第26話 ベルフェゴールの想い人

 トイレの悪魔、もといベルフェゴールは、人を探しているという。


「名をセレスタ。触れた者の未来を予知する、先視さきみの聖女じゃ」

「先視の聖女……?」

「ああ、彼女は今、この隣の修道院にるらしい、という事までは掴んでおる」


 話は今から五十年ほど前まで遡る。

 魔界で『幸福な結婚は果たして存在するのか』という話が上がった。彼はその議題に答えを出すべく、人界へ降り、人々の生活を覗き見る毎日を送っていたのだが……。


「あれは、今日と同じく月の綺麗な晩じゃった」


 その日も彼は、人々の結婚生活を覗くべく人界へ降りていた。けれど、その日は運が悪かった。今日はこの家にしようと忍び込んだ家が、彼等の天敵“祓魔師エクソシスト”夫婦の家だったのだ。


「わしは何もしとらんのに、彼奴きゃつ等は寄って集って、聖水だの祓魔術だのしつこくての」


 命からがら逃げ延びたベルフェゴール。体は傷つき、魔力は底が尽きかけ魔界の門を開こうにも開けず、限界だった。そんなふらふらの状態の彼が辿り着いた先が、とある寂れた孤児院だ。


「そこで彼女と出会ったんじゃ」


 絹糸のように繊細で柔らかな白銀の髪に、赤みを帯びた艶のある唇。そして満天の星空のような神秘的な輝きを放つ、青と緑、左右色の違う瞳の少女。


「美しいという言葉では語り切れん。しかし、それ以外の言葉が思い浮かばぬ程、わしは彼女に魅入られた」


 ベルフェゴールは蓄えた髭を撫でながら、ゆっくりと目をつぶる。

 聖女セレスタは、ベルフェゴールを悪魔と見抜いたうえで、臆することは勿論、敵意を向ける事も無く、彼の元に薬箱を置いてくれた。


 聖女は悪魔に触れる事が出来ない。もし、その手で触れれば、聖女はただの女となり、触れられた悪魔も塵となり消滅してしまうからだ。


 それを境に、ベルフェゴールは月の出る晩に、彼女の元へ通う事にした。小さな窓から見える聖女の顔。そして、たまに合う視線。二人は次第に惹かれ合い、ガラス越しに手を重ねるようになっていった。


「あの頃はそれだけで満足じゃった」


 今でもまだ、鮮明に刻まれた美しい記憶を振り返り、ベルフェゴールは頬を赤らめる。


「けれど……」


 ベルフェゴールが声を落とす。


「半年ほど経った頃じゃ、わしらの逢瀬が見つかってしもうてな」


 聖女と悪魔。互いに触れる事さえ叶わない、許されざる恋をした二人は、周囲に引き離されてしまう。『必ず、必ずまた会いに来る! それまで待っていてくれ!』ベルフェゴールのその言葉に、聖女は頷き、一言『待っている』と声を発した。


 その後、ベルフェゴールは今日この日まで魔界で幽閉され、聖女セレスタも、悪魔が立ち入れぬ聖域に建つ、ガレナ修道院へと身を移された。


「随分と時は経ってしもうたが、もし、まだ彼女がわしを待っていてくれたなら……この命が尽きる前に、わしはあれに愛していると伝えたい」

「命が、尽きる……?」

「ああ、わしは今夜死ぬ。といっても後二時間程あるがの」

「!?」


 悪魔にも色々ある。どんなに大きな外傷を負っても、すぐに再生し、悠久の時を生きる者もいれば、人間のように、肉体が朽ちればその生涯を終える者もいる。そして、ベルフェゴールという名の悪魔は、八十年周期でその人生を終え、また何処かで別のベルフェゴールとして生を成すのだ。


「次に産まれるわしは、この記憶を持っていない」


 だから時間がない――。

 ベルフェゴールは切なそうに窓の外を見た。


「……俺が呼んでくる」

「!」


 悪魔であるベルフェゴールが敷地に入れないのならば、向こうを呼ぶしかない。だが、この提案にいち早く反応したのは、ベルフェゴールでは無かった。


「それは止めたほうがいい」

「!?」


 医務室の扉を引き、入室したリドが開口一番そう忠告した。


「話はあらかた聞かせてもらった」

「おっ、お前っ何でここに!?」

「お前のか――、夜勤だ」


 リドは咳払いをして言い直し、その場を取り繕うかのように言葉を続けた。


「とにかくだ、死にたくなければ、あそこには近づくな」

「」

「違う、俺が言っているのはお前の方だ」

「は?」


 それはどういう事なのかとアスターが問うと、リドは淡々と答えた。


「あの修道院は、要塞と考えたほうがいい。夜は特にそうだ、不審者を見つければ容赦無く発砲する軍人崩れのシスターしか居ない上、四方を囲む電気柵は五メートル以上ある。あの修道院の奴らは、神の教えを肉体言語で言い聞かせてくる事で有名なんだ」

「どういう修道院だよ……」

「相手はエキスパート。体に風穴を開けたくなければ、夜の内に忍び込もうと考えず、日が昇ってからにしろ。そうすれば正攻法で敷地内に入れるだろう」

「いや……でもそれじゃ……」


 二時間後にはベルフェゴールは消滅してしまう。それまでに目的を果たさなければ意味がないのだ。


「書状でも出せばいい。それならば渡すことが可能な上、物も残る」

「いや、直接言わなきゃ意味がないんだ……。っは! そうだ、今の俺ならどうだ? 流石に怪我した子供を撃つなんて、神が許さないだろ」

「いらずらの過ぎた子どもに、閃光弾を躊躇ちゅうちょなく投げた事もある」

「何と戦ってんだよ隣は……」

「あれは底がしれん」


 そんなやり取りを聞きながら、ベルフェゴールは深いため息を吐き。明らかに落胆する。


「そうか、願いは……叶わぬか……」


 長く伸ばしっぱなしの髪の毛や、服のかさばり具合で実際よりも大きく見える体が途端小さく見え、哀愁を漂わせる。今を逃せばもう一生会えない。例え悪魔であっても、愛する者に、一度も愛も告げれずに死ぬというのは、人と同じく、辛くて悲しい事なのだと彼は知り、胸がギュと痛くなった。


「大丈夫! 俺が絶対会わせるから!」

「なんと!」


 パッと表情を変えるベルフェゴール。

 ついさっき会った間柄だが、アスターは放っておけなかった。


「忠告はしたぞ」

「えっ、ちょっ!」


 リドはそう言ってきびすを返す。あまりにあっさり部屋を出ていこうとしたので、アスターは慌てて引き止めた。


「い、一緒に来てくれないのか!?」

「行く理由が無い」

「せめて柵越えだけでも手伝ってくれよ!」

「同じことを何度も言わせるな」

「ぐぬぬぬ……」

(くっそー……はっ!)


 アスターは思いついた。

 それが卑怯な事だと分かっていながら、わざとうつむいて、ぼやいてみせる。


「俺の身に何かあれば、きっとステラが泣くな」

「……」


 この一言で扉を引くリドの手と足が止まった。

 反応を伺うように言葉を探り、アスターは一気に畳み掛ける。


「そして自分を責めるんだ、あの時無理をしてでも泊まっていれば良かったと」

「……何をしている。早く行って済ませるぞ」

(チョロいな……)


 本当に分かりやすい奴だと、アスターは思った。




***

 ベルフェゴールが消えるまで残り一時間半。

 えらく昔の物で正確では無いかもしれないという、曖昧な見取り図で作戦を立てた後、魔道士協会を後にし、一行は修道院の裏手側へとやってきた。


 修道院はやはり要塞そのものだった。

 外側は底の見えない掘で囲まれ、それに沿って鋭く尖った槍型の電気柵が構えている。不用意に近づこうものならば、感知センサーが反応し、ブザーを鳴らした後、等間隔に設置された監視カメラがその姿を捉え、画面の向こう側に鮮明な映像をリアルタイムで配信するのだという。何重にも敷かれたトラップは、音もなく静かに威圧し、まるで諦めろと語りかけているかのようだ。


「正門には警備員が常駐しているが、こんな非常識極まりない時間に行けば、容赦なく追い返されるだろう」

「正直に話した所で……か」

「そうだ」


 ただし、上から行けば話は別だとリドは空を見上げた。

 作戦はこうだ。今、アスターは相手の神経を逆撫でしないよう、入院着のままである。そしてリドもいつもの制服姿で丸腰の状態だ。


 けれどリドは魔道士。魔具が無くとも魔法が使えるので、感知センサーの届かない場所で足場を作り、それを敷地に向かって伸ばす。侵入した後は、聖女を連れて柵越しに、ベルフェゴールと引き合わせるという流れである。


「寒ぃ……」

「我慢しろ」


 リドは早速行動に移した。

 元々寒い時期ではあるが、足場となる氷から放たれる冷気と外気がぶつかり合い、白い靄がアスターの鼻や口から容赦なく入る。寒さと共に息苦しさを感じさせた。


「それに触れようと思うなよ?」

「わ、分かってるよ」


 使い手であるリドは、自身が生み出す氷に触れても平気だが、アスターはヘタをすれば氷漬けだ。だから今は、リドが敷いた白いハンカチを足元に、狭い領域内でバランスを崩さぬよう膝をついて屈んでいた。


「よし……」


 今のところ計画は順調だ。

 柵も乗り越え、やっと敷地内の芝生に足を付ける……彼がそう安堵した瞬間。


 パンっという乾いた音の後、つま先に程近い土と一緒に芝の一部が吹き飛んだ。針のように細い芝が、土と共に目の前を舞う。


「走れ!」


 頭で理解するよりも早く、彼の両足は動き、芝を蹴る。

 敷地内は建物の至る所に付けられた照明によって、あっという間に昼間のように明るく照らされた。そして間髪入れず、先ほどとは別の発砲音が鼓膜を震わせた。


「リドッ!」

「振り向くな! 行け!」


 まるで映画のワンシーンのように、リドがそう叫んだと同時に、リドは足に追撃を受け、そのままドサリと倒れ込んだ。


「リド――っ!!」

(アイツ! 超弱ぇ――!!)


 昼間に見た素晴らしい立ち回りはどこへやら、いくら国家魔道士でも、近代火器には敵わないのか。アスターの脳に残念な記憶が刻まれた瞬間である。

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