第5話 神様は空腹

「俺が弁当を買いに来るのは変かい? だって、お腹空いちゃうんだもん」


 つまり彼は人間ではなく、狭間の弁当屋、独自の客だった。そして、人間ではないどころか、人間から崇め奉る存在だ。

 からかわれたくらいで怒るのは、拙かったのではないか。店をどうにかされたりしないか、くるみは焦った。さすがに、狭間の弁当屋でも、神様が来店したのはくるみの代で初めてではないかと思われた。

 しかし、くるみがしどろもどろになっている事などお構い無しの青年は、そのまま立ち話を始めるらしい。


「聞いてよ。最近さ、親子3人でまた暮らせますように、なんてお祈りしてく子がいて困っているんだ……俺は商売繁盛、無病息災のご利益があるっていうだけの神様なのに。人間は勝手だねえ、お前もそう思わない?」


 長い足に絡み付いていた虎猫に、青年が話し掛けたが、虎猫は迷惑そうになーんと鳴いただけだ。ただ単に唐揚げ目当てなのだろう。


「……トラ、やめなよ。ごめんなさい、お客さま」


 彼が神様であることも忘れて、虎猫の図々しさをくるみは謝った。

 この虎猫と来たら、猫嫌いの客が来店することもあるし、くるみは困っているのだが、さも自分の店のように、カウンターの下へ入り込んでしまうのだ。くるみの代になってから、なめられているのか、どんなに追い払っても、毎日こうして居座ろうとする。再びカウンターを引っ掻く音がした。


「…………まったく、これだから勝手だと言うんだ。邪魔をするな。鬱陶しい」


 青年が冷たい声で言った。

 猫のことだと思ったくるみは慌てて虎猫を追い払おうとしたが、青年は微笑んでそれを制した。


「大丈夫、こいつは俺が飼い主へ届けてくるから」


 肥っているくせ、くるみからは俊敏に逃げ回る虎猫が、安安と青年に抱えあげられた。


「えっ、で、でも」

「困っているんだろう? 大丈夫、何とかしてあげる」


 正直に言えば本当に困っていたくるみは押し黙った。青年は涼しい顔で笑っている。


「それよりもくーちゃん、お客さんだよ、お仕事頑張ってね」


 祖母がそう呼んでいたのでも聞いていたのか、青年はくるみの事をくーちゃんと馴れ馴れしく呼び、虎猫を本当に連れて行くらしい。去り際、大きな腹を撫ぜられた虎猫が情けない鳴き声を上げた。


「えっ? お客さん、ですか?」


 青年の唇が、にいと歪む。


「あ、俺のことはそのさんって呼んで。また来るよ」


 腹を空かせた猫の切ない遠吠えと共に、姿勢の良い背中が遠ざかっていく。くるみは青年が言った客が何処に居るのか分からなくて、困惑していた。


「…………が、肉じゃ……が」


 だが、すぐに客の居場所は判明した。カウンターの、外側、先程まで虎猫が陣取っていた場所から、呻き声がするのだ。

 腰から下が千切れてしまっている女が、臓物を引き摺りながらカウンターへよじ登り、くるみへと手を伸ばそうとしていた。

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