可愛げのない生意気な後輩のバグらせ方を知っているのは、先輩の俺だけである。
八木崎
生意気な後輩は、簡単に崩れる
放課後の漫研部室は、やけに静かだ。
俺――
元々人が多い場所じゃなかった。
が、先輩が卒業してからは、二年の俺だけになった。
……ただ、それはついこの間までの話だ。
そこに今年から、新入生が一人入った。
「先輩、ちゃんと活動してください」
ったく、開口一番それかよ。
寄り掛かったまま顔だけ向けると、少し離れた席で後輩の
小柄なくせに、やたら強気な目で睨んでくる。
「してるだろ。ほら、漫画読んでる」
机の上にある読みかけの漫画を手に取り、月島に向けて掲げる。
すると、ムッとした表情を浮かべて俺を睨んできた。
「それは活動じゃありません」
「漫研だぞ? 漫画読むのも活動のうちだ」
「活動じゃないですし、そもそも先輩、まったく描かないじゃないですか」
痛いところを突いてくる。
俺はページをめくりながら、適当に返した。
「読む側も必要だろ。それに評価するやつがいないと、書き手ってのは伸びないんだよ」
「……ずいぶん偉そうですね」
「実際そうだろ」
ふん、と月島は鼻を鳴らしたあと、手元にある原稿を手に取り、近くに寄ってきた。
「じゃあ、評価してみてくださいよ」
机の上に、ばさりと置かれる用紙の束。
迷いのない動きだった。
……なるほど。
ただ噛みつくだけじゃないってか。
「いいけど」
俺は体を起こし、その原稿を手に取る。
数ページめくる。
……なるほど、学園恋愛ものか。
読みながら、少しだけ目を細めた。
「……どう、ですか」
身を乗り出し、妙に間を詰めてくる。
「――主人公の動機、弱くないか」
「は?」
即座に食いついてきた。分かりやすい。
「いや、だから。なんでこいつが恋するのか、理由が薄い」
「そ、そんなことありません。ちゃんとその辺りの内容も盛り込んで――」
「足りないな」
言い切ると、月島は一瞬だけ言葉に詰まった。
けど、すぐに睨み返してくる。
「……先輩、ちゃんと読んでます?」
「読んでるよ。だから言ってる」
「じゃあ――」
「でも」
遮る。
少しだけページを戻して、指でとんとんと叩いた。
「ヒロインはいいな」
ぴたり、と空気が止まった。
「……え」
「表情の描き方、仕草。悪くない」
顔を上げると、千郷が固まっていた。
さっきまであれだけ噛みついてきたくせに、言葉が出ていない。
「な、なに言って……」
「可愛いと思うぞ」
「っ……!」
分かりやすく目が泳ぐ。
耳まで赤い。
……ああ、なるほど。
「お前、褒められ慣れてないのか?」
「そ、そんなわけないです!」
強く否定するが、声が微妙に上ずっている。
その反応、面白いな。
「そういえば、このヒロインのキャラ……モデルはいるのか?」
「へ? きゅ、急になんですか……」
「いや、なんだ。どうもキャラの造形が、誰かに似ていると思ってだな……」
そう言いつつ、俺はヒロインと月島の顔を交互に見比べる。
すると、月島の目が途端に泳ぎ出した。
……こいつ、本当に分かりやすいな。
「ああ、そうか。さてはお前、自分をモデルにして書いたな?」
「は、はぁっ?!」
少し口角を上げながら言うと、案の定、声をひっくり返した。
月島はそのまま顔を赤くしながら、睨みつけてくる。
「な、なにを根拠に……! そんなはずありませんから!?」
「そうか? このヒロイン、お前が言いそうな台詞や行動をよくトレースしてると思うぞ」
「なっ、なななな……」
「なるほどな。月島はこういう恋に憧れてると」
「だ、だから……そうじゃ、なくて……」
「それでヒロインを自分に落とし込んで、仮想の恋愛を楽しんでるわけか」
「ち、違います! 私は別に……!」
言い切ろうとして、言葉が続かない。
視線は泳ぎっぱなしで、さっきまでの勢いは完全に消えている。
……図星、か。
「違うにしては、反応が分かりやすいけど」
「う、うるさい、です……」
声が小さい。さっきとは別人だな。
少しだけ顔を覗き込むと、月島はびくりと肩を揺らした。
「……で?」
「で、って……何がですか」
「ヒロイン。どういうつもりで描いたんだよ」
逃がさないように問いを重ねる。
月島はしばらく黙り込んでから、観念したように口を開いた。
「……別に、大した意味はありません」
「ふーん」
「ただ、その……」
言い淀む。
指先が落ち着かない様子で、原稿の端をいじっている。
「……こういう関係、ちょっといいなって、思っただけで……」
「こういう関係?」
聞き返すと、月島は一瞬だけこちらを見て、すぐに逸らした。
「……先輩と後輩で、距離が近くて……その……」
語尾が消える。
完全に崩れてるな。
「なるほどな」
小さく呟いて、俺は一歩踏み出した。
「ちょっ……!?」
わずかに距離を詰めるだけで、月島の体が硬直する。
そのまま横に回り込み、月島の顎にそっと手を振れる。
「こんな風にされたいのか?」
空いている指でヒロインのコマをなぞる。
「この表情。さっきのお前と同じだ」
「……っ、ち、違……」
否定しきれない声。
耳まで真っ赤だ。
「ほら」
無理やり視線を上げさせる。
「今も似てる」
「っ……!」
息が詰まったみたいに、言葉が止まる。
逃げようとして……でも、逃げきれない。
むしろ一瞬だけ、体がこちらに寄る。
……無意識だな。
「……ほんと、分かりやすい」
ぽつりと呟くと、月島の指がぎゅっと俺の袖を掴んだ。
「……あ」
自分でも気づいていなかったらしい。
慌てて離そうとして、でも力が抜けない。
「離せよ」
「……っ」
言っても、すぐには離れない。
数秒遅れて、ようやく手が離れた。
完全に処理落ちしてる。
「……バグってるだろ」
「……ばぐって、ません」
かすれた声での否定。
説得力はない。
「そうか?」
「……違い、ます……」
視線を逸らしたまま、小さく呟く。
さっきまでの強気はどこへやら、別人みたいだ。
「まあ、いいけど」
それ以上は追い込まず、少しだけ距離を戻す。
すると、月島はようやく息を吐いた。
「……きょ、今日は、もう帰ります」
「ああ」
鞄を掴んで扉へ向かう。
足取りはどこかぎこちない。
扉の前で一度だけ立ち止まって、こちらを振り返った。
「……つ、次は、その……こうは、いきませんからね」
「無理だろ」
即答すると、月島は悔しそうに唇を噛んだ。
でも、その顔はまだ赤いままだ。
「……っ、覚えててください!」
それだけ言い残して、部室を出ていった。
ぱたん、と静かに扉が閉まる。
嵐が過ぎ去ったような静けさ。
椅子に座り直して、机の上の原稿を手に取る。
悪くない。
粗はあるが、ちゃんと読める。
「……まあ、伸びるだろ」
小さく呟く。
それから、さっきの様子を思い出す。
強気で、口が悪くて、やたら噛みついてきて。
そのくせ、少し突くだけで簡単に崩れる。
「……やっぱ面白いな」
思わず笑みがこぼれた。
月島千郷は、生意気だ。
可愛げもないし、扱いづらい。
けど――ああいう壊れ方をするのは、見てて飽きない。
「……さて」
原稿を机の上に置く。
「明日は、どこまで崩れるかだな」
誰もいない部室で、ひとり呟く。
――まあ、そのやり方を知ってるのは、俺だけでいい。
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