二章十話 林檎の落ちる日に

「──遅いな、ココアちゃん……」


 ココアが馬車を飛び出して十数分。止まった馬車の内部では、カオルが不安げに眉根を寄せていた。


 ──あの不用意な一言が、ココアに決断を迫ってしまったのだ。それが彼女にとって良い結果をもたらすのか、あるいは傷を残すのか。どちらに転ぶにせよ、あの瞬間の自分の言葉は本当に正しかったのだろうか。


 後悔はじわじわと胸の底を蝕み、カオルは小さく拳を握りしめた。


「そんなに眉を顰めていたら頭が痛くなってしまうよ、カオルくん」


「──アウルさん……」


 切り株に腰掛けていたカオルの隣へ、アウルが静かに座った。カオルは、ただ胸の奥に小さな申し訳なさを抱えながら、ふと視線を落とす。


 ──聞いた話では、ココアはアウルと一緒に自分を探していたらしい。それが本当なら、迷惑をかけてしまったのはココアだけではない。アウルにも、余計な手間を取らせてしまったのだ。


 その思いが薄く胸に残り、カオルは軽く息をついた。


「──ココアちゃんが心配かい?」


「もちろんです。あの子は……なんだか、とてつもなく大きなものを抱えている気がして」


 ココアは、ふとした拍子に顔色が急に悪くなったり、反応が妙にぎこちなくなることがあった。その様子を見るたび、カオルは彼女が自分に何かを隠しているのだと、うっすら勘づいている。


 けれど──追及することはできなかった。無理に踏み込めば、彼女を追い詰めてしまうだけだと分かっているし、何より、その無茶の原因は、おそらく自分にあるのだと、カオルは誰よりもよく知っていた。


「アウルさんは、それを知っているんですか?」


「──知っているよ。でも、ココアちゃんは、決して君に悪意を持ってそれを隠しているわけじゃない。今は、それよりも君が知らなければいけないことがあると分かっているから、優先順位をつけているだけなんだ。それは、わかってあげて欲しい」


 アウルがそう告げると、静かに森の方へ視線を向けた。

 カオルも遅れてその目線を追うように、深い緑の奥へと視線を移し──


「──ココアちゃんのこと、追いかけた方がいいですかね」


「どうだろうね。彼女は強いけれど……それ以上に、無茶もするから」


 アウルはそこで一度言葉を止め、そっとカオルの頭上へ手のひらをかざした。淡い光が指先からじんわりと滲み出し、カオルの髪に柔らかな輝きを落とす。


 突然の気配にカオルが驚いて目を見開くと、アウルはふわりと微笑み、


「追いかけたいのもわかるけれど、今は待とう。足手まといになったら、元も子もないだろう?」


「えっと……それは分かるんですけど、これは……?」


「そういえば、君の使える魔法を調べてなかったと思ってね。魔法に興味は無いほうかい?」


「使えるなら、使いたいですけど……」


 「それは良かった」と、アウルは安心したように笑みを浮かべ、そのままカオルの魔法診断へと手を戻した。


 カオルも、アウルが自分を気遣ってこうして場をつくってくれているのだと気づき、ふっと肩の力を抜く。緊張がほどけ、自然と頬が緩んだ。


「使いたい系統とかはあるかい?」


「どんな系統があるんですか?」


「そうだねえ……イメージ次第だから、正直に言うと無数にあるけれど……だいたいの人は火や水、風や土によるものが多いかな?」


「その中だと……風か、火ですかね。カッコイイですし」


「ちなみに、ココアちゃんは全系統に適性があるよ」


「えっ」


  カオルの驚いた表情を見て、アウルはふっと小さく笑った。その柔らかな笑みとともに、彼の手のひらがゆっくりとカオルの頭から離れていく。


「──ふむ……君の適性は……」


 アウルは静かに顎へと指先を添え、思案するように視線を宙へ逸らした。しばし沈黙が落ちたあと、彼はゆっくりと顔を戻し、カオルへと金の瞳を重ねる。


「──君の触媒は血液。適性は……強いて言うなら火と水だけれど、それよりも、独自の魔法を編み出した方が強いかもね」


「独自の……?」


「うん。ココアちゃんは既存の魔法を下地にイメージ力で独自のアイデアを付け足しているけれど、君のは、既存のものより全く新しいものの方が真価を発揮できそうだ」


「──なるほど……」


「まあ、そう簡単にいくものでもないから、まずは火魔法や水魔法を使うことをオススメするよ」


 アウルが軽く笑みを浮かべると、カオルはその声音に背を押されるように、自分の手のひらへ視線を落とした。


 血液が触媒――つまり、魔法を使うたびに出血が伴うということだ。その事実を噛みしめるように、カオルはじっと掌を見つめ続けた。


「血のストックとかが、いちばんかな……」


「カオルくん? どうかしたかい?」


「いえ、特には……あ、そうだ。ココアちゃん、まだ来ませんね」


「そうだね。さすがに遅いと思う」


 森の方へと目を向けても、ココアの姿はどこにも見えなかった。ざわめく木々の音だけが、静まり返った空気をかき乱す。


 アウルとカオルは、同時に視線を交わす。ただの遅れではない――そう悟らせる沈黙が、ふたりの間に流れた。


「行こう」


 どちらからともなく頷き合い、ふたりは急いで馬車へと乗り込む。確かめに行かねばならない。胸の奥に、得体の知れない不安がわずかに灯っていた。


「でも、ココアちゃんが苦戦するなら、僕らが行っても意味はないかもね」


「でも、ココアちゃんが困ってるのに、ひとりにするなんてやっぱりダメですよね」


「そうだね。勝てる勝てないじゃなく、行かなきゃいけない」


 そうして、わずかに張り詰めた空気の中――

アウルが馬に合図を送ろうと手を伸ばした、その瞬間だった。


「──ちょっとっ、待ってくれないか!?」


 状況には似つかわしくない──いや、ある意味では相応しいのかもしれない声が、不意に空気を裂いた。


 ハッとしたようにカオルがその方向へ顔を向ける。そこには、いつの間にか一人の男が立っていた。


 ボロボロの白衣をまとい、白髪に黒髪が混じった奇妙なメッシュが揺れている。そして何より目を奪われたのは、その奥底で渦を巻くように光る黒瞳だった。


「──あなたは?」


 アウルは馬に伸ばしていた手をすっと離し、迷いのない動作で馬車から降り立つと、カオルの前へと身を滑らせるように立ちはだかった。


 カオルも遅れまいと馬車を飛び降り、アウルのすぐ背後から男を鋭く見据える。


 と、


「──ここら辺で、俺と同じ顔をした人間を見なかったか!?」


「──え?」


 カオルは、その言葉の意味を咀嚼する間もなく、驚きのあまり身体を強張らせた。わずかに肩が跳ねたのを、男は敏感に察したのだろう。


「……ああ、ごめん。驚かせるつもりはなかったんだ」


 そう言い、男の表情がふっと和らぐ。先ほどまで纏っていた殺気にも似た空気は影を潜め、そこにあるのは別人のように穏やかな顔つきだった。


「──同じ顔……? 双子、ですか?」


「うーん……説明が難しいのだが……そんなところだ」


 男はふと手を上げると、長く乱れた髪を指先でまとめ、手慣れた動作で紐のようなもので後ろへ括った。その仕草は妙に落ち着いていた。


 そして今度は、ゆっくりと懐へ手を差し入れる。アウルとカオルが警戒の色を深める中、男は取り出した何かを、そっとアウルへ掲げて見せた。


 それは、小さなバッジのような金属片──くすんだ光を帯びており、見覚えのない紋章が刻まれていた。


「──? なんですか?」


 カオルはわからないと言いたげに首をひねった。理解が追いつかず、眉間にわずかな皺が寄る。


 だが、その隣に立つアウルはまるで別の反応だった。男が示したバッジに目を留めると、長く息を吐き出す。それは、ようやく状況が腑に落ちたと言わんばかりの、静かな納得の息だった。


「そちらの御仁は分かってくれたようだな。では、改めて自己紹介をさせて頂こう」


 白衣をはためかせながら、男は深々と頭を下げた。芝居がかった声音と、風に揺れる白髪。そのどちらもが、なぜかカオルの視線を強く引き寄せる。


「──私の名前はアダム・クライネ。天才科学者であり、唯一無二の魔法を有する者。……だが、今はただのアダム・クライネだ。よろしく頼む」


 と、そう、不敵に笑ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒猫とご主人様の異世界物語 @miyarineko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画