『ゴーストタウン』潜行開始 ⑥

 酔っ払いの背中が遠ざかって行く。

 窮地を脱したというのに、胸につかえたものが消えない。


「なあ。あの酔っ払い、本当はどうなると思う?」


「多分、本体の場所を特定されて『招待券』を渡される。そのうえで、意識を奪われてここの住民になる」


 フェキシーは顔の黒いシールを剥がし、再び狐面を被った。


「『ゴーストタウン』の強度を上げるうえで、ああいう身寄りのない人は格好の人柱だから」


 俺はそれを聞いて頭の奥で、何かが弾けるのを感じた。

 妹にも起きた悲劇が今、目の前で繰り返されようとしている。


「ああ……そうか……」


 自分のものとは思えないほど冷たい声が聞こえる。

 目眩がするほどの怒りを感じていた。


「すまない。本当は今すぐ『隔離クローズオフ』すべきだよな……」


「ううん。わたしも今、同じことを考えてた」


 フェキシーは小声でそう言うと俺の手を握った。


「いい? この世界では誰もが自分の思い描いたものを出現させる能力を持ってる」


 冷たくて柔らかい手の感触の先に確かな熱が籠る。


「その能力は『顕幻けんげん』と呼ばれている。発動させるには、この世界に来るとき同様に人それぞれ違う極度の興奮状態に入るための〝スイッチ〟を押さなければならない。あなたのスイッチは何だと思う?」


「俺の場合、それは多分……怒りだ」


 俺は直観的にそう答えた。

 俺はこの恵まれた体に生まれて、それ故にいつでも怒りを抑えつけて生きてきた。

 その自戒は暴力を振るう父親を目の当たりにしてから、より強く精神を縛りつけるようになっていた。

 それが時折、何かのスイッチで爆発することがある。


 不良に囲まれた少女を見たとき。

 化け物に踏まれている妹の姿を見たとき。

 何も知らない酔った男性がその命を奪われようとしてるとき……。


 この世の不条理や悪意に直面した時、抑えつけていた感情が爆発しそうになる。


「そう。――じゃあ、我慢しないで。もっと怒って」


 フェキシーは爪を立ててから手を離し、俺の背中を叩いた。

 俺は遠ざかる男たちの背中を睨みつけた。


「感情の形をイメージして、叫んで」


 セレンを誑かした組織の人間、目の前で悪意ある笑みを浮かべたその男に向けてその膨れ上がった感情のイメージを解き放った。


「――『顕幻』!」


 その瞬間、目の前で赤い炎が弾けた。

 その炎は矢のように走り、オネイロスたちの真横を通過するとその僅か先で爆発した。

 光と熱、激しい爆風が幻想世界を揺るがした。

 爆風を受けてオネイロスは顔を庇い、酔っ払いも大男の手を離れて地面にひっくり返っている。


「最初にしちゃ、じょーできぃ!」


 フェキシーは俺の手を引いて、間髪入れずに走り出した。


「なっ……なんですか……」


 オネイロスは砂埃を吸ったようで、顔を手で覆いながら咳き込んでいる。


「『顕幻』」


 フェキシーが俺の手に指を絡めて呟くと、周囲に突然、沢山の顔を持つ人間が出現した。


「偽物(デコイ)に紛れていくよ。あの人を抱えて」


 小声でそう呟き酔っ払いに近付く。

 俺はフェキシーから手を離し、代わりに酔っ払いの体をお姫様抱っこした。


「え……あ? な、なんだぁ?」


 酔っ払いは当然のように混乱している。


「ま、待ちなさい!」


 少し遅れて、オネイロスは俺たちの行動に気付いたようだ。

 そんなことを言っている間にも、フェキシーは駅前に大量のデコイを投入していく。


「お前ら……一体……」


「あの人たちについて行ったら殺されるよ。この世界からの脱出方法を教えるから聞いて」


「は、はい……」


 フェキシーの有無を言わさぬ口調に押されて、酔っ払いは俺の腕の中で頷いた。


「――逃がすとお思いですか?」


 そのとき、声が頭上から聞こえた。

 巨大な半透明の鳥がすぐ上空を舞う。

 オネイロスはその足を掴んでおり、俺達の前まで行くと手を離して優雅に着地した。


「その酔っ払いを哀れに思ったのでしょうか? それとも初めから協力者ですか?」


 俺たちが足踏みをしている間に、背後から大男も追いついてくる。


「いずれにせよ、『顕幻』が使える時点で不法侵入者であることは確実ですね。凄惨な最期を迎えたくないのなら、大人しく投降する方が賢明ですよ」


 オネイロスは宝石の付いたステッキをこちらへと突き付ける。

 俺は酔っ払いをその場に降ろし、『顕幻』をもう一度発動させようと集中する。


「おじさん、お酒もっと飲みたい?」


「……ああ……それ以外に、やりたいことなんてねえよ」


 酔っ払いにも徐々に自分の置かれている状況が分かり始めたようだ。

 俺たちの方を申し訳なさそうに見ている。


「それなら、これ飲んで想像して降り注ぐ大量のお酒を!」


 フェキシーはちゃっかり酔っ払いが落としていた酒瓶を拾っていたようだ。

 それを酔っ払いの口に突っ込むと、一気にアルコールを摂取させた。


「わたしたちにも、浴びるぐらいちょうだい!」


「おえええええええっ、ああー……もう、どうにでもなれええええ!」


 酔っ払いが酒を吐き出しながら、大きな声で叫んだ。


 その瞬間、空中から大量の液体――ビールがこの一帯に豪雨のように降り注いだ。


「うっ……」


 オネイロスが思わず顔を覆う。

 大男は俺たちに近付こうとしたが、運悪くビール瓶を踏んで転倒した。

 目も開けられないほどの大量の豪雨が続く。

 俺たちはビールを浴びながらも、何とか三人でフェキシーの作ったデコイに紛れるようにしてその場から離れ始める。


「おじさん、疲れると思うけどそのまま『隔離クローズオフ』と言って、元いた自分の場所を思い浮かべて……そうすれば、元の世界に帰れる」


「お、おう。なんか世話になったな……『隔離クローズオフ』」


 酔っ払いがそう言うのと同時に、酔っ払いの体に霧がかかったようにぼやけて、数秒後にはその場から消えた。

 それと同時に降り注いでいたアルコールの雨も降り止んだ。

 俺たちは物陰に隠れて、周囲の様子を警戒した。


「わたしたちも行こう。妹さんの手掛かりは見つけられなかったけど……」


「……ああ、そうだな」


 俺は失意もあったが、どのみち酔っ払いを見捨てる選択などできなかった。

 ふと、気持ちを切り替えようとする俺の耳に歌声が聞こえた。

 その声は俺が誰よりも知っている声だった。

 顔を上げると、先ほどまで『モルフォナ』のCMを流していた駅前の巨大な液晶で、一人の仮面を被った少女が歌っているのが見える。


「……セレン」


 顔には仮面が付けられ、髪は綺麗に結われて、着ている服も彼女の好みとは違う。

 普段活動しているときの力強い歌唱とは少し違う、囁くような歌声が流れていた。

 それでも、彼女がセレンだと俺には確信があった。


「え、妹さんってあの歌手だったの?」


「……ああ。一応、匿名ミュージシャンなのと、今回の捜索とは関係ないと思っていたから言わなかったが……」


 俺はそれが間違いだったと思い知った。

 まさか、この幻想世界でもセレンが歌手として活動しているとは欠片も思わなかった。


「数日前に現れた、『モルフォナ』と契約したミュージシャン……彼女だったなんて」


「そうか。なら、『モルフォナ』の元に行けば……」


「待って。今日はオネイロスに姿を見られている。一旦帰って作戦を立てよう」


 フェキシーは気持ちの逸る俺を落ち着かせる。


「……分かった。だけど、ここに来てよかった」


 俺は液晶で歌うセレンを見て自然と涙が零れ落ちていた。

 フェキシーは静かに俺の手を握った。


「一緒に帰ろう。目を閉じて想像して。アジトのあなたの部屋、それから帰るべき日常の世界を――」


「ああ……」


 俺は丸い窓から差し込む月の光と、怪獣のショーケースが並ぶ部屋、それから唇を重ねたフェキシーの姿を思い浮かべた。

 それから、家族――セレンのいた排気ガスに塗れた故郷の光景を……。


「『隔離クローズオフ』」


 意識が眠りに落ちる直前のように混濁し、徐々に幻想世界が輪郭を失っていく。

 セレンがどんな思いでここにいるのか、それは分からない。

 ただ、それでも……。

 必ずもう一度会いに来よう。

 消えゆく意識の中で俺は一つの誓いを立てた。

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