あぁ無情 -②-「未知の鉱石ライネック」

 それは左手から顔面に向かって、硬く冷たい黒い鱗のようなものが、キシキシ音を立て……葉や枝を伸ばすようにじわじわ広がっていった。

 多分、訳がわから無さ過ぎて混乱していたんだと思う。俺はそれを怖いとも何とも思わず、ただその光景を眺めていた。


「目を瞑って下さい! 早く!」


 その声に、ハッと我に返る。

 眼球に刺さる寸前。閉じた瞼の上を結晶が覆っていき、俺の瞳は守られた。それには少女もホッとしたようで、吐息を大きく漏らし、続けざまにつぶやいた。


「ちょっと……失礼しますね」


 視界を奪われた今。少女の言うそれが何の断りか分からなかった。けれど、胸の奥に鈍い痛みが走ったと同時に、鱗に覆われていた口元に、ほのかな温もりを感じたような気がした。


「…………」


 流れる沈黙。

 風が葉を揺らす音や、布だろうか? 何かが擦れる音は聞こえるが、少女の声は聞こえない。何かあったのだろうかと一抹の不安が過ったその時、口元に冷たい風が触れ、少女の澄んだ声が辺りに響いた。


「常世の闇に眠りし者よ。け、我が声を、従え、我が声に」


 右耳はまだ無事だったので、ソレを聞き取ることは出来た。だがその言葉の意味は分からない。まるで何かに言い聞かせているような言葉で、体を覆う鱗がざわめき、徐々に熱を帯びていく。

 少女はスっと息を吸い、語勢を強めた。


「彼の者を蝕む敵を喰らえ! 赤き亡霊、ファントムレディ!」


 直後、ガラスが割れるような音が肌を伝い。皮膚を剥がされるような強烈な痛みが全身を駆け抜けた。


「あああああああ!!」


 痛みに耐え切れず、絶叫したまでは覚えている――





***


 次に目が覚めた時、日はとうに暮れ、辺りは闇に包まれていた。


「気がつきました?」


 その声の方向に顔を向けると、先程の少女が座っていて。胸元に着けられた、大きな逆十字の装飾具に焚き火の炎がゆらゆら反射して揺れていた。


「――へっぷし!」


 昼間の生暖かい空気とは違い、すっかり冷やされた風は体に堪えた。そうだった。俺はこの薄い布一枚しか持っていなかったのだ。


「あの、ずっと気になっていたのですが。どうしてそんな格好でこんな所に?」


 もっともな事を聞かれたので、目が覚めたらあの状態だった事を笑って話す。

 それにしても長い夢だとも。


「あの。すみません、私も起きていますので、これは紛うことなき現実だと思うのですが……」

「え?」


 頭を殴られたようだった。

 言われなくとも、あの痛みも。全てがリアルだった。けれど同時に非現実的であったから、そうでは無いと。これは現実では無いのだと、俺は思うようにしていたのだ。


「あの……」


 俺が押し黙っていると、少女は真剣な面持ちで事の経緯を話してくれた。


「この辺りのスライムが最近汚染されていると依頼を受けたので、浄化しに来たのですが、普通のスライムだとばかり思っていて」


 今思えばそれが思い違いだったと唇を噛む。


「あの時のスライムは明らかに異常でした。それを、調べもせずに私が術を放った事で、いつの間にか貴方にライネックが移ってしまっていたみたいで……」

「す、すまん、何言ってるのか全然分からないんだが」


 ライネックとは何なのかと訊くと、寄生型の未知なる鉱石と彼女は答えた。


「ですが、ライネックが人に寄生した事例はまだありません。それで……その、頭が真っ白になってしまって」


 少女の抱える膝に、ポタリと涙が零れた。

 しかし、どうであれ俺は助かっているんだ。気に病む事は無いと少女を励まし笑って見せると、すまなそうな顔をして彼女は続ける。


「ライネックは宿主の魔力マナ生命力オドを奪います」

「え?」

「貴方からは、その、魔力をあまり感じませんでしたので。ライネックをどうこうする前に魔力をく……えと、貴方に移さなければ、手遅れになると思って。それで、あの。つまり……ごめんなさい、痛い思いをさせましたね」


 時折言葉を詰まらせる少女に、少し違和感を覚えたが。俺は前向きに考える事にした。これって異世界転移って奴じゃないか? と。そう考えると何か吹っ切れるというか。物語の主人公になった気分でなんだかわくわくしてしまう。


 そしてこの子は魔法少女という奴だろう。

 右側だけ長く垂れ流した横髪に桃色の髪。白い大きな帽子には、逆十字の装飾具が一つ着いている。歳は十五そこいらだろうか。色々小さく、未発達な体をまじまじ見ていると少女はまた困ったような顔をした。


「え……と。あの?」


 しまった、見すぎた。

 つい気まずくて顔を背けていると、少女は唐突に名乗った。


「私は魔道士協会所属。ステラ・メイセンと申します」 

「ま、魔道士協会!?」

「えぇ」


 何か不都合が? といった反応だったので。まず、ここはどんな国で、今何処にいるのかを彼女に尋ねた。


「――なるほど」


 聞いた話を要約すると、ここはソーンという国の王都から西に位置する小さな森で。彼女は、先程のスライムを浄化するために派遣された魔道士だという事だった。


「そろそろ貴方の名前を伺ってもいいですか?」


 無垢な笑顔で俺の名前を尋ねる彼女。

 でも、俺はそれに答える事が出来なかった。


「なん……で?」


 きっとまだ混乱しているのだ。

 じゃないとおかしい。


――名前が思い出せないなんて――


 名前は勿論。あれだけ自分で考えたペンネームさえも何故か思い出せない。何かに書き記した記憶も。誰かに呼ばれた記憶さえ……最初から無かったかのように、すっぽり抜け落ちている。


「あ……え?」


 不安は恐怖に変わり、心臓は早鐘を打ち……自分の意志とは関係なく涙が止めど無く流れ出る。


「あっあの……大丈夫ですか?」


 そんな俺の、頬を流れる涙を手で拭い、彼女は震える手を握ってくれた。


「ごめ、なんか……自分でもよく分からなくて。だって……おかしいだろ? 名前が……名前だけが思い出せないなんて」


 思い出はあるんだ。でも、名前が無い。

 自分でも、それが凄く怖いのだ。涙と汗が混じり合い、ポタリポタリと地面に染みる。そして少しの沈黙が流れた後、彼女は言った。


「じゃぁ付けましょう」

「へぁ?」


 情けない声を出してしまった。

 けれど彼女はにこやかに続ける。 


「名前ですよ。無いと呼べないじゃないですか」


 まるで、光が差し込んだように衝撃的で……救いの言葉のようだった。さて何にしようかと彼女が悩み、不意に空を見上げたので、俺も釣られて上を向く。


「凄ぇ……」


 見上げた空はとても幻想的だった。

 星はこんなにも力強く輝きを放つものだったか。幾千光年先から瞳に差し込むソレは、目眩がする程煌々と光り輝き、親子の様に寄り添う二つの月が、優しい光りで森を、俺達を照らしていた。


「綺麗だな……」

「えぇ」


 暫く星を眺め。火にくべた枝がパチンと弾けた時。彼女はその名を呟いた。


「アスター」

「え?」

「私と同じ、星という意味を持つ名前なのですが。この名前はどうでしょう?」 


 あどけない少女の顔は月に照らされ、一瞬だけ大人びて見えた。


「アスター……」


 この、唐突に付けられた名前が日本人要素ゼロなのに、それしか無い位しっくりきて。嬉しさのあまり、また目尻に涙が溜まる。

 あぁ誤魔化さなければとこらえていると、こちらを不安げに覗くステラと目が合い、首を傾げた姿が何故かおかしくて、ブククッと息が漏れた。


「駄目……ですか?」

「いや、逆だ。凄く気に入ったよ。本当の名前を思い出すまで、ありがたく使わせて貰うよ」


 急に笑い出した俺を彼女は不思議に思うだろう。

 ステラは知らない。心も体も。俺がどんなに救われたかを。

 この、よく分からない世界で、最初に出会ったのが彼女で良かった。


「ありがとう……」

「え? あ、はい。どういたしまして?」


 俺の中の恐怖は完全に消え。

 心は温かな感情で満たされていた。

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