第4章 黒犬の円舞曲 -①-「これは何プレイですか?」

 この小さな体にも慣れ、昨日は友達も出来て。円満な異世界生活を謳歌していた。と思っていたのだが……


「これは……」

「おいおい、まさかステラよぉ、隠――」

「そんなわけ無いでしょ」


 近くでヒソヒソと話し声が聞こえ目が覚めた。 

 目を開けると、ステラとミスターは揃って俺を見下ろしていて、いかんともしがたい表情を浮かべている。何だろうと思い、体を起こそうとしたのだが……思うように力が入らず。背中を曲げることも、頭を持ち上げることも。体が重くて出来無くて。次第に自分でも苛立ち、渾身の力を込めて体を揺さぶった。


「危ないっ!」


 伸ばされたステラの両手は、俺の脇にハマり、体を支えてくれた。

 そこでまず、嫌な予感はした。 

 あの時と同じ。

 ブカブカの洋服と、視界に入る自分の手は、いつもよりもさらに小さく。手首なんて、やけにムチムチでボンレスハムのように肉付きが良くて――

 まさか。まさかまさかまさか……


ふっ、ふぎゃああああうっ、嘘だろぉっ!?」


 部屋に響き渡るのは、猫の鳴き声に近い声。

 だが、それは紛うことなく、俺の声帯から発せられているだった。


「あらら」


 ソファの上で、ただ泣き喚く事しかできぬ俺をステラは抱き抱え。ポンポンと背中を叩いてあやす。


「よしよし」

「うーっ!」


 何か喋ろうと思っても、うまく声が出ず全然喋れない。ステラが軽く抱き抱えている事を考えると、どうやら俺は乳幼児程の大きさになっているらしい事まで理解した。


「おい、ステラ。このクソ生意気そうな顔と黒髪、コイツァもしかしなくとも……」


 ステラの肩から頭に乗り移り、ミスターは訝しげに俺を見た。


「もしかしなくとも、アスターさんよ。まさか、まだ縮むなんて……」

「あん?」

「あ、でも良かった、今日はドクターが帰ってくる日だわ」


 ステラはキッチン脇のカレンダーを確認し、手早く身支度を済ませると、ブランケットで俺をくるんで、抱きかかえた。


「ちょっと早いけど。協会に行ってくるから。ミスターは家の事お願いね」 

「え? あ、おい! 俺様もっ――」


 ダメと一言制し、ステラは俺を連れて家を出た。 





***


 普段は滅多に使わない地下鉄の車内。

 赤子を抱くにはまだ早い少女に、居合わせた乗客は好奇の目を向けていた。ざわつく乗客の声、顔を曇らせるステラ。


「これをしてもダメだったなんて……」

あー大丈夫だあうあーあぶぶぶぶうお前のせいじゃないだろう


 伸ばした手は、ステラの両頬に届いた。

 以前彼女に貰ったこの両手の赤いお守りは、かろうじてまだ腕に付いているが。実は俺は昨日、コレを一度外している。


 ヒナの。あのクッキーを作る時。俺は何の気なしにこれを外して、暫くポケットに入れていたのを帰り際に思い出した。多分、三時間弱は着けていないのだ。そのせいで何か変化があったのなら、これは完全に自業自得。最初から彼女が気を病む事は無い事だ。


「アスターさん……何言ってるのか全然分かんないです……」


 ですよね。


「でも、励ましてくれてる事は分かります」


 そう笑い、ステラは乗車ドアに体を預けた。

 柔らかく吐いた溜息は車窓を曇らせ、電車は時折音を立て揺れる。

 乗客達の会話は、今は騒音という程もなく、少し心地いい程度。体に伝わるステラの温もりも相まって、眠気に襲われていると。何処からか、男の声が彼女の名を呼んだ。


 黒いトレンチコートに黒革のブーツ。それにビジネスバックと全身黒ずくめの若い男。この顔には思いっきり覚えがあった。


「リド。今日も早いね」

「あぁ、雑務があるからな。君も珍し……」


 リドが言葉に詰まった理由は分かる。

 最初は気がつかなかったのだろうが、今、俺と目が合ったからだ。


「……」


 リドは少し間を置いて、その子供は? と尋ねた。

 

「えと……この子はその……アスターさん。また小さくなっちゃって」


 まさに絶句。

 どうしてそうなったのかとは訊いてこなかったが。心底呆れた表情で一言つぶやいた。


「そいつは豆粒にでもなる気なのか?」

あううほっとけ


 リドは大きくため息を吐くと、スマホを取り出し。一心不乱に何かを打ち込むと、向き直る。


「室長に。出来るだけ早く出勤してくれるよう連絡したから」

「ありがとう」

「いや……」


 ステラはいつも通りだが、いつも仏頂面のあの男が見せる、この照れたような表情。ほわほわ漂う、何かしらの甘い雰囲気。


あぶあうあうぶー……ラブの波動を感じる


 これは間違い無い。

 多分コイツ、彼女に気があるんだ。


あうあうーわかりやすいな


 そうこうしている内に駅に着き、ガーゴイルに挨拶をして協会に入る。

 時刻は午前七時半。人気ひとけがまるでない協会は空気が澄んでいて、二人の足音が反響し、壁にあたって消えていく。

 どの道を通ったのかは分からない。ある程度歩き、階段を上がって、二人は何処かの部屋に入った。

 天井に丸い金縁で囲まれた綺麗な星空が描かれていて、部屋の中は、床に直置きされた木製ローテーブルを挟むように、常磐色のロングソファが二つ設置され。白壁には絵画や肖像画が飾られている。少々手狭だが、落ち着いた色合いのくつろげる空間だった。


「寒くないですか?」

あうう大丈夫だ


 首を小さく振り、否定する。

 今俺にできる事は、これと手を握って返す事だけ。何とも歯がゆいことか。


「ほら」


 リドは、この部屋で唯一不釣り合いなウォーターサーバーから、少量のお湯と水を紙コップに入れ、ステラに手渡した。

 それを持てるかどうかを訊かれたが、やはり上手く手を使う事は出来ず、補助されながら白湯を口へ運ぶ。


「かっはっ!」


 飲むだけの事が、こんなにも難しい事だとは知らなかった。

 口の両端から零れ、辛うじて口に入った水分は、空気と混じり気管に入る。


「ぶえぇー」

「あららら」


 濡れた顔とブランケットを拭い、哺乳瓶が無くてはダメかとステラはこぼす。誠申し訳ない。


「やぁやぁ。お困りのようで」


 軽くドアをノックする音と共に、誰かが部屋へやってきた。

 現れたのはスターチスさんだった。


「あれかな? 歯は生えてるかな?」 

「アスターさん、アーンです、アーン」

「あー」


 ステラとスターチスさんが覗き込み、二人は目を細めて笑う。


「これはやっぱりミルクかな」

「ですね」


 本当に恥ずかしい。この歳で哺乳瓶をしゃぶるハメになるなんて、考えたくもない。腹の減りすぎで、背中と腹がくっついてもいい。何とか哺乳瓶を咥える前に元に戻りたいところである。


「今、子持ちの職員に声を掛けていてね。もう暫くそのままになってしまうけど。我慢できるかい?」

「あい」


 そんなやり取りをしていると、またドアを叩く音と声が室内に響く。


「誰かいるのぉ?」


 やたら甘ったるい発音をするその声に違和感しかなく。俺は開け放たれたそのドアから目が離せなかった。

 背丈はリドより少し高いくらいだろうか。全体的に赤みがかった髪は、緩くうねり、前髪を片方だけ長く垂らし、襟足も長い。白衣の中に、真っ赤なYシャツと黒のネクタイがアンバランスに浮かぶ優男。そう。女っぽい喋り方をしているが、声の通り男なのだ。


「あら、皆さんお揃いで~」

「ドクター!」

「ルドラ君、ちょうど良かった。君に診てもらいたい子がいてね」

「うん?」


 この子なんだけど。とスターチスさんは俺を抱きかかえた。


「あらぁ可愛い赤ちゃん! え、誰の? まさか……」

「いやいや。違うからね?」

「えと、実はこの方は……」


 ステラは俺に出会った時から、今朝の事まで噛み砕いて説明した。


「アタシも個人的に会ってみたかったのよね~」


 俺の話はどこまで広がっているんだ……

 なんと反応していいか分からなかった。




 その後、リド達は朝礼があるからと別れ。ステラに抱えられ、一階の第二医務室とやらへ先程のオネェ先生と共にやってきた。

 清潔感溢れる室内は、薬品の匂いが充満していて、少し肌寒い。


「んじゃ。パパッとやっちゃいましょっか~」


 まず触診から始まり。次に血圧測定をした。


「後は術式検査ね。でも赤ちゃんだし……大丈夫かしら?」

あぶぶー大丈夫です

「大丈夫って言ってます」

「んまぁ、ふふふ」


 それはよく分かるねという含み笑いだろう。俺もそう思う。


「あら、ツルツルのすべすべ。可愛いお尻~」

あぶぅあぶぶくっ屈辱的……」


 ケツと背中が丸出しの状態で、診察台にうつ伏せになり、何故か診察室の電気が消された。手には筆と青白く光るインク瓶。不敵な笑みが窓から差し込む光に照らされ、すごく怖い。


「さぁ。イ、ク、わ、よ♪」


 瓶をかき回す音の後に、冷たい感触が背に落ち、大きく円を描き、縦、横。斜めと線は伸びていく。

 その後、細かく筆が動いた途端……眩い光が辺りを照らす。


「これは……」

「……」


 二人は暫く無言でそれを眺め、何かに書き記すと。光が落ち着くのを待って照明は付けられた。ドクターは何も言わず俺の背中を拭く。

 無言が怖い。何故かステラも言葉を飲み込んだまま、ただ眺めているだけだし。どうしたのだろうか?


「失礼。入るよ」


 そこへ再びスターチスさんが現れ、紙オムツやベビー服を持ってきてもらったと、抱えた荷物を見せられた。


「少しサイズが合わないだろうけど、ずっとソレっていうのも何だしね」


 スターチスさんは俺が恥ずかしいだろうと、着替えもかって出てくれた。

 それは有り難いのだが。オムツ……何プレイだよ。とは言え無いし、抵抗も出来ずそれは装着され。パステルカラーの淡い水色のベビー服に身を包み。すっかり赤ちゃんらしくなった俺は、スターチスさんによって、医務室の外へ連れ出された――

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