そば処イマジナリー

猫小路葵

そば処イマジナリー

 イマジナリーフレンドという言葉がある。

 ざっくり言えば、子どもが空想で作り出す架空の友達だ。学術的にはイマジナリーコンパニオンと呼ばれるらしい。

 子どもがと言ったが、昨今は大人でもイマジナリーフレンドを持つことが多い。孤独やストレスに押し潰される前に心の支えを作る。それは病気などではなく、むしろ健康的な心理現象なのだった。


 しかし、作りたいと思っても出来ない人間もいる。想像力の差だろうか。僕には無理だった。

 毎日毎日営業スマイルを顔に貼り付け、取引先の機嫌を伺い、上司に怒鳴られない言葉を脊髄反射で選ぶ生活。そうやって「他人のための自分」を演じ続けてきた結果、僕の想像力は友達一人すら生み出せないほどに枯れ果てていた。

「……もう、限界だな」

 そんな者たちを救ってくれる、ありがたい店がある。イマジナリーフレンドを売る店だ。僕は仕事に追われ、最近は休むこともままならなかったが、今日ようやく足を運べた。


 駅から商店街を少し歩くと、その店はあった。間口は広くない。格子戸の上に木の看板があり、筆文字で店名が書かれていた。


 <そば処 今治也>


「今治也」と書いて「いまじなり」と読む。「そば処」の「そば」は「蕎麦」ではなく「傍」だ。

 あなたのそばにイマジナリーてか。

 愛媛県今治市とは無関係。その気鬱を「今、治す」という心強い意味が込められている。

 ここに僕を救ってくれるフレンドがいるのだろうか。僕は震える手に期待を込め、格子戸をからからと開けた。


「らっしゃい!!」


 大将の景気のよい声が僕を迎えた。それだけでも少し元気になれた。空いている席に着くと、お運びのおばさんがお冷を持ってきてくれた。

「いらっしゃい」

「あ、ども……」

「決まったら呼んでちょうだいね」


 僕は卓上に置かれた「お品書き」を手に取った。


 きつね

 たぬき

 月見

 とろろ


 馴染み深い名が並ぶ。『きつね』を選ぶとどうなるんだろう。狐が友達? 化かされることで現実を忘れられるのかな。

 メニューは他にも色々あった。僕が迷っていると、別の席にいた男性が「すみません」とおばさんを呼んだ。

「『たぬき』ひとつ」

「ハイ、『たぬき』一丁!」

 おばさんの声に大将が威勢よく「はいよ!」と答えた。そしてすぐに「『たぬき』あがったよ!」と声がした。おばさんが蓋つきの鉢を盆に載せ、席に運ぶ。

「お待ちどおさま!」

 男性が蓋をとると、鉢の中から木の葉が一枚ふわっと浮かび、ポン!と音がして白煙が立った。煙が晴れると、彼の膝に狸が一匹座っていた――らしい。僕には見えないけれど、彼は目を細めて空間を撫でた。

「わあ……かわいいな……」

 男性は満足げに会計を済ませ、犬の散歩でもするように、足元を気に掛けながら帰っていった。


 狸を選んだ彼は、自分に足りないピースが何なのかを知っていたのだ。だから選べた。翻って僕はどうだ。自分に何が欠けているのか、僕にはわからなかった。

 狸か……いいなあ。そりゃシンプルに可愛いだろうな。けれど、僕はあいにく犬猫アレルギーなのだ。イマジナリーでも体が反応してしまう。『たぬき』も『きつね』もきっと無理だろう。『鴨』ならいけるかな? そんなことを考えていると、店の戸が乱暴に開き、怒鳴るような男の声がした。


「特盛! テイクアウト!」


 頭の悪そうな、あ、いや、怖そうな男だった。おばさんがムッとして黙っていると、大将が奥から顔を出した。

「うちは特盛やってないよ」

「いいから特盛!」

 声の大きい男に対し、大将は怯まずに言った。

「悪いことは言わねえ。やめときな。何事もやりすぎは禁物だ」

 すると男は肩を揺らし、「なんだと?」と凄んだ。

「出せっつってんだろ特盛!!」

 大将はそれ以上逆らわず、「忠告はしたよ」と言いながら、持ち帰り用の容器を男に渡した。ぎゅうぎゅうに詰めたのだろう、蓋には輪ゴムが何重にも巻いてあった。男は金をレジに投げるようにして、開けっ放しだった戸を荒っぽく閉めて去った。


 おばさんは僕の方を見て、申し訳なさそうに言った。

「お騒がせしてごめんねえ。注文決まった?」

 決めかねていた僕は、お品書きを指差して尋ねた。

「あの……この『月見』ってどんなのですか?」

「『月見』は風流なキャラだよ~。何かにつけて短歌やら俳句やら詠むね」

「はあ……じゃあ、この『とろろ』は?」

「話を聞いてほしい人向きかな。どんな長い話も粘り強く聴いてくれるよ」


 なるほど。

 それぞれに特性があるのだ。ならばこっちの『ちから』は聞くに及ばず。きっとフィジカル系だろう。

「『天ぷら』がわかんないな……」

「天然のフランス人だよ」

「え、そんな……」

 僕は魅力的なメニューに惑わされた。けれど、この積もり積もった虚しさを癒すには、どれも個性が強すぎるように感じた。

 フレンドは慎重に選ばねばならない。持続期間は有限だが、その間は常にそばにいる存在になるのだから。


 とはいえ、あまりおばさんを待たせちゃ悪い。次第に焦りが出てきた。

 僕はおばさんに謝った。

「すみません……選ぶのに時間かかっちゃって……」

 するとおばさんは、手をひらひらさせて言ってくれた。

「いいよ、気にしなくて。今の時間暇だからさ。ゆっくり考えな」

 おばさんの優しい言葉に、僕はペコッと頭を下げた。

「ありがとうございます……」

 そしてお言葉に甘えて、おばさんに質問を重ねた。

「あの……『わんこ』はどんなタイプなんでしょう?」

 すると、おばさんは少し考えるような顔をした。

「そうねえ。あたしの印象では、お兄さんに『わんこ』は向かない気がするね。次から次へと会話が終わんない。切り上げるのにひと苦労だよ」

 おばさんは『わんこ』のエンドレスなお喋りを思い出したのか、面白そうに笑って続けた。

「そういうのが好きな人にはいいんだけど……お兄さんは苦手なんじゃない?」


 僕はおばさんを見上げた。言い当てられた。

 ベテランとはこういう人のことを言うのだ。そしてこの人は、フレンドの特性についても熟知している。この人に任せれば大丈夫――僕の心は安心で満たされた。

 おばさんの質問に、僕は苦笑いで「はい、苦手です……」と答えた。おばさんも笑った。

 そのとき、大将が奥から僕に言った。

「お兄さん、迷ってんなら『かけ』にしちゃどうだ」

 僕は大将の方を見た。

「『かけ』ですか……」

「面倒だから言ったんじゃねえよ。今のあんたにゃそれがいいって思ったんだ」


 大将は、「決めるのはあんただけどな」と言うと、また奥に引っ込んだ。

 僕がおばさんを見上げると、おばさんは何も言わずにニコッとした。この人が反対しないのなら、それは正しい選択だと僕は思えた。


「じゃあ……『かけ』お願いします」


 おばさんが声を張る。

「ハイ、『かけ』一丁!」

 大将が応える。

「はいよ!」

 二人の声を聞くと、それだけでも元気が出た。ほどなく「『かけ』あがったよ!」と大将の声がして、僕の前に『かけ』が置かれた。

「お待ちどおさま!」


 温かそうな湯気が、ゆらゆらと昇っていた。湯気を通して鉢の中を覗いてみる。熱いつゆに僕が映っていて、目が合った。

 合ったと思った瞬間、湯気が濃くなって視界が遮られた。それが晴れたとき、僕の向かいの椅子には、もう一人の『僕』が座っていた。


 呆気にとられていると、向かい側の『僕』は「やあ」と僕に挨拶した。

 そこにいるのは、今の自分と全く同じ、冴えない、でも一生懸命頑張っている、愛おしい「自分自身」だった。

「やあ……」

 僕は『僕』に挨拶を返した。大将がこちらを見て、男気のある笑みを浮かべていた。おばさんもにっこりしていた。

 自分自身との対話。自分を見つめ直す。それを大将は言いたかったのだろうか。

 それで僕がどう変わるのか、それはやってみなければわからないけれど、今こうして見つめ合ってみた感想は、「悪くないな」だった。


 僕は席を立ち、『僕』と並んでレジに向かった。僕と『僕』は、足並みを揃えて歩いた。一人っ子の僕は兄弟が出来たみたいな気持ちにもなった。兄弟で外食するって、こんな感じなのかな。


 するとそのとき、格子戸がまたもや乱暴に開いた。驚いて見ると、さっきの頭の――あ、いや、怖そうな男が目をひん剥いて立っていた。

「なんとかしろ!!」

 息も荒く、男は店の奥に向かって吠えた。


 大将が出てきたが、そうする間に男は「うわあああ」と悲鳴を上げ、見えない何かに店の外へ引っ張り出された。男はそのまま商店街を引き摺られていった。

 通行人を器用に避けてジグザグに行く。僕には見えないけれど、男には特別盛り沢山のイマジナリーフレンズが群がっているのだろう。


 大将とおばさんと僕と『僕』は、商店街の彼方へ遠くなっていく男を見送った。大将は「やれやれ」という顔で、「だから特盛はやんねえんだ」と言った。

 あの男とて、最初は助けてほしくて店の暖簾をくぐったはずだ。彼は依存しすぎたのか。何事もやりすぎは禁物。僕は肝に銘じた。

 僕は男のことが気になり、大将に聞いてみた。

「逆恨みとかされませんかね」

 すると大将は事も無げに言った。

「こちとら場数は踏んでるさ」

 おばさんも特に気にしてなさそうだった。僕も『僕』と顔を見合わせ、あはっと笑った。久しぶりに笑った気がした。


 おばさんの明るい声に送り出され、僕と『僕』は店を後にした。二人分の足音がぴったり重なって、ひとつに聞こえた。



 

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