第2話 悪役になってました
不思議なもので、体に痛みは無かった。
だけど、凄まじい衝撃と共に意識は消え失せ、まるで眠りに落ちたかのように目の前が真っ暗になった。
覚えてる感覚っていうのはそれくらいで、後に残ったものは何も無い。
これから先のことなんて考えられるはずもなかった。
だって、待っているものと言えば『死』のみだ。
意識が無くなったのもつまりはそういうことだろうし、生きているという方向で物事を考えるのはいささか無理がある。
変に期待して、結局生き延びられませんでした、とかになっても気分が萎えるし、それなら死んだと考えておく方が精神衛生上良い。
そう。俺は死んだんだ。
あの時、野良猫を助けて、自らが犠牲になって死んだ。
心残りなことと言えば、ラバポケの瑠香ルートを進めたかったこと。
それから、夢に再三出てくる引っ越し別れした女の子、幾波葵に会うこと。
その二つくらいのものだ。
まあ、恐らくだけど、そうやってやりたかったことすべてをやり通せて死ねる人間なんてそうそういないんだろう、と。なんとなく直感でわかる。
そういう奴はレアケースで、恵まれている。
俺なんかはそういう特別運のいい人間、みたいな星の元に生まれてきてるわけじゃないから、最初から期待するだけ損だ。
こういうものとして、何もかも受け入れて死ぬ。そうすることしかできない。
……でも、だ。
少しだけ思う。
死んで、意識を飛ばした割にはやけに色々くだらないことを考えられるものだ、と。
なんだろう。
幽霊になる前の準備段階的なものなんだろうか。
人間、死んで少ししたらこうやってまた色々物事を考えられるものなのか?
だとしたら、なんかすごく嫌だ。
幽霊とかそういうの、普通にいそうだって思っちゃうし、未練がましく透明な姿でこの世に残り続ける奴だってたくさんいそうだ。
死んだら死んだで、潔く何もかも、思考だって霧散させて欲しいよなぁ。ほんと。
そうこう考えていると、働いていないはずの視覚が突如として機能する。
真っ暗な空間で、何もない『無』として存在しているだけかと思っていたのに、眩しい光によって俺は思わず悶えた。
「……と……くん……! とら……くん……!」
その光の向こうから、何か俺を呼ぶような声も聴こえてくる。
本当に、いったいなんだというのか。
俺は死んだはずで、意識だって二度と戻るはずがなくて――
「とらくんっ!」
瞬間的にハッとした。
視界に映る景色。そこは見知らぬ部屋の中で、眼前には見覚えの無い女の子の顔があった。
「え……? あ、あれ……?」
恐らく半開きになっているであろう口から頓狂な声を漏らす俺。
何もかも訳がわからない。
車に轢かれたはずなのにどこかの部屋の中にいて、そこは病院でも無ければ知っている場所でもない。
おまけに、仰向けになっているであろう俺のことを心配そうに見つめてくれている、切れ長の瞳をした黒髪の美少女。
眼前にある彼女の顔もまるで面識がなく、ただひたすらに疑問符を大きく浮かべるしかない。
ここは……どこ? あなたは……誰?
そう言葉にしようとして口元をもごつかせるものの、それを遮るように美少女が前のめりに鼻息荒く突っ込んでくる。
「とらくん! 大丈夫、とらくん!? 息してなかったよ!? いつもなら私が起こしに来たらすぐ起きるくせに、大丈夫!?」
「え……っと」
「えっと、じゃわかんない! 大丈夫なの!? 大丈夫じゃないの!? どっち!? 意識はハッキリしてる!?」
「それは……ハッキリしてる」
「ほんと!? 私医学部志望だけどまだお医者さんじゃないんだからね!? ちゃんと言ってくれなきゃわかんないよ!?」
いや、そこは医者でもちゃんと言わなきゃわからんと思うが……。
「……その、ごめん。心配してくれてるのはありがたい。ありがたいんだけど……」
「うん! 何かな!? 喉渇いた!? 朝だもんね! 寝てる時に気付かないうちに汗かいちゃってるもんね!?」
非常に近い。
心配そうにしながら、面識のない美少女はグイグイ俺に迫ってくる。気付けば俺の体に馬乗りになって顔を近付けてきてた。体勢的にとても良くないと思う。
「何!? なんでも言って!? 体だるい!? 疲れ溜まってた!? 学校は休んだ方がいいんじゃない!? とらくん頭いいし、一日くらい休んでも別に――」
「待って。待ってくれ。タイム」
寝ぼけた声でぽつりぽつりと返答するだけの俺だったが、ここは割としっかり声を上げさせてもらった。
それくらいしないとこの美少女は止まりそうにない。
「申し訳ないけど、ちょっとこっちから質問させて欲しい。いい?」
「え。いいけど」
あっさりだ。ソワソワしながらもあっさり。
そういうことなら、と遠慮なく切り出させてもらう。
「まず、さっきから君が言ってる……とらくん? それってもしかして俺のこと?」
空気が固まった。
問うた瞬間、美少女はカチンと固まり、口を半開きにさせてショックを受けているよう。
「へ……? へ……? へっ……!? ど、ど、ど、どういうこと……!?」
「いや、どういうことって、それは俺のセリフだよ。俺の名前は正木俊介って言ってだな。地味ながらもありがたい名前を両親から頂戴してるわけ。すまんが人違いじゃ――」
「どういうことぉ!?」
「むぐぅあ!?」
最大限困惑しながら俺の鼻をつまんでくる美少女。
やめろ。急に鼻をつままれたら耳の方に空気が入るか何かしてちょっと変な感じになる。頭を左右に振って逃れ、すぐに唾を飲み込んで治した。でも、またすぐに鼻をつまんでくる。なんで鼻にこだわるのこの子!?
「ちょ、やべて(やめて)!? はなつばぶのやべて(鼻つまむのやめて)!?」
「とらくんが記憶喪失になった! とらくんが記憶喪失になっちゃたぁ! お父さん! お母さん! 記憶喪失だよぉ!」
叫んでいるところ悪いが、再度鼻つまみから強引に逃れ、塞ぐようにして顔を枕で覆った。
「本当にどういうことなの……!? 正木俊介って誰……!? とらくん、やっぱり今日おかしいよ……!」
「俺はおかしくない。正常だ。でも、俺が正常であるということ自体おかしいとも言えるかもだけど」
「……何言ってるの?」
すごい冷静に返された。ほんと、何言ってんでしょうね。
「ごめん。自分でも訳わかんないこと言ってる自覚はあるんだ。許してくれ。状況が状況だから」
「状況が状況ってどういうこと? もしかしてあなた、正木俊介って名前しておきながら、とらくんに扮して
「ちょっと待って、たぶん通報案件じゃない。冷静に話し合ったら落としどころの見つかる勘違い的な話だと思うから待って。スマホに番号入力して電話掛けようとしないで。待って」
なんとか説得し、美少女の通報をストップさせる。
簡単にというか、お願いしたら割と素直に言うこと聞いてくれる子だからまだ安心だ。切れ長の目をしていて性格的にキツイのかもしれない、と思ったが、どうもそうじゃない様子。
様子……だけど、彼女から出た言葉に俺は微妙な引っ掛かりを覚えていた。
「……
「そう。
雷に打たれたような衝撃。
サラッと、本当に何気なく明かされた事実。
動揺しながら、俺は美少女を腰の上からどかして、ちょうど置かれていた姿見の前に立つ。
「――ッッッ!? え……あ……!? あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?」
俺の絶叫が部屋を突き抜け、空高く飛んで行くのだった。
そこにいたのが、ラバポケの悪役男子、伊刈虎彦そのものだったから。
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