理系男子の恋愛相談6 トンネル効果の恋

perchin

理系男子の恋愛相談6 トンネル効果の恋

 大学のカフェテリア。

 文系学部の美咲みさきは、いつものように物理学科の幼馴染、理人りひとの向かいの席に座るなり、机に突っ伏して深いため息をついた。

「はぁ〜……理人ぉ。私、どうせ無理だって分かってる恋をしてしまったの……」

「恒常的な君の失恋状態を考慮すれば、無理だと認識できているだけ今回はエントロピーが低い(整理されている)な。で、対象は?」

 理人は分厚い専門書から目を離さずに、冷ややかな声で答える。

「テニス部のキャプテンの先輩! 学内一のイケメンで、実家が病院で、しかも性格まで超優しいの!」

「スペックの過積載だな」

「でしょ!? 挨拶くらいしかしたことないし、ライバルも多すぎて、私なんかが入り込む隙間なんて絶対ないの! あの人の周りには『絶対に越えられない高い壁』があるのよ!」

 美咲はストローを噛みちぎらんばかりの勢いで嘆いた。

「告白しても100%玉砕する。でも、諦めきれないの! 私のこの行き場のないエネルギーをどうすればいいの!」

「ふむ」

 理人はついに本を閉じ、眼鏡をクイッと押し上げた。

「美咲。古典力学的に考えれば、君の言う通りだ。君の持つ恋愛エネルギーでは、彼の周囲にそびえ立つ『高いポテンシャルの壁』を越えることは不可能だ。ボールを坂道に向かって転がしても、頂上に届く勢いがなければ、途中で必ず転がり落ちてくる」

「うぅっ……やっぱ無理なのね……」

「だが」

 理人は、テーブルの上のシュガーポットを指差した。

「量子力学の世界では、話が別だ。『トンネル効果』という現象を知っているか?」

「トンネル? トンネルを掘って先輩の懐に潜り込むの? ストーカーじゃん」

「違う。素粒子のようなミクロの世界では、自分が持っているエネルギーよりも『高い壁』にぶつかった時、ボールが坂を登り切るのではなく、確率的に壁をすり抜けて向こう側へ到達してしまうことがあるんだ。まるでトンネルを抜けたかのようにね」

「ええっ!? そんなチートみたいなことが起きるの!?」

「ああ。太陽が燃え続けているのも、我々が使っているUSBメモリにデータが保存できるのも、このトンネル効果のおかげだ。

 不確定性原理により、ごく短い時間なら、持っていないはずのエネルギーを宇宙から『前借り』して、壁を越えることができる。つまり、どんなに高嶺の花の先輩であっても、確率論的には、君が壁をすり抜けて『付き合える状態』に到達する可能性はゼロではない、ということだ」

「可能性は……ゼロじゃない……!」

 美咲の顔がパァッと明るくなる。

 物理学ってすごい。絶対に無理だと思われた恋にまで、科学的な希望の光を与えてくれるなんて。

「よーし! 壁にぶつかっても、何度も何度もアタックすれば、いつかすり抜けられるかもしれないのね! 私、ダメ元でLINEで告白してみる! トンネル効果を信じて!」

 美咲は意気揚々とスマホを取り出し、震える指で『ずっと好きでした! 私と付き合ってください!』と打ち込み、えいやっと送信ボタンを押した。

「送った……! さあ、トンネル効果よ、起これ!」

 数分後。

 美咲のスマホが鳴った。先輩からの返信だ。

「きた! はやっ! え、なになに……」

 美咲は恐る恐る画面を見た。

 そして、目を見開いた。

『えっ、本当!? 実は俺も、美咲ちゃんのこと前から気になってたんだよね! 挨拶してくれるの嬉しかったし。俺でよければ、付き合おっか!』

「…………え?」

「…………」

「キャアアアアアーーーッ!!!」

 カフェテリアに美咲の歓喜の絶叫が響き渡った。

「理人!! トンネル効果起きた!! 壁、すり抜けたよ!! 私の愛の素粒子が、先輩のポテンシャルの壁を貫通したぁぁぁ!!」

「ほう……」

 理人もわずかに目を見張った。

「マクロな巨視的世界で量子効果が明確に観測されるとは。『事実は小説より奇なり』だな。おめでとう、美咲」

「ありがとう! どうしよ、何て返そう!『私も嬉しいです!』とか!?」

 美咲が歓喜に打ち震えながら文字を打ち込もうとした、その時だった。

 ピロンッ。

 続けて、先輩からメッセージが届いた。

「あ、また来た! デートの誘いかな……?」

 美咲が画面を見る。

 そして――彼女の動きが、完全にフリーズした。

『あ、ごめん! 今サークルの飲み会で、スマホ置いたままトイレ行ったら、友達が罰ゲームで勝手にいじって送ってた! 今の嘘! ほんとごめん! 忘れて! 🙇‍♂️💦』

 …………。

 カフェテリアに、このシリーズお馴染みの、絶対零度の静寂が落ちた。

 美咲のスマホを持つ手が、小刻みに震えている。

「……友達の、罰ゲーム……嘘……」

「なるほど」

 理人は再び専門書を開きながら、淡々と言った。

「不確定性原理によって、一時的にエネルギーを『前借り』して壁をすり抜けることはできる。だが、その借りたエネルギーは、ごく短い時間のうちに必ず返済しなければならないという絶対のルールがある」

「……」

「どうやら、君の『彼と付き合っている』というトンネル効果による奇跡の状態は、エネルギーの返済期限が来たことで崩壊したようだな。短い時間だけ壁の向こうに存在できたが、すぐに元の『フラれた状態』に押し戻されてしまったのだよ」

「……」

「量子力学は残酷なまでに正確だ。一時的な夢は見られても、古典力学の現実は曲げられないということだ」

「トンネル効果のバカヤローーーッ!!!」

 机に突っ伏して号泣する文系女子と、無表情でページをめくる理系男子。

 美咲の恋愛の波動関数は、今回も一瞬のきらめきを残して、無惨に崩壊してしまったのだった。

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