ひだまりファンタジア

米田 助六

◆第1部 偽りの魔法使い

 第1章 あぁ無情 -①-「女の恋は上書き保存」

 隙あらば肌を焼こうとするこの暴力的な日光が、涼やかに葉を撫でる秋風に毒気を抜かれた頃。


「あー……」


 ビールを注いだ時のように、細かく泡立つ尿に対して不摂生が祟ったかと嘆く。

 最近の食生活は、カップ麺とコンビニ弁当。不健康まっしぐらだ。


「そりゃこんな色になりますよっ、と……ん?」


 用も足し終え、レバーに手をかざした瞬間我が目を疑った。


「うわっ……」


 便器の中が赤い。

 よもや血尿を出す程までに、自分の体は限界だったのかと驚愕したが、


「いやいやいや、んなバカな」


 先程手元を見ていた時は、黄色みが若干強い程度だったじゃないかと、いまいち状況が理解できず。改めて便器を深く覗き込む。


「え……」


 今度は、黒く澱んだ何かが見えた。

 最初、その黒は自分の髪が反射したのだと思っていたのだが、顔を近づけたと同時にゴポンと音を立て、俺に容赦無く襲い掛かる。


「――っ!?」


 水では無い、ドロドロとした液体の中を必死でもがくが、もがけばもがくほど、息が漏れ出るだけでなんの意味もなさなかった。

 次第に、味わった事の無い、甘ったるくも苦々しいような味が口の中を支配して……意識は、深い闇へと落ちていく――――




 俺は所謂、器用貧乏という奴だった。

 成績も、運動も。割と何でもそつなくこなせたから、多分調子に乗っていたんだと思う。絵を書くのが好きだという理由で、親の反対押し切って漫画家を目指し上京た俺は、そこで初めて現実の厳しさを知ったのだ。

 

 金が無ければ生きていくことも、漫画も描けないので。近所のファミレスでバイトしながら漫画を描いた。けれど、慣れない一人暮らしと仕事疲れのせいで筆が全然進まないのだ。一つ書き上げるのに一年かかり、これでは駄目だと自分を責める。けれど、もう地元には戻れない。戻る資格もない。


 だから、少し時間は掛かったが、ある青年漫画家の下でアシスタントが出来る機会に恵まれ、そこでアシスタントを二年程経験出来た。

 しかし、バイトとアシと自分の原稿。やればやるほど俺の体は壊れてしまい。腱鞘炎を悪化させ全てを休業せざるえなくなってしまった。何もできない期間は、自分の不甲斐なさに腹立つ事もあったが、休息期間なのだと言い聞かせ、完治するまでのんびり過ごす事にした。


 そんな折、バイト先の後輩で、付き合って間もない彼女から、絶望的なメールが届く。


『いい人なんだけど、一緒にいてもつまんないんだよね、別れよ?』


 文面はこの一文だけだった。

 意味が分からず、どういう事だと電話した。だが彼女の心はもう俺に無く。俺のいない間、俺の代わりに彼女のサポートに入った、一つ年上の先輩を好きになったと泣かれてしまった。


 泣きたいのはこっちだ。お前が俺を好きだと、一目惚れだったと言ってきたんじゃないか。だから俺は、まだよく知らないお前を知ろうと頑張って。小さな事でも良く笑う、そんなお前を好きになったのに……

 そうして俺は彼女に振られ、時折言う事を聞かない利き手に苛立つ世知辛い日々を今の今まで送っていたのだ。





 死因、便所で水死か……最低な死に様だな。

 長い夢のような、走馬灯というものを体験し、改めて人生を振り返っていた俺は、この暗闇が先ほどまでとは違い、ほんのり明るくなっている事に気が付いた。それと同時に、揺さぶられているような振動と、荒い息遣い。そして鼻をつく獣臭に耐え切れず、ずっと閉じられていた瞼を開けるべく、力を入れると……


「えっ……?」


 現在進行形で激しく揺さぶられている体は、上半身に直接冷たい外気が当たり。体が揺れる度に、針金のようなゴワついた毛並みが肌に触れて擦れていく。

 もっと驚くべきは、この鼻をつく獣臭の正体だ。息を乱し、木々をすり抜けるように俺を抱え走るのは……


「クっ、クマっ!?」


 見上げた視線の先には、顎しか見えないが、輪郭といい、毛並みといいクマとしか思え……っていうかやっぱりクマしかありえなくて。俺の背は平均的な成人男性と変わらず低くもなければ高くもないのだが。その体をいとも容易く抱き上げ、その身をすっぽり包んでいる事から、大きさは大体二メートル位だろうか、いや、それ以上はあるかもしれないと予想ができる。


「あぁ。そうか、これ夢だ」 


 だって、人を布で包んでお姫様抱っこしながら森と二足歩行で走るクマってなんなんだ。せめて獲物の腹に噛みついて、四足歩行で猛ダッシュとかもっとあっただろうに。感触がやたらリアルだが、夢だ。そうに違いないと、強く自分に言い聞かせた。すると――


「我を護りし精霊よ……我が眼前の淀みを討ち、地に還せ!!」


 幼いような。でも、力強く、よく通る声が何処からか聞こえ、青光りした何かが連続で前方の木々を横切った。


 その光に慌てたのかクマも足を止め、一緒に辺りを見回すと。それが放たれた方向から現れたのは、白い大きな帽子を被った、エンジ色のスカートを履いた少女だった。

 太陽の光が鬱蒼と茂る木々の葉に邪魔され、少々薄暗くなった森の中でもハッキリ分かる桃色の髪に、燃えるような赤い瞳。少女はこちらに気がついたのか、短い悲鳴を上げる。


 いくら夢の中でも挨拶すべきだろうかと悩んでいると、少女は何とも言え無い困った顔でこちらを見るので、ハッとした。

 森の中で、クマに抱かれたほぼ裸の男に出会ったら、誰でもそうなるだろう。


「こっこれにはワケがっ!」


 慌てて弁明しようとするが、少女は眉間に皺を寄せ、ずっと手に持っていた、指揮棒のように細長い木の棒をこちらに向けた。


「そこを動かないで下さい!」

「待て! 落ち着け! 俺は怪しい者じゃない! いや、十分に怪しいとは思うけど、誤解だ!」


 けれど少女は険しい顔のままで、俺の弁明等どうでもいいのか、目も合わせてくれなかった。そして棒が振り上げられ、反射的に目を瞑った瞬間。瞼の裏側が赤く光り、真後ろで鈍い音が鳴ったと同時に、生温かい何かがベチャリと頬に飛んだ。


「え……?」


 血のような色をした粘り気のある液体。 

 まさかクマがられたのかと思って振り向くが、それは違った。


「早くこちらへ! そのスライムは危険です!」


 クマの背後にいたのは、背丈程に長細く伸びた液状のモノだった。


「うわぁああああああああ!!」


 俺の叫び声で驚いたのか、クマは一瞬体をビクつかせ、すぐに走り出した。けれどその方向は、先ほど少女が誘導した方向とは違っていた。


「そっちじゃありません! こっちです!」

「そう言われてもっ!」


 クマの足は早かったが、少女も何とかついてこれるスピードだったらしく、呼吸を乱しながらも後を追ってきてくれた。こっちだと言われても、クマが勝手に動くのだからしょうがない。俺だって、好きでクマに抱かれているわけでは無いのだ。


「お願いっ、止まって!」


 悲鳴にも似た少女の声は、クマに届かなかった。そして木々が途切れ、森を抜けたのだと思った瞬間。ガクンと、床が抜けたような感覚に襲われた。


「嘘だろ……」


 視界に広がる曇り空。すぐそこにはむき出しの岩肌があり、すごい速度で視界がブレては、下からの風が体にぶつかっていく。

 そう、俺達は崖から落ちていた。


 こりゃ死んだな。そう思える位、崖は高かった。

 クマも流石に驚いたようで、俺からやっと手を離し。ようやっとクマの全体像を拝むことが出来た。焦げ茶色の毛並みに、額に大きく描かれた花模様。どんな図鑑でも見たことが無い巨大なクマ。目が覚めてから、ずっとそばにいたからか、変な情が湧き。夢でも死んでしまう事が何故か悲しくて、瞳が潤む。涙は粒となり空中に消え……涙が飛んだその先に――


「我を護りし精霊よ! 我との者等に風を運びて舞い上がれ!」


 聞こえるはずの無い、あの少女の声が風と共に耳に運ばれ。目の前に魔法陣のような物が広がった。それと同時に浮く体。ついでにあのクマもフワリと浮いて、ゆっくり下に落ちていく。


「間に合って良かった……」


 二秒と無く地面に着地した俺達だったが、不甲斐ないことに足がついた途端、力が抜けてしまい、そのままへたり込んでしまった。

 気が付けば、あのクマはもう居らず。二重の意味で助かったんだと安堵する。



「あの、大丈夫で――」


 少女が微笑を浮かべていた筈が、一瞬にして強張った。


「なんてこと……」

「え……?」


 そう、異変は既に起きていた――――

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