ともだちが出来ました -③-「訊きたいこと」

 どれぐらい走っただろう。

 少年は住宅街を抜け、市街地へ駆けていく。


 向こうは勝手知ったる土地だろうが、こちとら新参者。相手の逃げた道を追うしか選択肢が無いというのは実に効率が悪い上に、鈍りきった体のせいで呼吸は乱れ、脇腹に刺すような痛みが走る。


「クソッ! 全然追いつかねぇ!」


 大きな道から脇道に入られてしまい、ここまでかと諦めかけたその時。その先で何かが大量に割れた音と、野太い怒号が飛んだ。


「このガキ! あーあーあーあーっ! こんなにしちまってどうしてくれんだ!」


 駆けつけると、そこは一面真っ赤に染まっていて、果物や土。そして酒の匂いが混じりった酷い臭気を放っていた。


「な、なんだ?」


 目視できたのは、何本割れたのか分からない瓶の残骸と、アスファルトに染み込まず、どんどん道に広がる赤と透明な液体。そして倒れ込みガタガタと震えているあの少年の姿と、今にも血管が切れそうな位怒り狂っているガタイのいいオッサンだった。


 どうやら酒場の前のようだ。

 中からどんどん酒臭い野次馬達が現れる。

 状況を見るに、酒類を搬入中に少年がぶつかり、箱ごと落としてしまったのだろう。路肩に寄せられたトラックの荷台は、まだ空いたままで、ラベルが貼られた箱を沢山積んでいた。


「聞いてんのか! あぁ!?」


 吠えるような男の声に、少年は嗚咽混じりの消え入るような声で許しを乞う。


「ごめ……なさ……ごめ…………ゆるし……」

「あぁん!? ハッキリ喋れハッキリ!!」


 謝ったところで怒りが静まる事はなく、オッサンはその苛立ちを、地に転がる酒瓶に移し。酒瓶は酒に濡れたアスファルトの上を勢い良く転がっていった。

 どちらに非があるかは明白。ただ、やはり物に当たり散らしたり……小さな子供に対して怒り狂う姿は、気持ちの良いものではない。なんの力にもなれないかもしれないが、怒りの矛先が少年の体に移ってしまう前に、俺は思い切ってオッサンに声を掛けた。


「すみません、そいつ俺の友達なんです。俺が追いかけっこしようっていったからソイツ……だから俺が悪いんです! 怒るなら俺を怒って下さい!」


 聞きしに勝る名演技。とまではいかないが、オッサンはぐっと言葉を詰まらせた。そこへ――


「それくらいにしといておやりよ」


 濁声の女性が、酒場から出るなり自制を促してくれた。

 オッサンに負けず劣らず貫禄のある女性。この酒場の女将さんといった所か?


「怪我ぁ無いかい? まったく、こんなに汚しちまってなぁ」


 女性はへたり込んでいた少年を抱き起こし、少年の顔に跳ねた酒をエプロンの端で拭う。


「あ……ありがと……ございます」

「いいんだよぉ、この人がグズグズ運んでるからいかんのさ」

「なっ!」

「アンタも! この辺は子供が多いんだから! 気ぃつけなっていつも言ってんだろ! 何聞いてたんだい!」


 肝っ玉母ちゃん。いや……姉さん女房なのか? あれだけ威勢の良かったオッサンはしょんぼり背中を丸めて小さくなっていく。

 そのやり取りを、周りの人間もそうだそうだとオッサンに野次を飛ばし、酒瓶片手のヒゲ親父が豪快に笑う。


「ガキはこれくらい元気じゃなきゃーな、俺等がジジババになった時、おんぶに抱っこしてもらわにゃ! 腰が痛くてしょうがねぇわ!」


 また、別の野次馬が道へしゃがみ込み、無残に流れた酒を恨めしそうに見つめ、ため息を漏す。


「しっかしもったいねぇなー。道にくれてやるくれぇなら、俺がタダ酒飲みたかったぜぇ」

「アンタにタダ酒飲ますくらいなら、その辺の草にくれてやったほうがまだいいさね。ありゃ酒臭いアンタと違って、空気を綺麗にしてくれるからね!」


 そんな彼等の小芝居に、またドッと笑いが起きた。

 先程まで泣きっ面だったあの少年も、いつの間にか体の強張りを解いている。


「ほれ、ここはガラスが散ってて危ないからね、向こうで遊んでおいで」

「は、はい」

「それと……いい友達だね、大事にしな」


 優しくそう囁く女性の言葉は少年に届いただろうか。俺達はそのまま女性に背を押され、酒場から離れた道の端へと歩く。


「ほら、ちゃんと謝るぞ」


 俺は少年の背中をバンと叩き、せーのと声を合わせる。


「本当に」

「「ごめんなさい!!」」


 息ピッタリとはいかなかったが誠心誠意謝った。

 きっと気持ちは届いただろう。


「ちゃんと前向いて走れよー!」

「はい!」


 遠くで腕組みしたままの、仏頂面のオッサン一人を除く全員に手を振って、別れを告げる。





「さて……」


 酒場も完全に見えなくなった所で、俺は改めてと少年に向き直る。


「お前に訊きたい事が二つある」


 まず名前。

 そしてヒナの屋敷に何の用だったのか。だ。


「……」

「だんまりか」

 

 まぁ、ひと月も屋敷の前に立ち続けたんだ。そうやすやすと教えてはくれないだろう。これは長期戦になる。そう覚悟を決めた所で、


「おや、坊っちゃん」

「え?」


 振り返ると、小さな買い物袋を両手に抱いたばあやさんがそこに立っていた。


「あれ、ギル坊も何で――」


 ギルと口にした途端、ばあやさんはハッとした表情で固まった。

 なんだ、そういう事か……


「知ってたんですね、コイツの事」

「…………えぇ」

「何であの子に黙っているのか、訳を……訊いてもいいですか?」


 二人はバツが悪そうにうつむいた。

 暫くの沈黙の後。ばあやさんがポツリと場所を変えようと提案し。場所は、ばあやさんの家へと移された。


「それで、そろそろ説明してくれますか?」


 少年……ギルは居心地悪そうで、ばあやさんも何から話すべきかと迷っている。

 そこへ憔悴しきったギルが抑揚のない声をこぼす。


「オレの……オレのせいで、ヒナの母ちゃんは死んだんだ」

「え……?」


 ポタリ。ポタリと涙がこぼれ、机や足元を濡らしていく。

 俺は、この話を聞いて良かったのだろうか。

 それはあまりに突然な話で、受け止めるには時間の掛かる事だった……

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