#9

ある夢の終焉 ①

「……ありがとう、カイカ。わたし、もう一度自分を信じてみるよ」


 薄れゆく意識の中でセレンの声が聞こえた気がした。

 『変幻』の溶けた肉体の足は千切れ、意識もあと少しで途切れ、現実世界に引き戻されるところだった。


「セレン……」


 俺は名前を呼ぶことで、何とか意識を繋ぎ止める。



            ▼     ▲     ▼



 昨日の夜、アジトの自室で書いた手紙のことが思い出された。

 俺が伝えるべき言葉は何か……。


「『『モルフォナ』のせいで多くの人が苦しんでる』……いや、違う」


 俺は書きかけの下書きを線で消した。


「『俺を一人にしないでくれ』……そうじゃない」


 倫理的に説得することでも、感情に訴えることでもない。

 セレンは馬鹿じゃない。俺なんかが考えるようなことはもうとっくに考えてる。

 きっとセレンにも迷いはある。『モルフォナ』の悪を知ったうえで、絶望に囚われた人のために歌おうとさえ考えているかもしれない。

 だから、そう……俺が伝えるべきなのは……。


――『お前の歌はもっと広い世界に届く。もっと沢山の人に感動を与えられる』


 思えば俺は一度もそれを口にしてこなかった。

 一番近くでセレンのことを見て、その頑張りを見てきたはずなのに、応援の言葉を掛けてもどこかでいつも彼女が傷つくことを恐れていた。

 信じることをしてこなかった。

 だからこそ、今は背中を押すこと、本当に戦うべき舞台に送り出すことが俺のすべきことだと思った。



            ▼     ▲     ▼



「これから『ゴーストタウン』中に配信する……準備して!」


 コフィの大声が回想に割り込んできて、冷水のように俺の意識を目覚めさせる。


――ポーン。


 空にそんな高い音が響いた。

 暴れる怪獣を遠巻きに見る人々の視線が、微かにそちらに向く。

 現実世界に逃げようとする人、この状況を楽しむ人、迷いながらも会社のために戦う人、この世界を自分の居場所だと信じて残り続けようとする人……。



――「皆さん、聞いてほしい話があります」



 すべての人々の元に、顔のない歌姫の声が響き渡る。


「「なんですか?」」


 オネイロスが初めて困惑したような声を漏らす。



――「わたしの名前はセレン・ウィルズ。『ウタカタ』という名前で、この街で歌手として活動してきました」――



「「……放送が乗っ取られている? どうなっている?」」


 オネイロスは仮面の耳の辺りに手を当てると、どこかへと連絡を取り始めた。

 俺はその隙に傷付いた足を『変幻』によって復元した。

 これは幻想の体、思い出せ、本来の正常な足の状態を――。



――「この街は沢山の人の犠牲で成り立っています。ですが、それだけではなく、多くの人が自ら志願してこの世界の糧になろうとしています」


――「その中にはきっと、現実に自分の居場所がないと感じていて、ここに安息を求めて来ている人もいるでしょう」



 俺はセレンの話を聴きながら、『隔離病棟』で会った顔のない患者の女性の話を思い出した。それから、最初の『潜行』で会ったあの酔っ払い……みんなこの世界に逃げ込んできた人ばかりだった。

 もしかしたら、『ゴーストタウン』にたどり着いた人たちの多くは――『モルフォナ』から席を買った人も含めて――同じような痛みを抱えているのかもしない。

 そう思ったからこそ、俺は作戦会議で住民たちの説得をセレンに任せようと提案した。

 同じ痛みを抱えるセレンにしか、彼らの心に響く言葉は紡げないと思った。



――「確かに外の世界はつらいです。ただ生活を続けるために苦しんで、生きている限り自分の弱さと向き合い続けないといけない。ここにいれば、外では誰かが点滴を打ってくれて、いずれ死んでもこの世界の亡霊として生き続けることができる」



「「くそっ、怪獣をはやく殺せ。ハッカーも見つけ出して早く仕留めろ!」」


 オネイロスはその言葉に明らかに焦っていた。

 俺にはその理由が分かる。

 俺たちの襲撃は所詮、思想を持たない暴動程度に思っていたんだろう。

 放送を乗っ取ることができるというカードを、最後の最後までとっておいたからだ。

 それだけじゃない。

 言葉を巧みに操るオネイロスには分かったはずだ。

 きっと、セレンの言葉は今、沢山の人に響いている。



――「でも、ひとりぼっちです。顔を失っても痛みの記憶は消えない。どこまで行っても自分という存在からは逃げられない。それにきっとこの世界が安定したあかつきには、あっさりと『モルフォナ』は私たちを切り捨てるでしょう。この世界の真実を知る不都合な存在ですから……」



「「メッセージの発信源は四階ですね」」


 魔術師はその指を『隔離病棟』に向ける。


「させるかよ! 『変幻』――『憤怒の巨人ウィル・オ・ウィスプ』!」

 俺はそう叫ぶと同時に、再び自らの体を炎へと『変幻』させた。

 炎の巨人は先程までよりもはるかに大きく、『幻想世界の支配者マスター・オブ・マスカレード』が無視できない程の大きさへと膨れ上がっていく。

 スイッチは怒りだけではない。

 セレンの言葉を聞くうちに、心の奥からもっと熱い激情が溢れ出ていた。



――「それでもいい。そう思っている人もいるかもしれません。でも、同じ心の中で別の言葉を叫んでいる自分もいるはずです」


――「終わりたくない。そんな心の声もきっと聞こえるはずです。私も死んでしまいたかった、それと同じくらい救われたかった」



「「くっ、邪魔をするなっ!」」


 魔術師は襲い来る炎の腕を受け止めるが、徐々に白い手袋が焼かれていく。

 その力は先程までに比べて明らかに落ちている。



――「私たちはいつでも、繋がることができます。現実の世界でも、その部屋から一歩を踏み出せれば、きっと同じ痛みを分かち合える仲間がいます」



「「どうして分からないのですか! 誰もが恐怖する死の克服、人類の夢、理想郷! それが仮初であったとしてもどれだけの人間が救われると!」」


「「あいつはそんな偽物の命は願い下げだってよ!」」


 二つの巨人の咆哮が幻想世界を震わせる。


「「くそおおおおおおおおっ、綺麗ごとを抜かすなああああああ!」」


「「んなこと、俺にだって分かってんだよおおおお!」」


 オネイロスが身を焼かれながらも耐えるのを、俺は渾身の力を込めて焼き尽くす。



――「だから今度は、生きている街でまた会いましょう」



 セレンの言葉が響き渡った瞬間、俺はこの世界が揺らぐのを確かに感じた。

 視界の先にある『隔離病棟』から、無数の白い光が昇るのを見た。

 俺は病棟に留まっていた人たちの意識が、現実へと向かい始めているのを悟った。

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