13-19


「これで終わりだ……! 悪魔マモン!」


 この身体中を駆け巡る、人という器に収まりきるはずもない、あまりに大きすぎる力の激流を、それでも受け入れ、一体化することで、俺は今にも飲み込まれ、消滅してしまいそうな自我を、なんとか繋ぎ止める。


 まるで俺の中で、広く深い海が、無限に広がり続けているような感覚だ。


 正直、残された時間は、少ない。


「馬鹿な……! シュバルカイザー・エヒトだと……!」


 表情こそ分からないが、悪魔は明らかに動揺した様子で、俺に……、新たな力を得た俺のカイザースーツに、目を向ける。


 シュバルカイザー・エヒトは、全体的に肥大化したラーゼンと比べると、ノーマルのカイザースーツに近いサイズとなっていた。


 だが、それは力が抜けて小さく、弱くなったわけじゃない。むしろ逆だ。


 膨大な命気プラーナ魔素エーテルが入り混じり、金色こんじきに輝くカイザースーツは、まるで奇跡のように精錬され、これまでとは比較にならない力であふれている。


「くっ! 私の命気が……!」


 そう、これは俺にとっても想定外……、というか完全に偶然の産物なのだが、空に浮かべた巨大魔方陣を使って、他人から命気を回収する際、他の人たちと同じ様に、回収の条件である俺の命気を浴びていた悪魔からも、奴の持っていた膨大な命気を、殆ど徴収することに成功していた。


 この世界の生き物を対象にした魔術のつもりだったので、異界の住人である悪魔にまで効果が出たのは、嬉しい誤算だ。


 特に、マモンの背中に生えていた、命気の翼が消えたのは、ありがたい。


 戦力的にも勿論だが、あの翼は本来、獅子ヶ谷ししがや一鷹かずたかの、千尋さんの兄のものだ。


 あの悪魔には、相応ふさわしくない。


「悪いな。命気の方が、お前に使われるのは嫌だとさ」

「くっ……!」


 原因は不明だが、効果は明らかだった。


 悪魔がワールドイーターの構成員を虐殺してまで貯め込んだ命気は、ほぼ全て、俺のものとなっている。


 敵は大幅に弱体化し、同時にこちらは、更なる強化を得られた。これを僥倖ぎょうこうといわず、なんというのか。



 さあ、雌雄を決する時が来た。



「ふざけるな!」


 自らの力を奪われた強欲の悪魔が、再び俺から強奪でもしようというのか、その身に残るなけなしの命気を掻き集め、こちらに突っ込んでくる。


 魔方陣を使って、他人から命気を奪うことにした……、と言っても、当然だが、対象の全てを奪い尽くしてしまうまでには、設定していない。状況が状況だ。あちこち破壊されてしまい、瓦礫だらけになってしまったこの街で、突然身体が動けなくなったとなると、下手をすれば、一般の人たちの命に関わる。


 そのために、奪うといっても加減はしている。命気を失ったとしても、ある程度は動けるはずだし、残った命気による回復自体も、続いているはずだ。


 その結果として、マモンにもまだ、僅かながらに命気が残っているのだが、命気による回復は、自ら命気を生み出せる生き物でないと意味はないので、それが不可能な悪魔には、関係ない。


 つまり、状況は変わらず、圧倒的に俺の有利だ。


「別にふざけていない」


 翼を失い、地に墜ちた悪魔は、随分と少なくなった命気と、松戸まつど博士による改造を受けた体躯を使い、こちらに向かってくるが、正直、遅い。


 俺は悪魔の拳を避け、逆にこちらの拳をカウンターで、相手の顔面に撃ち付ける。


「――ガッ!」


 悪魔が苦悶の声を上げたが、それも当然だろう。


 シュバルカイザー・エヒトの金色に輝く装甲は、莫大な命気と魔素が混ざり合い、極限まで圧縮されながらも、少しも損なうことなく精錬せいれんされた、奇跡の産物だ。


 そんな規格外の力が込められた手甲で、思い切り殴りつけられたのだから、むしろ、悪魔の頭部がまだ身体と繋がっていることが、驚きだろう。


 まあ、別に問題はないけれど。


「こ、の……!」


 驚くべきことに、その場で踏ん張ることに成功したマモンが、悪魔お得意の魔素を操って、無数の黒槍をこちらに放つが、もはや避ける必要すらなかった。


 超感覚による敵の行動予測をせずとも、魔術による防御をしなくても、もっと単純に、悪魔の攻撃では、エヒトの装甲に、傷をつけることすらできない……!


「馬鹿な……!」

「馬鹿はお前だ!」


 悪魔として絶対の自信を持っていたであろう、魔素による攻撃を防がれ、驚愕の悲鳴を上げているマモンに向けて、今度は逆にこちらから、魔術による攻撃を放つ。


 俺がと思った瞬間、殆どタイムラグ無しで、悪魔の背後に金色の魔方陣が出現したかと思えば、即座に輝く刃が現れた。


「ぐぅ!」

「どうした、マモン! そんなものか!」


 俺の魔術による刃を避けきれず、無様ぶざまに背中を切り裂かれたマモンには、致命的なまでの隙が生まれた。


 その機を逃さず、体勢が崩れた悪魔の右腕を掴み、呆気なく引き千切る。


「化物が……!」

「悪魔に化物と言われれるなんて、光栄だな……!」


 マモンは、俺が投げ捨てた悪魔の右腕を魔素で引き寄せ、強引に繋ぎ直しながら、こちらと距離を取ろうとするのだが、その判断は間違いだと言わざるをえない。


 千切れた腕などには構わず、攻めるにしても逃げるにしても、もっと素早く動き出すべきだったのだ。


「――っ!」


 僅かな隙を逃さず、俺は鋭く息を吐きながら、神経を研ぎ澄まし、魂を燃やす。


 今のカイザースーツなら、まさに光の速さで動き続けることすら可能だ。俺は自らの超感覚で、人間の限界を超えた動きをしっかりと制御しながら、閃光のようにまたたいて、出鱈目な打撃を繰り出し、悪魔を攻め立てる。


「ぐおおおおおお!」


 悪魔も必死で障壁を展開し、防御を固めているが、そんなもの、今の俺なら豆腐を崩すより簡単に破壊できた。


 刹那よりも短い時の中で、無限にも等しい攻撃にさらされたマモンは、悲鳴を上げながらも強引に、空間転移能力を発揮して、この場から逃れようとするが、俺には悪魔がそうすることも、そしてどこに逃げるのかも、超感覚で分かっている!


「――そこだ!」

「ぬぐっ!」


 あまりに分かりやすく、こちらの隙を付こうと俺の背後に現われたマモンに向けて、すでに展開していた魔方陣から放った光の矢が、正確に奴の心臓を貫いた。


「がっ! き、貴様……!」


 確かに俺の攻撃はマモンの……、人間の姿をしている悪魔の心臓部分を、完全に貫通したのだが、まだ奴には息がある。


 それが改造手術の成果なのか、悪魔としての特性なのかは知らないが、別に原因自体は、どちらでもいい。


 要するに、もっと確実なトドメを刺せば、いいだけの話だ。


「この私が、強欲の悪魔が! 貴様に……、人間なんぞに……!」

「ああ、負けるんだよ! お前は! 俺に! 俺たちに!」


 全身グチャグチャになりながらも、マモンは殺意をそのまま形にして、魔素による攻撃を続けているが、構うことは無い。


 悪魔が生み出した黒い棘も、死神の鎌も、巨大な砲撃も、無数の銃弾も、全ては無意味なのだから。


「くっ!」

「無駄だ!」


 まるで暴風雨のような、悪魔の殺意にまみれた攻撃を、強引に正面から突き破り、俺はマモンに肉薄すると、光の速さで拳を突き上げる。


「がはっ!」


 正確に顎を打ち抜かれた悪魔が、無残な叫びを上げ、空中へと打ち上げられた。


 さあ、最後の仕上げに行こう……!


「――これが、トドメだ!」


 両足に最大限の命気を込めて、全力で地面を蹴り出しながら、シュバルカイザー・エヒトの背部で輝く後光のようなパーツを使い、周囲の魔素を爆発的に吸い上げ、その全てを推進力に変えて、俺は真っ直ぐに、天空へと飛翔する。



 光さえも超えて放たれた、我が渾身の飛び蹴りが、確実に悪魔の中心を捉えた。



「ぐおおおおおおお!」


 絶対の一撃を、まともに喰らった悪魔が、決してあらがえない悲鳴を上げているが、俺の攻撃は、これで終わりではない……!


「うおおおおおおおおおおおお!」 


 マモンの叫びを打ち消すように、俺は魂の咆哮を上げながら、悪魔に突き刺した右脚を固定し、そのまま空を突き抜ける。


 グングンと上昇を続けながら、俺は魔術を使い、悪魔と接触した右脚を通じて、敵の体内へと向けて、無数の魔方陣を送り込む。


「ガアアアアアアアアアアアアアアア!」


 次の瞬間、悪魔の全身が燃え上り、身体の中から溢れた炎を吐き出しながら、声にならない絶叫を絞り出す。


 俺の展開した魔方陣が起動し、周囲の魔素を起爆剤として、悪魔の全て焼き尽くすために、その効果を発揮し続けている。



 炎上した悪魔を押し上げながら、俺は一条いちじょうの光となって、夜の闇を切り開く。



 俺が思うままに、カイザースーツの加速は止まらない。


 雲を破り。


 空を駆け。


 成層圏を引き裂き。


 この星の重力までも振り切って、暗黒の海へと辿り付く。



 全てを飲み込み、無限に広がる、深淵の宇宙へと。



「――ふっ!」

「ガハッ!」


 目的の場所へと到着したことで、俺は悪魔を蹴り飛ばし、距離を取る。


 完全な静寂に支配されているはずの宇宙で、俺と悪魔の声が響いた気がしたが、それは決して、気のせいではない。


 実際に来てみて分かったことだが、確かに宇宙に空気は存在しないのだが、その代りのように、魔素で満ちている。


 どうやら、空気の代わりに魔素を震わせることで、宇宙空間でもお互いの声が聞こえているようだ。それは当然、魔素に関する才能を持たない者では、不可能なことなのだろうけど。


 しかし、なるほど……、宇宙に存在するとされていたが、直接観測されたことがない暗黒物質ダークマターの正体は、どうやら魔素のことだったようだ。これは、もしかしたら大発見かもしれない。


 もし生きて戻れたら、ジーニアに教えてあげよう。きっと、喜んでくれる。



 さあ、そのためにも……、決着の時だ。



「……ハッ、ハハッ、ハハハハハハハハ!」


 悪魔がわらう。


 奴の身体は、俺の光速を超えた蹴りと、体内で爆発し続けた魔素と、大気圏を強引に突破した余波で、すでに死に体だ。全身が崩れ落ち、四肢はもげ、胴体には致命的な風穴が幾つも空いて、まともな部分など、何一つ残っていない。


 それでも悪魔は、嗤ってみせた。


「す、すばっ、素晴らしい……! 素晴らしいぞ……! シュバルカイザー!」


 もはや原形をとどめていない頭部で、顎と思わしきパーツをガタガタと鳴らしながら声を出し、溶けて崩れた穴の中から、眼光と思わしき暗い輝きを、どんよりとこちらに向ける。


「やは、やはり、わ、私は、間違っていなかった……! ぐっ、一目見た時から分かっていたぞ……! き、貴様が最も危険だと……! 貴様が最も、最も! 美味くなると……!」


 瀕死の悪魔は、それでも不気味に震える声で、気色悪く嗤っているのだろう。


 グズグズに崩れた顔面では、その表情は確認できないので、恐らくそうだろうというだけの話だが、それは別に、どうでもいいことだった。


「ハッ、ハハハッ! た、楽しみだ……! き、貴様をむさぼるのが……! 貴様を喰らえば、私の腹も、きっと満たされるだろう……!」


 すでに悪魔マモンには、これ以上戦闘を続けるだけの力は、残っていない。松戸博士に改造された肉体は、廃棄物の方がまだマシといった有様だし、奴が他人から強奪した命気も尽きている。得意の魔素に関しても、もう周囲に意識を伸ばすだけの力すら、残されていない。


 そんなことは、奴自身がよく分かっていることだろうが、それでも悪魔は、嬉しそうに嗤っている。


 その姿は不気味を飛び越して、もはや憐れですらあった。


「こ、この身体に、もはや価値などない……! こんなガラクタが壊れたところで、私は不滅だ! あ、悪魔は死なない……! 元居た世界に、戻るだけ……!」


 なるほど、それはそうだろう。


 先ほど奴自身が言っていたことだが、悪魔マモンが契約者の魂を喰らった後でも、この世界に存在していられる理由は、強欲の悪魔が、その能力を使って魔素を掻き集め、無理矢理この世界にしがみついたからにすぎない。


 それをめさえすれば、悪魔はいつでも、自分の世界に帰ることができるのだ。


 まあ、それは当然、俺にとっては想定内の話なのだが。


「い、いつか必ず、私は戻る……! ハ、ハハ! この世界は、強欲の力を求める者で溢れているからな……! そ、その時が、今から楽しみだ……! 貴様も、貴様の周りの添え物も……! 全て、全て私が喰らい尽くして……! クッ、クハッ、クハハハハハッ! 次は、次こそは……!」


 悪魔は嗤う。


 自分がすでに、終わっていることにすら、気付かずに。


「悪いが、お前に次は無い」


 だから、俺は告げてやる。


 別に教えてやる必要は無いのかもしれないが、それでも俺は、悪魔に告げる。


「お前は、ここで終わりだ」


 本当の意味で、悪魔にトドメを刺すために。


「なにを馬鹿な……、ば、ばっ……? な、なん、だ……? シュ、シュバルカイザー、貴様一体……、なにを……!」


 自分を取り巻く状況の変化に、ようやく気が付いたのだろう。


 悪魔は今さら、慌ててみせる。


「魔方陣を使って、お前の周囲の空間を固定した。もう動けない……、そして、逃げられないだろ?」


 宇宙空間にも、魔素が満ちていたというのは、幸運だった。本当なら速攻で、半ば博打のように仕掛けるつもりだったのだが、おかげでこうしてゆっくりと、確実に仕留めることができる。


「予定では、お前が元の世界に逃げ帰る前に、最大火力で悪魔を消し飛ばせるか、試してみようとか考えてたんだけどな。気が変わった」


 俺は、魔方陣ではりつけにした悪魔の周囲に、更なる魔方陣を展開し続ける。


 どうやら、宇宙の魔素は地上よりも濃いというか、純度が高いようだ。シュバルカイザー・エヒトの性能と合わせれば、それこそまさに、どんなことでも、可能になりそうだった。


 そう、どんなことでも。


「悪魔マモン。俺はお前に、一つだけ、贈り物をしようと思う」

「お……、贈り物、だと……?」


 そう、贈り物だ。


 悪の総統である俺から、欲深き悪魔への、とっておきの贈り物。


「なに、大したものじゃない」


 だから、期待はしないで欲しい。感謝も要らない。


 だって、俺が奴に贈るのは……。


「俺はお前に、お前だけの世界を、くれてやる」


 とっておきの、絶望なのだから。


「せ、世界……?」

「ああ、そうだ。けど本当に、全然、大したものじゃないんだ……」


 俺が悪魔の周囲に展開し続ている魔方陣は広がりに広がり、今や小さな星くらいならば、簡単に覆い隠せるほどになっていた。


 だけど、まだだ。まだ足りない。


 俺はカイザースーツに搭載されている疑次元ぎじげんスペース発生装置を起動させ、その上から更に、魔方陣の構成を緻密に、濃密に、練り上げていく。


「水も無ければ、空気も無い。大地も無いし、空も無い。太陽も月も、星すら無い。無い無い尽くしで恐縮だが、広さも精々、棺桶ぐらいのものになる」


 棺桶なんて言っても、悪魔に通じるのかと一瞬思ったが、それもまた、どうでもいいことだった。


 奴にこれから、お前は残酷なくらい狭い場所に閉じ込められるのだと、ニュアンスでも伝えられれば、十分だ。


「当然だけど、魔素も無い。こればかりは絶対に、微塵も、欠片も存在しないようにするので、安心してくれ。万が一、何処かから漏れ出てきても、先ほどお前に打ち込んだ魔方陣が、どんなに微量な魔素にも即座に反応し、爆発、炎上させる」


 そう、悪魔に魔素は厳禁だ。

 少しでも手にしたら、なにをしでかすか分からない。


 だから俺は、念には念を入れる。


「ぐ、ぐあああああああ!」

「……魔方陣を、お前の存在そのものに焼き付けた。これで、その魔方陣を消すということは、お前自身を消すことと同義だ」


 悪魔を爆散させるために、奴の体内に送り込んでおいた無数の魔方陣に再び干渉を行い、その構成を組み替えて、駄目押しに駄目押しを重ねておく。


 これは、決して消えない魔方陣の上に、これなら万が一にでも、悪魔と魔素が触れるようなことがあったとしても、奴が魔素を使おうと考える前に、それよりも早く、魔素を使い切ることができる。


 下準備は上々だ。後は仕上げを御覧ごろうじろ……。


「ついでだが、その世界から、どこか別の世界に移動する手段も無い。厳重に防壁とロックを重ねて、絶対に解けない論理矛盾を刷り込んだ上で、俺自身も認識できない適当な位相空間に放棄する。それで未来永劫、その世界は、お前だけのものになるわけだが……、どうだ? お前が世界の王様になるんだ。嬉しいだろう?」


 明らかに人間の領分を超えた魔術を行使しているためか、頭の中がチカチカする。


 まるで、赤くなるまで熱した火かき棒で、脳ミソをグチャグチャと、直接かき回されているところに、濃硫酸をドブドブと注がれているようだ。


 痛いほどの光が駆け巡り、ゾッとするような一瞬で全て消え失せ、また光り、また消え、光り、消え、光り、消え、また光り、また消える……。


 だが、意外と気分は、悪くなかった。


「よ、よせ……! やめろ!」

「さて……、それでは、準備はいいか?」


 時間をたっぷりと浪費して、ようやく組み上がった俺の魔方陣は、まるで宇宙の真理のように、もしくは赤子の積み上げた積み木のように、あやういバランスを保ちながらも、どうにかこうにか、完成した。


 そう、準備が整ったのは、俺の方だ。


「悪魔の寿命がどれだけあるのか知らないが、もしかしたら、寿命なんて無いのかもしれないが、どうでもいいな。自分以外の一切が存在しない世界を、死ぬまで続く空腹を、心行くまで満喫してくれ」


 強欲を存在理由とする悪魔が、その強欲を満たす術がない世界に閉じ込められるとは、果たしてどれだけの苦痛なのか、俺にはさっぱり分からないが、正直、そんなことは、知ったことではない。


 俺はただ、俺がやるべきことを、やるだけだ。


「や、やめろ……! やめろと言っている! そんな世界など……、この腹を満たせぬ世界など、私は要らない! 要らないんだ!」

「そう言うな。折角の贈り物なんだ。精々堪能してくれ」


 この悪魔を逃がせば、またいつの日か、俺の前に現れて、今回と同じような事態を、引き起こすかもしれない。


 それだけはさせない。

 それだけは、絶対に許さない。


「や、やめ、やめろおおおおおお! やめてくれえええええええええええ!」

「やめない。やめる理由が無い」


 俺は怒っている。憤怒している。激怒している。


 俺の大切な人たちを、自らの欲の為だけに傷付けた悪魔を、許す理由が無い。


「それでは、さよならだ」


 慈悲は無い。躊躇も無い。後悔すら無い。


 自分の大切な物を守るためならば、俺はどんな非情なことでもしてみせる。


 なぜなら俺は……、悪の総統なのだから。


「――永遠に」


 そして、宇宙が瞬いた。


「ぐ、ぐおおおおおおおおおおおおおおおお! ば、馬鹿な! 馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な! こ、こんな……、こんなああああああああ!」


 俺が魔方陣を起動した瞬間、凄まじい爆発と業火が巻き起こり、その中心にいる悪魔から、地獄のような悲鳴が聞こえるが、それも一瞬だ。


 悪魔マモンの体内に仕掛けた、無数の魔方陣が、周囲の魔素を完全に消費し尽くしていく上から被せるように、この宇宙空間に展開した広大な魔方陣が、収縮し、濃縮し、包み込む。


 疑次元スペースを基盤に生み出した新たな次元は、あっという間に極限まで圧縮を繰り返し、最後にまるで、空間そのものを歪めたような波紋を残して、俺たちの世界から、呆気なく消え失せた。



 そして、この宇宙に、再び静寂が訪れる。



「……終わった、か」


 宇宙全てを焼き尽くすような爆炎も、無様に響いた悪魔の断末魔も、その全てはもうすでに、創り出した俺自身すら認識できない、どこか遠くの、永遠よりも遠くの彼方に飲み込まれた。


 もう奴が、悪魔マモンが、この世界へと戻ってくることはないだろう。 


「……帰らないと」


 やるべきことを終えたのだから、後はもう帰るだけ……。


 帰るべき場所に、帰るだけ……。


「……っ!」


 俺は最後の力を振り絞り、雀の涙ほどの魔素を使って、小さな小さな魔方陣を展開し、自分の身体を押すようにして、帰るべき場所へと、舵を切る。


 折角生み出した魔方陣は、あっさりと瓦解し、俺は僅かばかりの慣性を頼りに、孤独な宇宙を頼りなく漂いながら、それでも真っ直ぐに、俺の愛する人たちが待っている、俺たちへの故郷へと近づいて行く。


「……ははっ、これは、酷いな……」


 無茶な奇跡を繰り返しすぎた肉体に、遂に限界が訪れた。


 もはや自力では、指一本動かすことができない。

 痛みは感じないが、なんだか寒い。なんだか酷く、寒かった。


 酷使に次ぐに酷使によって、脳細胞も壊滅寸前だ。

 ここまで滅茶苦茶だと、意識を失うことすら難しい。


 これまで付き合ってくれたカイザースーツから、ポロポロと外装が剥がれ落ち、その輝きが失われていくのを感じる。


 まあ、奇跡がこうして終わっても、即死しなかっただけ、幸いだ。


「……みんな」


 燃えカス同然の脳ミソで、愛しい人たちのことだけを考えながら、俺は独りで、広すぎる宇宙を漂う。


 宇宙は孤独で、俺は死にかけだったけど、心はどこか、晴れやかだった。



 本当に、恐いくらいに幸せだった。



 恐れはない。

 憂いもない。


 後悔なんて、あるはずない。


 なぜなら俺は、決して一人ではないからだ。



「すまない……」


 生身の人間では耐えられない、宇宙という過酷な環境で、すでに瀕死の俺が、まだなんとか生きていられるのは、全てはこのカイザースーツが……、俺以上にボロボロで、もはや鎧としての体裁すら保つことができない相棒が、それでも俺のために働いてくれているからに他ならない。


 俺の我儘に付き合って、とっくの昔に限界を迎えたはずなのに、従順なカイザースーツは自己判断で、残りの力を全て使って、俺の生命維持を最優先にしながらも、自身の演算機能をフル回転させている。


 意識が残っているというだけで、まったく感覚の残っていない肉体を、動かすことすらできない役立たずな俺のコントロールを離れて、カイザースーツは、手早く独自の判断で計算を終えると、最低限のパーツを自ら切り離す反動で、少しづつ軌道を修正してくれた。


「ありがとう……」


 本当に、感謝の言葉しか出てこない……。


 俺はただ赤子のように、カイザースーツに全てをゆだねる。


 もう、俺には、なにもできない。

 だけど、恐怖なんて、微塵も感じることはない。


「……さあ、帰ろう」


 俺は再び、帰るべき場所へと帰るために、星の重力に身を任せる。


 カイザースーツが導き出した、完璧なタイミングで、最高の角度で、俺は大気圏へと突入しながら、呑気なことを考えていた。



 まるで、流れ星にでもなったみたいだな、なんて。


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