第26話【樽の口から出る合図】

ゼミ室に謎の樽が置かれた。ゼミの先輩が「景品抽選の決め方で揉めるから、これで「運試ししよう」と言って、黒ひげ危機一発を机にドン。色とりどりの剣が光る。名雪さんが目を細めた。


「懐かしい。これ、家によって“飛び出させた人が勝ち”派と“負け”派に分かれるんだよね」


「公式は“勝ち”です。ただ、ややこしくて、発売当初は"飛び出したら勝ち"、その後、TV番組の影響で、世間のイメージに合わせた"飛び出したら負け"に変更、2025年の7月に原点回帰で"飛び出したら勝ち"になっています」


「まじか。変わったの最近なんだ。じゃあ、今日は公式に従うと、男気ルールで買った人が買い出し係」


ナイフが配られる。俺は青、名雪さんは赤。円卓を囲んで、右回りに一本ずつ。静電気みたいな緊張が机を走る。まるでターン制のローグライト。名雪さん一本差し、異常なし。次の人、異常なし。俺の番。穴の縁に指をかけて、深呼吸。


「茨木くん、こういうの顔に出ないタイプ?」


「心拍には出ています。スマートウォッチが正直です」


カチ、と手応え。海賊は沈黙。安堵の笑いが走る。名雪さんは、ほんの少し手首を返して、赤い剣を滑らせた。何も起こらない。


「これ、確率どれくらいなんだろ。穴の数×参加人数の期待値で議論できそう」


「当たり穴は一つですが、刺す深さや樽の個体差もあります。実験計画法の出番ですね」


「理系病だよそれ」


二巡目。「最近のソシャゲの“ガチャ演出”感ある」などと笑いながら、剣は次々と吸い込まれていく。樽は限界に近づき、穴の周りが満員電車。誰かが小声で「俺、この戦いが終わったら告白するんだ」「フラグ立った」と言い、「それ言うな」と制した。


三巡目、俺の前で一人が肩をすくめ、刺す——沈黙。俺の番が来る。視線の端で名雪さんが一瞬だけ頷いた。肩の力を抜け、の合図だ。俺は一本選び、斜めからゆっくり押し込む。


ポンッ——海賊が空に跳ねた。拍手と笑いが弾ける。俺は両手を上げ、勝者の笑顔を作る。


「買い出し、行ってきます」


「良い男気、でも気持ちいい跳ね方だった。今の、スローモーションで撮れてたらバズる」


「買い出しは勝者の特権ですからね。そこに映えが重なるなら本望です」


「ね、買い出し一人は大変だし、もう一回だけやろ。茨城くんがまた買ったら、それはしょうがない」


買い出しのメモを受け取りながら、俺は樽をリセットする。中の溝を回して当たりを変え、剣をリセット。準備の作法を覚えると、緊張は儀式に変わる。名雪さんが赤い剣を一本、俺の方へ差し出した。


「次、これでいこう。さっきより半拍遅く刺す」


「了解しました。半拍、遅く」


樽の口は小さいのに、皆の視線がそこへ集まって世界が狭くなる。運と手触りと呼吸の同期。飛び出す瞬間は、やっぱり音より先に空気が跳ねる。負けても勝っても、合図は同じ場所から生まれるのだ、と俺は思った。

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