タルトは和菓子か洋菓子か

羽生ルイ

深夜の自宅にて

「ね、タルトって好きだっけ」


 私が扉を開いた先にいたあの子は、私の顔をみた途端にそう言った。

 この子が頓狂な事を言い出すのはいつものことだけど、10日ぶりに会う恋人の第一声がタルトの好悪というのはさすがにどう答えたものか思案してしまう。


「好きだけど……まずは中に入ろうか?」

「うん、そうだね。お邪魔します……じゃなくて、ただいま」

「おかえり」


 そう言って私の部屋へ入ってきた彼女の姿はいつもと随分違う。

 普段はフェミニンな服装が多いこの子が珍しくパンツルックだし、ふわふわした柔らかい茶髪も軽く纏めてサイドに垂らしている。

 白いトップスの上からは薄手のカーディガンを羽織っているし、なんなら大きなキャリーバッグも引っ張っている。


 要するに、この子は旅先から自宅ではなく私の所へ直行してきたということだ。


「荷物、家に置いてきたら良かったのに」

「だってもう遅い時間だよ?一旦家に帰ってたら、寝てたよね?」

「……まぁ、それもそうだけど。明日じゃダメだった?」

「うん。ダメ」


 そう言うと私に抱きついてきた。

 うん、私も明日なら……と言いつつ、この子に会いたかったのは事実だから、ここは黙って抱擁しておこう。


 しばらく抱きついて満足したのか、身体を離し際に軽く唇を合わせたあの子は周囲を見回した。


 ……あ、やばい。


「ね、10日前に来た時と随分違ってるよね?」

「……その、ちょっと忙しかったから」

「忙しいと下着がソファの上に散乱するの?」

「ほら、帰りが遅いから洗濯できなくて」

「夜が遅いとジャケットがベッドの上に広がるの?」

「……ごめんなさい」


 この所、比較的我が家が片付いていたのはひとえにこの子が足繁く通って片付けや掃除をしてくれていたからで、私が10日も独りで過ごせば元の木阿弥というやつになるのは致し方ないことだ。


「と、とりあえずパパッと片付けるから、ソファ……は洗濯物があるし、ベッド……はジャケットがあるから……」

「いいよ、私が片付けるから」

「いや、私が片付けるから!」


 私がチラリと向けた視線に気付いたのか、彼女もベッドサイドに置かれたテーブルに視線を送る。

 そこに乗せられているのは……吸い殻が満載された灰皿だ。


「……吸ったんだ?」

「えっと……その、ちょっと寂しくて」

「ふーん」


 ああ、視線が冷たい。この子が二重三重の意味でタバコを嫌ってるのは知ってたから、明日までに片付けておこうと思っていたのに。

 不意打ちのタルト発言で思わずタバコのことが意識から飛んでいた。


「はぁ。……減煙もできてないよね?」

「……ごめん」

「私がいないと、ダメ?」

「まぁ、生活全般も禁煙も……どっちの意味でもダメみたいだね」

「じゃあ、長く出張してた私が悪いってことだね」


 そう言うと彼女は器用に肩をすくめると、ソファに落ちていた下着を手早く纏め、ベランダに置かれた洗濯機へと放り込んだ。

 続いてベッドの上に投げ出されていたジャケットをハンガーに掛け、壁のフックへ吊すと自分もカーディガンを脱ぎ、隣に吊す。


 うん、簡単な動作だし、私にだって出来ない訳じゃないんだよ?


 内心でそう言い訳しながらも私は手際良く片付けを進める彼女の姿を見守ることしか出来ない。


「ね、お茶ってある?」

「紅茶ならこの間一緒に買ったやつが……」

「ううん。紅茶じゃなくて緑茶」

「それは……なかった気がする」

「そっかー。タルトに紅茶は合わないかなって思って」


 またおかしな事を言い出した。いや、今日は顔を合わせたときから変なことを言ってたっけ。

 私がタルト好きなのはこの子だって知っている。

 なにせ、タルトが私達を巡り合わせた縁結びのアイテムなんだから。



 私が勤務している大学の近く、大通りを一本入った裏通りに面している小さなパティスリー、「LysBonheurリスボヌール」。そこがこの子の勤務先だ。

 甘い物に目の無い私は大学院に在籍していた頃からこの隠れ家的なパティスリーへ通っていたけど、当初この子とは時折挨拶を交わす顔見知りの店員と客という程度の仲でしかなかった。


 で、ある時――具体的に言うと、私がポスドクに採用され、そのことを妬んだ元カレと破局した頃――に、突然この子に声を掛けられたんだ。

 新作の試食をして貰えませんか、って。


 そのとき出されたのが新作タルトで、もろに私の好みだった。

 その後も何度か試食をと言われ、流されるままに胃袋を掴まれた私は、新作のための情報収集に付き合って欲しいというお願いを断り切れず、気付いた時には2人でカフェ巡りをするようになっていた。


 で、いつの間にか告白され、男の嫉妬に疲れていた私は女の子と付き合ってみるのも良いかと思ったのが……たぶん3ヶ月ぐらい前のこと。

 そして存外にこの子との距離感や関係性がしっくりくることに私自身が驚いている間に、さらに距離を詰められて……今ではベッドの上以外では基本的にこの子のペースで物事が進んでいる。


 まぁ、そんな感じだから、この子が私にタルトが好きかと聞いてくるのはかなり不自然なんだけど……。


「ね、さっきの話なんだけど」

「タバコのこと?」

「いや、そうじゃなくて。ほら、顔合わせてすぐに聞いてきたよね?タルトの事」

「あ、そうだった。あのね、お土産にタルト買ってきたんだ」

「……そうなんだ?」


 その返事に思わず拍子抜けしてしまう。

 私が一番好きなのはLysBonheurの……要するにこの子が作ったタルトなんだけど、買ってきたっていうことはどこか別のお店のタルトということだろう。


「そういえば出張、スイーツ博の仕事だっけ?四国だったよね」

「うん、そうだよ。他のお店も一杯出てたんだ」

「たしか……愛媛だっけ?」

「そう、うどん県だよ!」

「いや、うどん県は香川だよね?」

「そうだっけ?でもでも、ホテルの朝食に讃岐うどんがあったよ?」


 小首をかしげてそう言うけど、最近は少し気の利いたホテルなら朝食バイキングに麺類を出す所も多い。

 実際、私が学会で出張するときに泊まるホテルの多くは朝食に――讃岐かどうかは判らないけど――うどんが供されていたし。

 いや、今はうどんの話じゃなくてタルトだった。


「で、タルト?どこのお店のやつ?」

「えっと……忘れちゃった」


 まぁ、この子が細かいことを気にしないのはいつもの事だけど……でも、先ほど見かけた荷物の中にはタルトの紙箱が入っているうようには思えなかった。

 手提げ袋のようなものも持ってなかったはずだし。


 自宅に戻らずに私の所へ直行してきているはずだから、クール便か何かで送ってくるんだろうか?


「とりあえずお茶湧かすね……って、キッチン」

「……だから、ごめんって」

「またカップ焼きそば食べてるし」

「今回はちゃんとお弁当も買ったよ?」

「自炊っていう選択肢はないの?」

「んー、無いかな」


 私の言葉に苦笑しながらもキッチン回りを片付けてくれる。

 いや、私……生活力なさ過ぎ?

 前はこんなにダメじゃなかった気がするんだけど。

 もしかして忙しさを理由にしてるだけで、実際の所はこの子に依存して生活スキルが衰えている……?


「ちょっとやばいかも……」

「なに?まだ何か隠し事してるの?」

「いやいや、そうじゃなくて。私の生活力がやばいなって」

「そんなの、最初からじゃない」


 そう言うと彼女はコロコロと笑う。


「初めてお邪魔したとき、びっくりしたもん。普段、あんなに凜々しい出来るリケジョ!って感じなのに、私生活これ……?って」

「……面目ない」


 実のところ、初めてこの子がうちに来ると聞いて、2日程前から死ぬ気で片付けを行っていたんだけど、それでも状況は燦々たる有り様だったらしい。


 ……ということは、別にこの子と付き合い始めたから生活スキルを失ったんじゃなくて、最初から私はそんなスキルを持ってなかった……ってことか。


「腑に落ちたよ」

「よくわからないけど、ならよかったよ」

「で、それはいいんだけど、お茶だけ飲むの?お茶菓子とか用意してないけど」

「うん?あるよ、お土産のタルト」


 テーブルに紅茶のセットを置いた彼女は自分のキャリーバッグを開き、中から細長い紙箱を取り出した。


「……カステラか何か?」

「ううん。タルトだよ」


 そう言って彼女がこちらに向けたパッケージには確かにタルトという文字が記されている。

 なんだ、これ……?


「タルトって書いてあるけど、タルトじゃないよね?」

「でもタルトって書いてあるよ?」


 書いてあればその名の通りになるのなら、金の延べ棒にタルトと書けば食べられるようになるんだろうか。

 細長い箱を見ながら、そんな荒唐無稽なことを考えてしまう。


「お茶、冷めるから開けるね?」

「う、うん。切り分け用のナイフとか、食べるようにフォークとか出した方がいいのかな?」

「んー、たぶんそのまま手で食べられると思うけど」


 そう言いながら丁寧に包み紙を開けて行く。

 たぶん私だったらバリバリと破ってるところだ。


 内箱にも確かにタルトと書いてある。

 メーカー名がなんとか本舗っていう漢字の製菓店名になっているところからすると、どこぞのパティスリーが作った品ではなさそうだ。


「ほら、やっぱり。そのまま食べられるよ」

「あー、個食パックの……ロールケーキ?」

「だからタルトだって」

「いやいや、どこをどう見てもこれタルトじゃないでしょ」


 彼女が手渡してくれた、小さなパッケージの中に入っているのはロールケーキのような形状で、中に……餡子が巻き込んである?


「これ、餡子だよね?」

「そだね。原材料に柚子餡って書いてあったよ」

「ゆず……あん……」


 想像していたタルトどころか、洋菓子の範疇からも大きく外れる言葉に私が戸惑っている間にもこの子はさっさとパッケージを開けて、小さな口で謎の菓子を一口ついばんでいる。


 瞬きしながら彼女の様子を見ていると、少し怪訝げな様子でこちらを見ながら、言った。


「ね、タルトって好きだったよね?」

「う、うん」


 言外に早く食べろとせっつかれている気がして、私は慌ててパッケージを破って中身を取り出した。

 見た目通りのカステラ生地にくるまれた餡子からは爽やかで濃厚な柚子の香りがする。


「じゃあ、いただくね」

「うん。食べて食べて」


 小さなロールケーキをそのまま口の中へ放り込む。

 しっとりとしていて、それでいて柚子餡の甘みと仄かな苦みが調和している。


 ……うん、甘党としては決して嫌いな感じではない。

 いや、むしろ美味しい。


「どう?」

「美味しいね。でもこれ、和菓子だよね?」

「タルトだよ?郷土菓子って書いてあったけど……ここからうちのタルトに進化したなんて、不思議だよね」

「いやいや、これはどう逆立ちしてもLysBonheurのタルトには進化しないよね?」

「そうなの?同じタルトなのに?」


 改めてそう言われると、もしかして……という疑念がわき上がってくる。

 こういうときは調べて事実を明らかにするのが一番だ。そう考えた私は、口の中に残る柚子餡の香りを楽しみながら、枕元に放り投げてあったスマホを手に取った。


「タルト、柚子餡……あと、四国……っと」

「なにしてるの?」

「この不思議なタルトの正体を調べようと思ってね」

「わぁ、さすがリケジョだね」

「いや、理系関係ないからね……っとなになに?愛媛のタルトは江戸時代に松山藩主・松平定行公が長崎から伝えた南蛮菓子が由来の郷土菓子……?」

「南蛮っていうことは、タルタルソース?」

「いやいや、それチキン南蛮でしょ?」


 半ば反射的にそうツッコミを入れながら、「和菓子のタルト」の由来を読み込む。

 なるほど。洋菓子のタルトとルーツは別物だけど、江戸時代の南蛮菓子はオランダ語でケーキを意味する「taart(タールト)」と呼ばれていたということは……名前のルーツは同じってことか。


「ね、折角ふたりでいるのにお勉強?」

「あ、ごめん。つい読み込んじゃったよ。でも名前の語源は同じだけど、モノとしては別物だね」

「そうなんだ?うちのタルトにも餡子、合うと思ったんだけど」

「いやいや、それは無い……いや、アリかな?」

「今度試作したら食べてくれる?」

「もちろん、喜んで」


 そんな事を言いながら、私達は紅茶と共にもう一つタルトを口に入れる。

 この子が言っていたように、やはり緑茶の方が合うだろうなと思いながら。


 しかし洋菓子のタルトに餡子か……あまり想像できないけど、美味しいんだろうか。


「ところで、聞いていい?」

「ん?何を?」

「段ボール箱。どうしたの?」


 この子が言っているのは、部屋の隅に置いてある3個の段ボール箱の事だろう。

 そう言えばまだあの話はしてなかったっけ。


「えっとね。実は……引っ越ししようと思って」

「え?引っ越しちゃうの?なんで?」

「ちょっと手狭かなって思ってさ」

「片付けたら、お部屋広くなるよ?」

「いや、そこまで散らかしてないし……。ないよね?」

「最初に来たとき、足の踏み場も無かったよね?」

「うっ……」


 あの時のことを言われると反論できないけど、今から大事な話をするんだ。

 ここで気圧される訳にはいかない。


「えっと……つまり、だ。私、考えてたんだ」

「うん。良く色々と考えているよね?」

「まぁそうなんだけど……いや、そうじゃなくて。ほら、この前言ってたこと。カップ焼きそばの話した時に」

「自炊しないとダメってこと?」


 ……わざとか?わざと話を逸らしてるのか!?

 思わずそんな事を思うけど……いや、この子がそんな高度な心理戦を仕掛けてくるとは思えない。

 なので、私は深呼吸をすると、意を決して言った。


「同棲、しよう」

「へ……?」

「だから、ここだと狭いから。広い所だと一緒に暮らせるでしょ?」

「え?え?」

「出張中にいくつか物件見たんだけどね、LysBonheurの近くにファミリー向けの賃貸があって、そこだと家族じゃなくても一緒に住めるって」

「……いいの?」

「良く無かったら物件探したりしないし、引っ越しの準備始めたりしないよ。まぁ、相談なしに勝手に決めたのは悪かったと思ってるけど……。動いてないと、寂しかったんだ」


 私、割と自分では独りで生きて行けるタイプだと思ってたんだけど、正直この10日間は結構辛かった。

 一応、毎晩電話はしてたけど、それでも、だ。

 タバコの量が増えて、生活が荒れて、先の事を考えて、動いて準備することでメンタルを保たないといけないぐらいには、寂しかった。


「……そっか」

「そうだよ」

「嬉しいな」

「……まだ、新居の間取りも何も聞いてないのに?」

「そんなのはどうでもいいよ。そっか、一緒に住めるのか~」


 にへら、という擬音が似合うような顔で笑われると、私まで嬉しくなってしまう。


「えっと……契約はまだなんだけど、明日にでも内見しに行く?」

「うん、行く」

「即答だね?」

「当たり前だよ!」


 この前、同棲を打診されたときに私は一度尻込みしてしまったから、もうその気は無くなった……と言われたらどうしようと内心では不安だったんだけど、どうやら杞憂だったようだ。


 私は、1つだけ残っていたタルトを口に放り込む。

 タルトは洋菓子だと思っていたけど、和菓子のタルトだってある。

 美味しければ……名前なんてどうでもいいんじゃないかって。


 そんな事を思いながら、私も彼女に微笑み返した――

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タルトは和菓子か洋菓子か 羽生ルイ @hanyuu_rui

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