浜村葦考 三
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浜村葦考 三
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季節は過ぎる。僕は置いていかれたのだろうか。僕を取り巻く外気は、あの初夏の一日からやんわりと止まってしまっている。
ふと思い返せば皮膚はあの日の太陽に曝されたように〝暑い〟と嬉しそうに嘆き続けているし、虹彩を突く陽射しはいつまで経っても高いままだ。
もうすぐ冬の背中が見えなくなる。新しい春が手を伸ばしてゴールテープを触ろうとしているのにも関わらず、夏空の匂いが貼り付けられた電光掲示板が煌々とうるさく光っている。集る虫すらも愛おしい、そのくらい。
脚本は完成した。そこからエンタメ性を補完するために、僕は景良さんが思いをぶつけていた波のうねりをCGで再現しようと試みた。そうしてCGの勉強を始めたのが3ヵ月ほど前。
少し齧っていた父親の助言と指導もあり、少しだけ目上の人になら見せても問題ない程度のクオリティには育っていると思う。
しかし、そこで大きな問題に直面した。雇う役者が悩ましい、ただその一点だった。
書き直した脚本は誰に見せても恥ずかしくないと自負している。CGだってそれなりだ。けれど、エンタメ性を著しく増幅させて、かつ僕の意図を完璧にとは言わないが汲み取ってくれる役者が、加えて原作者兼主演俳優である景良さん自体のイメージも崩さない、そんな役者が見つからないのであった。
僕は悩んだ。父親に頼れば、昔の縁を手繰り寄せるなりすればすぐにでも役者は見つかるだろう。けれど頼りたくはなかった。この映画は、僕ひとりの力で作り上げてみたい。景良さんに、僕を批評してほしい。
僕なりの、僕だけの最高点を叩きつけたいんだ。誰かと功績と批判を山分けするのは嫌だ。両の手に収めていたい。僕だけを褒めて、僕だけを貶して、僕だけを見て、僕だけを聞いてほしい。
そんな執着があるから、詰まるところ悩んだ。
脳みその皺は、多分何本かが絡まっていて危ない。
……捏ねくり回した結果、僕がこの映画の主演俳優になるしかないのだろう、という結論に至った。
この問題からずっと逃げていた。なぜなら、特段華やかな容姿を持っているわけじゃないし、演技なんてきっと素人が鼻で笑える。何かを演じるということは素の自分を知っている人に嘘をつくということだから、嘘つきに多少ではない抵抗がある僕には向いていない気がしてやまない。
けれど、僕は僕自身の力だけで、この映画を完成させたい。
「……よし」
中途半端に括っていた腹を今一度勢いよく括りつけた。
それから僕は、父親に演技を学び、カメラを持って海浜公園へと足繁く通うようになった。
♢♢♢
「……次が最後のシーンかな」
砂浜に座り込む。春はもうすぐ終わるから、潮の匂いが仄かに温かい。
あの映画に出会った日から、もうすぐ1年が経つ。最低限を通うようになった中学校は、進学先の網に爪を掛けんとする必死の形相で溢れかえっていた。僕も他人事ではないけれど、今は路傍に置いておいて。
動画サイトに上がっていたあの映画を逐一眺めながら、僕なりのエッセンスを加えて、解釈を崩さないように調理した。解釈違いを
海は静かだった。編集で後からそれなりに騒がしくするつもりだから海に向かって叫び続ける僕は今この段階では多少浮いているけれど、最終的なバランスは丁度よく仕上がっているはずだ。
波打ち際へと駆ける。当然砂は後ろに蹴られて、埃のように舞い上がる。激情を顕にし、思いのままに演出家への思いをぶつける。
これはあの映画の最後のシーンだ。馬の合わなかった演出家への、反省と不満の心得を力強く投げかけるシーン。その瞬間が今まででいちばん感情が乗っていて、白波景良という人間の本質が分かりやすいような瞬間だった。
そう。彼は幼かった。僕が言えたことではないが。
彼は恐らくは幼さゆえに、周囲に求められる自己を惜しみなく表現することが、苦手だったのだろう。自分なりの最高点をなんとなくで出すことはできても、求められる最高点を直ぐに理解するには及ばなかった。
だから身勝手な演技しかできず、それが違うと否定されるうち、だんだんと腐っていったのではないだろうか。瞬間的な言語化も苦手そうだ。今その瞬間に覚えている感情を上手く言語化することができなかったから頻繁に人との軋轢を生んでいた……とうかがえる。
彼のSNSを見るに今でこそ役者として細々と仕事をしているようだが、以前は役者業を休職していたとも聞く。挙げた過去の懊悩がもし本当なのだとしたら、そりゃ疲れるよな、と僕はこぼした。
真っ赤な他人が求める最高点なんて、僕だって分からないもの。
そして恐らく、この『Surge』は彼が休職期間中に撮った映画だ。彼の仕事は、これを境に多少ではあるが増えている。僕が見れる範囲の作品はそれまではエキストラの仕事しか現存しているものしかなかったが、休職期間を抜けると、それなりに見かけるようになった。
やはりこの映画は、彼にとっての何かを変える、精神的な幼さから脱却するための何かを孕んでいる。
〝何か〟といっても、それは
海に向かって話しかけている彼だが、まずは簡単な挨拶。そして波打ち際に座り込むと、そこからは一辺倒。贖いだけだ。自身を見つめ直すためなのか、海に
もしかして彼はこの映像を元々映画にする予定はなく、自身の罪を綴った遺書のようなものにするはずだったのではないか。
だって、最後のシーンは明らかにおかしい。最後であろう贖いを終えた後、カメラにノイズが走る。それが消えると、ずぶ濡れの景良さんだけが砂浜に放り出されている。これは恐らくだが、海に引きずり込まれそうになったからなのではないか。彼はそもそも海とそういう契りを交わしていて、罪を贖い終えた暁には、海の一部となることを許す、とか、そういうオカルティックな妄想が捗ってしまうような。
だから死ぬことが前提で、そこまでの備忘録としてこの映像を撮っていたのではないか、というのが僕の結論。間違っていてほしくない。彼の海に対するスタンスがこれと違うと、いよいよ解釈違いが甚だしくなってしまう。妄想を垂れ流すとはまさにこのことだ。
「……まあ、僕は僕なりにリメイクをするから。絶対見てね、景良さん。……間違ってたら、けっこう強めに叱ってほしいな」
最後のシーンを撮るために、僕は海へと身を投げる。あの日、景良さん……白波景良という人間が感じていた思いを、恙無くリメイクするために。
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