第十二話 姫は翼と対する

 **


 「『あの……私、今、バイト先の喫茶店に、いるんですけど……』」


 私は、自分の影の中から抱き上げたシャドを窓際に座らせ、語りかけた。


 「『どっ、どういう目的か分かんないですけど……〈フェザー〉が来てます、客として……。周りの人を巻き込めないし、今のとこ、争う素振りも見せてないので、ひとまず普通に接客してます、けど……』」


 紫水晶の澄んだ色合いの瞳を向けるシャドに、私は手で触れた。


 「『でも、何が起こるか分からない、ので……今すぐ私のいる所に来てください。シャドには私の居場所が分かるし、案内させますから、頼みます』」


 私はそうシャドにメッセージ付きの魔力を注ぎ込んで、ふう、と息を吐いた。


 「これを、凪くんたちに伝えて、三人を連れてきて。お願いね」


 私がそう言い含めると「みゃあ」と一声鳴いて、シャドが身を翻した。

 〈純喫茶 猫〉の控室の小部屋の窓からシャドは飛び出していく。


 軽やかに路地裏を駆けていた彼女の姿が、足元の影にどろっと溶けて潜り込む。

 地面に残ったその影も素早く離れていくのを見届け、私は窓を閉じた。


 胸に手を当てて呼吸を整える。


 だけど、早鐘を打つ胸の鼓動は収まる気配がない。

 それでも意を決してテーブルの上に置いていた盆を胸に抱いて、フロアへ戻った。


 奥の窓際の席だ。


 ランチタイムの営業時間も残りわずかで、客は彼女しか残っていない。


 テーブルの上に頬杖を突いて、じっと窓の外の景色を眺めて動かない。

 内心を窺わせないその態度に警戒しつつ、さりとてそれを悟られないように注意しながら近づいていった。


 「……あの、ご注文はお決まりですか?」


 私が声を掛けると、彼女は長い髪を揺らしてこちらを振り返った。

 切れ長の目が私の顔を見て細められ、彼女はほのかな笑みを浮かべて答える。


 「コーヒーでいい」


 それから、テーブルの向かいの席をちらりと見やった。


 「せっかくだし、少し話さないか?……明日川黒依あすかわくろえ


 〇


 私はごくりと唾を呑んで、声の震えを押し殺して口を開いた。


 「……ど、どこかでお会いしましたか?」

 「とぼけるつもりか?」


 私の名前を言い当てた〈フェザー〉は、こちらが受け流すのにも、軽く鼻で笑って腕を組み、改めて私の方に向き直った。


 「まあいい。……どのみち逃がすつもりはない」

 「あ、あんまりしつこく絡んでくると、人、呼びますよ」


 私は手が震えるのに盆を抱きかかえて、睨みつける。

 しかし、〈フェザー)はすっと笑みを消して、光のない暗い瞳を私に向けた。


 「誰かお前の周りにいる連中を巻き込みたいのなら、好きにしろ」

 「……っ!」


 私が息を呑んで蒼褪めるのを見ると、〈フェザー〉は再び笑みを浮かべる。


 「この店のブレンドでいい。ランチタイムももうすぐ終わるんだろ?早めに頼む」

 「……かしこまりました」


 他にどうしようもなく、私は軽く会釈をして〈フェザー〉から離れる。


 オーダーを厨房に伝えるのに、カウンターの奥へ向かう。

 すると、出し抜けに膝が震え始めて盆を取り落としかけた。


 ──「……大丈夫?」


 そのままカウンターに手を突きかけたのを、横からしなやかな手が支える。

 振り向くと、テイクアウトのカウンターから戻った白亜がいた。


 「……あのお客さんが、どうかした?」


 窓際の席にいる〈フェザー〉を、白亜が振り返り険しい表情を浮かべる。


 「なんか、話しこんでたみたいだけど……」


 そのまま、〈フェザー〉に近づいていこうとする白亜。

 〈フェザー〉のさっきの言葉が頭をよぎって、彼女の手を掴んで引き留めた。


 「……黒依?」

 「すっ、少し疲れただけ……だよ……。あの人は、関係ない」 

 「でも……顔、真っ青だ」


 「ほんとに平気なの?」と白亜が、やや強い口調で尋ねる。

 ここで心配をかけたら駄目だ。彼女をに巻き込みたくない。


 他の誰よりも──白亜だけは。


 私はカウンターに突いた手で体を起こし、白亜を振り返った。


 「心配かけて、ごめん。でも、あの人が最後のお客さんだし、接客するよ」

 「……本当に?」

 「私を信用してよ」


 私がそう言うと、白亜は何か言いたそうにしたが結局、息を吐いた。


 「……あの人の接客が終わったら、黒依は早めに帰んなよ?」

 「うん、そうする。心配かけてごめんね」


 そうして、私はブレンドのオーダーを通す。

 少しだけ間があって、厨房から呼ばれてフレンタの淹れたコーヒーに砂糖とミルクを付けて盆に載せ、〈フェザー〉の元へ運んでいく。


 「どうぞ」


 私は言葉少なに〈フェザー〉のテーブルにコーヒーを置いた。

 ブラックのまま一口口に含んで転がした〈フェザー〉が、かすかに目を見開いた。


 「……悪くない」


 私は盆を胸に抱き、〈フェザー〉を見下ろした。


 「話があるのなら……」


 私が切り出すと、〈フェザー〉が切れ長の目を向けて、頬杖を突く。


 「私はもうバイト終わるから、外で話そう」


 私がぐっと顎を引いて睨むと、〈フェザー〉はそれを軽く受け止め肩をすくめた。


 「……あなたは、私と二人で話をしたいんでしょ?」

 「いいだろう。店の前で待っている」


 そう淡々と告げて、〈フェザー〉はコーヒーのカップをほっそりとした手で持ち上げ、ゆっくりと味わうように啜った。


 〇


 私は〈純喫茶 猫〉の制服から着替えると、深々とフレンタと白亜の二人に頭を下げた。


 「あの……今日は、お疲れ様でした」

 「ああ、初めての割にはよくやってた。客からの評判も悪くなかったし……」


 フレンタが淡い金髪を掻いて、それでもじろりと私を見下ろした。


 「だが、ランチタイムの終わり際になんかあったのか?」

 「い、いえ……大した事じゃ、ないです……」


 「ちょっと疲れちゃって……」と、私は言うがフレンタは淡い水色の瞳を細めた。


 疑われている、感じがする。

 白亜も心配そうにこちらに聞き耳を立てているのが分かった。


 でも──


 「本当に、疲れただけです。ゆっくり休んだら大丈夫だと思います」

 「……そうか」


 フレンタはそう言って息を吐いて、机の上のパソコンに向き直った。


 「んじゃ、今日は早めに帰ってゆっくり休めよ。……またな」

 「はい、また今度」


 私はうなずいて白亜の心配そうな視線を感じつつ、〈純喫茶 猫〉の裏口から足早に、店の外へと出た。


 周りに人の姿がないのに、少し辺りを見渡したが──


 ──「こっちだ」


 不意に背後から低い女の声が掛かって、肘をがしりと強く掴まれた。

 驚いて振り返ると、〈フェザー〉が私を鋭い目付きで見下ろして立っていた。


 「……周りを巻き込みたくないんだろう?場所を変えるぞ」

 「…………」


 そう低く告げる〈フェザー〉の顔を、私は唇を噛み締め睨んだ。


 〇


 「私の事は、翼と呼べ。普段はそう名乗っている」


 アーケード街を出て、大きな川沿いの堤防の上に出た所で〈フェザー〉が告げた。

 私は、大きく息を吐いて〈フェザー〉──翼に向き直り、口を開く。


 「……翼さん、私、あなたと会った事ない。誰かと勘違いしてますよ」

 「その言い訳は通用しないな。明日川黒依」


 翼はにやりと口の端を歪め、堤防沿いの道を歩き始めた。

 こうなると、なんとしても相手の出方を窺って、白を切り通すしかない。


 翼は低い笑い声を立てて、堤防の下の河川敷の風景を眺める。


 「何故なら、私と君は〈AZテック〉の本社ビルで顔を合わせている。覚えているはずだ、明日川黒依。〈梓川第一学園〉の、校外学習でな」

 「……っ!」


 まさかその件を相手から持ち出すとは思わなくて、私は凍り付く。


 「そうさ。私は〈AZテック〉が極秘裏に進めるプロジェクトの被検体──〈フェザー〉と呼ばれている。お前とはあの校外学習の時だけではない。その後にも『裏側』の〈夢見島ゆみじま市〉──(AZテック)の実験フィールドで遭遇し戦った」


 翼は軽く両手を広げて、あまりにあけすけに自らの正体を明かした。

 私が呆気に取られていると、なおも薄く笑みを浮かべて一歩詰め寄る。


 「……それとも、君の方はそれより以前に私の存在を知っていたかな?」

 「なっ……なっ……」

 「たとえば、三人の被験者が倒され強制的に転移させられた……その現場に君もいたとか……な」


 私は翼の薄ら笑いを、ただ見詰めるしかできなかった。

 だが──ここで翼にペースを握られたら駄目だ。


 彼女は様子を窺うなんて、まだるっこしい算段なんてしていない。


 今すぐにでも、私を問い詰めるつもりだ。


 そんな事をして、彼女に何の狙いがあるか分からないけど、圧倒されては駄目だ。

 私は声の震えを押し殺して、翼に対峙たいじした。


 「……さっきから何を言っているか、全く意味が分からないです」

 「あくまでしらばっくれるつもりか」


 翼は私を切れ長の目で冷ややかに見下ろした。

 だが、すぐににたりと笑みを浮かべて背中を向けて歩き始めた。


 「……それもいいだろう。私にも考えがある」


 翼は堤防から河川敷に降りる階段の前に立って、そこから見下ろした。

 私が思わず彼女の肩越しに、彼女の見ている光景をのぞき見る。


 「……つまらん景色だ。この場所も、この街もな」


 広々とした河川敷は地域の住民の憩いの場になっていた。


 芝生が植えられた広場には、休日で多くの家族連れの姿があった。

 離れた所にはドッグランがあって、そこで仲良く飼い犬と戯れる子供の姿もある。

 川沿いの散歩道には、ジョギングやサイクリングで汗を流す人の姿も見える。


 翼はその光景を、言葉通りつまらなさそうに見下ろし腕を組んでいた。

 彼女は長い髪を手で払うと、その冷たい眼差しを先ほど歩いて来たアーケード街へも向けた。


 私は、ごくりと唾を呑んで翼を睨む。


 「こっ、ここは……っ、私の友達が暮らす街で、私も、気に入っている……ばかに、しないで……っ」

 「そうか。それは結構なことだな」


 翼はそう言って、私に向き直り、嘲笑って唇を歪めた。


 「なら、今から私はこの辺り一帯を破壊して火の海にする」

 「……は?」

 「できないと思うか?この私に。それとも、そんな事できはしないと高をくくってあくまでしらを切り通すか?」


 言葉を失って立ち尽くす私の顔を、翼は唇を大きく吊り上げてのぞき込む。


 「……私を止めるかどうか、お前の判断に任せてやるよ、明日川黒依?」

 「なにっ……なに、を……何の為に……どうして、そんなっ、事……!」


 冷や汗が止まらない。

 頭の芯が痺れたようになって他に何も言えない私に翼が息を吐く。


 「なんでとかどうしてとかうるさい奴だ。そんなに理由が大事なのか?」

 「そっ、そんなの……当たり前……」


 私が詰め寄ろうとすると、逆に翼が距離を詰め私の肩をきつく掴んだ。


 「……だが、そうだな。お前には教えてやるよ。私はこのくだらん世界が壊れる所が見たいのさ。……心の底から」

 「なっ……なっ……」

 「何故もどうしてもない。理由なんてない。私は、この世界が憎くてたまらない」


 翼は──〈フェザー〉はそう言って、冷ややかに私を見下ろした。


 「……最近、街で騒がれている〈黒衣姫〉もお前だな、明日川黒依」


 翼は確信を込めて私に告げる。動揺を押し隠すしか私にはできなかった。


 「なっ、何を言っているか……私には……」

 「そうやっていつまでもしらばっくれているがいいさ」


 翼が私の肩を離して、大勢の人々の憩う河川敷へと向き直った。


 「その時は、お前の目の前で、ここにいる者の命が喪われることになる」


 翼は本気だった。私は、全身から血の気が引くのを感じる。

 立ち尽くす私の顔を見た翼が、美しい悪魔のようにほくそ笑んだ。


 「どうするんだ、ヒーロー?……悩んでいる時間なんて、ないぞ?」

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