第36話:二つの玉

 翌朝から、いつもと違う日常が始まった。

 ステラとは協会へ行くまでは一緒だが、ロビーで彼女と別れ、俺はあのジャージを着てリドと協会の中を進む。向かった先は、暖炉のある”あの部屋”では無く、その隣の部屋、星室の皆が使っているという執務室だった。


 そこには可愛らしい小物類で散らかった机に、卓上植物が多く置かれた机。本は多いがキッチリ整理整頓された机等、全部で六つ。向かい合わせに設置され。部屋の一番奥の窓側には、多分スターチスさんの席だと思える、大きくて立派な木の机と椅子があった。


「とりあえずそこに座れ」

「あ、はい」


 ペンの一本も置いてない。今は使われていないという、入口側の仕事机をあてがわれた。この机も他の机と同じ木製で、年代を感じるというか、なかなか使い古されている。


 しかし……ただ座らせられてる状態というのは拷問に近いと、この時俺は思い知った。手持ち無沙汰というか。リドはまるで話し掛けるなとでも言わんばかりに、鞄から取り出したノートパソコンを開き、なにかの入力作業に勤しんでいるものだから、どうすることも出来ず。三十分程、カチャカチャ小気味よいリズムを奏でるタイプ音を聞いて、何もない壁を眺める作業をした。


「おはよ~」


 そんな辛くて死にそうな所に、スターチスさんの少々間延びした声が室内に響く。


「室長、おはようございます」

「お、おはようございます……」

「あぁそうだった。今日から君がいるんだった」

「お……お邪魔、して、ます」

「嘘、嘘。ちゃんと分かってるって」


 なんて挨拶を交わしながら、内心ではやっとできた話し相手に喜んでいた。


「あぁそうだ、これ」

「??」


 スターチスさんは一度荷物を机に置くと、手にすっぽり収まる大きさの、仰々しい黒い箱を俺に差し出してきた。言われるがまま中身をその場で取り出すと……中身は、星室の皆が襟に付けている金のバッジだった。そのバッジは長方形で、六芒星の細工が三つ施されている。


「これは……?」

「身分証みたいなもの、かな? 絶対に失くさないでね。悪用されるから」

「えっ」


 途端、職権乱用、公文書偽造という言葉がよぎる。


「大丈夫、大丈夫、ちゃんと正規の手続き踏んで作ってるから安心して。あぁそうそう。それとこれからは私を室長と呼ぶように心がけてね」


 もう本当にこの人、何者なんだろう……というかやっぱり人の心が読めるのだろうか。とかもう不安でいっぱいだ。



「うげ。まだでっかいままなワケ? 早く小さくなりなさいよ。暑苦しい」

「えぇ……」


 おはようも無しに、開口一番、鬼畜ツインテことメリッサはそう言った。

 こっちが本来の姿なのに。何故俺は責められているのだろう。


 それからクロエが出勤し、朝礼をした後。メリッサとクロエが外へ見回りに行った。残ったリドは事務処理をしているそうだが。もしライネック被害が協会近くで起これば、リドにも出動要請が掛かるそうだ。


「アスター君」

「は、はい」


 スターチスさんが再び俺を席まで呼び寄せると、おもむろに引き出しから何かを取り出し、それを俺に手渡した。


「ビー玉……?」


 受け取ったのは二個のビー玉みたいなガラスの玉だった。ひとつは濃い赤色で。もうひとつは気泡一つ無い、透き通った水色をしている。


「それは昔、私が使っていた精霊石だよ」


 精霊石と言われ二度見した。

 同時に精霊石とは、魔石とは違うのだろうかと疑問が浮かぶ。


「君にはここで魔法の訓練をしてもらうよ。そして早いうちに赤い方から魔力を吸って、その魔力を青い方へ移す。という魔力移行術を使えるようになってもらいたい」

「えっ」

「それが出来るようになれば、君もあの子も。この先もっと楽になるんじゃないかな、と思うんだよね」


 そりゃあ、あの飴以外でそれを補えるとあらば、かなりいい。更に言うと、彼女から魔力を貰う事が出来れば、双方にとって良い事しか無いだろう。しかしだ。


「でも、なんで俺なんですか? だって皆でやればもっと――」


 効率がいいのに。

 そう言おうとした瞬間。スターチスさんの表情が曇ったような気がした。


「それを容易に出来ないから言っている」


 代わりに口を開いたのはリドだった。

 出来ない? 何故? そう聞き返すと、今度はスターチスさんが悲しげに呟く。


「彼女は特別でね……我々とは少し、魔力の波長が合わないんだ」

「合わない?」

「うーん。どう言ったら分かりやすいかな……」


 腕組みをして、そのままふっと窓に目をそらす。それに釣られて俺も外を見る。今日は明け方から風が強かった。だからだろう。いつもこの大都会の広い空をホウキに跨り自由自在に飛び回っていた魔道士の姿や、翼を持つ”人ならざる者達”の姿が何処にも見当たら無い。少し寂しい感じの空だった。


「ああそうだ。血液型みたいなものか。ほら、輸血する時、型が違うと拒否反応を起こすだろう? そういう感じだと言えば分かるかな?」


 なるほど。吸血鬼らしい例えだった。


「でも君は違う」


 ライネックに寄生されていた事を除いても。俺は彼女から二度も魔力を貰っている実績がある。だからこれは”俺にしか頼めない事”らしい。


「どうだい? やってみるだけやってみないかい?」

「そう、ですね……本当に出来るかどうか、自信は無いですが……俺にしか出来ないという事なら……頑張ってみます」


 そう言うと、スターチスさんはニッコリ笑った。

 だが、やり方をリドから教わるようにと言われ、早速壁が立ちはだかった。


「事務処理は私がやるから、君は彼に。ね? 得意だろう? こういうの」

「……」


 暫くの沈黙の後、苦虫を噛み潰したような、心底迷惑そうな顔で。振り向き際に睨まれた。アイツのストレスもマッハだろうが、俺のストレスもマッハである。


「――最初に。それ一つで新車が一台買えると言っておく」

「っ!!?」


 という事は、俺の左手一つに、新車二台分の価値が!?

 手汗が凄い。


「おおおおお返しします!」

「あはははは駄目ー」

「いやいやいや! 万が一なくしでもしたら、弁償のしようが!」


 というかもうこれ、フラグだ。

 絶対になくして、体で返すとかいう系のアレだ!


「精々大事にする事だ」

「うわー……」


 守れない約束には返事が出来無い。

 そんな午前十時の出来事。






***


 一方その頃のアリアは――。


「――もう!! まだ臭い!!」


 屋敷へ持ち帰ったスプリガンの左手を、ホルマリン液から出し、ずっと洗っていたのだが。それはとにかく臭かった。吐くとかそういうレベルを超えた刺激臭に、流石のアリアも泣きべそをかく。目を刺すような激臭から度々逃げては、風呂に入っての繰り返しだ。


「本当、不愉快極まりない臭いだわ!」


 その不快な臭いは、洗ったばかりの髪や肌から漂い、何度風呂に入っても、まとわりついたままだった。


「ねぇ。まぁだ?」


 天蓋付きのベッドの上。ガウン姿のアリアの長い黒髪を、黒騎士セイジがブラシで整える最中。後ろからセイジに抱きついたのは、半身に小さな鱗を持つ妖艶な女シャノンである。


「ちょっと! その下品なおっぱいをセージに近づけないでって、いつも言ってるでしょう!」

「いいじゃない、別にこれくらい。案外彼も喜んでるんじゃないかしら?」

「そんなわけないでしょ!?」


 シャノンはアリアが伸ばした手を軽く撥ね退け。胸元が大胆に開かれた、黒檀色のロングドレスから溢れんばかりのたわわな胸をセイジの背中に押し当てる。


「ねぇガロン。貴方もこーんなちんちくりんのお嬢ちゃんより、私にこうされてる方がいいって思うわよねぇ?」

「誰がちんちくりんよ!!」


 アリアは手近な枕に手を伸ばし、シャノンの頭目掛け何度も何度も振り下ろした。少々癖のあるシャノンの長い緑髪が、枕から飛び出た羽毛と絡まっていく。


「色魔! 色ボケ! おっぱいお化け!! これじゃあの鳥女の方がマシだわ!」


 尚も続くセイジ争奪戦。そのやり取りを執事服の男ガロンが、またかと遠巻きに眺めていた。褐色の肌、黒い強膜きょうまくに映える金色こんじきの瞳がどんどん憂いに満ちていく。


(帰りたい……)


 それはガロンの心からの願いであった。

 何故シャノンとガロンが、アリアの屋敷にいるのかというと、”彼”を捜す為の手伝いとして遣わされていた。当初、シャノンとナノの二人の予定だったが。アリアとナノの両名が嫌がった為、この組み合わせになったのだ。


 しかし何の進展も無いまま、無駄な数日をこうして過ごす事になるとは、誰も予想していなかった。

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