黒犬の円舞曲 -②-「ミルクは○○の味」

「彼を、室長が連れ出してくれて良かったわ」

「えぇ……」

「この先は……あまり聞かせたくないものね」


 診察室に残ったステラとルドラは、術式検査を終えてからというもの、表情を曇らせたままだった。


「あのおびただしい程の術式……」

「……」


 アスターの体には何重にも、通常では考えられない量の術式が施されていた。


「ステラちゃん。術式は勿論読めるわよね」

「はい」

「じゃぁ、あの術式がどういうたぐいのものか、分かるわね?」


 ステラは短く返事をして、唇を噛む。彼に施されていた術式は、不完全な物から、高位の物まで様々だった。それも、人に施すには随分と悪質な……


「まるで、試すだけ試したって感じ……」

「はい……」


 人権なんて微塵も感じられない、非人道的な術式の痕。術式を施すという事は、肉を焼き、ナイフでえぐられているのかと錯覚する程の苦痛を伴う。いっそ死んでしまいたいと思うような、耐え難い痛みである事を彼女は、ステラ・メイセンは知っていた。


「……」


 思い出しただけで、喉の奥を何かが込上がり。身震いさえしてしまう。忘れたくても忘れられない彼女の記憶。


「大丈夫?」

「……はい……」


 心配するルドラの声に、ステラは肩をビクつかせ、深く息を吸う。


「でも、これでハッキリしました。やっぱり記憶、弄られたんですね」

「そうね。でも、話を聞く限り名前だけって話しだったけど……何か変じゃない? こっちに来た記憶と名前……何で”名前”に拘ってるのかしら?」

「確かに……記憶の消去、改ざんをするにあたって。不都合な事を知られてしまったので、その部分を消したという事であれば説明は付きますが。ですが、アスターさんは、名前も……それも誰かに呼ばれた記憶や、何かに書き記した記憶までも綺麗さっぱり。というのは不自然過ぎですよね」


 そもそも、そんな部分的に弄る事が可能なのか。二人は口を揃えて頭を捻る。

 記憶に関する術というのは実に曖昧で、範囲を指定する事は難しいと言われている。少しだけと思っても、五年、十年という膨大な量になってしまったり。逆に一分程度であったり振れ幅が広いのが難点なのだ。


「それにしても、まったく、どこの魔道士だか魔術師か知らないけどあんな……ステラちゃんごめんなさい。ここまで術式を重ねられると、解析にも時間が掛かるし、解術となると私でも……ちょっと難しいわ」

「そう……ですか」

「でも、何個か術が発動してたから、早いとこ何とかしないと……」


 ルドラは考えを巡らせる。

 彼に施された膨大な術式が、ステラから大量の魔力マナを注がれた事でバランスを崩した。そして……彼の中に残っていたステラの魔力をじわじわと喰らい続けたが、それも底をついてしまい彼の生命力オドにまでその触手を伸ばし始めた。そして……肉体の幼児化という目に見える変化が現れた。


「魔力不足で見た目が変わるのは、まぁ、割と聞く話しだし」

「そんな……私の、せい……?」

「いやいや、全部憶測だから。ね? えーと。ほら、ライネックに全部搾り取られてミイラになるより全然いいじゃない! それに早い段階で彼に封印具を渡した貴女の判断は正しかったんだし。もうほら、元気出して、ね!」


 ステラが彼に渡した”お守り”こと封印具。

 それは、ある程度の術を跳ね除ける力と、装着者に掛けられた術の進行を抑える効果のある魔具だった。


「それにほら、不足している分はまた補えばいいって事だし、当分それで乗り切るしかないんじゃない?」

「――っ!?」


 ニマニマと締りのない顔で、簡単に言ってのけるルドラに、ステラの顔が一気に赤くなった。

 

「相手が貴女なら、あの子も嫌がらないでしょ」

「そんな事じゃ……それに、前は良くても、次はダメかもしれないし。もし、その術式に変な影響を与えでもしたら……」


 ルドラは、中々煮え切らないステラの頭を撫で。それならばと、おもむろに机の引き出しを開け、フリーザーバッグを取り出した。


「それは……?」 

「新作♪」


 フリーザーバッグには、個別包装された飴が入っており。外装にはマーカーで『忙しい貴方に即チャージ! ~生命力補強ドロップ~』と記されていた。


 実はこの男、ルドラ・ヴィンヤードは、セントラルでも一二を争う大手製薬会社ヴィンヤード社の社長令息で。怪しげな薬を作っては人で試そうとする、はた迷惑な趣味を持っている。その為、協会職員が怪我をしてもこの第二医務室に近付こうとしないのが難点だ。

 

「自分でも試してみたけど……質だけは保証するわ」

(味は……美味しくなかったんですね……)


 ルドラのその言動から察したステラは、苦笑しながら礼をする。


「ま、根本的な解決になってないけど」

「そう、ですね」


 それを与えても、いずれまた喰い尽くす。その術をどうにかしないと、その循環は止まらないだろう。だが、本当にそれだけなのか。前例が無い分、事は慎重に動かなければならないのではないか。


「とりあえず、解析作業はこっちで進めておくから、暫く様子を見ましょ。あ、この事、室長に報告するわよね? もし、貴女が言いにくいなら、後でこっちに来てくれれば、一緒に話してあげるけど」

「ありがとうございます。では後ほど……すみません、よろしくお願いします」

「はいはーい――あ、でも、本人への報告はお任せするわね」

「はい……」


 けれど彼女が彼にそれを言えるわけがなかった。

 誰よりも、その痛みが分かる彼女だから……


 



【魔道士協会二階・星の間】

 先ほどの部屋へ連れ戻された俺は、黒服の少女達に囲まれていた。


ぶえぇまずい……」


 屈辱ながらも哺乳瓶からミルクを貰い、俺はその鉄臭さに嗚咽混じりに涙する。


「ちょっ! 吐いてる! 吐いてる!」

「うーん。お気に召さなかったかなぁ」


 嫌がる俺に先ほどから無理やり哺乳瓶を突っ込んでくるこのパーカー娘は、メリッサと言う名の少女。はちみつ色のツインテールにパッチリ開いた柿色のツリ目。これがツンとしてデレたらもう、典型的なそれだった。しかしなんというか扱いが雑。ただ抱かれているだけなのに酔いそうになるってどういうことだ。


「ね、ねぇリサ。それ早く拭かないとシミになっちゃうかも……」

「えっ!? ちょっパスパス!」

「ぶえぇ……」

「こらこら、人を物みたいに扱わない!」


 スターチスさんに軽く怒られながら、次に俺を受け取ったのは、クロエという人物だった。歳は二十歳前後だろうか。肩まである深い緑色の髪に、赤いラインの黄色いリボンを後ろに付け、細いフレームの丸眼鏡を掛けている。


 ずっとおどおど、内気な性格とは対照的な胸の大きさについつい目が行ってしまう。そんな人だ。


「うう……うまく抱っこ出来無い……」


 そう、多分抱き方の問題だろうが、胸が大きすぎて収まりが悪い。もっと下で抱けばいいのだろうが、俺は元々大人、別の問題が起きてしまうので、訴えられる前に離して欲しいと切に願った。


「わわっ!」

「危なっ!」


 ばいーんと思いっきり弾かれた俺はバランスを崩し、メリッサが叫んだ。

 しかし、その危機に素早く動いたのは、意外なことにリドだった。頭から落ちそうになった俺を受け止め、リドは抱き直す。その仕草は手馴れていて、スターチスさんの次に安心出来た。


「いくら姿が赤ん坊とは言え、流石にミルクは嫌なんじゃないか……?」


 その通り。

 よく分かってるじゃないか。


「まぁ、そうだよねぇ。でも脱水症になっても困るし……」

あうそうあうそう!」


 俺は全力で肯定し、主張する。

 大体、プライドの問題以前に、滅茶苦茶鉄の味がして、粉っぽくて飲めたもんじゃないんだ。


「当たりみたいね」

「そ……そうだね。すごい必死……」


 俺の必死の主張は通じたらしく、リドは俺を抱えたまま、ソファに立てかけていた自分の鞄から何かを取り出した。


「流動食なら食えるんじゃ……?」


 そういって手にしたものはゼリー飲料だった。

 しかもリンゴ味で美味そうだ。


あうあそれだ! あううぁあーそれを早く俺に!」

「凄い喜びっぷりだわ」

「ほ、本当……ね」


 渡されたゼリー飲料は常温だったが。中身は十分砕かれており乳児の俺でも飲みやすく、最高だった。

 

「でも、それだと栄養足りなくならない?」

「まぁ補助食品だから、主食にはならないだろうねぇ」


 このツインテは何てこと言い出すんだ。

 やめてくれ、俺からこれを取り上げないでくれ。と願うが、それを聞いたリドは少し考え、答えを出した。


「じゃぁ……混合で」

「!?」


 まだ数口分しか飲んでいないゼリー飲料を、リドはスっと取り上げテーブルに置くと、俺に哺乳瓶を近づけた。


「ほぎゃああああああああああ!!!」


 天国から地獄へ落とされた気分だった。

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