
なんて考えながら、周囲を見渡した時、近くの雑貨屋の店先のある商品が、俺の目に
「……ふむ」
俺は、その商品を手に取ると、雑貨屋の中へと向かった。
「あっ! 十文字くん! こっちよ!」
「先輩!」
その後、俺は素直に携帯を使って、緑山先輩と、雑貨屋の近くで合流することに成功した。
「十文字くん、大丈夫だった? 怪我はない?」
「いや、あれくらいで怪我とかしませんから。先輩は大丈夫ですか?」
「うん。心配してくれたありがとう、十文字くん」
互いの無事を確認した後、緑山先輩が、まるで女神のような笑顔を、俺に見せてくれる。思わず心が震えるほどの美しさだったけど、でも、ちょっと心配しすぎじゃないかな、先輩。
「それじゃ、行きましょうか、」
その笑顔に見とれていると、突然先輩が俺の手を握り、歩き出した。
「せっ、先輩?」
「またはぐれちゃったら、困るから、ね?」
慌ててしまった俺に構わず、先輩は笑顔のまま、俺の手をグイグイと引いて行く。
「……そうですね」
俺は、特にそれを拒む理由を見つけられず、大人しく、先輩の後ろをついて歩くのだった。
「ありがとう十文字くん。おかげで、良いプレゼントが見つかったわ」
「いえいえ、そんな。結局最後に選んだのは、先輩ですから」
俺と先輩は目的の買い物を終え、今はショッピングモールにあるカフェで、一息ついている。
先輩がお父さんへの誕生日プレゼントに選んだのは、品の良いネクタイだった。
ワイシャツとどちらにするか、しばらく悩んでいたが、結局シャツのサイズがよく分からなかったために、ネクタイにしたのだ。
一応、今日一日買い物に付き合った身としては、かなり良いプレゼントが用意できたんじゃないかと思っている。
「本当に、今日は付き合ってくれてありがとう。ここは私が出すわね」
「そんな、悪いですよ」
「いいから、ね?」
俺としては、緑山先輩と、こうしてちょっとしたデート気分が味わえただけでも、お釣りがくるくらいだったので、このカフェの料金まで出して貰うのは、正直気が引けたのだが、先輩は意外と頑固で、言い出したら聞かないところがあることを、俺は知っていた。
ここは素直に、彼女の好意に甘えた方が、よさそうだ。
「そうですか? すみません。それじゃご馳走になりますね」
「いいえ。お礼を言いたいのは、私の方なんだから」
そう言うと先輩はまた俺に、大人っぽい、慈愛に満ちた笑顔を見せてくれる。
本当にこれだけで、俺への報酬としては十分だと思えた。
「そうだ、あのね、この前、桃花ちゃんがね……」
「へぇ、そんなことがあったんですか……」
俺と先輩はしばらく雑談を楽しみながら、穏やかな時間に浸るのだった。
「……そうだ。ちょっと聞いてみたいなことがあるんですけど、いいですか先輩?」
雑談の合間に、ふと俺は、この大人っぽい先輩に聞いてみたいことがあったのを思い出し、思い切って尋ねてみることにした。
「なぁに? 今なら、なんで答えちゃうわよ?」
ちょっと悪戯っぽく笑う先輩に、少しドキっとしてしまう。
「先輩は、何かに行き詰った時って、どうしますか?」
「行き詰るって……、なんでもいいの?」
「はい。ちょっと
「うーん、そうねぇ……」
俺のぼんやりとした質問に対して、緑山先輩は真剣に考えてくれる。
そう、俺が聞きたいのは、自分が今やってることが、壁にぶつかってしまった時、どうするべきか、という、なんとも幅の広い質問だった。
簡単に言えば、スランプの抜け出し方、と言ってもいい。
俺は今、色々と新しいことを学んでいる最中で、自分で言うのもなんだが、今のところは、かなり順調だと思っている。
しかし、この好調がいつまで続くかは分からないし、好調なら好調だった分、いざ壁にぶつかった時には、その克服も大変そうだと思ったのだ。
多少ネガティブな考えかもしれないが、俺がそんなことを考えるのは、現在進行形え仕事に行き詰っているらしい、うちの開発主任……、そう、マリーさんの件があるからだったりする。
「そうね……、私だったら、なにか別のことをするかしらね」
「別のこと?」
「そう、全然、別のこと、まったく関係無いことをしてみて、ちょっとだけ、その行き詰っちゃったことからは、距離を置くかな」
緑山先輩は、大人の余裕たっぷりといった風情で、俺に暖かい目を向ける。
「距離を置く、ですか?」
「なにかに行き詰ってる時ってね、大抵そのことで、頭が一杯で、早くなんとかしないと! って自分で自分を追い込んじゃってたりすると思うの。だから、一度そこから離れて、クールダウンというか、落ち着くことも、大切なんじゃないかしら」
尊敬する先輩である緑山先輩の優しい声に、俺は耳を傾ける。彼女の持っている
「なるほど……」
「まったく別のことをしている時に、ふと解決策を思いつく、なんてことも多いしね。後は……、そうね、一人で悩んでると、どうしても視野が狭くなってしまうから、周りの人に相談したり、気分転換に遊んだりするのも、大事かしら」
確かに、一人で悩んでいても、あまり良いことは無いと、俺も思う。
そうか、そうだな。畑違いだとか、あの人の悩みは、俺じゃ分からないかも、なんて思う前に、まずは、相手の話を聞いてみるっていうのも、大切だよな。
それが気晴らしになれば、それだけで、意味はあるのかもしれない。
今度、マリーさんに、話だけでも聞いてみよう。
「ありがとうございます、先輩。すいません、いきなり変なこと聞いちゃって」
「ふふっ、いいのよ。十文字くんも、なにか悩んでるなら、いつでも遠慮なく、私に話してね?」
「そうですね。それじゃ、なにかあったら、先輩に相談させてもらいますね」
こちらを慈しむような笑顔の先輩に癒されながら、俺はもうしばらく、この包容力のある先輩との会話に、花を咲かせるのだった。
「それじゃ、十文字くん。今日は本当に、ありがとう」
「いえ、こちらこそ」
のんびりと、少し早めのティータイムを楽しんで、喫茶店から出てきた俺たちは、ショッピングモールの入り口で別れることになった。
日はまだ高いが、なんでも緑山先輩は、この後用事があるらしい。
ちょっとだけ、残念である。
「じゃあ、またね」
先輩が笑顔でこちらに手を振って、ここから去ってしまいそうになったその時、俺は、大事なことを思い出した。
「あっ! 先輩、ちょっと待ってください!」
「うん? どうしたの?」
俺は慌ててポケットから、さっき雑貨店で購入したものを取り出す。
「よかったらこれ、どうぞ」
「なにかしら? 開けてもいい?」
俺が手渡した、小さな紙袋を不思議そうに開けた先輩の顔が、次の瞬間、驚きの表情に変わる。
「わぁ、可愛い……」
「さっき先輩と、はぐれちゃった時に見つけたんですけど、その、えっと、先輩に似合うかなって……」
俺が雑貨店で購入したのは、四葉のクローバーが上品にあしらわれた、小さなヘアピンだった。前髪をいつもピンで止めている先輩のイメージと重なって、つい買ってしまったのだ。
「えっと……、俺の相談に乗ってもらった、お礼ってことで」
あの時は、先輩に似合うと思った途端に思わず購入してしまったが、よく考えたら、なんだか恥ずかしくなってしまった俺は、適当な理由をでっち上げてしまう。
というか、家族以外の女性にプレゼントするとか、もしかして、初めてなんじゃないのか、これ?
「でも、いいの?」
「その、俺が勝手に買ったものですから、嫌だったら別にいいんですけど」
ちょっと困った風な先輩に、思わず弱気になってしまったのだが……。
「そんなことない!」
「せっ、先輩……?」
緑山先輩の、普段からは想像できないような大声に、俺は驚いてしまう。
先輩自身も、自分の出した声の大きさに、驚いているようだった。
なんだか、ひどくびっくりしたような顔をしている。
「あっ、あの、その、これ大事にするね! ずっとずっと、大事にするから!」
「は、はい。その、ありがとうございます」
先輩は、俺があげたプレゼントを強く抱きしめながら、顔を赤くしている。
どうやら、俺の突然のプレゼントは、彼女に喜んでもらえたようだ。
なんだかホッとした俺は、贈り物をした方だというのに、なぜかお礼を言ってしまった。
「ううん! こちらこそ、ありがとう……」
そんな俺にお礼を返しながら、恥ずかしそうに、はにかんでいる先輩に、俺の方もなんだか照れてしまい、妙に甘酸っぱい沈黙が、訪れるのだった……。
「それじゃ、またね、十文字くん……」
「はい、それじゃ、また」
こちらにずっと手を振りながら、少しづつ遠ざかる緑山先輩を見送り終わると、俺は突然、ヒマになった。
この後の予定は、特にない。
「うーん! この後、なにするかなぁ」
俺が背筋を伸ばしながら、この休日の残りをどう過ごすか、一思案しようとした、その時だった。
「あー! 十文字じゃん!」
背後から、俺のよく知る人物に、いきなり声をかけられた。
「……黄村、だから一応、俺の方が先輩なんだから、せめて呼ぶなら、さんくらいはつけろと……」
「うっさい十文字。あんた、こんなところでなにしてんのよ?」
なんだかどっと疲れた気分で後ろを振り返ると、果たして俺の思った通りの人物、俺の生意気な後輩こと、黄村ひかりが、その小さい体を、少しでも大きく見せようとするかのように、仁王立ちしていた。
休日なので、当然黄村も私服姿なのだが、なんというか、非常に子供っぽい。
というか、子供服なんじゃないのか? そのショートパンツとタンクトップ。
「別に、俺がなにしてようと、お前には関係無いだろう」
「なによ! 十文字のくせに生意気!」
俺の気のない返事に怒ったらしい黄村が、こちらの足を踏みつけてくる。
もちろん避けるが、危ないなぁ、こいつ……。
「なんで避けるのよ!」
「いや、そりゃ避けるだろう……」
「むぅ!」
いや、そんなに膨れられても……。頬袋にエサ詰め込んだリスか、お前は。
本当に、こいつは俺の、一つ下なだけなんだろうか?
なんだか、年の離れた妹でも相手してる気分だ。
具体的には、小学生低学年くらいの。
「まぁいいわ! それよりあんた、これからヒマなの? ヒマよね? よかったわ、ヒマで!」
「いや、勝手に人を、ヒマだと決めつけるなよ」
まぁ、ヒマなんだが。
今後の予定は、特にない。
「ヒマなら、丁度よかったわ! 十文字! あんた、この前ひかりとした約束、忘れてないでしょうね?」
「約束?」
思いっきり、忘れている。
というか、そもそも覚えがないのだが……。
俺が黄村と、約束なんてしたっけ?
「なに忘れてるのよ! あんたがひかりにクレープ奢るって約束したでしょ!」
「えっ? あれって有効だったの?」
どうやらこの前……、怪人三バカトリオが揃って暴れた時だったか、一方的に俺にクレープを奢れと言い放ったことが、こいつの中ではすでに約束……、というか、確約になっているらしい。
なんだこいつ。
色んな意味で、凄いなこいつ。
「丁度駅前でひかりに会えたなんて、あんたもラッキーね! それじゃ、これから早速、クレープ屋に行くわよ!」
「おい! ちょっと待てって!」
黄村は俺の手を取ると、強引に引っ張りながら、その駅前のクレープ屋とやらへ、いきなり走り出した。
ここで黄村の手を振りほどき、お前と約束なんてしていない! と、きっぱり言い放ってやってもいいんだが、それもなんだか大人気ないというか、頭の中をすっかりクレープで一杯にして、ニコニコといい笑顔を浮かべているこいつを見ていると、そういうことすら、どうでもよくなってくる。
色々と得な奴だな、こいつ。
まぁいいか、どうせヒマだしな。
「クレープ! クレープ! クレクレクレープー!」
黄村は上機嫌に、謎の自作ソングなんて歌っている。
放っておいたらスキップでもしそうなくらい、ご機嫌だ。
そんなにクレープ好きだったのか、こいつ。
「分かった! 分かったから! 奢るから! 奢ってやるから! ちょっとスピード落とせ! 落としてくれ! 落としてください!」
「やーい! 十文字ったら、情けな―い!」
「別に、お前のスピードについていけないからとかじゃないから! 恥ずかしいだけだから! つまり別の意味で、ついていけないからだから!」
「なに言ってるんだか、全然分かんなーい!」
悪態をつきながらも、黄村は走るのは止めて、俺と並んで歩くようにしてくれた。
こうして俺と黄村は、手をつないだまま、くだらない口喧嘩をしながら、約束のクレープ屋へと向かうことになったのだった……。
「スペシャルストロベリークリーム、トッピング全部乗せで!」
「ちょっと待て」
最近駅前にできたばかりの新しいクレープ屋は、かなり人気があるようで、休日の混雑ぶりも相まって、結構な長時間、並ぶことになった。
待ち時間が長いだ、なんだと文句を言う黄村を適当に受け流しながら、ようやく俺たちが注文する番になったのはいいんだが……。
「なによ! まさか今更、お金がないなんてケチくさいこと言わないでよね! ちなみにひかりは、全然お金持ってないからね!」
「なんで持ってない上に、これから奢って貰おうって奴の方が、威張ってるんだよ。いや、別になに頼んでもいいんだけどさ、
そう、このクレープ屋は、そういう惣菜系のクレープも、ちゃんとあるのだ。
店員さんも困った顔をしていた。メニューくらい見てくれ、黄村。
「……トッピング、甘いのだけ全部乗せで!」
「すいません、それでお願いします。……えっ? ちょっと時間がかかる? 大丈夫です、待ちます」
改めて、元気よく注文した黄村に変わって支払いを済ませると、俺たちは。お店の脇で、クレープの完成を少し待つことになった。
……まぁ、あんな注文すれば、それも当然か。
「なによ? あんたは頼まないの? やっぱり、お金ないんじゃないの?」
「俺は、いいんだよ」
待ってる間も、俺にちょっかいかけてくる黄村を適当にあしらっていると、どうやら俺が、自分の分を注文していないことに、ようやく気が付いたらしい。
だが、この後の展開を考えると、俺は自分の分のクレープを頼むのは、まずいと判断したのだ。
俺は今から、胃が重くなりそうな気分だった。
「うわぁ! すごーい! ひかり、こんなクレープ初めて!」
「そうかい、それは良かったな……」
しばらく待って、ようやく黄村が手にしたクレープは、それはそれは。凄まじいものだった……、とだけ言っておこう。正直、見てるだけで、胃もたれしそうだ。
「甘い! 美味しい! 甘い! 美味しい! 甘い!」
「いいから、黙って食べろ」
俺は、一瞬でクリームまみれになった黄村の口を、店のナプキンで拭ってやりながら、ため息を吐く。
気分はもはや、幼い娘を相手にしてるお父さんだった。
本当に、俺より一つ下なだけなのか、こいつ。
緑山先輩とも、二つしか違わないんだぞ、こいつ。
「お前はいいな……、なんか、悩みとかなさそうで……」
「むー! ひかりだって、悩むことくらいあるもん!」
子ども扱いされたと思ったのか、黄村は俺の言葉にむくれて見せるが、手元の巨大なクレープが、その説得力を大幅に下げていた。
「それじゃ、悩んだらどうするんだよ、お前は」
「悩んだら? 何も考えない! なんかこうぶわー! って頑張ってれば、気付いたらなんで悩んでたのか、忘れちゃうし」
「それは……、凄いな」
「えへへー」
黄村は褒められたと思ったのか、表情をコロコロ変えて、嬉しそうに笑った。
まぁ、褒めた、とは違うが、意外と感心した、というのは本当だ。
黄村が言いたいのはつまり、悩んでも無我夢中で突っ走ることで、悩みを置き去りにして前に進んでしまう、ということなのだが、これは普通の人間には、なかなかできない。
普通は悩んだ時点で、その場に立ち止まってしまうからだ。
まぁ、こいつの場合は全部ただの天然で、考えて立ち止まる頭が無い、というだけなのかも知れないけど。というか、そっちの可能性の方が高いと思ってるんだけど。
「いやぁ、貴重な意見ってのは、意外なところから出てくるもんだなぁ……、って、どうした、黄村?」
感心した俺が、黄村の方に目をやると、状況は一変していた。
半分ほどクレープを
「甘い……、甘すぎる……、それに量が……、もう、おなか、いっぱい……」
感心して、損をした。
一瞬前まで上機嫌だったはずの黄村は、今はもう、とんでもなく苦しそうな顔で、こちらを見ている。
「そりゃ甘いだろうよ……、しょうがない、ほら、よこせよ」
「あっ」
俺は黄村から、その食べかけのクレープを奪い取ると、むしゃむしゃと
「甘い……、というか、むしろ痛い……」
なんというか、地獄のような甘さだった。
もはや、なにが甘いのかすら分からないが、ただひたすら、甘い。
「ちょっ、ちょっと! なに勝手に、ひかりのクレープ食べてるのよ!」
なぜか真っ赤になった黄村が、俺からクレープを奪い取ると、ついさっきまでの苦悶の表情もどこへやら、その甘すぎる物体を、むしゃむしゃと食べ始める。
「いや、無理すんなって。どうせこうなるだろうと思って、俺は自分の分、頼まなかったんだし」
俺は再び、黄村からクレープを奪い取ると、更に食べ進める。
どうせ、トッピング全部乗せとかやめろと言っても、黄村は聞かないので、俺はこの事態を予測していたのだ。先見の明、というやつである。
「うっ、うるさい! 十文字のくせに、なにしてんのよ!」
あと一欠けら、というところで、黄村は無理矢理クレープを俺から奪い取ると、そのまま口に放り込んでしまった。
「ご……、ごちそうさまでした……」
「大丈夫か、お前? なんか顔色が、大変なことになってるぞ?」
なんというか、青いんだが赤いんだか、よく分からないというか、なんだか鼻息も荒いし、思わず真剣に心配してしまいそうだ。大丈夫か、こいつ?
「うるさい十文字……、全部、あんたのせいなんだから……」
「やれやれ……」
なんとも言えない顔色のまま、まだ悪態をつく黄村に呆れながらも、俺はこの後の予定が埋まってしまったことを、悟るのだった。
「ほら黄村、そろそろ帰るぞ、送っててやるから、大丈夫か?」
「うん……、大丈夫……」
なんだかしおらしい黄村の手を引きながら、俺の休日は、こうしてゆっくりと終わっていくのだった。
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