へい、お待ち!意地と気合のイクラ一貫

天堂与式

へい、お待ち!意地と気合のイクラ一貫

 ――寿司処「旬」の見習い職人、龍地(たつじ)は勝負に出た。


 この親方と二人きりの職場において、自分が握りを出すことを唯一許されている、この賄いの時間。――自ら仕入れ、捌いて、仕込み、握ったサーモンとイクラの軍艦を並べたのだ。


 普段の握りとは魂のこもり方が違う。なんたって、休みの日に築地の場外市場へ出向き、店の仕入れでいつも世話になっている卸に頭を下げ、身銭を切ってはらこ鮭を丸々一尾を仕入れたのだ。


 悪戦苦闘して取り出した筋子を丁寧にばらして、苦心の末に作った調味液に漬け込み、魂を込めてイクラにした。


 「俺は一切教える気は無い」というのが親方の教育方針だった。


 龍地は技を盗むべく、視神経が焼き切れんばかりの集中力で親方の立ち振る舞いを見て過ごした。親方の仕込んだものは欠かさず、ちょろまかして味見をし、必死に舌へ味を染み込ませた。


 そんな中でも、端材を拝借して完成させた握りは、いつも親方は食べることなく、結局、自分の胃袋に収まるのが常だった。


 寿司下駄の上、一番右にかっぱ巻き一本を6等分にしたものを並べ、その左に意地のサーモンを2貫、そしてさらにその左に気合のイクラ軍艦を2貫並べた。


 かっぱの巻物を親方は口に運んだ。いつも通り、無言で目をつむりながら咀嚼している。


 巻物をすべて平らげると、親方はじっと、サーモンの握りを睨みつけた。視線だけで炙りができるのではないかと思うくらいに、じっくり見た挙句……


「刃の入れ方がなってねぇ」と一言だけつぶやいた。


 感想など、ネガティブな内容すらもらうことが無いのが日常なので、龍地は少し意表を突かれた。


 サーモンと同じように親方はいくらをじっくりと眺めた。その圧力だけで、ぷちっと赤い粒がはじけるのではないかと思うほどの気迫だった。


 圧力が、すっと一瞬ほどけたかと思う、親方はいくらの軍艦を手に取り、一口で丸ごとほおばった。やはり目をつむり、無言でじっくりと味わう。


 そして、ごくりと飲み込む、目を細めて何かを感じ取ろうとしていた。


 そして――


「暖簾出せ。店開けるぞ」と、いつも通りのセリフを続けた。


「……はい」

 

 龍地はモヤモヤとした感情が湧きたつのを誤魔化せないでいた。

 

(くっそ……。食ったなら、せめて一言でもほしいぜ)


 ――午後六時の開店時間。少し過ぎたくらいで、店の入口の引き戸がガラガラと開いた。


「――よう大将。今日も邪魔するよ」


 常連の元禄(げんろく)爺さんだった。


「いらっしゃい。いつもありがとうございます」


 親方は、いつも通りの一言で出迎えた。

 

「また今日も、いつもの流れで頼みますわ。白身からね」

「ありがとうございます」


 龍地はおしぼりを元禄に出すと、

 

「お兄ちゃん、今日も大将に絞られたんかい」

 

 元禄はニヤニヤしながら龍地の顔を見た。

 

「へい。……でも、まだまだなんで、自分」

 

 カウンターの中で、親方は黙々と自分の仕事を始めた。

 

「――スズキ。お待ちどうさま」


 つやつやと輝く白身魚から始まった。

 

 元禄は目の前に出された握りを、見とれるように眺めると、ちょんと醤油につけ、さっと口に運んだ。シャリは口の中ではらりとほどける。淡白な身の旨味が、静かに舌へ存在を訴える。


「うん、今日もうまいね」

 

 ――そして、赤貝、マグロと続き、次はイクラというところで、親方は元禄に声をかけた。

 

「もしよろしければなんですが……、今日のいくら、うちの見習いに握らせていただけませんか」


 龍地は、突然の親方の言葉にギクリと驚いた。

 

(おいおい、マジかよ)


 元禄は、親方の目をじっくりと見据えて、口を開いた。

 

「……いいよ。大将たっての頼みだ。俺は何も言わないよ」

「ありがとうございます」


 親方は龍地の方を見た。

 

「タツ、握れ。……お前のイクラを使え」

「……え、いいんですか」

「早くしろ。お客様を待たせるな」

「は、はいっ」


 龍地は慌てて冷蔵庫から、自分が仕込んだイクラを取り出した。


 きっちり手を洗い、ふわふわのシャリを手に取った。パラっとほどける触感が残るようふんわりと握り、海苔を巻き付け、その上に、渾身のイクラをたっぷり盛りつけた。

 

「お待たせしました」


 握りを出すその手は思わず震えていた。龍地は足が震えるのを必死で床に踏みつけ、抑え込もうとしていた。


 ――元禄は輝く赤い粒を乗せた軍艦を、じっくり眺めた。


(あれ、やっと俺の握りを出せるってのに、なんでこんな逃げ出したいくらい緊張してるんだ……)


 ――ぱくりと軍艦を口に放り、ゆっくり咀嚼した。


(くそっ、顔が、耳が熱い! 賄いで親方に出すときの十倍キツイ!)


 ――ごくり、と飲み込む音が聞こえた。

 

 その音を最後に、世界から、一瞬、音が消えた。

 

 ――そして……

 

「うまいよ。最高に魂が籠ってる。いい仕事したね、お兄ちゃん」


 元禄のその言葉を、龍地は理解できなかった。

 

「ありがとうございます」


 後ろで、親方がそういったのが聞こえた。

 

 ――理解が追い付いてきた。自分の握りが褒められたのだ。

 

「あ……、ありがとうございますっ!」


 龍地は内からこみ上げる何かを感じたが、ぐっとこらえた。

 

「……卸のマサさんにも感謝しろよ、タツ」


 はらこ鮭をどこで仕入れたのかを龍地は親方には一切言っていない。

 

(……お見通しってわけか。親方にゃ、まだまだ敵わねえや)


「いやあ、今日はいい夜だ。気分がいい。冷酒もお願いしちゃおうかな」

「承知しました。今日のおすすめは――」


 そういう親方の口元は、いつもより心なしか、口角が上がっていた。

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