第25話:便所を開けると――

【魔道士協会・第二医務室】

 部屋の中に漂う薬品の匂い。暑くもなく寒くもない、整った空調と飾り気の無い純白の寝具。窓から見える景色はあまり変わること無く、ただただ時が、雲と共に流れていく。


 事件後、ルドラの判断により、近くの総合病院へと搬送され、精密検査と治療を施されたアスターは、警察ヤードの事情聴取を受けた後、再び協会へ戻っていた。


「普段は検尿用として使うんだけど、トイレはここのを使ってね。それと食事は皆が持ってくるらしいから、とりあえず貴方はこの部屋を動かず、お利口さんにしてて~。あ、私今から購買部に行くけど、何かいるものある?」

「や、特にないです……」


 その返答を聞き、ルドラは購買部へと走る。


 アスターの左腕は、やはりヒビが入っていた。ただそれ以外に大した怪我は無く、入院とまではいかなかった。けれど、体が弱っている上に、魔力値が非常に不安定で心配だとステラが不安がった為、魔力濃度の高い土地“レイライン”の上に立つ、ここ魔道士協会に二~三日泊まり込む事となった次第である。


これギプスが取れるまで四週間で、リハビリにひと月……か」

(ヒビっていっても、結構掛かるんだな……)


 泊まり込んでいる間、夜は誰かしら顔を出すと、スターチスから聞いていたアスターだったが、いかんせん娯楽が無いのが問題だ。


「ずっとベッドの上だしなぁ……本でも頼めば良かったかな」

「何? アンタ本が欲しいの?」


 独り言に、不意に答えた生意気そうな声。


「鬼畜ツインテ!」

「ドタマかち割るわよ」

「スミマセン」


 そこには呆れ顔のメリッサが居た。なぜここにと訊くと、頭痛薬を取りに来たという。慣れた手つきで薬品棚を漁るメリッサ。その後ろ姿を見ながら、アスターは、どうせならルドラに診て貰った方がいいのではないかと語り掛ける。


「調子が悪いのは私じゃなくて、リドだから」

「なんでリドの薬をお前が――?」


 そんな疑問が浮かんだアスターであったが、すぐにある事に思い当たり、ポンと手を叩き納得、といったポーズを取った。


「痛っ!」

 

 硬くて小さな何かが、物凄い速さでアスターの顔面に投げつけられた。

 勿論、それを投げたのはメリッサである。


「何すんだよ!」

「アンタがムカツク顔してるからでしょ。感謝しなさい、目は外してあげたわ」

「そういう問題じゃねーっての。大体何を投げてって、あれ、これ……」


 投げつけられたのは、ルドラ特製の例の飴だった。


「机の下に落ちてたのを拾ったのよ」

(あー、そういやあったな、そんなもん)


 あの時の拾い忘れだった。メリッサは、次に会った時にでも渡そうと、ポケットにしまいこんでいたという。


「じゃ、用は済んだから」

「あ、あぁ。これ、ありがとな」

「ふん!」


 引き戸の扉は、ガラガラと乱暴に閉められ、不機嫌そうな足音が部屋の外から漏れる。かなり機嫌を損ねたようだ。


(メリッサはリドが好きだったのか。でもアイツが好きなのって……)

「三角関係って奴なんだろうか」


 そんな事を考えていると、ルドラが戻る。

 

「はい、これ」

「?」


 両手には、パンパンに膨らんだ荷物が二つぶら下がっていた。

 中身は菓子にパン、トランプとナンプレ、ノートとペンといった謎のラインナップで、アスターは首を傾げた。


「お腹がすいた時用と、暇つぶし用ね。ここテレビないから辛いでしょ~?」

「もしかしてこれ、全部俺に?」

「そうよ~。あ、もしかしてエッチな本とかの方が良かったかしら~? ずっとステラちゃんと同じ屋根の下なんでしょう? 男として辛いわよねぇ~」


 突然のセクハラである。

 しかし――。


「あら、どうしたの? そんな顔して」

(もしかして、この手のジョークはNGな人なのかしら……)


 ルドラ的に、慌てるか恥ずかしがるかの、そういう反応を期待していたのだが、アスターはキョトンとした顔で呆けていた。


「あ、いや……こっちの人って、皆良い人ばっかりっていうか。正直こういう経験、俺はあんまりなくて……。物を沢山貰ったり、こうやって優しくしてもらっても、金も持ってないし、お返しとか出来ないから、何だか申し訳なくて」


 それはとても純粋で、穢してはならない領域だとルドラは瞬時に察した。


「まぁ確かに、貰ってばかりの立場にいると、息苦しく思っちゃうことはあるかもしれないわね」

「そういうわけじゃ!」


 首を振るアスターに、ルドラは、人が人に優しくする理由というのは、割と単純な理由だったりもすると続けた。


「あのね、誰かに優しくすると、その優しさって返ってくるのよ」

「え……?」


 ルドラはおもむろに白衣をまさぐると、ポケットから携帯端末を取り出した。そして、アスターに一枚の画像を見せる。


「こ、これ! なんで先生が!?」


 その画像は、つい先日、彼がヒナ達と撮った誕生日会の時のものだった。


「ヒナは私の妹だから」

「えっ!」

「色々あって、私はあの家に帰れないんだけど。でも、やっぱりヒナの事は心配だったから、毎日ばあやと連絡を取ってたのよ。それで貴方の事も、ヒナ達の事も昨日聞いて……私もちゃんと会ってお礼がしたいな~って思ってたの。まさか、こんな形で会えるなんて思ってなかったけど。本当、世間は狭いわね」


 ルドラは暫く、画像を愛おしそうに眺め、改めて彼に向き直る。


「あの子達を救ってくれてありがとう」

「あ、いや……俺はなにも」

「ううん、貴方のおかげよ。だって、私達はあの子をただ閉じ込めていただけだもの。それも、ヒナ自身はとっくに真実を知って、一人で傷ついていたなんて知らずにね。……私は、それが最善だと、優しさだと思ってた。酷いお兄ちゃんだわ」

「そんなこと!」


 ない。と言おうとしたアスターに、彼は首を振り、笑顔を見せた。

 じわり、ルドラの目尻に涙が溜まる。


「もう駄目ね。最近涙腺緩くなっちゃって、恥ずかしいわ」

「……あ」


 白衣の袖で涙を拭い取り、そろそろお腹が空いただろうと、間もなく夕食が運ばれてくるから用意しようと言って、ルドラは備え付けの棚やベッド脇のキャビネットへ、買い物袋の中身を詰め込んだ。泣き顔をあまり見られたくないのだろう、耳は赤く色付き、鼻をすすると同時に肩が大きく上下している。


(何か、声を掛けた方がいいんだろうか)


 けれど、掛ける言葉は思いつかない。

 何も言わないのも優しさなのだろうか。そんな事をふと考える。 


「失礼します」


 そこへ、食欲を刺激する良い香りと共に、ステラとリドが現れた。


「あら、ちょうど良かった。今準備してたとこよ~」

「それはそれは。……あ、アスターさん、お夕飯持ってきましたよ」


 ステラの持つトレーの上には、ハンバーグと野菜のスープ、それに彼が好きだと言った甘いパンが二つ、皿に盛られていた。さぁ、冷めない内にとステラに促されるが、フォークを取ろうとした彼の手が、ピタリと止まる。


「アスターさん?」

「もしかして、片手じゃ食べにくいんじゃないかしら?」


 ルドラの言葉でステラも察した。もしかして、ステラが食べさせてくれるんだろうか。なんて淡い期待を彼が抱いたのも束の間――。


「何をしている、さっさと口を開けないか」

「……」


 いち早くナイフとフォークを手に取り、ハンバーグを切り分けたのはリドだった。


 


***

 一方その頃。


「よっ」

「!」


 執務室で書類整理に明け暮れるスターチスの元へ、正室庁特捜班“ナインズ”の班長ルドベックと、その部下ユリオが現れた。


「珍しいな、君達がこちらへ出向くなんて」

「まぁ、ちょっとな~」


 見回りか何かかと、スターチスは尋ねたが、ルドベックはそうじゃないと、豪快に笑った。


「何、たまにはお前さんの間抜けな面でも拝んどこうと思ってな」

「君は、そんな事をわざわざ言いに来たのかい?」

「はっは、まぁ嘘は言ってねぇよ。半分本当、もう半分は冗談だ」

「君ねぇ……」


 呆れ顔のスターチスに、ルドベックが一人かと尋ねる。


「今は私一人だよ」

「そうか、なら都合がいい」


 ルドベックは、ユリオに外を見張るよう命令すると、扉を閉めた。


「なるほど、内緒話をしに来たか」

「そういう事だ。……カーター、昼間の事件の事なんだが、報告書にはもう目を通しているか?」

「まぁ、一通りは」


「そうか」とルドベックは呟き、一呼吸置くと、神妙な面持ちで口を開いた。


「バスの運転手、カーゴ・ガームが消えた」

「消えた?」

「というより、そんな奴は、元から存在していないんだと」


 その奇妙な言葉に、スターチスは眉をひそめた。


「それだけじゃねぇ、鑑識の話によると、トラブルがあったとされるバスの無線機も何もかも車体は正常、魔力残渣も残ってなかったんだと」


 ※魔力残渣=魔法や魔術を展開した際、その付近や対象に残る魔力痕。


「それは、つまり……」

「ああ、通信トラブルからバスの暴走まで、全部ソイツの仕業だったってこった」


 偶然ではない。人為的に作られた環境の中でライネック事件が起きていた。セントラルを中心に、ライネック被害が急増する昨今。それの意味するものとは――。

 

「嫌な予感がする」

「ああ、俺もだ。この辺りがジリジリして、どうも落ちつかねぇ」


 ルドベックは、こめかみに残る古傷を指でなぞった。

 



***

【魔道士協会・第二医務室】

 その夜、ステラも一緒に泊まると言い出したのを全力で止め、久しぶりの一人の夜を満喫していたアスターは……。


(静かすぎて辛い)


 孤独と戦っていた。

 協会内が無人になるという事はないものの、夜も十時を過ぎると、足音一つ聞こえない。

 

(最近は特に賑やかだったしなぁ……)


 今ならミスターのだみ声も、心地よいBGMとなりそうだと思いつつ。あの顔を思い浮かべ、やっぱりそんなこと無かったと首を振る。


「はぁ……にしても、いつもはこの時間になると眠くなるのに、今日は全然眠くならないな」

(昼間の件で興奮しているのか?)


 今宵のアスターは、目が冴えていた。

 窓の外を見る。珍しく雲一つない夜空に、綺麗な形の満月が浮かんでいた。


「……そういや、ノートとペンを貰ったな」


 昼間ルドラに貰ったノートを机に広げ、久しぶりに何か描こうかとペンを持った。人、物、動物。一通り悩んで、結局アスターは人を描くことにした。

 脳内に浮かんだ人物の顔を、紙の上に描き起こす。薄くあたりを描いて、細部へとペンを走らせるが、線はガタガタで、バランスが取れない。


「これじゃ子供の落書きだな」

(そういえば“あの時”も――)


 アスターの脳裏に、“ある男”の姿がチラついた。

 練習すれば、すぐに描けるようになると彼に言った男。それが誰だったか、顔を思い出そうとすると、頭が酷く痛む。

 

「っ――!」


 まるで頭を両側から押しつぶされているような、激しい痛みだ。

 アスターは耐え切れず、急いで薬棚に向かい手を伸ばした。けれど――。


「あれ?」


 驚いたことに、薬瓶を開ける前に頭痛は治まってしまった。

 今日は朝から大変だった。その疲れが出たのかもしれないと、アスターは大事をとってもう寝ることにした。ベッドに入る前に、トイレを済ませるべく、部屋の一角にある便所のドアノブを握って回す。


「む」

「???」


 しかし、そこには先客が居た。

 長いヒゲを蓄えた鷲鼻の老人と目が合うも、あまりに突然の事で理解が追い付かず、アスターは幻覚でも見たのだろうかと、そっとドアを閉めた。


「何故閉める」

「うわぁああああああ!!」


 声と一緒に、アスターは心臓が飛び出るかと思った。

 突然の登場にも驚きだが、その人物は、頭に羊のような角を生やし、尻から細長い尻尾を伸ばしていた。一目で人間では無いと分かる程、特徴的な外見だ。


「まったく、用足しくらい静かにさせんか」

「なっ、えっ、ええ!?」

「ふう」


 慌てるアスターをよそに、鷲鼻の老人は、そもそと服のシワを伸ばし、悠長に水を流す。そしてその後、さも当然かのように便所から出て、彼が先程まで使っていたベッドに潜っていった。


「いやいやいや!」

(おかしいおかしい!)


 何事も無く目を瞑り、今にも寝る姿勢を取る老人に、アスターは焦り、布団を剥ぎ取った。


「何をする」

「っていうか本当に誰!? いつの間に入ってきた!?」


 このままでは埓があかない。瞬時にそう判断したアスターは、その者がどこの誰で、何故そこに居たのかと、ストレートに尋ねることにした。 


「我が名はベルフェゴール、久遠の探求者よ」

「ベル……フェゴール……?」


 驚いたことに、その者は、ある“悪魔”の名を口にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます