重厚な語り口により紡がれる、圧巻のひと作です。
ある男が救いを求めたのは、神や仏ではなく鬼であった――。
この心境に至るまでに、彼に積み重なったもののことを思うと、それもまたやむなしと言いたくもなりましょう。
一心不乱に鬼を求め、己が鬼となってもなお、鬼の像を掘ることを辞めぬ執念。
しかし、鬼の像は賽の河原のごとく、時に欠け、時に砕け、いつまでたっても完成しない。
それでもなおその度に直し掘り続ける様には、まさに鬼の如き狂気じみたものを感じさせます。
が、その一方で、現代に時が移り、件の民間伝承を調べに来たオカルトライターの語りもまた、表情が大きく変わって物語の多面性を引き出しており、陰鬱な伝承の話を軽妙なものへと変えて実に面白いです。
異なる時代や文化が混ざり合う瞬間というものは、読んでいて思わずニヤリとしてしまいますねえ。
そして、思わず「ああ、上手い!」と唸らされる。
鬼の紡いだ執念、そして現代までも語り継がれる伝承の妙、是非とも存分にご堪能ください。
人とは何か
それは人の理の中にある「思考」と「考慮」、そして「技(業)」の範疇にある
獣とは何か
それは自然と作られた「本能」と「感情」、そして「行動(テリトリー)」の範疇にある
では、神や鬼などの人成らざる者とは……
自然の規模が大きいモノ、災害や厄災は様々な神の象徴とされる
神という存在に近いのは、そんな自然の一部に身を置く「獣」か
それとも
思考と業(技)の超越された、洗練の先にあるのだろうか
どちらにしても
それは行動(業と結果)次第かもしれない
この物語の登場人物の全てが
どういった業を残すのか
無機物なる偶像か
有機物なる人造か
伝承される形と容は、何を意味するのだろう……
掘る。とは、それこそ輪郭を作っていき、命を生み出す事である。
その山の麓の村には、不可思議な伝承がある。
山から『空気を掘っている』音がするというのだ。
子供でもわかる。何もない所に、掘るものはない。
それでも人知れず、彼は常に鬼を掘っており、もはや鬼を掘ることが彼の人生となり、
いつしか彼が鬼になっていた……。
一見すれば、昔話に通じるような伝承。そのような物語にも見ることができるのですが、
別の見方もあると感じました。
それは、何かを「続ける」ということの意味についてだと思います。
例えば、……まあなんでもいいのですが、何か思いついて楽器を始めたとする。
思いつくのはいいが、なんとか形になるまで、一年と半年かかるのだそうです。
逆にいうと、一年と半年かければ、それなりにその世界に近づけるということですが、
それこそ、見えない輪郭をなぞるような作業です。
才能があるのは半年で「名人・上手」の域に達してしまうのもいるそうですが、大概の人間がそこにいくにはとにかく「続ける」しかない。
それは何年だ。十年か、幾十年か。
そしてそれを続けているうちに、楽器を持つことがその人の生活になったら、いつしか彼はこう呼ばれるのでしょうな。「鬼」と。
続けることに、本人にとって意味はない。いや、確かに意味はあるのだが……
それによってもたらすことは、周りの……それこそ、山頂から麓まで距離が離れた人間に、何か希望を与えることがあるのだ。
このような希望を、この物語からは感じました。
オドロオドロしくはありません。
淡々と、昔話を聞いている気分にりますが、
今何かを続けていて、苦しい目に遭う意味もわからず、それでもやめられない方の、
心に風を届けてくれるやもしれません。
ご一読を。
最初、この作品を読んだ時に、あまりにも一話目の完成度が高いので一話完結だと思ってしまいました笑
続きのページがあると気づいて、よく見たら4話構成なんですよね。
この方の作品の人気シリーズの最新作で、これだけ読んでも十分理解できるんですけど、シリーズ全部面白いのでおすすめします!
最初の作品は「話を聞かせて」だったと思います。「エッグノッグ」というタイトルの作品も同じシリーズですが、おすすめですよ(*'▽')
話が逸れましたが、こちらの作品は人物の背景も深く、読者も深く考えさせられる内容でありながら、古風な怪奇ホラーと現代のミステリーホラーが合わさったような作品です。
とても読みやすく、圧巻なのは一話目も四話目もオチが凄い。
ぜひ、四話目のオチまで読んでみて「完結」の素晴らしさを味わってください!
強い執念とか想いとか、その果てに「現実」を凌駕していく迫力が強烈でした。
第一話は、一人の男が「岩に鬼を彫る」姿が描き出されます。災厄から周囲を守るための「醜い鬼」を彫るという。
その執念の結果として、男自身が次第に鬼へと変貌していく。
この姿だけでも相当な迫力があり、「何かを創り出す」ということに己のすべてを賭け、肉体が変質してしまうほどまでに一つのことに没頭してしまう。そんな狂気とも祈りともとれる姿が強く読む者の心に響きます。
そして第二話となり、鬼の話は一個の伝説となり、現代でオカルト話のように紐解かれるように。そして現代に生きるライターが「鬼」となった彼と邂逅することにより、彼の中にある執念や強い想いの正体が紐解かれていくことに。
この感じは、手塚治虫の「火の鳥 鳳凰編」に登場する隻腕の仏師・我王の姿なども彷彿とさせられます。
どうしてそこまで一つのものに執着するのか。全てをなげうってまで注ぎ込もうとする「想い」の正体とはなんなのか
創作に賭ける強い想いが生まれた根底には、その人その人の中に「抑えがたい衝動や感情」があるのかもしれない。
仏や鬼を彫るだけでなく、小説や絵画や音楽。世の中のすべての創作に携わる人間には、多かれ少なかれ「注ぎ込まねばならない強い何か」が存在しているのかもしれない。本作を読んで、改めてそんなことも考えさせられました。
何かを本気で生み出すためになら、それ以外のすべてを捨てても構わない。人であることも捨てても構わない。
そんな強い想いには憧れすら抱かされることもある。でも、その想いはただの創作への熱意だけでなく、もっと根底にある人間的な叫びや祈りのようなものなのかもしれない。
読後、創作という行為そのものについても改めて問い直してみたくなる、強いテーマ性の感じられる素晴らしい作品でした。
【レビューコンテスト応募】
鑿が橄欖岩を穿つ。
それがどれほどの困難であることか。
嘗て、その村には一人の男がいた。
巨大な磨崖に、仏ではなく鬼を彫ろうと
否、今も刻々と鑿を振う
自らを鬼と成ったその男は。
村を襲った疫病風を、もう二度と吹かせぬ
様に。神も仏もないのであれば
鬼を彫る。
鬼に成る。
翻って、現代の村に一人のライターが
伝説を追って 鬼を追って
山へと足を向ける。
鬼との対話は一体彼に何を齎したのか。
人との対話は、鬼に何を齎したのか。
見事な構成により過去と現在が、そして
化生と生身とが 邂逅する。
何を失い、何を得たのか。何を思い出し
何を捨てたのか。
実に見事な怪異譚。
読後には爽やかな風が山から吹いて来る。