第9話 やっぱりおかしい正ヒロイン。

「葵? 誰それ? また浮気相手?」


 問うた先から「いや待て」となる。


 アイスのスプーンを片手に、陽花がジト目でこっちを見つめてくるわけだけど、俺は強く否定した。違う、と。


「浮気相手ってなんだよ。俺がいつ浮気した? 俺の一番は今のところ陽花で確定してるんだが?」


「知ってる、とらくん? 浮気する男子はね、いつもそうやって都合の良いことばかり女の子に言うんだよ?」


 言いながら、俺のキャラメルアイスをスプーンで掬う陽花。


 許可も得ずに流れるようにそれをパクりと自分の口へ運んだ。


 まあ、別に良いんだけどさ。食べても。


「陽花、残念だけど俺はそのパターンに該当しない。その証明として、帰ったら一緒に風呂に入ってやる。覚悟しとけ」


「あぁ〜、私は都合の良い性欲処理に使われるんだねぇ〜。ヤダヤダ〜」


「わかった。ならもう一回あーんしてくれ。今度こそしゃぶるようにアイスを食べてやる」


「うわ、うわ、うわぁぁ。とらくんが変態になった。浮気属性だけじゃなく、変態属性まで身につけてきたぁ〜」


 よくわからないやり取りに発展する俺たちの会話。


 けれど、陽花の意識が葵だったとしても、それは記憶のほとんどが失われているということがよくわかった。


 どうやら葵と言われてもピンとこないらしい。


「しかし、なるほどだな。陽花の中に葵はいない可能性が高いということか」


「……? 何? どういうこと? とらくん一人でぶつぶつ言ってどうしたの? 浮気の作戦考えてる?」


「なわけなかろうが。マジほんとお前覚悟しろ? 今日はもう帰ったら一緒のベッドで寝るぞ? 俺がどれだけ陽花のことを好いてるか、お前が寝るまで喋り続けてやる」


 唾を飛ばしながら俺が言うと、陽花は頰を朱に染めつつ、しかしジト目を向けながら、


「浮気とらくん……どんだけ私のこと好きなのぉ……?」


 と、嬉しそうにしていた。


 くそ。こういうところがまた可愛い。


 照れてるくせにジト目なの最高だろ。なんだこのあざと義妹。


「けど、葵って女の子、私は知らないよ。一ミリも、これっぽっちも知らない」


「そうか。なら、もう一人の奴にも聞いてみなくちゃいけないな」


 そう言いながら、俺がとある女子のシルエットを思い浮かべた矢先のことだ。




「あれ? お前……」




 突如として、すぐ後ろから聞き覚えのある声がする。


 あまりにも近くで声を掛けられ、それが俺のことを指しているような気がしたからそっちへ振り返ると、


「っ……!」


 そこにいたのは、ちょうど今頭の中で思い浮かべていた女の子と、ラバポケの主人公だった。


「瑠香と……八神遊星……」


 つい二人の名前を呟いてしまい、俺は自分の口を押さえる。


 特に瑠香。


 こいつのことを完全に下の名前で呼んでしまっていた。


 陽花がいるから相手にしない。それが故に馴れ馴れしくもしないつもりだったのにこれだ。


 案の定ラバポケの主人公様、八神遊星は俺に睨みを利かせてきた。


 馴れ馴れしくするな、という思いがこれでもかというほどに込められている。


「偶然だね、二人とも。朝以来だ」


 敵意剥き出しの遊星とは対照的に、瑠香がサラッと軽く挨拶してくる。


 朝以来。


 何気ない彼女のセリフを聞いて、遊星はギョッとしていた。


「瑠香、何? お前、朝こいつとどっかで会ってたの?」


 警戒の色が深くなる遊星。


 かち合って早々に二人の雰囲気はどこか悪いものになっていた。


 何もしていない俺と陽花はただただ気まずい。


 陽花なんてジッと不安げに俺の方を見つめてきていた。


 足元では俺の足に自らの足を絡ませてくる。


 俺を取られないように、という意味合いでも込められているのだろうか。


 半分妄想だけど、理由はよくわからない。でも、そんな気がした。陽花は最大限瑠香のことを警戒している。


「わざわざ約束して会ったわけじゃない。今みたいに本当に偶然。たまたま会って会話しただけだよ」


「たまたまでもダメだろ? なんでだよ? 瑠香、こいつのこと警戒してたじゃん? 怖いって言ってたじゃん? 近付いたら何されるかわからない。危ないんだから」


 慌てて説得するように言う遊星。


 そして、その視線の先は瑠香から俺へ移動する。


「最悪の気分だ。放課後の時間にお前に会うなんて」


 当然だが、見事な嫌われようだ。


 恐らくこれは瑠香ルートなのだろう。


 このルートだと、確か俺は遊星と瑠香が恋人になってもまだネチネチと粘着して恋路を邪魔し続けていた。


 他のヒロインルートと比べても、その嫌われようは随一だ。


 絶対に瑠香は渡さないという遊星の強い意志が光る。


 正直、カッコいい。


 このルートの遊星は、ラバポケプレイヤーの間でもカッコいいと評判だった。


「いいか、今回はたまたまだから見逃すけど、絶対にこれから先瑠香に近付くな」


 俺を睨みつけ、瑠香の体を抱きながら言う遊星。


 これだ。


 こういう俺様感と守ってやる感の強いこいつがカッコいい。


 生で見ると余計に「おぉ」と感嘆の声を上げたくなる。


 まあ、それも何もかも、今は俺に向けられた敵意なんだけどね。


 冷静になると悲しいものだが、それでも俺は頷いた。


「いいよ。安心してくれ。別に近付かない」


 俺には義妹がいる。


 可愛くて、遊星が瑠香を想うくらい大切な陽花がいるのだ。


 だから、瑠香に近付く必要もない。


 それをハッキリと奴らの前で言い切ってやった。


 そして、遊星がしたように、今度は俺が陽花の隣に移動して、華奢な体を横から抱き寄せる。


 視線の先は遊星と瑠香だ。


 義妹愛宣言、ここに炸裂といったところだろう。


「お、お兄ちゃん……」


 震え声の陽花は、感動したように俺をジッと見つめている。


 その目はキラキラしていた。


 まあ、当然か。


 なんせ、あの若野瑠香の前で義妹愛宣言をかましたのだから。


「……へぇ。伊刈君ってシスコンだったんだ」


「義妹だしな。血の繋がりは無いからおかしくはないはずだ」


「おかしいんじゃない? お父さんとお母さんが聞いたらなんて反応するかな? 私は違和感だな。血の繋がりが無いからって」


 どこか嫉妬の色が滲む言い方だ。


 その不自然さを遊星も感じていたんだろう。


 こっちはまた別ベクトルの震え声で、瑠香の名前を不安げに呼んでいた。


「お前……なんか伊刈のことやけに気にするんだな……?」


 と。


 俺もこいつと同じ思いだ。


 朝のセリフといい、本当に訳がわからない。


 どうして俺に執着するようなことばかり言ってくるのか。


 お前の恋の相手は遊星のはずだ。


 俺じゃない。断じて俺じゃない。


 だって、俺はあれだけ嫌われていたはずの悪役、伊刈虎彦だぞ?


 今さら悪役に寝返るとかあり得ない。


 そんなの遊星視点からすればバッドエンドもバッドエンドだ。


 どんなルートミスをしてもこうはなかなかならない。


 原作シナリオでもよっぽどのことが無い限り、虎彦は負け悪役に落ち着くのだから。


「ねえ、遊星? 今日はここでさよならしよ? また明日、学校でね。バイバイ」


「は、はぁ!? 瑠香、いきなりお前何言って……!」


「ねえ、伊刈君? 少し大切な話があるの。女子トイレ、一緒に来て?」


 遊星を無視して俺に語り掛けてくる瑠香。


 だから、どうしてこうなる。


 隣にいる陽花もびっくりだ。


 目を丸くさせて戦慄いていた。


「……ハッキリ言わせてもらう。無理だ。てか、女子トイレとか尚更無理」


「どうして? 前までの君なら喜んでついて来てたはずだけど? 私のこと狙ってるんだし」


「それはもう過去の話だ。今は気が変わった。義妹の傍にだけ俺はいる」


 即座に返すと、陽花はそうだそうだ、と俺に同調してきた。


 横から俺の腕を抱き、獣の如く「がるる……!」と瑠香を威圧している。


 でも、そんな威圧も物ともしない。


 瑠香は小悪魔な笑みを浮かべ、俺の横、空いていたもう片方のスペースに腰を下ろした。


 陽花と遊星の驚きの声が重なる。


 二人とも間抜けな声だった。


 間抜けだけど、俺はそれに対して笑うよりも先に、自分の身を案じていた。


「じゃあ、ここでいい。ここで君の質問にいくつか答えてあげる」


 ヤバい光を目に灯し、ジッと俺を見つめながら、誘惑する悪魔のように語り掛けてくる瑠香。


「る、瑠香……お前……そんな……」


 遊星の脳は確実に破壊されていた。


 震え、怯えるように目の前の俺と瑠香を見つめている。


「いいじゃん? 遊星はいつだってちょっとしたハーレム築いてるし。私が伊刈君と少し話すくらいなんてことはないでしょ?」


 瑠香がとんでもないことを言った。


 いや、それはお前が言っていいセリフじゃない。


 どこのバッドエンドだこれは。


 こんなルート、ラバポケ内でも見たことがない。


 瑠香ルートじゃなかったのか……?


 俺の中で疑問符が次々に湧き出る。


「ふぐぅ……! ぐぎぎぃ……! お兄ちゃんは……! お兄ちゃんは渡さないぃ……!」


 横にいる陽花も訳がわからないことになっていた。


 警戒と嫉妬のあまり獣化している。


 俺はそんな義妹を見て、ただただ冷や汗を浮かべ続けていた。


「落ち着け陽花。呼び方もお兄ちゃん呼びになってる。落ち着いてスーハースーハーするんだ。ほら、スーハースーハー」


「ひっひっふー……! ひっひっふー…!」


「うん。それ違うやつな。落ち着け。頼むから落ち着いてくれ」


 そう言っても、落ち着ける訳がないのはわかる。


 陽花も、遊星も、頭の中がぐちゃぐちゃになっているようだった。


 当の俺も混乱を極めてる。


「ねえ、虎彦君?」


 瑠香が自分から俺の呼び方を馴れ馴れしいものに変えてきて、


「私に答えて欲しい質問があるんじゃないの?」


 こうしてうっとりとした視線をぶつけてきながら、


「幾波葵っていう女の子。その子について、私に聞きたいんでしょ?」


 核心を突いてくるようなことを言ってくるから。

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