第06話:そういうのいいから

 荷物もあり、今日は仕事も休みだというので、今日はそのまま彼女の家に向かう事になった。バスで二十分、さらにそこから歩いて七分弱。セントラル郊外の住宅地にあるという彼女の家は、庭も家の中も沢山の緑で溢れかえっていた。


「お、お邪魔します」


 土足で上がる事に躊躇しつつ、そろりそろりと足を踏み入れる。

 玄関に入ってすぐ左に緑色の扉が一つ。そしてその奥に階段が見えた。突き当たりにも緑色の扉があって、手前は扉が無い。どうやらそこはリビングのようだ。


「ミスター? いるー?」


 ステラはリビングに入るなり、そう呼びかけた。でも返事はない。どうやらその人物は留守にしているようだ。しかし、“ミスター”……もしかして友達とは男なのだろうか?


 そんな疑問が浮かびつつ、俺も彼女のあとに続いた。暖炉のある縦長のリビングの奥は、ダイニングキッチンだろうか、煉瓦で縁どられた段差でリビングとなんとなく分けられており、壁や棚と一体になった木製のダイニングテーブルやキッチン脇の煙突の付いたレトロなコンロが印象的だった。


 なんというか、そこかしこに置かれた観葉植物と、木と土壁が温もりを感じさせる良い家なのだが……少し違和感があった。でもこの違和感が何なのか分からず、俺は言われるがまま、レンガタイルの段差を昇り、椅子に腰掛ける。


 しかし一息つく前に、別の違和感を視界の端で捉えてしまった。ダイニングテーブルの壁側に、白いミニチュアハウスがあったのだ。

 そのミニチュアは白壁が映える柿色の屋根と四角い窓があり、木製の小さなドアの上に、黒文字でMrと書かれていた。


「ミスター……?」


 それに気を取られていると、ステラは細長い洒落たヤカンに水を入れ、コンロにくべた。けれど火を付けるわけじゃなく、下の扉を開け、中に向かって話しかけるだけだった。それで何故火が付くのか疑問だったが。驚いたことに、そこに火の精霊が常駐しているのだという。


 そこにいると思うと、見たくて見たくて堪らない気持ちでいっぱいになるが、そんな子供みたいな事も出来無いので、いつか見られるだろうと、早る気持ちを鎮めて平静を装う。


「そうだ。お湯が沸くまで魔術の練習してみましょうか」

「おー」

「ではちゃちゃっとやっちゃいましょう。風と水。どちらにしますか?」

「んーじゃあ。水で」

「はーい。えーと紙……紙……」


 包装を解き、中身を取り出す。

 その間、彼女はキッチン横の棚から、少し大きめのメモ台紙とペンを持ってきて、何やら紙に書き出した。綺麗な円に、見たことのない文字。そして八芒星の模様が真ん中に大きく描かれていく。


「それは何語なんだ?」

「古代語ですね」


 どうやら彼女が普段使っている魔術は、古いタイプのものらしい。古代語……古代語か。


「覚えてしまえば簡単ですよ」

「覚えるまでが大変って事はないか?」


 その問いに彼女は何も言わず、にっこり笑って返した。

 なるほど、理解した。


「ではそのまま陣の上に指を置いて、魔具を右手に握ってくださいな」

「ん」

「呪文は……そうですね。清らかなる水の精霊よ、枯れ地を潤す雫となれ。と唱えてみてください」

「な、なんて?」

「……書きますね」

「スミマセン」


 その後、紙に書かれた呪文を唱えてみたが、何も起こらなかった。何度も何度も。指からは水じゃなく汗が出て、紙だけを無意味にふやかしていく。


「出ねぇ……」

「うーん。では感じを掴むために、少しお手伝いしましょうか」


 そう言うと、彼女は俺の右手に手を添えた。仄かに伝わる手の温もりと柔らかい肌の感触。それに気を取られていると、


「目を瞑って」


 至近距離で呟く声が、直接頭に伝わった。気が付けば、彼女はテーブルに身を乗り出していて、俺の額に自分の額を密着させていた。


「ではいきますね」


 恥ずかしさで熱を上げる俺をほっといて、ステラはそのまま目を瞑り、手は指先に向かい、ゆっくりとなぞられていく。


「心臓から腕。腕から手の平、そして指の先へ、流れる水をイメージして……」

「う……」


 集中出来る訳が無く、注意力散漫で恥ずかしさの余り言葉を失っていると、彼女がふと顔を上げた。同時に当たる鼻先とぶつかり合う吐息。彼女が互いの距離を自覚した頃、ケトルの口から勢いよく漏れ出たお湯が、ジュっとコンロを濡らしてそのまま蒸発していった。


「もう湧いてたんですね。忘れてました。お茶にしましょうか」

「お、おう」


 そのまま炊事場に立つステラを見ながら、今だ手に残る温もりを確認する。


「……っ」


 熱が……取れない。



 そうこうしている内に準備は進み、振舞われた紅茶の香りを嗅ぐ。鼻の奥に熱気と共に柑橘系の香りが運ばれ一瞬慌てたが、体の熱も一緒に冷ますように、一息、また一息と紅茶に息を吹きかけ、口に含んだ。


「――お部屋の事なんですが」


 ようやく顔の火照りも収まった頃、部屋の話になった。二階の部屋は基本使っていないらしく、そこを使えとの事だ。その後、一息ついてバケツに水を汲み、雑巾と箒等を用意して二階へ上がった。

 まっすぐ伸びた廊下に、階段横のテラス。廊下に淡い光が差し込んで、空気中を舞う埃がキラキラと輝いている。


 二階にはドアが二つあった。俺が案内されたのは一番奥の部屋。位置的にリビングの上の部屋だろう。ドアを開けたと同時に、湿気って重くなった埃が床を転がり。カビ臭さが鼻を刺激した。


「夏に入る前に掃除したんですが。すみません……もう少し掃除しないとですね」

「だなぁ」


 会話しながら窓を開け。窓枠の薄く積もった埃を指ですくい、辺りを見渡す。ここは元々誰かの部屋だったのか、ベッドの骨組みとマットレスが、壁に立て掛けられていた。


「一応使えると思うんですが。うーん。一度干したいですね」 


 今から干したところでさほど意味が無いだろうが。物は試しと湿気ったマットレスをテラスに運んで干し、床を掃いては拭いてを繰り返し、徹底的に掃除した。元々物が少なかったので、部屋は割と早く片付いたのだが……。


「うーむ」

「駄目そうですね」

「だなぁ」


 マットレスを部屋に運び入れたが、匂いを嗅ぐと、やはりカビ臭さと湿気は取れていない。放置し過ぎたようで、買い替えが必要だと判断された。でも、わざわざ買い替え無くてもどうせ短期間しかいないのだから、一階のソファを使っていいのならそこで寝れると俺は言う。


「一応お客様ですし。夜は結構冷えますよ? そうだ。いっそコレを炙ってみるというのはどうでしょうか」


 炙る。何と恐ろしい言葉だろう。


「嫌な予感しかしないんだが」

「物は試しですよ」

「いやいやいや。絶対ヤバイって」


 魔法や魔術という物をよく知らない俺だから、こんなに不安になるのだろうか。


「ではいきますね」


 しかし俺の制止もむなしく、駄目元でもとりあえずやってみようと、それは強行された。ステラはマットレスの前にその身を構え、淡々と呪文を唱え始める。


『我を護りし精霊よ、聖なる炎で我が眼前の湿気りを枯らせ』


 唱え終わったと同時に、杖から放たれた光はマットレスに集中し、湿気は蒸気となって、ブワッと溢れ出た。


「――っ!」


 蒸気はすぐに弾けて消えて、純粋に凄いと思った。マットレスに火柱が上がり、燃え始め無ければ、今頃彼女に賞賛の言葉を送っていたと思う。


「「あ」」


 火柱は天井を焦がし、炎はすぐに燃え広がった。

 俺は無言で雑巾の汁で淀みまくったバケツの水を掛けた。焦げ臭くなった室内と、びしょ濡れのマットレスを目の前に、彼女がポツリと呟く。


「火属性の魔術の使い方を誤れば、こういう事になるという事をですね」

「そういうのいいから」


 こういう失敗例を見ると、やはり火は怖いなと実感する。貰ったのが水と風で良かった。本当にそう思えた。



 全ての始末を終えたのは、おやつ時をとうに過ぎた頃だった。

 昨日の睡眠不足も相まって、体は相当堪えたらしく、拭き終えたばかりの床にへたり込む。


「疲れた……」


 溜息と欠伸を連発する俺を見て、仮眠を取ってはどうかと提案されたので、俺はそれに飛びついた。


「ではこちらの部屋を使ってください」


 案内されたのは一階の、普段彼女が使っているという部屋だった。当然、彼女のベッドを借りる事になったが、抵抗する気力も無く、俺は素直に従う事にした。もうなんか、とにかく眠たくてしょうがなかったから、これは仕方がないのだと自分に言い聞かせた。


「アスターさんって、苦手な食べ物とかあったりします?」

「特に……無いかな……」

「分かりました。起きたらお夕飯にしましょうね」

「んー……」


 会話中、悪いと思いながら瞬きを二、三度したところで、意識は夢の中へ誘われていた。彼女もそれに気がついたのだろう。おやすみなさいと呟いて、そっと部屋を出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!