第16話 前へ

 ギルは元々、ヒナの一学年上で、家も歳も近い事もあり、よく遊ぶ仲だったそうだ。けれど、ヒナの中にギルは居ない。何故なら、ここ何年かの記憶が封じられているからである。


「記憶を?」

「……アタクシから、お話し致します」


 その日何が起きたのか、一部始終を見ていたグレタが、時折言葉を詰まらせながら語る。


 元々体の弱かったヒナの母は、その日も体調が優れず、グレタと共に病院へ向かっていた。


 家を出てすぐの、大きな十字路での事だ。信号は青、横断歩道の前に行儀よく並んだ車の最前列。二人が乗った車はエンジンをふかしながら信号が変わるのを待っていた。


 そこへ、ヒナとギルが通りかかった。

 ヒナは自分の家の車に気が付くと、歩道を渡り終えるまで手を振り、車中の誰もがそれに応えていた。ここまでは、ごくありふれた風景だ。


 悲劇が起きたのは、二人が信号を渡り終えた時、ギルが自分の靴紐がほどけているのに気が付き、その場でしゃがみ込んだタイミングであった。


「あれは突然の事でございました。当家の車が、急に歩道に乗り上げて……」


 暴走した先にはギルがいた。

 けれど、ギルは無事だった。ヒナが身を挺して庇い、彼の代わりに車と壁に挟まれたからである。


 その場にいた誰しもが言葉を失い、そして同時に絶叫した。

 運転手は慌てて車を動かしたが、小さな体は衝撃に耐え切れず、呼吸さえ難しい状態に陥っていた。


 ギルは泣き叫び、グレタと運転手は狼狽えた。一刻も争う危険な状態に、居合わせた人間も慌ただしく、辺りが騒然とする中、ヒナの母親が動く。


 ヒナの母は魔道士、それも癒しの力“治癒魔法”が使える魔道士だった。けれど、その力を使う事を、事情を知る者は良しとはしなかった。何故ならば、力を使えば使うほど、本人の命が削られてしまうからだ。


「お力を使えば奥様の体がどうなるか、アタクシ共は分かっておりました。でも……奥様はご自身のお命よりも、お嬢様が大事だからと」


 救急車なんて待っていられない。目の前で苦しむ我が子を黙って見ていろと言うのか。どうせそう長くない命、今使わずしていつ使えと。そう、グレタに捲し立てた。


 そして魔法を使うその前に、ヒナの母はギルと“ある約束”を交わし、自身の全身全霊を捧げ、我が子の命を救ったのだ。


「お力を全て使い果たした奥様は……まるで眠っているかのように、安らかなお顔で深い深い、眠りにつかれました……」


 グレタの頬を伝う大粒の涙が、ボタリと音を立て床に落ちた。


「オレが……オレがあの時、くつひもなんてほっておけば……」


 封を切ったかのように、ギルがむせび泣き、グレタはそれを抱き留める。


「お前は悪くないだろ! 一番悪いのは運転手だ。何で急発進なんか……。それさえなければそんな悲劇、起きなかったのに……」


 行き場のないアスターの怒りに、グレタは首を振った。


「運転手も悪くはないのです……。あの事故は、グレムリンの幼体がライネックに取り憑かれ、引き起こしたものでして」


 だから誰が悪いでも無い、ただの不運な事故だったと。

 けれど――。


「奥様がお亡くなりになられた事で、お嬢様はパニックを起こしてしまいました」


 元々、祖父との別れを経験していたヒナは、人が死ぬという事の意味を知っていた。その原因を作ってしまった自分と、大好きな母との別れに、ヒナの涙が枯れる事は無かったという。


 過呼吸を起こしては意識を失い、また起きては繰り返す。まだ幼いヒナにとって、それほどまでに受け入れがたい事だったのだ。


「お食事も水も、何も取ってくれませんで……」


 そこで下された処置が“記憶を封じる事”だった。けれど記憶というものは実に繊細で、母親が亡くなった日限定で封じるという事ができない。その結果、ヒナはここ二、三年の記憶が封じられてしまったという訳だ。


 それからというもの、ヒナには、まるで幼子のように屋敷の中で遊ばせ、母親の事は、病気療養の為に遠くへ行っているのだと嘘に嘘を重ねてきたという次第である。

 

「オレ、あの時、ヒナの母ちゃんと約束したんだ」


 ――私の代わりに、この子の傍にいてあげて。

 それが二人が交わした約束だった。けれどギルは怖かった。自分といる事でヒナがその事を思い出してしまうのでは無いか。狂ったように泣き続けたヒナの姿を、彼は見ている。だからこそ不安で不安で、言い出すのに時間が掛かった。そして掛かった時間だけ、行動に移すのに勇気がいった。

 今日、また明日、今度こそは……。


「早く行かなきゃなのに、門の前から足が動かなくて……」


 その一歩が難しい程、ギルは追い詰められていた。

 彼は自分のせいでヒナの母が死んだと思い込んでいる。その罪悪感は、子供のギルが抱えるには大きすぎるのだ。

 けれど――。


「正直に全部話そう」

「そんなこと!!」


 出来るわけないだろう。

 ギルのその言葉を遮って、アスターは続けた。


「偽りの世界に、あの子をずっと閉じ込めておくつもりなのか?」

「だって、それは……」

「もし俺があの子の立場だったら、本当の事を言って欲しい。受け入れるのに時間が掛かっても、ちゃんと真実を知って、墓前に手を合わせたいよ。ごめんなさいって、ありがとうって。ヒナのお母さんだって、今のこの状態は望んで無いだろ」

「でも……」

「約束、したんだろ?」


 その言葉に、ギルはうっと言葉を詰まらせた。


「気持ちの整理ってさ、確かに大変だよ。それも自分が絡んだ事で親を亡くしたんだ。悲しみは測り切れない。でも今の状態は……この嘘の付き方は駄目だよ。この嘘は、もっとヒナを傷つける。優しくない嘘だ」

「坊ちゃん……」

「ヒナがまた泣いたら、胸を貸して抱きしめてやれよ。胸が足りないなら、ばあやさんだっているし。俺もシオンも、今ならクソガエルだっておまけで付いてくるんだぜ?」

 

 心強いかどうかは分からないけれど、という言葉に、それでもとギルは煮え切らない。


「ばあやさんも、このままじゃ駄目だって事、分かってるんですよね? だから今日、俺達を屋敷に呼んだんだ。ギルがその輪に入りやすいように……」

「えぇ……坊ちゃんの仰る通りでございます」


 最後の最後まで思い悩んでいたグレタは、キッカケが欲しかった。凪いだ水面に波紋を生じさせる為の一石が。だから、藁にも縋る思いで、ミスターに今日の件を頼んでいたのだ。


「やっぱり……」

「騙すような真似をして、申し訳ありません」


 けれど、ヒナの父、自分の主が下した判断だと言っても、今のヒナはあまりに不憫で堪らなかった、とグレタは涙を流す。


「えぇ、本当に酷い話です」


 アスターがなじるように言葉を吐き、それにグレタは項垂れた。

 しかし――。


「だからそのお話、俺も一枚かませてください」

「!」

「最高の誕生日パーティーにしましょう!」


 次の瞬間には、声のトーンを高く変え、アスターは満面の笑みを浮かべた。

 こうして、ヒナのサプライズパーティー計画はスタートしたのである。

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