第18話:ミルクの味は、鉄の味

「室長が、あの子を連れ出してくれて良かったわ」

「はい……」

「この先は、あまり聞かせたくないものね」


 診察室に残ったステラとルドラは、術式検査を終えてからというもの、表情を曇らせたままだった。


「あのおびただしい程の術式……」

「……」


 アスターの体には、何重にも通常では考えられない量の術式が施されていた。


「ステラちゃん。古代語の術式、読めたわよね?」

「はい」

「じゃあ、あの術式がどういうたぐいのものか、分かるわね?」


 ステラは短く返事をして、唇を噛む。彼に施されていた術式は、不完全な物から高位の物まで様々だった。それも、どれも人に施すには悪質な物ばかり。


「まるで、試すだけ試したって感じ……」

「はい……」


 人権なんて微塵も感じられない、非人道的な術式の痕。術式を施すという事は、肉を焼き、鋭利なナイフで皮膚をえぐるのと同等の苦痛を伴う。いっそ死んでしまいたいと思うような、耐え難い痛みである事を、彼女ステラ・メイセンは知っていた。


「……」


 思い出しただけで胃液がこみ上げ、嗚咽し、身震いさえしてしまう。忘れたくても忘れられない彼女の記憶。


「……大丈夫?」

「……はい」


 心配するルドラの声に、ステラは肩をビクつかせ、深く息を吸う。


「でも、これでハッキリしました。やっぱり記憶、弄られたんですね」

「そうね……でも何か変じゃない? 話を聞く限り、こっちに来た記憶と名前くらいなんでしょう? 何で“名前”に拘ってるのかしら……」

「確かに……記憶の消去、改ざんをするにあたって。不都合な事を知られてしまった。だからその部分を消したという事であれば説明は付きます。ですが、アスターさんは名前を……それも誰かに呼ばれた記憶や、何かに書き記した記憶までも綺麗さっぱり抜かれている。これって凄く不自然ですよね」


 そもそも、そこまで部分的に弄る事が可能なのか。二人は口を揃えて頭を捻る。

 記憶に関する術というのは実に曖昧で、範囲を指定する事は難しいと言われている。少しだけと思っても、五年、十年という膨大な量になってしまったり。逆に一分程度であったり、振り幅が広いのが難点なのだ。


「それにしても、まったく。どこの魔道士だか魔術師か知らないけどあんな……ステラちゃんごめんなさい。ここまで術式を重ねられると、解析にも時間が掛かるし、解術となると、私でもちょっと難しいかも」

「そう、ですか……」


 気落ちするステラに、ルドラは何か分かればすぐに連絡すると伝え、今は彼の体が幼児化していく問題をどうにかする方が先決だと、言葉を続けた。


 ルドラは暫くカルテを眺め、思考する。

 アスターの体に施された膨大な術式。その発動痕の中に、体を幼児化させるような類の術は見受けられなかった。次にライネックが人に寄生したという、にわかに信じがたい事実だ。そしてその際、ステラが彼に“魔力供給している”という事を、様々な検査結果を踏まえ、線で結んでいく。


「ただの魔力マナ不足からくるものかしら?」

「私も最初はそう思いました。でも……」


 異種族や魔道士の中には、稀に魔力不足で容姿に変化が起こる体質の者がいる。その主たる要因としては、足りなくなった魔力を補おうと体が勝手に判断し、生命力オドを魔力に変換してしまうから起こるものである。


「“早すぎる”って思ったんでしょ?」

「はい……」

「でも見てよ、ほらここ。あの子の魔力濃度と生命力の数値、凄く低いでしょう? 彼の平均数値が“どの辺り”かは分からないけど。いくら赤ちゃんだからって、この生命力の無さは異常じゃない? それにあの子は貴女から魔力供給受けて、そう日が経ってないのよね? それにしては魔力濃度も数値が低すぎると思うの」

「じゃあ」


 彼は何故ああなっているのかと、ステラはルドラを見る。


「私の見解としては、単純に彼、自分の力を制御できてないだけじゃないかしら」

「え?」

「いるのよねぇ、たまに、そういう不器用な子」


 その言葉を聞き、明らかにホッとした彼女の額を、ルドラは軽く指でつつく。


「――そ・ん・な・こ・と・よ・り♪」

「ふぇ??」


 不敵な笑みを浮かべ、自分の肩を抱くルドラにステラは戸惑った。


「わ・た・し・は、貴女があの子にどうやって魔力供給したのか。そっちの方が気になるなぁ~♪」


 その言葉に、ステラの顔が一気に赤く染まる。


「ななな、なっ!」

「やっぱり口から? ま、その方が早いし、確実だもんねぇ~」

「――っ!」

「でも貴女、初めてファーストキスだったんじゃない? どうだった? 優しくしてくれた?」

「あ、あれはそんなんじゃっ! もう! か、からかわないでください!」


 口を尖らせ、プイとそっぽを向くステラに、ルドラは一層肩を揺らしケタケタ笑った。


「いいじゃないもう。そういう事なら、この際またやっちゃえば。相手が貴女なら、あの子も嫌がらないでしょうに」

「だからそんな事じゃ……。それに前は良くても、次はダメかもしれないじゃないですか。もし、もしもアスターさんの身に何かあったら……。それに術式に変な影響を与えでもしたら私は……」


 徐々に取り乱していくステラの頭を、今度はルドラが優しく撫でる。その話題を振ったのは意地悪だったなと反省しながら。それならばと、おもむろに机の引き出しを開け、フリーザーバッグを取り出した。


「それは……?」 

「こんな時は~。じゃじゃーん、新作でぇす♪」


 フリーザーバッグには、個別包装された飴が入っていた。外装にはマーカーで『忙しい貴方に即チャージ! ~生命力補強ドロップ~』と記されている。


 実はこの男、ルドラ・ヴィンヤードは、呪術医であると同時に、セントラルでも一二を争う大手製薬会社ヴィンヤード社の社長令息でもある。諸事情により現在は家を出た身ではあるが、この第二医務室に勤務する傍ら、怪しげな薬を作っては人で試そうとする、はた迷惑な趣味を持っている。そのため協会職員は怪我をしても、この第二医務室に近付こうとしないのが難点だ。

 

「自分でも試してみたけど……質だけは保証するわ。うん。質だけはね」

(味は……美味しくなかったんですね……)


 ルドラのその言動から察したステラは、苦笑しながら礼をした。


「まっ根本的な解決になってないけど」

「そう、ですね」


 これを与えても、本人がどうにかできなければ同じことだ。だが本当にそれだけなのか。前例が無い分、事は慎重に動かなければならないのではないか。二人の表情はやはり浮かないままである。


「とりあえず、術式についての解析作業はこっちで進めておくから、この件は暫く様子を見ましょ。あ、この事は室長に報告するわよね? もし貴女が言いにくいなら、後でこっちに来てくれれば、一緒に話してあげるけど」

「ありがとうございます。では後ほど……すみません、よろしくお願いします」

「はいはーい。――あ、でも、本人への報告はお任せするわね」

「はい……」


 けれど彼女が彼にそれを言えるわけがなかった。

 誰よりも、その痛みが分かる彼女だから……。


 



***


 先ほどの部屋へ連れ戻された俺は、黒服の少女達に囲まれていた。


ぶえぇまずい……」


 屈辱ながらも哺乳瓶からミルクを貰い、俺はその鉄臭さに嗚咽混じりに涙する。


「ちょっ! 吐いてる! 吐いてる!」

「うーん。お気に召さなかったかなぁ」


 嫌がる俺に、先ほどから無理やり哺乳瓶を突っ込んでくるこのパーカー娘は、メリッサと言う名の少女だ。はちみつ色のツインテールにパッチリ開いた柿色のツリ目。これがツンとしてデレたらもう、典型的なそれだった。しかしなんというか扱いが雑。ただ抱かれているだけなのに酔いそうになるってどういうことだ。


「ね、ねぇリサ。それ早く拭かないとシミになっちゃうかも……」

「えっ!? ちょっパスパス!」

「ぶえぇ……」

「こらこら、人を物みたいに扱わない!」


 スターチスさんに軽く怒られながら、次に俺を受け取ったのは、クロエという人物だ。歳は二十歳前後だろうか、肩まである深い緑色の髪に、赤いラインの黄色いリボンを後ろに付け、細いフレームの丸眼鏡を掛けている。ずっとおどおど、内気な性格と反比例して、凄く……胸がデカイ。


「うう……うまく抱っこ出来無い……」


 そう、多分抱き方の問題だろうが、胸が大きすぎて収まりが悪い。もっと下で抱けばいいのだろうが、俺は元々大人、別の問題が起きてしまうので、訴えられる前に離して欲しいと切に願った。


「わわっ!」

「危なっ!」


 ばいーんと思いっきり弾かれた俺はバランスを崩し、メリッサが叫んだ。

 しかしその危機に素早く動いたのは、意外なことにリドだった。頭から落ちそうになった俺を受け止め、リドはくるりと抱き直す。その仕草は手馴れていて、スターチスさんの次に安心出来た。


「いくら姿が赤ん坊とは言え、流石にミルクは嫌なんじゃないか……?」


 その通り、よく分かってるじゃないか。


「まぁそうだよねぇ。でも脱水症になっても困るし……」

あうそうあうそう!」


 俺は全力で肯定し、主張する。

 大体、プライドの問題以前に、滅茶苦茶鉄の味がするし、粉っぽくて飲めたもんじゃないんだ。


「当たりみたいね」

「そ、そうだね。すごい必死……」


 俺の必死の主張は通じたらしく、リドは俺を抱えたまま、ソファに立てかけていた自分の鞄から何かを取り出した。


「流動食ならいけるんじゃ……?」


 そういって手にしたものはゼリー飲料だった。

 しかもリンゴ味で美味そうだ。


あうあそれだ! あううぁあーそれを早く俺に!」

「凄い喜びっぷりだわ」

「ほ、本当……ね」


 渡されたゼリー飲料は常温だったが。中身は十分砕かれており乳児の俺でも飲みやすく、最高だった。

 

「でもそれだと栄養足りなくならない?」

「まぁ補助食品だから、主食にはならないだろうねぇ」


 このツインテは何てこと言い出すんだ。

 やめてくれ、俺からこれを取り上げないでくれ。と拒否してみたが、それを聞いたリドは少し考え、答えを出した。


「じゃぁ……混合で」

「!?」


 まだ数口分しか飲んでいないゼリー飲料を、リドはスっと取り上げテーブルに置くと、問答無用で哺乳瓶を近づけた。


「ほぎゃああああああああああ!!」


 天国から地獄へ落とされた気分だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!