「素敵な夜をありがとう」

「こちらこそ、また来てね」

 オリガ・イワノーヴナ軍曹は、何かが抜けたような表情で女に手を振った。【歓楽区アミューズメントエリア】の奥では抜け殻のような男たちが犇めいていて、細長い胴の、女の見た目をした【V】は非常によく目立った。まして、かれの鱗は真っ白なのだからなおさらだった。

 両手を後ろにやり、オリガは物思いに耽った。部隊長はしばらく武器の変更に忙しいから、構う必要はないだろう。副長仲間のオノ・セリナ軍曹は、今頃訓練場で一服しているはずだ。

 オリガは訓練場の使用状況を確認した。空いている。セリナがいると確信した。

 【詰所ステーション】までの最終列車が近い。これを逃すと、【東京連絡坑トウキョウ・ライン】を延々と低空飛行で駆け抜けた挙げ句、始末書にサインをしなければならなくなる。

 オリガは一目散に走り出した。


 訓練場とは名ばかりの廃墟に入ると、すぐに嗅ぎ慣れた煙草の臭いがした。

「セリナ」

「あれ、オリガじゃん、おつかれ」

 セリナの口元に灯がともっていた。

 痩せていて贅肉がなくすらりと伸びた長身と、ギザギザのウルフカットの髪型、長細い手足はオリガの好みに合っていて、思わず声をかけたくなってしまう。【歓楽区】にいたらなあ、と思うこともあった。

 もちろん、セリナには、想い続けている人がいることも、オリガは知っていた。

「また【歓楽区】の女と遊んできたでしょ?」

「うん」

「エロい香水の臭いがする」

「やっぱり?」

「あとニンニク臭え。ヤる前に餃子ギョウザでも食ったのかよ?」

「えー? 消臭剤飲んだのになあ。女の子に嫌われてないかな?」

 オリガが苦笑しながら手を振ると、セリナは煙草を一本手渡し、そのままライターで灯をつけた。

「ほんとさ、あんまり行かない方がいいよ、あそこは」

「いいじゃん。【詰所スタンチア】よりはさ」

 そう言って、そういえば、この【詰所】で【V】同士の「そういう関係」ってあんまり聞いたことがないな、とオリガは思った。

「僕さ、自分の【参照元ボディ】のこと、知らないんだよね」

「へえ。ウチにはよくわかんないな。【志願者ナチュラル】――あんたらの言葉でいう【人間チェラヴィエク】だからさ。その、【参照元】がどれくらい性格とかに影響するのかっていうの」

「まあ、別に、僕も全然知らないよ。僕が閲覧できる情報では確認できなかった。僕が知っているのは部隊長シストゥラの【参照元】が歌手だったことくらいだ」

「ああ、その話、有名だよね」

「本人も、そこに誇りを持っているからね」

 【純粋兵コレクテッド】は、その構成に生きた人間の細胞を含んでいない。すなわち、生きている人間を変容させて細胞を組み換えていく【志願者ナチュラル】とは、【V】の区分はもちろんのこと、そもそも別の生物であるといっても過言ではない。

 その工程の中で、見た目を人間に近づけるため、実在した人間の検体ボディを元に肉体を成形させるものがある。かれらの元となった人物のことを【参照元ボディ】という。

 【参照元】により形を成した【純粋兵コレクテッド】は、【参照元】とは見た目以外にほとんど関係がないにもかかわらず、性格だけでなく、時には記憶すら【参照元】を継承することが知られている。なぜそんなことが起こるのかについてはまだ解明されていない。【参照元】から創り出された【純粋兵】は、【参照元】の遺志と本人の希望の両方が揃わなければ、【参照元】の個人情報を知ることが出来ない。エレナとその【参照元】はそれを望み、オリガは望まなかった。奇妙なことに、多くの場合【参照元】の遺志と本人の希望は一致する。この理由もまた、解明されていない。

「思うに、結局僕ら【騎士ルイッツァリ】は、【人間チェラヴィエク】とは違う生き物なんだ。見た目は殆ど変わらないけど、そう思うことは多い」

「ふむ、なるほど。ところでさ、本当に興味本位なんだけど、オリガはなんで【参照元ボディ】のことを知りたくなかったの?」

 セリナはふーっ、と長い息を吐いた。煙草の煙が長い糸のようにたなびく。

「うーん、なんとなく、いい結果にならないだろうな、と思ったんだよね。それに、おそらく【参照元むこう】も、僕に自分のことを教えたくなかったんじゃないかな、と思ったし」

「そういうのってわかるもん?」

「なんとなくね。もっとも、僕は拒否しちゃったから、【参照元むこう】の遺志は確認できなかったんだけど」

 オリガの煙草が明るくなる。

「ちょっと思ったんだけど。『ルイッツァリ』ってさ、確か『騎士ナイト』って意味だよね。【防衛統括本部センター】ごとでそんなに呼び方変わるんだ、って思ってさ」

「いや、多分、【旧モスクワ防衛統括本部マスクヴァ】だけだと思う。他でそんなこと、聞いたことないし。現にここは東京トーキオだけど、標準じゃないか」

「まあ、今はそうなってるけど、それはここの公用語が英語イングリッシュになったからで、昔はそうじゃなかったって聞いてる」

 図書館で得た知識だった。

日本語ジャパニーズだと、『ジュンスイヘイ』、つまり『純粋な兵士ピュア・ファイター』という意味の呼び名になっていた、って聞いた。【旧東京防衛統括本部オールド・トウキョウ・センター】が殲滅されてから使われなくなったって」

「よく知ってるなあ」

「ここ来る前、図書館で働いてたんだ」

「それでも、調べようとしなきゃそういうのってわからないじゃないか」

 オリガは大きく息を吐いた。煙が丸く吐き出される。

「まあ、確かにね」

 セリナはあまり考えたことがなかった。図書館で働いている以上、そこに集まる情報には精通している必要があると考えていたからだ。

「そういえば、日本語だと、【志願者ナチュラル】の方が特殊かな。『シガンシャ』といって、これは『志願者ヴォランティア』の意味。国家として存在していた頃の日本ジャパンは、兵役が義務でなくて、志願者だけで防衛活動を行っていたらしいから、その名残なのかもね。この詰所で【志願者ナチュラル】が多いのも、そういう理由かも」

「なるほど、志願者ヴォランティアねえ」

 オリガはけだるそうに息を吐いた。

「君は、まさに志願してなったわけだろう?」

「そうだね」

「君の『部隊長シストゥラ』のために」

 セリナは顔を真っ赤にした。

「ばっ……」

「なんだか羨ましいよ」

 オリガは力なく笑う。セリナは怪訝そうな表情をした。

「好きな人がいたとして、身体も中身も変わってしまったら、僕は愛せない」

 セリナは一瞬まごついたあと、神妙な顔になった。

「言われてみれば、普通そうだよな。見た目も、中身も変わってしまったらほぼ別人なのに、どうしてなんだろうな。改めて言われると、わからないや」

「でも、変わらないんだろう? 気持ちは」

「うん、まあ――そうだな」

 短くなった煙草を携帯灰皿に投げ込み、セリナは座り込んだ。

 果たして、本当に変わらないのか。

 そう思い込んでいるだけではないのか。

 セリナは一瞬だけ、自分を疑問に思った。

「しかしまあ、なんだな、【人間チェラヴィエク】が『志願者ヴォランティア』だとするならば、【ブイ】というのはつまり、『志願者Volunteer』と『勝利Victory』、そして『女武神Valkyrie』の頭文字を取って呼ばれることになった、というのもあながち間違ってはいないのかもしれないな」

「ああ……まあ」

 セリナはその間違いを正す気にはなれなかった。かれは【V】がなぜそう呼ばれているのかを知っているが、それがおいそれと口に出せるようなものではないことも同時に知っているからだ。

 セリナは図書館の閉架に納められた、【V】を創り出した、オガシラ・マサル教授の記事を思い出す。教授は日本人だった。だからこそ、人間から【V】になる者のことをわざわざ【志願者シガンシャ】と名付けたのである。教授は後に、生きている人間を介さなくても【V】を作りだせる技術を開発した。その技術で生み出された者は、それゆえに【純粋兵ジュンスイヘイ】と呼ばれるようになったのである。これは、【V】が日本から生み出されたことの揺ぎようのない証拠で、だからこそ、かつての主要国にあった【防衛統括本部センター】が軒並み壊滅してもなお、【東京防衛統括本部トウキョウ・センター】は唯一再建でき、しかもかろうじて生きながらえられたのだ。

「さて、僕はもう寝るよ。これで明日の任務もこなせそうだからね」

 オリガは煙草を地面に投げ捨て、踏み潰した。

「明日の任務って何?」

 セリナはつとめて表情を変えずに聞いた。

部隊長シストゥラの訓練相手と、【人間チェラヴィエク】の新兵ノヴィチョクのしごきさ。ほら、あの白いお下げの子だよ」

「ああ、たしか、シバタって言ったっけ」

 最終訓練の時、行動不能になったハギワラ・ミツキを抱えたことにより、【志願者ナチュラル】でありながら二等兵での配属となった、とセリナはフミコから聞いていた。

「そうそう、シバタ・アカネ。なかなか見所ある子でね、随分器用でよく気がつくんだよ。しかもすこぶる強い。何せアリシアとの初訓練で一本取ったんだ」

「アリシア? 配属してすぐ伍長に昇格したっていう、あの?」

 アリシア・ジョンソン伍長は、六十一期に現在のハギワラ・ミツキと同じく一等兵で配属され、配属されて数回の戦闘でその手腕を買われ、現時点では唯一、配属期での伍長昇格を遂げた【V】であった。

「そう。あいつ、【人間チェラヴィエク】を見下してたところ、アカネに見事な一本を取られてしばらく立ち尽くしてたよ。その間抜けな顔と言ったら」

 オリガは思わずクスリと笑顔を漏らした。

「とにかくアカネは本当に大したやつだよ」

 【人間チェラヴィエク】なのに本当にすごい、と喉まで出かけて、オリガは少し焦った。

「今、【人間チェラヴィエク】にしては、って思った?」

「いや、ああ、まあそうではあるけれど、そうだな、アカネじゃなくたって、【人間チェラヴィエク】でも抜きん出る者はいるじゃないか」

 図星を突かれ、オリガは少し慌てた。

 こほん、と苦し紛れに咳払いをする。

「それこそ、サエグサや君はそうだ。特に、第一部隊長なんていうのはどこだって、その【詰所スタンチア】で最も強い【V】に他ならない。さっきも言ったけど、【騎士ルイッツァリ】と【人間チェラヴィエク】は、そもそも違う生き物で、強さも違うと僕は思っている」

「そうなの?」

「そうさ。確かに【騎士ルイッツァリ】は身体能力では圧倒的だが、なにせ生まれてすぐに研修を受けるわけで、『身体がこなれる』まで、つまり、戦いの上で必要不可欠な細かい動きが器用にこなせるようになるまでには実戦に投入されてからそれなりの時間がかかる。一方で、【人間チェラヴィエク】は、それまで生きてきた時間が文字通りそれを解決してしまっていることが多い。この差は、単なる身体能力だけではそう簡単に埋まるものじゃない。現に、あれだけ鳴り物入りで第一部隊に入ったハギワラですら、実戦で大して使い物になってないだろう?」

 セリナは頷かざるを得なかった。

「サエグサも君も、第一部隊の部隊長と副長に、なるべくしてなっている。そして、おそらくアカネは、いつの日か第一部隊長になる。そんな気がする」

「へえ、そこまでの力があるんだ」

 訓練の時は、そんな力があるようには感じられなかった。もっとも、セリナはそこまで目を配れるような状況にいなかったが。

「ま、そういうことさ」

 オリガは鷹揚に歩いて行った。

 セリナは、踏み潰された吸い殻を拾って、携帯灰皿にしまった。

 残っている【防衛統括本部】は、実は東京トウキョウしかないらしい。

 そんな噂もセリナは耳にしていた。

 それでもセリナは、自らに課せられた最大の任務を握りしめていた。

「ハルカ……」

 届かなくてもいいから、せめて償いを。

 セリナはふたたび、煙草に灯をつけた。

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