レンズ越しの感性

サンキュー@よろしく

お題:「普通」「イジメ」「感性」

 待ち合わせ場所の公園で待っていると、少し遅れて彼女が小走りでやってきた。


「ごめん、お待たせ!」


 ぱたぱたと駆け寄ってくる彼女を見て、僕は思わず目を瞬かせた。今日の服装はいつもの感じなのに、何かが決定的に違う。なんだろう、この違和感は……。ああ、そうか。


「そのメガネ……どうしたの? 急に」


 彼女が今日かけているのは、いかにも古めかしい、細い真鍮フレームの丸メガネだった。


「ふふん、気づいた? 骨董市で見つけちゃったの。どうかしら?」


 彼女は嬉そうにくるりと一回転してみせる。うん、まあ、なんていうか……。


「見事に明治メガネっ子(メガネッコ)だね。似合う、のか……?」


「『のか?』は余計よ。これはね、ただのファッションじゃないの。私の眠れる才能を呼び覚ますためのデバイスなのよ」


「デバイスって……。また大げさな」


 僕が笑うと、彼女は真面目な顔で首を横に振った。


「あなたは分かってないわね。こういう昔の道具には、作った人の魂がこもっているの。特に昔のガラスレンズなんて、職人さんが手作業で磨いてたから、一枚一枚、微妙に歪みや揺らぎがあったらしいわよ」


「へえ、そうなんだ」


「ええ。だから、今の均一で完璧なレンズみたいに、世界をありのままに映すだけじゃないの。レンズの向こう側が、少しだけ違って見えるのよ。それが、持ち主のを刺激するの」


 なるほど。いつもの雑学タイムが始まったな。


「つまり、そのメガネをかけると、君の感性がパワーアップするって言いたいの?」


「そういうこと。の世界に飽き飽きした私に、新しい視点を与えてくれる魔法のアイテムなのよ」


 彼女はそう言うと、メガネの蔓をくいと押し上げ、公園の景色をじっと見渡し始めた。


「……見えるわ。私には見える……」


「何が?」


「あそこでハトに餌をあげてるおじいさん……あの人、本当は引退した凄腕のスパイよ。ハトとの交信で、今も世界の平和を守っているの」


「……本気で言ってる?」


「もちろん。あの噴水の周りを走り回ってる子供たちも、ただの子供じゃないわ。彼らは未来から来たタイムトラベラーよ。歴史の分岐点を探しに来たの」


 彼女の妄想、もとい、研ぎ澄まされた感性は、留まるところを知らないらしい。僕はため息をつきながら、彼女に手を差し出した。


「ちょっと貸してみて。僕にもそのスパイとやらが見えるか試してみたい」


「あなたに使いこなせるかしら……」


 僕はそのメガネをそっと受け取り、かけてみる。そして、芝生の上で寝転がっている猫を、じっと見つめた。


「……なるほどな」


 僕は意味ありげに頷いてみせる。


「どう? 何か見えた?」


 彼女が期待に満ちた目で僕を見る。よし、乗ってやろうじゃないか。


「君はまだまだ甘いな。物の本質が見えていない」


「な、なんですって!?」


「あの猫、ただ昼寝しているんじゃない。あれは、この公園一帯を縄張りにするマフィアのボスだ。今は昼寝のふりをして、敵対組織の動きを監視しているんだよ」


 僕が芝居がかった口調で言うと、彼女は「ええっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。


「じゃ、じゃあ、あそこの売店のお姉さんは!?」


「彼女はコードネーム『アイスキャンディ』。各国を渡り歩く伝説の武器商人だ。一見普通の売店に見えるが、合言葉を言えば、バニラアイスの中から最新鋭のレーザー銃が出てくる」


「そ、そんな……。私の感性でもそこまでは……」


 悔しそうに唇を噛む彼女を見て、僕は内心でガッツポーズをした。たまにはこうやって一本取ってやらないとな。


「どうだ。僕の研ぎ澄まされた感性の前では、君の妄想なんてまだまだひよっこだ」


 僕が勝ち誇ったように言うと、彼女は「むきーっ!」と唸りながら、僕の手からメガネをひったくった。


「もういいわ! そんなすごいメガネ、あなたなんかに貸してあげないんだから!」


 彼女はメガネをかけ直し、ぷいっと横を向いてしまった。その姿がおかしくて、僕は思わず吹き出してしまう。


「なあ、ちょっといい?」


「なによ!」


「そのメガネさ、君の言う『昔のガラスレンズ』じゃないと思うぞ」


「はあ? そんなわけないじゃない! 骨董市で見つけたのよ!?」


「いや、だってかけた時、視界が全く変わらなかったし。ほら、ちょっと貸して」


 僕は半ば強引にもう一度メガネを受け取ると、レンズを指でコンコンと軽く叩いてみせた。ガラス特有の硬い音ではなく、軽いプラスチックの音がする。


「ほら、やっぱり。プラスチックだよ、これ。それにレンズもフレームもピカピカで傷一つないし、たぶん最近作られた伊達メガネだよ」


 彼女は信じられないといった顔でメガネを受け取ると、レンズ越しに自分の指を見つめた。全く歪みも揺らぎもない、ただの透明なプラスチックの板だ。


「…………」


「つまり、僕らがさっきまで見てたスパイもマフィアも、全部ただの思い込みってことだな」


 僕がニヤニヤしながら言うと、彼女はみるみるうちに顔を真っ赤にした。


「……こ、これは……感性を試すための、いわば『試験用のメガネ』だったのよ!」


 苦しすぎる言い訳を叫ぶ彼女の横で、僕はもう笑いをこらえることができなかった。

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