12-7


「あっ、統斗すみと君、こっちよ、こっち」

「よっとっと……、よし、了解です、樹里じゅり先輩」


 俺は両手で抱えたダンボール箱を持ち直して、先導してくれる樹里先輩の後ろを、なんとかついて歩いて行く。荷物自体はそれほど重くはないのだが、単純に少し大きいので、なかなか運び辛いのだ。 


「もう少しよ、統斗君。頑張って!」

「せ、先輩、ち、ちょっと、近いです……」


 前を歩いていた先輩が、てくてくと方向転換して、俺の真横にやって来たかと思えば、両手を胸の前で握りしめるという、非常に可愛らしい仕草で応援してくれる。


 普段の大人っぽい樹里先輩とのギャップと、グリーンのワンピースのウエアに品の良いカーディガンを合わせた私服姿の破壊力。そして、息がかかるほとの超至近距離で感じる先輩の吐息によって、思わず俺の足は、ぐらついてしまうのだった。


 本日は日曜日、天気は晴れ。外は凍えるほどの寒さだが、樹里先輩の家は、例え廊下といえども、しっかりと暖房が効いて、暖かった。


 俺の今日の目的は、樹里先輩と一緒に、クリスマスパーティの会場である彼女の家で、会場の下見と、パーティをどう飾り付けるのかという、レイアウトの検討だ。


 というわけで、俺はこの日曜日の午後、ちゃんと自分の家でお昼を食べてから、こうして樹里先輩の家に、足を運んだのだった。


「うふふ、ごめんね? 荷物なんて、運ばせちゃって」

「いえいえ、このくらい、軽いもんですよ」


 俺は先輩の家の倉庫から引っ張り出した、クリスマス飾りが保管されていたダンボールを持ち直し、少しおどけて笑って見せる。実際、先輩に喜んでもらえるなら、このくらいの労力は、本当に軽いものだ。


 俺と樹里先輩は、穏やかな会話を楽しみつつ、今度のイブに俺たちがパーティをすることになっている会場……、緑山みどりやま家のラウンジへと向かうのだった。




「あっ、ダンボール、そこに置いちゃっていいからね」

「はい、分かりました」


 樹里先輩に導かれ、順調に目的地に到着した俺は、どう見ても高級そうな、しかし上品な絨毯の上に、持っていたダンボール箱を、慎重に降ろした。


 これこそ、ザ・西洋館だ! と言わんばかりの造りになっている緑山家のラウンジは、やはりなんというか、非常に豪華だった。余裕十分なスペースに、趣味の良い調度品が調和を持って、美しく飾られている。


 ほこり一つ落ちていないその様子を見ると、思わず背筋を伸ばしたくなるような、清廉せいれんな気持ちになってしまう。


 ……いや、単純に高級品に囲まれて、緊張してるだけなのかもしれないけど。


「おおー、これがクリスマス用のツリーですか。凄いですね……」

「うふふ、統斗君が気に入ってくれたのなら、なによりね」


 そんな見事なラウンジの中央に、緑も鮮やかなモミの木のツリーが鎮座している。

 大きさはそれほどでもないが、見事な枝ぶりの、素晴らしいツリーだ。 


「どうせならツリーも、庭にもっと大きいのを用意したかったんだけど……」

「いえいえ先輩、もうこれで十分……、というか、むしろ最高ですから」


 こんな立派なツリーより、更に大きいものなんてお出しされたら、もうそれは、俺たちだけでは、到底扱い切れなくなってしまう。


 今回のクリスマスパーティは、あくまでも、俺とマジカルセイヴァーのみんなが、自分たちの手で準備して楽しもう、ということになっているので、あまり大がかりなものは、正直、手に余ってしまうのだ。


「会場もどうせなら、もっと大きい場所に」

「いえ、ですから先輩。これが最高ですから、これこそベストですから」


 正直、このラウンジだって、かなり広い。


 これ以上の会場となると、それこそまさに、貴族が集まってダンスするようなパーティのイメージになってしまう。


 そして、そんなハイレベルなものは、俺たちだけで用意できる自信がない。

 というか、ぶっちゃけ不可能である。


「いいじゃないですか。これくらいの方が、絶対に丁度いいですって。そんなに大規模なパーティってわけじゃないんですから」

「そう? そうね。統斗君がそう言うなら、その方が良いに決まってるわよね」


 俺の説得に、樹里先輩はニコッと笑いながら頷いてくれる。癒されるなぁ……。

 なんだか俺への信頼が全力すぎて、ちょっと恐い気もするけど。


「それにしても、本当にこんな立派な場所、借りちゃってよかったんですか?」

「えぇ、もちろん。父も母も、私が友達を呼んで、パーティを開くと言ったら、とっても喜んでくれたわ」


 樹里先輩は嬉しそうに笑っているが、多分、その親御さんへの説明には、俺についての具体的な説明は、なかったんじゃないかと思う。


 参加者に男がいると分かっていれば、こんなに順調に話は進まない気がするし。


「そういえば……、今日はご両親、いらっしゃらないんですか?」

「そうなの。今日は二人とも、仕事の関係で外に出てて……」


 それは、少し残念な気もする。


 俺たちのために、家のラウンジを使うことに許可を出してくれたことだし、一言お礼でも、伝えておいた方がいいかと思ったんだけど……。


 ……いや、やっぱり会わない方がいいのか。


 俺が挨拶するとなると、色々と話がこじれてしまいそうだし。その結果、パーティは突然、別の場所でやることになって、樹里先輩は参加できません、みたいになっても大変だし。


「本当に残念……。統斗君のこと、ちゃんと両親に紹介したかったのに」

「……そうですね。俺も残念です」


 先輩が俺のことを、ご両親に一体どのように紹介しようとしているのか、非常に気になるところだったが、深くは触れないことにした。


 なんだか、危険な香りがするし……。


「ふふっ、でも今日は、両親がいなくて、むしろ良かったかもね? こうして私の家で、統斗君と二人っきりなんて、とっても素敵……」


 樹里先輩が、うっとりとした表情を浮かべて、俺にぴったりと寄り添ってきた。

 うぅ、なんだか良い香りがするし……。


「……一応、お手伝いさんとかいますよね?」

「うふふ……、本当に素敵……」


 俺の質問には答えず、先輩は俺のすぐそばで、柔らかく笑い続けている。


 ……いやいや、俺が今日、この家にやって来た時、お手伝いさんというか、メイドさんに出迎えてもらったので、屋敷に俺と先輩以外の人がいるのは、知ってたというか、分かっていたんですけどね? 何度見ても驚く、本物のメイドさんだったから、絶対に間違えないんですけどね?


 どうして、そこをはぐらかすというか、無視するんですか、先輩?


「えっと……、その、先輩? ちょっと、あの、距離が近いと言うか、恥ずかしいんですが……」


 本当に、相手の体温が感じられるほど近く、そして熱く、こちらを見つめ続けている樹里先輩に、なんだか気恥ずかしくなってしまって、俺は思わず、自分から少し身体を離してしまう。


 それが、それが、いけなかったのかもしれない。


「……恥ずかしい? 統斗君は私と一緒にいるのが、恥ずかしいの? どうして? どうして恥ずかしいの? 私はこんなに嬉しいのに、統斗君は恥ずかしいの? そんなの、私、悲しいわ……。だってそうでしょう? 統斗君が私と一緒にいて嫌な気分になるなんて、そんなの私、耐えられない。ねぇ? 私はどうしたらいいの? どうしたら、統斗君の傍にいても、恥ずかしくない女になれるの? お願いだから、教えて、統斗君……。私、そのためならなんでもするから、なんでもするから、なんでもするから……」


 樹里先輩が突然、虚ろな目をしたかと思うと、こちらをじっと見ながら、ブツブツと呟き出してしまった。


「わーっと! 違います! 全然違いますから、樹里先輩! 俺は全然、まったく、これっぽっちも、先輩と一緒にいて嫌な気分になんて、なってませんから! むしろ幸せですから! ただちょっと、照れちゃっただけで!」


 俺が慌てて釈明しながら、先輩の肩を掴んで、しっかりとその瞳を見つめ返すことで、虚ろだった目に、段々と光が戻る。


「……あ、あら? そっ、そうなの? あの、ごめんなさい……、私、なんだか、ちょっと変なこと言っちゃったわよね?」

「そんなこと、ありませんよ。こっちこそ、なんだか勘違いさせちゃったみたいで、ごめんなさいです」


 俺と先輩は、お互いの瞳を見つめ合いながら、笑い合う。

 そこにいるのは、もうすっかりいつもの樹里先輩で、俺はホッと安心する。


 危ない危ない……。


 どうやら知らないうちに、先輩の地雷を踏んでしまったようだ。

 俺も、もう少し、細やかな気配りができるようにならないとな。


 やっぱり樹里先輩とは、もっと穏やかな空気の中で、笑いながら一緒にいた方が、断然楽しいし、心も癒されるし。


「それじゃ、そろそろ、パーティのレイアウトでも考えますか、先輩?」

「そうね。ふふっ、どんな飾り付けをしたら、みんな喜んでくれるかしら? もう、考えるだけで、ワクワクしちゃうわね」


 再び穏やかで、安らかで、暖かい空気に包まれた俺と先輩は、床に置いたダンボール箱から、様々な飾りとひとつひとつ取り出して、あれこれ楽しく悩みながら、今度のクリスマスパーティについて、意見を交わすのだった。




「ふう……、一応、こんな感じですかね?」

「お疲れさま、統斗君。凄くいい感じだと思うわ」


 樹里先輩の用意してくれたツリーの頂上に、お決まりの星飾りを置いたところで、俺はようやく一息ついた。


 クリスマス本番までは、まだ多少の日があるが、直前に全てを準備するのは大変ということで、今日は俺と先輩で、ある程度の飾り付けは終わらせておくことにした。


 もちろん、ラウンジをある程度飾り付けた状態で、しばらくそのままにしておくということなので、先輩のご両親の許可は取っているし、また同時に、全ての飾り付けを終えてしまったというわけでもないので、最後の仕上げは、またみんなで集まって行うことになっている。


 こういう楽しみを、みんなで共有してこそ、いい思い出になることだろう。


「そうだ! 頑張ってくれた統斗君のために、私がコーヒーを入れてきてあげるわね? 時間も丁度、ティータイムだし」

「本当ですか? 嬉しいな、ありがとうございます、先輩」


 先輩は俺と一緒に、色々とレイアウトを考えながら飾り付けを行ってくれていたので、頑張ったというなら、それそこ先輩の方なんだけど、俺は特に気兼ねなく、彼女の好意を受け取ることにする。


 変に遠慮すると、先輩がまた傷ついてしまうかもしれないし。


「それじゃ、ちょっと待っててね。勝手にどこかに行っちゃ、いやよ?」

「俺は、どこにも行きませんよ。ここで大人しく先輩を待ってます」

「本当に? 絶対に絶対?」

「はい、絶対に。そうだな、それじゃ時期的に、サンタさんに誓って」

「ふふっ……、それじゃ、そんな統斗君を信じます」


 先輩はふんわりと柔らかい笑みを浮かべると、それでもチラチラとこちらの様子を気にしながら、このラウンジから出ていった。


 俺は、そんな先輩も可愛いな、なんて思いながら、余ったクリスマス飾りを、再びダンボール箱に詰め込んだりと、のんびりと後片付けを始める。


 先輩が俺のために用意してくれるコーヒーを、楽しみにしながら。




「お待たせ、統斗君。待った?」

「いいえ、丁度片付けも終わったところで、丁度、よかった、んですけど……」


 コーヒーの良い香りと共に、ラウンジに戻ってきた樹里先輩を迎え入れる瞬間、俺は思わず、言葉に詰まってしまった。


「……? どうしたの、統斗君? なんだか不思議な顔してるわよ?」

「……えーっと、樹里先輩? その格好は、どうしたんですか?」


 そう、格好。樹里先輩の格好が問題なのだ。


 どうして、ティータイムの準備をしに行っただけなのに、帰ってきたら、この家のお嬢様のはずの先輩が、メイド服を着て戻ってくるんです?


「あぁ、これ? うふふ……、ねぇ、統斗君、可愛い?」

「……はい、それはもう、超絶可愛いですけども」


 この屋敷で働いているメイドさんは、当然だが、最近流行りのメイド喫茶でよく見るような、過剰な装飾やフリフリが施された扇情的なものではない。


 シンプルだが品の良い、美しいシルエットをした、ロングスカートタイプのクラシカルなメイドスタイルだ。


「よかった! 実は、統斗君に喜んでもらおうと思って、少し無理を言って着させてもらったの! うふふ、今の私は、統斗君にご奉仕するメイドさんよ!」


 花のように笑って、その場でくるりと回ってみせる樹里先輩が眩しい。


 その前髪を止めている、四葉のクローバーをあしらったグリーンのヘアピンが、全体的に白と黒を基調にしたメイドスタイルに、よく映えている。


 あのヘアピンは、俺がプレゼントしたものだということが、なぜだか俺のドキドキを加速させた。


「さぁ、ご主人様? コーヒーをどうぞ」

「あ、ありがとうございます……」


 先輩が、自ら押してきた銀色のキッチンワゴンから、丁寧にカップを取り出し、見事な手並みで、俺にコーヒーを注いでくれる。


 その実に美味しそうなコーヒーを、早速一口頂いてみるが、なんだか味気ない。


 いや、それは決して、先輩の腕のせいではない。ただただ、俺の心の問題だ。


「えーっと……、先輩も、俺の横に座って、コーヒーでも飲みませんか?」

「えっ、でも、今の私はメイドだから……」


 俺の後ろで、まさしくメイドの鑑のように、黙って静かに控えていた先輩が、驚いたような声を上げてしまう。どうやら、どうしても俺に奉仕とやらがしたいようで、その声は少し悲し気ですらあった。


 だから俺は、先輩が次の言葉を口にする前に、急いで自分の心を伝える。

 同じ過ちは、繰り返さないのが、俺の信条だ。


「あの……、俺は先輩に奉仕してもらうよりも、二人で並んで、一緒に楽しくコーヒーを飲めた方が、嬉しいんです」

「統斗君……」


 俺の素直な気持ちを聞いてくれた樹里先輩が、潤んだ瞳を浮かべて、少し言葉に詰まった後で、俺に向かって、最高の笑顔を見せてくれた。


 それだけで、俺の心は満たされる。


「分かりました。それでは、ご主人様のお望みのままに……。うふふっ」

「ははっ、それでは、そのように」


 俺と先輩は、冗談めかして笑い合い、豪華なソファーに、二人でぴったりとくっついて並びながら、穏やかなティータイムを楽しむ。


 ちょっとだけクリスマスの雰囲気に包まれたラウンジに、樹里先輩が纏う穏やかな空気が加わり、なんとも心休まる空間を演出している。


 そんな最高の時間の中で飲む、樹里先輩が俺のためだけに入れてくれたコーヒーは芳醇な香りを放ち、とても、とても、美味しくて、俺の心は、満たされるのだった。 




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