10話 +1
冒険者ギルドの裏口から出てきたのは、受付嬢のラン。
長い金髪を揺らしながら、ふんふんと鼻歌交じりに歩き出す。
彼女がペルポへ来たのは数年前。ギルドの採用試験に合格してから、ずっとこの街で働いている。
「ユリウスさん、頑張ってたな――私も見習わなきゃ」
空を見上げながら、星空を見つめる。
だがそのとき、右腕に痛みが走る。
慌てて視線を向けると、漆黒の剣が右腕を通り過ぎようとしていた。
まるで、切断せんとばかりに。
急いで引っ込めるも、肉を切り裂かれる。
あわや切断というところで、魔力を漲らせた。
振り返ると、そこに立っていたの毛布にくるまった少女――リドゥル。
「な、何をするんですか!? リドゥルさん!?」
「あなた、ユリウスの身体に触れたよね」
不敵な笑みを浮かべ、身も震えるほどの魔力を漲らせ、漆黒の剣を手にしている。
「な、何の話ですか!?」
「わざと倒れこんだ。ユリウスに触れたかったんだよね」
「え? 誤解です! 私は何も――」
ランの言葉が終わる前に、リドゥルの剣が伸びてくる。
――否。地面を蹴って、刺突していた。
ランは、間一髪のところで回避する。
リドゥルは通り過ぎたあと、ゆっくり振り返る。
「や、やめてリドゥルさん! 何か勘違いしてる!? 私は何も――」
「――ねえ、いつまで猿芝居をしてるの? 私の目は節穴じゃない」
リドゥルが真顔で言い放つ。
すると、ランも恐ろしいほどの笑顔を見せた。
「……猿芝居って?」
「リドゥルに触れたとき、強力な探知魔法を付与しようとした。でも残念、ユリウスは
「……へえ、そこまでわかっていたんですね。だから、私を睨んでたんだ」
リドゥルの言葉に、ランはけたたましく笑う。
「ユリウスは私の命の恩人。変な事したら……殺す」
リドゥルの言葉に、ランが真顔になっていく。
「……あなたはユリウスさんの何を知ってるの? 偶然助けられただけの奴隷のくせに」
「ようやく正体を見せた」
「ユリウスさんはね、素晴らしい人なの。落ちこぼれの私みたいな女にも優しく声をかけてくれて、辛いときには手を差し伸べてくれる。――何も知らないくせに、知った風な口を聞かないで」
ランは、どこからともなくロングスピアーを取り出した。勢いよく駆けると、リドゥルへ連続攻撃を放つ。
「ユリウスさんは、この街にいてもらわなきゃ困るの。私と一緒に上を目指すの! あなたは、いらない!!!」
目にもとならぬ攻撃――だが、リドゥルはそのすべてを捌ききると、ランの腹部に蹴りを入れた。
地面をすべるように吹き飛ばされたランは腹部を押さえる。
苦痛に顔をゆがめながら、前を向く。
「……あなた、何者」
「私はリドゥル。ただの、リドゥル」
「うるさいうるさい、うるさい――」
目に光を宿らせると、ランはふたたびリドゥルに連続攻撃を放った。
でも、当たらない。すべての攻撃が捌かれる。なんで、どうして、ありえない。
私は、私は――。
『ラン、君の不貞行為にはがっかりだ。残念だが婚約破棄してもらう』
田舎村出身のランには婚約者がいた。
だが結婚間近で浮気をされてしまい、それを問いただすと、逆に不貞行為を働いたと言いふらされてしまう。
あらぬ噂は村中を駆け巡り、おぞましい嫌がらせの数々に耐え切れなくなった彼女は村を出ることを余儀なくされる。
けれども、世間を知らない女が一人で生きるには厳しい世界だった。
冒険者になるには力もない。身分もないランには仕事は見つからない。
彼女は、冒険者の戦いを間近で観察し、見様見真似で戦闘の訓練をし始めた。
弱い魔物を見つけては命がけで戦い、血反吐を吐き、身体中に痣を増やしながら前に進んでいった。
決して身体は売らなかった。自らを陥れた相手のような屑にはならないと、時には乞食をしながら、泥水をすすった。
そんなとき、冒険者ギルドの受付募集を見つけた。
根性だけはあると知られていたおかげで、ランはなんとかペルポで働くことができた。
これでようやく、そう思っていたが、現実は甘くなかった。
冒険者ギルドの受付とは、荒くれものを相手にする稼業である。
仲間を失った冒険者が逆恨みで激怒してくることもあった。
殴られることもあれば、つばを吐かれることもある。
だがそれでも耐えた。耐えてきた。
どんな理不尽な言葉を投げかけられても、生きてさえいればいいことがあると。
かつての治療費により膨れ上がった借金を返しながらも、味のないパンを食べ続けた。
しかし、そんな彼女の精神が限界に達していたとき、ユリウスと出会った。
同じような田舎村の出身であり、一人で生きてきた。
文句も言わず、聡明で、身の丈よりもつつましい生活をしている。
自分のような人間にも優しく接してくれるどころか、常に笑顔で話し掛けてくれる。
冒険者から身を挺して守ってくれたこともあった。
それがどんなに嬉しかったのか。どんなに支えになっていたのか。
だからずっといてほしかった。この街を卒業してほしくなかった。
彼が、本当は強いと知りながらも。
「あなたはユリウスに弱い魔物を狩り続けさせていた。普通、この街ならソロへの依頼なんてほとんどない。――依頼書を偽造して、身銭を切ってまでユリウスに依頼し、お金を渡し続けた。それはなんで?」
「……そこまでわかってたんだ。私は、ユリウスさんにこの街から離れてほしくなかった。私がいる限り、依頼は途切れることもない。でも……いつかきっと私から離れてしまう。――そして」
罪を犯した。
いつも通り、ランは、偽造の依頼書をユリウスに手渡した。
だがそのあと、強い魔物がダンジョンから逃げ出したとの報告が来た。
最悪にも、ユリウスのいる場所に。
急いで追いかけた。自分のせいで、ユリウスが死んでしまう。
だが到着したとき、予想外の光景を目の当たりにした。
ユリウスは逃げず、ダンジョンの魔物に立ち向かっていた。
俊敏な動きで凄まじい攻撃を回避しながら、着実に魔物にダメージを与えて、倒した。
あまりの綺麗さに、ランは、ただただ見とれてしまった。
それでもユリウスは怪我を負った。大事には至らなかったものの、自分のせいだと、ランは自分を強く責めた。
「凄く後悔してる。私は、私のせいでユリウスさんを危険な目に遭わせた。でも……醜くも……嬉しかった。ユリウスさんがこの街に残ってくれていることが。――だから、探知魔法を付与したかった。彼はもっと凄くなる。もっと上へいく。そうなると、どこへいくのかわからない。私は彼の傍にいたい。ずっと見守っていきたい。私は罪を犯した。――だから、私のこれからの人生は彼を支えるために使う!!!!」
ランは、さらに魔力を漲らせた。
いつ何時でもユリウスを助けられるよう、受付の仕事が終わると鍛錬をかかさなかった。
胸を張って、ユリウスを守れるように。
必死に、ただひたすら必死に――。
「でもそれはユリウスの望んだことじゃない」
しかしランの槍は届かなかった。リドゥルの漆黒の剣によって破壊される。
衝撃で倒れこみ、天を仰ぐ。
村を出るときにみた、皮肉にも綺麗な星空が見える。
「……私は……ただ……ユリウスさんの傍にいたくて……」
どれだけ足掻いても何も手にいれられない。
これは罪だ。私は、死ぬ。
ああ、最後に一目、ユリウスさんの顔を見たかった――。
だが伸びてきたのは剣ではなく、リドゥルの手だった。
「あなたには罰を与えた。私は、これで終わり。あとは、ユリウスが判断すること」
「……許してくれる、の」
「私が決めることじゃない。だから、ユリウスには話す。でも多分、ユリウスはわかってる。彼は、頭がいい」
ランも薄々気づいていた。ユリウスが怪しんでいることも。
でも、戻れなかった。
ランは……リドゥルの右手を掴んだ。
「ごめんなさい。私はもう……彼には近づかない」
「私は彼の剣と盾。――あなたは、耳」
「どういうこと……?」
「私はこの街を知らない。情報もない。――もしユリウスが許したら、あなたはユリウスの安全のために動いて」
リドゥルの言葉に驚きを隠せないランだった。けれども、しっかりと頷く。
「――ユリウスさんはここ最近、相当な実力をつけています。それに気づき、快く思っていない人もいるかもしれません。また、奴隷商人にはきな臭い噂があります。私が調べておきます」
「よろしく。それと、怪我させてごめん。そこまで考えていたとは思わなかった」
「……大丈夫ですよ。これぐらい、いい痛みです。それより、ユリウスさんにちゃんと謝りたいです」
「今から一緒に行こう」
「……ありがとうございます」
ランはふたたび空を見上げた。あの日見た綺麗な星空は、とても憎かった。
でも今は新しい記憶で上書きされた。
同じ人を愛する仲間がいたと知ったのだから。
「それにしてもリドゥルさん、あなた……強すぎませんか? 私、これでも結構鍛錬してたんですけど……」
「強くない。今は……全盛期の100分の1の力しか出てない」
「嘘ですよね?」
「本当」
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