「はっ!」

 気配を察し、ハギワラ・ミツキ一等兵は渾身の力で鉞を振り下ろした。さっきまで確かにいたはずの相手はゆらり、と歪んで消えた。

 直後、ミツキの眉間に衝撃が走り、視界が歪んだ。訓練のアラートゲージが上がる。

 あと一撃、同じものをくらえば、「過剰損傷」で訓練は強制終了になる。

 ミツキは目の前にいる相手をきっ、と睨みつけた。

「どうしました? 訓練は終わりですか?」

 サエグサ・ハルカ曹長は涼しい顔でミツキを見つめる。

「まだまだ!」

 舐めやがって!

 ミツキは怒りにまかせ、先ほどよりも素早くハルカとの間合いを詰めていく。鉞を振り上げた瞬間、ハルカが飛び退くのが見えた。

「そこだ!」

 ミツキは体勢を変え真横に鉞を振り下ろそうとした。しかし、鉞もろとも引き寄せられ、大きな弧を描いて地面に叩きつけられた。

 【耐竜装フォース】が甲高い音を立てて、訓練の終了を知らせた。

「くそっ……」

 訓練を挑んでいないセリナを除き、他の第一部隊に全員一勝以上はしているのに、ミツキはいまだに部隊長から一本も取ることができないでいた。

 訓練のとき、ハルカは得物を一切出さない。訓練は、得物が【耐竜装】に触れることで勝敗判定を行うので、訓練で得物を使用しない場合、自力で訓練に勝つことはできない。ただし、相手が一定レベル以上の「身体損傷」をし、訓練の続行が危険とみなされた場合は、相手の負けになるので勝つことが出来る。

「えげつねえ……」

 セリナは息を漏らす。

 これがハルカの訓練スタイルだった。あえて得物を出さず、体術だけで相手を倒す。格下のミツキであろうが、同格のエレナであろうが同じスタイルで臨んでいる。何も、ミツキに手心を加えているわけではない。

「ハギワラ。ここまで五回、戦いました。最初と比べると、目覚ましい成長です。この調子で精進してください」

「は、はい……」

 どうみてもそう思えない。ただただ、返り討ちに遭っている。ミツキはそういった印象を拭えなかった。

 一方で、かれがこの短期間に圧倒的な成長を遂げているのも事実であった。

 私が勝ったら部隊長を辞めてください、と啖呵を切って挑んだ最初の訓練は、構えを変える一瞬で鳩尾に足刀を受け、一撃で気を失い負けてしまった。力で攻め押せれば勝てる、というミツキの幼い戦闘観が変わりつつあることに、本人以外は気づいていた。

「ちなみに、あなたを含めても、私は受けた訓練において負けたことは一度もありません。もちろん、コギソ曹長やペトローヴナ曹長にも、訓練で一度も負けたことはありません。

 ――ですから、あなたに訓練で負けた場合は、お言葉通り、第一部隊長を降りようと思っています」

「えっ……」

「たかが訓練ごときで他の【V】――それも、新兵に後れを取るようでは、【詰所ステーション】の全ての命を預かることなどできませんから。

 ――ハギワラ。もし、あなたがこの【詰所】の第一部隊長を務めたいということであれば、この【詰所】の、生き残っているみなさんの命を背負うにふさわしい覚悟を持ってください。わかりましたか?」

「は、はい」

 ミツキはおそるおそるうなずいた。

「では、今日の訓練はこれで終わりにしましょう」

 ハルカは無表情で訓練場を後にした。

「なあ、ハルカ、フミコさんと訓練したことあるの?」

 セリナは思わず駆けよって尋ねた。

「ないよ。ないけど、もし訓練を挑んできたら多分、いや、絶対に負けないと思う」

 私はハルカに訓練を挑むつもりはないわ。不平等だから。あの子、訓練で絶対に武器を出さないでしょう。そんな勝負、受けられないわよ。

 ――だからあの子と戦うなら、武器を出し合って、本気で殺し合いするしかないわね。それはそれで楽しいかも知れないけれど。

 以前、煙草を吸いながらフミコとそんな話をした記憶があった。フミコは笑っていた。セリナは笑えなかった。

「まあ、フミコさんは訓練を挑むような人じゃないから」

「じゃあハギワラに嘘ついてんじゃん」

 セリナは軽く笑った。

「嘘じゃないよ。どうであれ、挑まれた訓練は絶対に負けてはいけないのは同じだから」

「まあ、そういうものか」

「それに、勝負をしていないのだから、負けたことがない、のは本当だろう?」

 無表情の奥に見えるハルカの意地の悪い笑みを、セリナは見た。

 かれが見たらどういう顔をするのだろうか。その顔を見つめていても多分答えは出ない。

 セリナはどうしようもなく、煙草が吸いたくなった。



 空にぽっかりとあいた穴から、大きな月が出ていた。

 いつの間にか夜も更けていた。帰れば廊下は消灯しているだろう。

「こんな夜更けに、どうしたんだい?」

 白銀に光るショートヘアと、真っ白な腕の鱗は、月の光に照らされるとどこか儚い輝きを持っていた。

「随分元気ないな。なんかやらかしたのか?」

 オリガは煙草を取り出して灯をつける。

「なんだよお前。持ってるのかよ」

 煙草を取り出したセリナは少しあきれた顔をした。

「ああ、これ? コギソ曹長からの口止め料」

「ああ、どうりでフミコさんの銘柄ガラの匂いがするわけだ」

「その鼻はいつも通りだね。少し安心したよ」

 ふたりの間にわずかな沈黙が流れた。めいめいに煙草を吸い、煙を吐き出す。

「オリガ、取引しよう」

 セリナはうつむきながら言った。

「取引って、いったい何を?」

「ウチの秘密と、あんたが口止めされていること、ここで交換してほしい」

 すっ、とセリナは距離を詰めた。

「うーん……」

 正直、セリナでなかったら成立しない取引だった。セリナは自覚していないだろうが、きっちり理解して持ちかけている。オリガはその無自覚な打算こそ、セリナの最大の魅力であるとすら思っている。

「じゃあわかった、僕から話すよ」

 オリガはため息をついた。

「第二部隊の副長の顔と名前を知っている」

「えっ! ほんと?」

「ああ」

 オリガは通信を起動してみせた。

「通信チャンネルにさ、副長ラインってあるだろう?」

「うん」

「そこ、僕と君以外にわざわざ『第二部隊副長』って名前が入っているだろう」

「そうだな。すごく気になってた」

 セリナも通信を起動し、〈副長ライン〉をのぞいた。セリナと〈第二部隊副長〉とオリガが並んでいる。第四部隊と第五部隊には部隊長しかいないため、副長という職があるのは上位三部隊だけだった。

「これ、選択するとちゃんと顔と名前が出てくるんだ」

「マジで?」

 セリナは〈第二部隊副長〉を選択した。

〈イチセ・セナ〉、【志願者ナチュラル】。

 階級、三等兵。

 所属、第五部隊。

「なんだこれ?」

「だから、こいつが第二部隊の副長なんだ」

「でも、『第五部隊』って書いてあるし、三等兵だぞ?」

 セリナは首をかしげた。

「それは潜入用のプロファイルなんだろう。副長だから階級は低くても伍長――というかほぼ間違いなく僕らと同じ軍曹だと思うし、このチャンネルにわざわざ無関係な三等兵を登録するほどシステムがおかしいとは思えない」

「んで、フミコさんに直接聞きに行ったってこと?」

「うん」

 そうね、そういうこと。もちろん内緒よ。

 どうせセリナには言うでしょうけど。

 タテマエとしては誰にも内緒ということにして頂戴ね。

 特に部隊長には、絶対に内緒。

 フミコの立てた人差し指は艶めかしくて、特にタイプではないオリガですらどきりとしてしまった。自分が男だったら、よろめいてしまうかもしれないとすら思った。

「でも、どうしてわざわざ副長ラインに入って、正体がバレるようなことしてるんだ? この、イチセ・セナは」

「これは推測だけれど、おそらく、副長同士で何か密談をするような事態を想定しているんじゃないかな」

「例えば?」

「それこそ、部隊長が重大な規律違反をしている可能性がある場合とか」

 オリガの煙草が短くなって、鱗に灯が当たって消えた。吸い殻を投げようとして、セリナに携帯灰皿を突き出される。

「ウチのはともかく、フミコさんのやつはまずいよ。見つかったら危ない。あんたが吸ってたってバレバレじゃん」

「まあ、そりゃそうか。……ん、もしかしていつも僕の吸い殻片付けてくれてた?」

「気づいてんなら灰皿もってこいよ……」

 セリナは呆れてしまった。

「ごめんごめん。

 ――とにかく、なんとなくだけど、このイチセという副長は、今後どこかで会っておいた方がいいと思うんだ」

「フミコさんに止められているのにか?」

「だからこそだよ。君、ホウリュウ大佐がどういう人間か知ってるだろ?」

 そう言われて、セリナはどう返せばいいか迷ってしまった。

 一瞬、ふたりの間に沈黙が訪れた。

「そういえば、オリガって何期だっけ?」

「――廿八期」

「うそ、ハルカと同期?」

 セリナは驚愕の表情を浮かべた。

 【V】には国際法上、各【詰所】に配属される名簿は共有されており、同一年度では同じタイミングで【V】が生まれる。そのタイミングを「期」という。見た目上年をとらないかれらは、配属された「期」により、その年功関係を把握している。

「【旧モスクワ詰所マスクヴァ】から来てすぐに言わなかったっけ? 僕はサエグサと同期だよ」

 オリガは苦笑いした。

「というか待って、じゃあペトローヴナ曹長は何期なのさ?」

「五十四期」

「うそ、若すぎない? さんじゅう五期くらいだと思ってた」

「若いよ。すごく若い。アリシアやハギワラに並ぶかそれ以上の能力だしね。曹長まで昇格したスピードでは歴代最速だ。むしろ、まだ称号がないのが不思議なくらいさ」

 【竜段レベル2】以上の【竜】を百体撃破する、伍長昇格から継続して十期以上実戦部隊に配属されている、などの条件を満たすと、めざましい戦績を持つ者として称号が与えられる。この【東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーション】ではハルカ、セリナ、オリガの三名に称号が与えられている。

「ん? ちょっと待て。だとしても、どうしたら逆転するのさ。戦闘回数からしても、能力からしても、実績からしても、普通はあんたが部隊長だと思うし、というかあんたなんでまだ軍曹なの?」

「――まあ、それはいろいろあったからね」

 オリガは次の煙草に灯をつけた。

「それより、今度はそっちが話す番だよ、セリナ。君の秘密を教えてもらおうじゃないか。そうだな、場合によっては、僕がどうして【旧モスクワ詰所マスクヴァ】の第一部隊長アディンの座を譲ったのかを話してもいい」

 セリナはごくり、とつばを飲み込んだ。

「ああ、わかったよ」

 ふう、と大きく息を吐いて、外の空気を思いきり吸った。

「ウチはさ、その、ハルカとは、幼なじみだけど――それだけではなくて、まあ、言っちゃえば、ストーカーみたいなものなんだよね」

 なんだ、そんなことか。もう十分知ってるよ。

 オリガは茶化そうとしたが、どうにもセリナの顔が暗くよどんでいて、そうすることができなかった。


 *


 ウチらは【旧東京特別居住区オールド・トウキョウ・レジデンス】で生まれ、育った。同じ区画どころか、家が隣同士で、同い年だった。ハルカが男だったのは知っているだろう? よく聞かれるんだけど、ウチはさ、実は男から変わったわけじゃなくて、【V】にこうなる前からずっと女だったんだ。

 ――って、オリガは知ってるか。

 こどもの頃からハルカは背が低くて、かわいらしい顔をしていた。ずっとそうだった。ウチらが小さい頃はさ、まだディタノウイルスの蔓延もなかったし、【竜】もいなかったから、「学校」っていう同い年の人間が集まる教育施設があって、そこで教育を受けてたんだよ。ハルカはめちゃくちゃ頭がよくて、成績も完璧で、どこまで頑張ってもウチはハルカの次にしかなれなかった。

 ハルカは、今の姿からは考えられないくらい明るくて優しくてさ。友達も多かった。なんだかそれが気に入らなくて。今になって思うと、幼いときから一緒に遊んできたハルカを、「学校」でいろんな人に取られていったような気持ちだったのかもしれない。

 ――思えばあの頃から、歪んでいたのかもしれないな。

 ある夜、ハルカの部屋の窓が開いていることに気づいたんだ。んで、突然、どうしてもハルカの寝顔を見たくなってしまって。誰も見たことがない顔を独占したかったのかも知れない。


 *


「なあ」

 徐々に言葉が早くなるセリナを、オリガが制した。

「大丈夫か? もしかして、これって結構深刻な話?」

「深刻……まあ、そう、かな。正直ウチは、今ここでしか話したくない」

 セリナがきっぱりとした真顔で言い切ったことに、オリガは大きな不安を覚えたが、結局最後まで話を聞く必要があることには違いないと考えた。

 オリガもセリナも気がついていなかったことであるが、かれらはお互いがお互いを、深いところでつなぎ止めあうような関係に、肉体を頼らずともなっていたのであった。


 *


 窓から忍び込んで、ハルカの寝顔を見た瞬間、身体が信じられないくらい熱くなった。怖いくらい動悸がしてきて、ものすごく、興奮した。急に、本当に急にハルカのことしか考えられなくなってしまったんだ。うーん、言葉にすると、家に忍び込んでまで、異性の身体を見つめている自分が、いかにハルカが好きなのかを知ってしまったというか、そんな感じ。

 ハルカは待っているように見えた。

 だからそのままウチは、ハルカのベッドに忍び込んだ。


 *


「もしかして、それが君の『初めて』ってこと?」

 オリガにはもう苦笑する理由がなくなっていた。

「いや、違くて、ハルカの『初めて』を奪って、汚した、ってこと……」

「ああ……」

 オリガに失望する感情はなかった。そもそも、【純粋兵コレクテッド】であるかれに、共感は生じにくい。ここでのハルカの気持ち、セリナの気持ち、そのどちらもそれなりにわかって、それ以上にわからなかっただけであった。


 *


 すべてが終わったとき、ウチの中にとても温かいものが入っていた。ウチは一瞬だけ、とても幸せな気分になれた。でもハルカはすすり泣いていた。ひどい、どうして。ってはっきり、何度も何度も言われた。

 誰かに奪われるくらいなら。そう思ったんだ。どうせ誰かに奪われるなら、この手で一度でもハルカのすべてを感じたいと思った。それだけだったんだけどさ。結果として犯してしまった。

 それからずっと、ウチらはただの同僚でもなく、友人でもなく、恋人でもない変な距離の中にいるんだ。


 *


「こんなこと、言える義理じゃないのはわかっているが、辛いんだよ。本来ちゃんと築くべきものを、てめえで壊してしまった。どうしたらいいのかわからないんだ、いまだに」

「なるほど……どうりで君とサエグサの関係がこじれているわけだ」

 若かったとはいえ、君は最低だな。

 とひとこと、言うべきか迷ってオリガは踏みとどまった。

 自分にそれを言う資格があまりにも乏しすぎることに気づいたのもあるが、それ以上に、おそらく男としてそれをすることと、女としてそれをすることとの間には大きな差があるうえ、オリガは男の側に立てず、かといって生殖能力を持つ普通の女であった当時のセリナの側にも立つことができないから、その直截的な倫理観にかられた感想は、セリナに対して本当の意味でオリガがかけるべき言葉ではないように思えたからだった。

「ウチは……その罪を償うためにここにいるんだ」

 煙草を携帯灰皿に投げ入れ、セリナは顔を上げた。

「うーん。サエグサは、それ――君が同じ職場で働き、自分の補佐をすること――を許してくれているのかい?」

「はっきりとは言われていないけど、多分」

 オリガはどこか霧が晴れていくような感覚をおぼえた。

 かれはこの瞬間、あることを予感した。


 *


 アヤさんが死んだと聞いたとき、ウチは真っ先にハルカのもとに駆けつけた。

 でも、その時ハルカはすでに、姿形が全く変わっていたんだ。

 恋人の――アヤさんの姿かたちで、【V】になっていた。

 いや、正確には、頭はハルカのままではあったんだけど、首から下がアヤさんになっていた。

 どういう仕組みかわからないけれど、それでもすんなり受け入れられた。

 ハルカが特別な個体って聞いたことあると思うけど、そういう理由なんだよね。ハルカはアヤさんの身体を受け継いで【V】になったんだ。ウチはなんとなく、それをわかっちゃってて、多分、ふつうのひとほどは驚かなかった。

 コウサキ・アヤ少尉――殉職して大尉に昇格したけれど――は知っての通り史上最強の【V】だったし、ハルカは【V】に深く関わる技術者だったから。それに、恋人が死んで、その恋人に成り代わろうとするひとの物語はよく読んでいたし、正直憧れていたから。

 実際ウチもきっと、ハルカが目の前で死んだら同じ事をするかもしれないし。

「セリナ、すまなかった」

 その姿で、最初にハルカはこう言ったんだ。

「アヤを喪ったとき、あの日、あの時の君の気持ちがわかったんだ。他人の身体を手に入れようと思う気持ちが。君ばかりがそんな気持ちになるのだと思っていた。君が、特別に欲深いのだとずっと思っていた。でも、僕も同じだったんだよ。君のことを僕はずっと誤解していた。だから、ごめん」

 ウチはよくわからなかった。けれど、ハルカが今、どうしようもない狂気に飲まれていることだけはよくわかった。

 そこで気づいたんだよ。

 ウチにできるのは、この狂気に最期まで付き合うことだけだって。

 だから言ったんだ。

「ねえ、ウチも【V】になる。なりたい。だから、もし、なれたら隣にいてもいい?」

 そしたら、ハルカはこう言った。

「君にその覚悟があるなら、僕はもう何も言わない。ついてこれるなら、そうしてもいい」

 そうしてウチは、ハルカが配属された次の廿九期で配属されて、いつの間にか第一部隊の副長まで上りつめたんだ。

 


 *


「――とんでもない執念だな。やっぱり、僕には真似できそうにない」

 オリガは煙草に灯をつけた。目の前の【人間チェラヴィエク】にどこか、嫉妬するような感情がうっすらとあることには気づいていた。しかし、それがどういったところに紐付いているのかは今の今まで気づかなかった。

 気づきつつある今、それまでの自分に戻る気はなくなった。

「僕は【騎士ルイッツァリ】で、君はやはり【人間チェラヴィエク】なんだな……」

 セリナは何も言わなかった。

「君の秘密が重すぎるから、僕も秘密を話そう。さっきの続きさ。【旧モスクワ詰所マスクヴァ】時代、僕は曹長だった。それだけじゃない。さっきも言ったとおり、第一部隊長アディンまで上りつめた。エレナ・ペトローヴナは、その時すでに副長だった」

「結構最近の話?」

「うん? ああ。【東京防衛統括本部トーキオ】に来るちょっと前くらいかな。

 ――僕は軍務規定違反で一階級降格させられたのさ。それで第一部隊長も解任、後任がエレナになったというわけ」

「もしかして、素行不良? 部下に手を出したとか?」

「ははは、さすがだね。その通り」

 オリガは苦笑いした。

「プラチナ・ブロンドの美しい子がいてね。彼女は静かに僕を狂わせていったというわけさ。それについていちいち語ると朝になるから、結論だけにすると、結局口説いて寝てしまったということ。彼女が〈第五部隊ピャーチ〉――こちらで言うところの第二部隊みたいなところさ――の所属で、通報されてしまったというわけ」

 わかりやすいだろ?

 オリガは大きく煙を吐いた。

「元気かな……イリーナ」

「イリーナって言うんだ」

「そう、イリーナ。名字は忘れてしまった。なにしろ長かったことは覚えているが」

 オリガは肩をすくめた。その仕草が少しおかしかったので、セリナは苦笑した。

「あのさ、気になったんだけど、そのイリーナって子、つまりペトローヴナ曹長より美人ってこと? それって相当じゃない?」

「うーん、彼女エレナとは方向性がちょっと違うかな。エレナは【参照元ボディ】がそうなのか、身体も大きいし、丸いところは丸いという感じだけど、イリーナは、どこかこう……東洋人のような線の細さというか、儚さがあったな。僕はそういう子に惹かれてしまうようだ」

 まるで君みたいな、ね。

 危うくセリナを口説きそうになって、オリガは口を閉じた。

「へえ。女好きだとは思ってたけど、そういう人って、たとえばペトローヴナ曹長みたいな、顔もはっきりしていて、胸もお尻も丸く膨らんでいて、いかにも女らしい人が好きなんだと思ってた。まあ、あんた別にもともと男じゃないもんね」

「わからないが、おそらくそういうことなのかもしれないな。僕に男性としての意識はないし、おそらく【参照元ボディ】もそうだったのだろうと思う」

 【純粋兵コレクテッド】の【参照元】に男性の登録は禁止されている。

 これは、【V】が特徴上女性の身体となることから、女性の身体でないと成形が難しいためだ。

「アヤさんはまた別のタイプで、小さくて目が大きくて、雰囲気がすごくかわいらしいタイプの、栗色のショートボブが似合う、いかにも女性的な感じの人だった。ああ、ハルカってこういう女のひとが好きなのか、と思って、すごく悲しくなったなあ。ウチは全く逆だからさ。目も身体も細いし、胸も薄いしさ。

 ――まあ、なりたいかというとそうじゃないんだけどさ。わかるだろ?」

 セリナは自嘲した。

 一方でオリガは不思議に思った。

 果たして、これまでの話から考えても、サエグサは身体の好みで恋人を選ぶものだろうか。そもそもサエグサにそれほど情欲があるのか。オリガは疑問を持った。確かに、死んだ恋人を「継承する」ように、身体を引き継いで【V】になっているから、執着がないことはないだろう。しかし、本当に身体に執着があるのならば、あれほどまでに身体を酷使したうえ、危険にさらすような戦い方をするだろうか。

 それに、もしかれが自分と同じように身体を愛するのだとするなら、恋人にコウサキ・アヤを選ぶとは思えなかった。オリガはハルカに対しても同期としてある種の嫉妬を抱えていたから、サエグサ・ハルカの性状もセリナとは別の側面で、綿密に洞察していた。

 だからこそ、セリナの語るハルカの行動に疑問を覚えたのである。

 そもそも、サエグサ・ハルカは本当に、コウサキ・アヤを愛していたのか?

 オリガの推測は徐々に線を結び、確信へと変わっていった。

 例えば、自分がエレナなりセリナなりの身体を「受け継いだ」として、自分だったら、鱗ひとつでも傷が付いたら耐えられないかもしれない。そう、他でもない自分自身の身体だからこそ、僕は戦い続けられるんだ。オリガはそう気づいた。

「僕からすれば、君も十分魅力的な身体だと思うけれどね。

 ――なあ、セリナ、勝負しよう」

 オリガはおもむろに訓練申請を発した。

 セリナは急にいろいろなことを言われ一瞬戸惑ったが、オリガにそう言われると自分もなんとなく戦いたくなったので、煙草をしまって、承認を出した。

 十四対零。戦績が表示される。

 オリガの【耐竜装フォース】から、巨大な大鎌サイスが取り出される。セリナも【耐竜装】から鉈を取り出した。

「どうせあんたが勝つのに、なんでやろうとするかね」

「何を言ってるんだい、訓練は結果が全てじゃないだろう? どう戦うかが大事なんだ。恋と同じさ」

「はあ、まったくいちいち歯が浮く奴だな」

 ふたりは間合いを取り、しばらくにらみ合ったあと、全力でぶつかった。

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