南風のジュディ
志乃亜サク
セッション
「リアム!」
突然の揺れに体勢を崩した弟の手を掴み、自分の方へと強く引き寄せるノエル。
見れば、つい今しがた弟リアムの立っていた天然の崖路は跡形もなく崩れ落ち、はるか眼下へと岩塊が跳ねながら転がっていった。
ほんの少しでも判断が遅れれば、弟の身体もああなっていたに違いない。
それを呆然と眺めるリアムには言葉もなく。
しかしここに留まり続けるのは危険だ。土の匂いが強くなってきている。
ノエルはリアムの襟首を掴んで無理に立たせ先行させると、弟の背を押すようにして自分もその場を離れた。
◇
ギャラガー高地の峻険な山谷を越えた先にあるという、名もなき遺跡。
その遺跡の最奥には祭壇があり、そこで祈りを捧げれば死者を蘇らせることができるのだという。
そんな与太話を麓の村の酒場で耳にしたのが2週間前。
与太話。
たしかに余人にとってはそうであろう。実際に遺跡を見たという者はその場にはおらず、おまけにその遺跡があるという場所は地元の人間でさえ立ち入らぬ危険な山奥。誰がそのような地に好んで祭壇を設けるものか。しかも死者を蘇らせる? ばかばかしい。
しかしノエルとリアムの兄弟は、そんな各地の噂や与太話を頼りにこの3年間旅を続けてきたのだ。小石を積んでは崩し、また積み上げるような意味のない旅を。
ただひとえに、亡きリディアに再びまみえるために。
そしていま。ふたりはついに件の遺跡の門口に立っている。
もとは小さな神殿だったのだろう。乾いて、朽ち果てている。屋根も、それを支える梁もない。緑色に苔むした丸柱が幾本も横倒しになっている。一枚だけ形を留める壁には古い言葉でこう記してあった。
[彼女はもう手遅れだと分かっている]
[通り過ぎていくそのときに]
[僕の魂はすべり落ちていく]
それは昔の詩人が悪戯で記したものかもしれない。
ノエルには詩を解する感受性はない。が、その詩意はまるで自分たちの訪れを知っていたかのように感じられて、妙に彼の心を波立たせるのだった。
じつをいえばノエルは、この遺跡が本当に見つかるとも思っていなかった。
ここまでの旅は、言うなればただ真偽不明の噂や伝承、伝説の類を闇雲に追い、それが偽物であることを確かめるだけの旅だった。
だがノエルはそのことに深く失望することもなかった。はじめからそれで良いと思っていたからだ。これはリディアを求める旅ではなく、残された者の再生の旅だ。そう思っていた。
逆説的だが、リディアを追ってひたすら前へと進む間だけは、リディアを失ったかなしみを忘れることができていたような気さえする。視野狭窄の時間がふたりには必要だったのである。
しかしリアムはどうだろうか。
ノエルにはわからなかった。
かつては弟のことは自分が一番理解しているという自負もあった。しかしリディアを失ったあとのリアムは。なるほど表面的には以前と変わらず笑いもするようになった。その一方で、時折どこか空虚で昏い目をするようにもなった。その目がいま何を見ているのか、ノエルにはわからなかった。
「行こう、兄さん」
リアムが地下祭壇へと続く扉を塞いでいた瓦礫を取り払いながらそう言った。
死者を蘇らせる。そんな自然の摂理に反するおこないが、はたして許されるのだろうか?
そんな心の迷いを悟られぬよう、ノエルは口に入れた鹿の干し肉を飲み込むと腰かけていた柱から勢いよく立ち上がった。
◇
地下通路を進んだ奥のその部屋は、冷たい静謐の気に満ちていた。
外の荒廃が嘘のように、在りし日の姿のまま二人を迎える祭壇の間。
――間違いない。ここが、旅の終着点だ。
弟と違って魔法の素養がないノエルにも、これまでリディアを求め訪れてきた名ばかりの聖域の神気とは別格の濃厚さが感じられた。
そこでふたりはそれぞれが手にしたランタンを部屋の隅、対角線になるように置いた。
リアムは鞄から取り出した水筒を傾け、琥珀色の液体で床に円を描く。その中には五芒星、円の周囲にも古代文字の真言を書いていく。
この魔法陣によって異界との
「それは蒸留酒か?」
「いや、麦を焙煎して熱湯で淹出したものだよ」
茶か。東洋系の人々が好む、地味で退屈そうな飲み物だ。
宗教や宗派によっても通信の手順や道具は異なるらしい。
そのあたりはノエルには全くわからない。剣の扱いに秀でた彼の仕事は弟を無事ここまで連れてきたことですでに終わっているのだ。
祭壇の準備が整い、リアムの
そしてまもなく、脳に直接”声”が流れ込んできた。
―― 人の子リアムよ、私を呼び出したのは何用ですか ――
◇
大いなるものとの
それ自体はこの世界において決して珍しいものではない。
ノエルにとっても初めての経験というわけではないが、この脳みそを何者かに覗き込まれるような感覚はいつになっても慣れることがない。
―― 人の子リアムよ。私を呼び出したのは何用ですか ――
何用か、と問われれば答えは決まっている。
リディアを。ふたたびあの笑顔を。
摂理を曲げることへの葛藤が消えたわけではない。それでも――。
ところが、そんなノエルの思いを読み取ったかのように”声”は告げる。
―― 人を蘇らせることは、たとえ神でも不可能です ――
「そんな……!」
リアムが絶句する。
人の立ち入らぬ山の奥深く、遺跡はたしかにあった。その地下には異教徒の祭壇も。しかし肝心の願いを叶えることができないのであれば、俺たちは一体何のため命を賭してここまで来たのか。
―― とはいえ、ここまで辿り着いたあなた方の信心には、ひとつの選択を与えることで報いましょう ――
「選択?」
―― 私にできるのは、あなたの深層心理にいる大切な人の記憶を
「俺は……俺はそれでも構わない。兄さんだってそうだろう?」
リアムの思いに、ノエルも頷く。
「ああ。たとえかりそめでも、彼女にもう一度会えるならそれ以上は望まない」
―― わかりました。それではリアム。ただ心静かに願うのです。私はあなたの心の奥底からその人を、在りし日のままの姿でここに呼び出して見せましょう ――
その言葉にリアムは目を閉じて片膝をつき、右手は自らの心臓に置いて祈りの姿勢をとった。
するとにわかに光の粒子が兄弟の前へと集まり、色を帯びて人のかたちをとり始めた。奇跡の顕現である。
やがて光が揮発して、ひとりの女性が現れた。
漆黒の髪、情熱的な赤い瞳、大きく開かれた襟元からチラ見えする豊満な胸――。
「……んん?」
ノエルは困惑する。なぜならそれは、彼の知る金髪碧眼で華奢なリディアではなかったからだ。
―― リアムの憧れ人『麗しの外国人妻ジュディ~女教師編~』よりニキータ・ボナペティさんです ――
「誰!?」
「ちょっと待ってくれ」
「ジュディてお前」
「違うんだ兄さん」
とりあえず、ジュディ(本名ニキータ)には一度帰ってもらうことにした。
ジュディ。”声”はリアムの深層心理から彼女を呼び出したと言っていた。であれば彼女は、リアムの心の底に住まう性癖的な何かだろうか。
しかしリアムを誰が責められよう。彼とて若い男子なのだ。気の迷いだってあるだろう。いや、あって当然なのだ。
「兄さん、もう一度チャンスをくれないか。次こそは必ずリディアを」
「もちろんだ、弟よ」
リアムはふたたび祈る。ただひたすらに。
するとまた光の粒子が眼前に集まり、色を帯びて人のかたちをとり始めた。
奇跡の再来である。
やがて光が揮発して、ひとりの女性が現れた。
季節感ある淡桃色の着物に若草色の名古屋帯という清楚な身なりの一方で、まとめ髪のうなじから匂い立つ隠しきれぬ色気。
―― 『麗しの外国人妻ジュディ2~温泉旅館女将編~』よりニキータ・ボナペティさんです ――
「うおおい!?」
「違うんだ兄さん」
「兄さんびっくりしたよ。びっくり兄さんだこれ。どういうこと? リディア出てこないし! 二回目もジュディだし!」
「待ってくれ。俺のリディアへの想いは今も変わらない。信じて欲しい」
そう言って真剣な目をノエルに向けるリアム。なるほど、澄んでいる気がする。
「弟よ、疑ってすまなかった。唐突に性癖博覧会が始まったものだから、兄さんすこし面食らった」
「兄さん……」
「だがもう大丈夫。考えてみればお前のリディアへの想いの強さはずっと近くで見てきた俺が一番知っている」
「だけど……だけどリディアが本当に愛していたのは僕ではなく……」
そこまで言いかけたリアムを、ノエルはひしと抱きしめた。
「何も言うな。言わなくていい。またあの幼い日の3人に戻ろう。きっとリディアもそれを望んでいる」
「兄さん……!」
そしてリアムはみたび祈る。ただひたすらに。
念のためジュディは帰さずにここにいてもらうことにした。また出てきたらややこしいことになるからだ。
光の粒子が眼前に集まり、色を帯びて人のかたちをとり始めた。
三度目の奇跡である。
光を撒いて三人のシルエットが浮かび上がる。
「ニュージーランドに吹き渡る風!
キューティ・キウイ!」
「フィリピンの夜にはじける情熱!
パッション・パパイヤ!」
「メキシコに降り注ぐ灼熱の太陽!
マイティ・マンゴー!
三人そろって……」
「「「南国美少女戦隊!フルーツ☆スキャンダル!!!」」」
次の瞬間、「オーウ」とか言いながら拍手を始めたジュディをノエルがひっぱたいた。しかしジュディも負けてはいない。「ファオ!ラストサメライ!」とか口走りながら止めに入ったリアムを蹴っ飛ばす。気の強い女だ。
それはノエルとリアムに決定的な亀裂が生まれた瞬間でもあった。
―― 家で解決してきてください ――
”声”はそう言い残して
<了>
南風のジュディ 志乃亜サク @gophe
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