第19話:ままならぬ

「――何事ですか!?」


 俺の絶叫を聞きつけて、ステラが焦った様子で扉を開けた。


「おや、おかえり」

「ステラおはよう~」

「お、おはようございます。ス、ステラさん……」

「えと……皆さんおはようございます??」

 

 どうやら何事も無いと安心したのか、ごく自然に持っていた物をテーブルへ置き、リドから俺を受け取ると。もしかしたら元の姿に戻れるかもしれないと、良い報告をしてくれた。


あぶぶマジで!?」

「あくまでも可能性、なんですが」


 詳細を早くと急かすが、俺は今バブバブしか言えないんだった。そんなところへ先ほどステラが机に置いた物をメリッサは手に取り、貼られたラベルを読み上げた。


「それは――」


 ステラが言い終える前に、メリッサは飴を袋から出し、手に取った。包み紙から転がり落ちた丸い飴玉が、独特な光を放つ。


「綺麗~」

「本当……虹みたい、だね」

「こらこら、人のものを勝手に――」

「ドクターに貰ったの。これを食べれば元に戻るかもしれないって」


 ドクターに貰った。そう聞いた瞬間、メリッサは顔をしかめ、飴を顔から遠ざけた。何だその反応。


「……ゴミみたいな味しそう」

 

 だから何なんだよその反応。

 ドン引きの俺をほっといて、二人は会話を進める。


「でも、このまま食べて、喉に詰まらせちゃったら大変よね」


 そう不安がるステラを横目に「じゃ砕けばよくない?」とリズム良く淡々と言い放つメリッサ。それに彼女はポンと手を叩き、納得といった表情をしてみせた。


「じゃあ帰ってから――」

「これで」

「え?」


 メリッサは棚に置かれた置時計に手を伸ばすと、小袋に入ったままの飴目掛け、思いっきり振り下ろした。それも一度では上手く砕けなかったようで、何度も何度も、何か恨みでもあるのかという程、一心不乱に振り下ろした。


「備品!」


 青い顔のスターチスさんの制止むなしく、テーブルと時計にはキズが付き。飴はすっかり粉々になっていた。


あうーこえー

「はい、出来たわよ」


 そう言ってメリッサが差し出した飴は、小袋がボコボコになっていて、小さな穴が所々開いていた。


あうう正気か?」

「凄い戸惑いっぷりだな」

「アスターさん赤ちゃんだし……ミルクに溶かしてあげたほうがいいかも」

「そういう問題なの……かなぁ?」


 クロエが首を傾げる一方、メリッサはあっけらかんとしている。


「大丈夫じゃない? ほら、食べさせてあげるから口開けなさいよ」

「!!?」


 両頬にアイアンクローを受けた俺は、無理やり口をこじ開けられ、砕かれた飴を流し込まれた。その時のメリッサは頬を赤く染め、恍惚とした表情を浮かべて……完全に何かスイッチ的な物が入っていて、悪魔か何かだと思った。


「大丈夫か? そいつ」 

「え?」


 リドはそう指差すが、ステラよ……気づくのが遅い。俺はお前の腕の中、こんなにも身悶えていたというのに。


「ああああアスターさんっ!?」

ぶえぇぇぇぇクッソまずい……」


 元々は飴だったというのに、甘味あまみなんてものは微塵もなく、苦味と辛味。そして後から来る強烈な酸味が舌を痺れさせ、吐き気を催す程、それは激的にマズかった。


「ペッしなさい、ペッペッ」

「ぶえぇー」


 我慢出来ず、スターチスさんに差し出されたハンカチに舌を擦り付けるように吐き出した。けれど粉になっている分、中々口の中から無くなってくれなくて、よだれと涙がボロボロ溢れてハンカチに染みていく。


「でも、何もない、ね?」

「つまんないの」

「うーん……」


 女子三人の会話を右から左へ受け流しつつ、俺は飴を全て吐き出し終えていた。でもまだ舌がビリビリと気持ち悪くて、溢れる唾液を袖で拭いていると、目の前で哺乳瓶片手に待機していたリドと目が合った。


あうあうそれくれ

「……飲むのか」


 この後味を誤魔化せるなら、この際何でもいい。今なら、その冷え切ったミルクでさえ美味いと、まるでラッパを吹くように高らかに飲み干し、ゲップの一つでもくれてやろう。


「ゲェップゥ……」

「や、やさぐれてる……」

「君達がイジメるからじゃないかな」

「ふん。根性無しが……って、また吐いてる! めっちゃ吐いてる!」

「あららら」

 

 まるでポンプ式の蛇口のように、飲み干したミルクが胃から口、そして床へとダイブして、白い水たまりを作っていく。くそう、やっぱりこの体、ままならねぇ。


あぶぶ、ばぶばぶぶいつか仕返ししてやる……」


 俺はこの鬼畜ツインテに対する怒りを、胸に深く刻み込んだ。


「……絶対文句言ってるな」

「でも、ほっぺたぷくぷくしてて可愛い」


 俺の膨らんだ頬を、ステラは指でぷにぷにつつき、頬から小さな音が鳴り、空気が漏れる。それから何分ほど待っただろう。元に戻る気配なんて一向になく、クロエは任務の為と席を外し、リドも事務処理があるからと何処かへ消えていった。


 俺達はこれからどうするのだろうと、ステラを見上げると彼女は困り顔だ。独り言を聞く限り、どうやらスターチスさんと話をしたいらしい。でも俺が一人になってしまうと悩んでいたようだ。そこへメリッサが自分が見ていると申し出て、ステラはそれにのっかった。え? 本気?


「はいはい、いってらっさーい」

「では、いい子にしててくださいね~」

「あ、あーい……」


 なんて見送ったものの、残されたのはメリッサと俺の二人だけ。俺はまたいじめられるんじゃないかと気が気でならなず、逃げ出そうにも両脇をガッチリホールドされていて、どうしようもなかった。もう絶望しかない、そんな気分でいると、メリッサが珍妙な顔で口を開く。


「……ねえアンタ、あの子の家に居候してるのよね?」

「……あ、あい」

「変な事、してないでしょうね?」


 声のトーンを落とす所まで落とし、メリッサは凄む。

 俺はブンブン顔を縦に振り、身の潔白を主張した。


「そう……でも、何かしたらタダじゃおかないから」

「あい……」


 おっかねえ……。

 これはアレだろうか、彼女を心配する友人からの忠告って奴なのだろうか。それからまた尋問的な事が続くのかと思っていたが。ソファに座るメリッサの膝の上に放置され、当の本人は俺の頭上でスマホを弄っている。


 暫く、ただ目の前の光景を眺めるという拷問めいた時間が続き、その間、俺は凄まじい空腹感に襲われていた。食っては吐いての繰り返しだったのだから、そりゃぁ腹も空くだろう。哺乳瓶は空だが、ちょうど机の上には、先ほどのクソまずい飴がある。吐くほどまずかったけれど、腹の足しにはなるかもしれないと手を伸ばす。


「う~~~」


 もう少し、もう少しで手が届く……。その時だ。


「まだ食べ足りないっての?」


 メリッサは溜息混じりに飴を掴み、自分のポケットにしまい込むと。俺をソファの上に置いて、先ほどのゼリー飲料を手に取った。


「ほら、こっちがいいんでしょ?」

うあうくれるのか?」

「べ、別に、また吐かれたら困るだけだからね!」 


 そう言いつつ、俺を抱き直し、早く飲めと言いたげに、ぐいぐいと飲み口を押し当ててきた。


「うぅー!」


 しかし、これをくれるのはありがたいんだが、押し当てられた飲み口が、歯茎に直接当たって痛いのなんの。力の加減なんてものを一切感じない優しさは、時に恐怖でもあると、この時俺は思い知る。


 その後、なんとかゼリーは飲み干せた。しかし飲み足りなかったので、いつまでも空のパックを手放さないでいると、メリッサがひょいとつまみ上げ、テーブルの上に置いた。そして同時に、俺の手がベタベタしているから汚いと指摘する。


「そんな手であちこち触んないでよね」


 心底迷惑そうな顔で、青いハンカチを取り出し、俺の手の平を拭きだした。のはいいんだけど……ハンカチは濡らしたりなんて気の利いたことはされていない。言わば乾拭きみたいなもので、これがすげぇ痛かった。


「ちょっと、コレ邪魔ね。大体なんでこんな紐着けてんのよ。何? おシャレのつもりなの?」


 そう言われても……ただ、俺自身も紐のベタつきが気持ち悪くはあったので、手を拭く程度の短時間なら別にいいかなと判断し、手を前につき出して取ってくれと主張した。


 それからすぐ、あのお守りは取り外されたのだが。気が付くと、今の体勢からは届くはずのないメリッサの頬に、俺の指先が触れていた。


「え――」


 メリッサの、猫の目のように釣り上がった柿色の瞳は丸く見開き。口元は閉めることを忘れたように、ポカンと開く。このリアクションはなんなんだろうと思うと同時に、俺の喉元は圧迫され、全身が熱を帯び、骨がキシキシと悲鳴を上げた。


「ぐっうっ!」

「えっちょっ! ちょっと!?」


 肌を伝うは、繊維の裂ける乾いた音。

 頭に響く甲高いメリッサの声は、耳元へ更に近づき――。

 

「っぷは!!」


 全ての痛みから開放された時、俺の目線はメリッサより高く、そして黒い短パンとニーハイから望む絶対領域に、自分の右膝が挟まっていた。


「いっ」


 捻り出した涙声は俺の耳に直接届き、次の瞬間には悲鳴に変わっていた。


「イヤアアアアアアアアアア!!」


「バカ、変態!」という罵声に混じり、外の足音が部屋の前で止まったと思えば、ブチ破るように扉を開いて、険しい顔したリドが部屋に飛び込んだ。


「こっこれは、そのっ違くてっ!」 

「イヤー! どいて! 早く離れて! バカバカッー!!」


 リドの目に、今の惨状はどう映って見えただろう。

 ソファの上、片や全裸で少女に覆いかぶさる挙動不審な男と、心の底から嫌がりジタバタと暴れる少女。布くずとなったベビーウェアが床に散らばる、この散々たる有様を。


「……とりあえず、そこから降りろ」


 淡々と、ドスの効いた声をリドは発した。

 どちらがあくかは明白。俺は殴られるのを覚悟で、ゆっくりソファから降り、そのまま床に正座した。


「リサ、君は室長を呼びに行って。……お前はまず、ソレを隠せ」

「はい……」


 投げつけられたリドの上着で半身を隠し。俺は冷たい床の上で、尻から体温を抜かれながら、何故あんな状態だったのか。年頃の娘に対して何を考えているのかと、懇懇とリドの説教を受けるハメになった。


「おい、ちゃんと聞いているのか?」

「はい……すみません……」


 理不尽な説教はまだ続く。

 くそう……本当にこの世界に来てからというもの、ままならん事が続きっぱなしで、流石にもう、うんざりだ。

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