艶を返す漆黒の【耐竜装フォース】を纏った新兵たちが階下に次々参集するのを、サエグサ・ハルカ曹長は【糧食Cバー】をかじりながらぼんやりと見つめていた。

「大丈夫? 一段と顔色が悪いけれど」

 振り向けば、コギソ・フミコ曹長がハルカを見下ろし、柔らかく微笑んでいた。

「ちょっと、疲れているかもしれないですね」

 ハルカは【糧食C】の最後の欠片を飲み込み、包装を【耐竜装】へしまいこんだ。

 フミコのすらりと伸びた長い脚は、黒の鱗に隙間なく覆われていて【耐竜装】と一体になっているように見えた。

 ハルカは自分と何もかもが異なるこの同僚が少しだけ苦手だった。斑のない紫の瞳。頭ひとつ高い上背。唇に塗られている、血のように赤い紅が、どこか自分を非難しているように感じられるから、かもしれない。唯一の共通点は、ふたりとも珍しく黒髪だということくらいだ。【詰所ステーション】に配属される【ブイ】たちで真っ黒な髪を持つのはハルカとフミコだけだった。

 いにしえの遺伝子は強いな、と司令官のリー・ホウリュウ大佐がいたずらっぽく笑ったのを今でも恨みがましく憶えている。

「そう。無理は禁物よ。寿命を縮めるわ」

 よくわかっているでしょうけれど、と釘を刺されては返す言葉がない。もちろん、言ったところでハルカが聞きもしないことすら知っている。

「ペトローヴナ曹長は何か言ってませんでした?」

 朝からエレナ・ペトローヴナ曹長の姿が見えないことが少し気がかりだった。身体的にも、精神的にも、休むことが極めて稀だからだ。

「どうかしら。そういえば見ていないわね」

 フミコはかぶりを振った。

 ハルカは集合場所へ向かう。

 耳元で通知が鳴り、ハルカは通話を起動した。

「ハルカごめん、ちょっと遅れる」

 オノ・セリナ軍曹の聞き慣れた低い声に、ハルカは、ん、とちいさくのどを鳴らして答えた。煙草を吸っていたら思っていたよりも時間が経ってしまっていたのだろう。よくあることだから、数分程度の遅刻ならば想定済みだった。通話を閉じて【耐竜装フォース】の装備チェックを起動した。レーダーと得物さえ通っていれば大抵なんとかなるし、今までもずっとそうだった。メインメニューから今回の部隊構成表を確認する。

 第一部隊の出動数、廿にじゅう。新兵の数、十。

 うち【志願者ナチュラル】の数、九。

 ほとんどが【志願者】なのは珍しかった。ことによれば撤退も視野に入れるべきだろう。今の状況を考えれば、すぐさま部隊に採用する人員をひとりでも多くしなければならないのだから。

 横二列に並んだ十人の新兵たちの瞳の色は確かに皆違っていた。【純粋兵コレクテッド】に現れる紫の瞳を持っている者はただひとり、前列の真ん中に並んでいた。

 長身で緑色の髪を二つ結びにしているかれを凝視し、現れた【識別票ステータス】に書かれたその名前は、「ハギワラ・ミツキ」といった。ハルカは、能力検定で計られるすべての数値で一位を記録した名前を思い出した。【識別票】の下からひろげられた、身体能力の数字がそれを端的に示している。どれかひとつの分野においてかれ以上に高い数値を持つ兵士を、ハルカは三人しか知らない。しかもそのうちのひとりはすでに死んでいた。本人の努力次第ではそう遠くないうちに実戦部隊を指揮することとなるだろう。

 ハルカは静かにそう思った。

「副長が来ないので、しばらく待機してください」

 努めて無表情にハルカは言った。ハルカがそうしたように、かれらも無遠慮にハルカを凝視した。【識別票ステータス】から能力を読みとっているだろう。そして、その数値の意味がわかれば、ハルカが第一部隊長としてこの部隊を指揮することに疑問を持つかもしれない。そんなことには慣れきっていた。ハルカが新兵たちに最初に教えるのは、【識別票】の数値はあくまで参考にすぎず、それがそのまま【V】の能力を示しているとはいえないということだった。それを身をもって示さなくてはならず、示すことができなければ、ひとりずつ確実に【かれら】の死期を早めてしまう。

 

「ハルカごめ……っ!」

 セリナが駆け寄って、ハルカの脇に並び、一瞬顔をしかめた後、無表情になった。

「では、これより、最終訓練を開始します。最終訓練は、実戦です。命を落とす危険もあります。そのつもりで臨んでください」

 場が一瞬どよめいて、緊張に包まれた。やはり軍務官は伝えていなかったようだ。だからこそ、ハルカは都度誠実にそれを伝えている。

 ごほん、とセリナはちいさく咳払いをした。

「我々は死を約束されている。それを忘れるな。

 ――だからこそ、あがくのだ」

 セリナは訓練の前に、必ずこれを口にする。図書館勤めだったから、何かの古典の一節だろうとハルカは思っている。だれのためかはわからないが、少なくとも自分自身のためであることは間違いない。

「死なずに帰ってくる、これがわたしたちに課せられた最低限の、そしてあなたがたが直面する最初の任務であり、責務です。全員で、無事に突破しましょう」

 ハルカは冷静にそう言うと、エレベータの申請をした。許可する旨の自動音声とともに、上階からエレベータが降りてきた。ここから先は【V】以外に向かう者がいないので、こうして【詰所ステーション】の管理システムに許可を申請する必要があった。



「廿二世紀に入る頃、太陽活動が急激に活発化し、それまで大気圏で抑制されていた宇宙線が地表まで活発に降り注ぐようになった。人類はかねてより検討されていた地下都市計画を本格的に作動させ、世界の主要都市は瞬く間に地下深くのシェルターへと移動した。その群がそれぞれ【防衛統括本部センター】を中心に展開され、その支部として各シェルターを、住民の居住と都市機能を集約した【特別居住区レジデンス】と物流及び防衛機能を集約した【詰所ステーション】に区分して管理した。諸君等が今座っているこのシェルターは、【東京防衛統轄本部トウキョウ・センター】に属する、【東東京詰所イースト・トウキョウ・ステーション】である。強烈な放射線は人類にとって第一の脅威となった。そして、シェルターにおける閉塞的な環境中で徐々に拡がり、生殖能力を極端に落とす疫病が発見され、その病原体はディタノウィルスと命名された。現在は人工免疫ナノ・ワクチンにより発症者はごく僅かとなったが、宇宙線の影響と合わせて、全世界の人口は最盛期であった廿一世紀後半と比較して実に千分の一程度、三千万人ほどとなってしまった。現に、ここにいるほとんどの人間は人工子宮ドームから出生した者であろう。これが人類への第二の脅威となった。しかし、取り巻いた脅威はそれだけではなかった。突然変異によって現れた第三の脅威について、サエグサ、説明してくれ」



 部隊を収容したエレベータは地上近くまでかれらを引き上げた。ぴったりと扉が閉まるのと同時に、副長のセリナが先陣を切った。ハルカはかれの後に続くように指示を出す。ハギワラ・ミツキを筆頭に新兵たちが続く。階段が徐々に狭くなり、地上へと続く縦穴にかかる梯子を延々と上っていく。普段使わないが、新兵を教育するときだけハルカもその梯子に手をかける。

 地上では指示通り第一部隊が待機していて、ミツキたちを引き上げているだろう。かれらはハルカよりも身体能力ではずっと優れているから、今回の新兵たちを見守るには十分すぎる戦力といえるかもしれない。しかしそれでもハルカは気を引き締める。新兵たちにとって、この、最終訓練を兼ねた最初の任務こそがもっとも脱落する原因になるのである。それは、身体適性検査や精神試験だけでは弾かれなかった不具合が、実戦を経験して初めてわかるということが往々にしてあるからだ。ハルカは縦穴から地上に這い出ると、重い鉄蓋を閉じた。



「人間に対してかつてない脅威をもたらした存在が、【ドラゴン】です。かつて存在が予言されていた空想上の生物の名が、その形容に酷似していたことから引用され、そう呼ばれるようになりました。過大な放射線下環境で急速に適応した【竜】は、巨大な鉤爪と口から吐き出される高温のブレスで地上の生物という生物を殺戮し、当時の文明構造の大半を破壊しつくしました。これにより、現在の人口規模は廿二世紀初頭から、さらに十分の一程度にとどまっております」

「ありがとう、サエグサ」




 太陽から降り注ぐ宇宙線に新兵たちは顔をしかめる。ハルカやセリナをはじめとした第一部隊員の腕は既に鱗で覆われているが、【耐竜装フォース】を与えられたばかりの新兵たちにそんな装備はなく、かれらの腕はたちまち赤く腫れ上がっていく。もちろん、この「日焼け」がなければ鱗は生まれないはずで、すべての【V】たちがこの猛烈な「日焼け」を経験している。

 セリナとハルカは数バイトのチャットのやりとりで動きを決め、遠くに敵影を確認すると第一部隊の残りに同じく数バイトで指示を出して蝙蝠のそれに酷似した翼をひろげる。それは哺乳類がひろげることのできるただひとつの形で、【耐竜装】によって作り出されてはいるものの、れっきとした身体の一部となっている。

「ついてこられるひとだけ、ついてきてください。自信がなければ待機していてください。これは試験では、ありません」

 そのために第一部隊全員を出撃させたのだ。周囲の哨戒と多少の戦闘程度であればハルカとセリナだけでどうにかなるが、血の気の多い新兵がどれほどいるのか、逆に飛び立てない新兵がどれほどいるのかもわからない状況だから、大事をとって全員を展開させている。

 ハルカにとって新兵から落伍者を出さないことが、何よりも重要なことで、自身の生命よりもずっと大切にしていることであった。

「どうした、我々の敵は太陽なんかじゃない!」

 新兵を訓練するとき、セリナは必ず芝居がかった表現をする。古い小説から引用してきたのだろうか。けれどもハルカに語る言葉は「ふつう」であるところにいつもおかしみを覚えながら、ハルカは高度と速度を上げた。

 セリナは高度を合わせ、眉を顰めてハルカに日本語で話しかけた。

「嫌がらせすんのやめろよ! 性格悪いな!」

「――セリナ、任務中だ」

「ウチが遅れるからって【糧食Cバー】食うなよ! あの臭い大嫌いだっつってんだろ!」

「それを言うなら君が煙草を吸う前から食べていたし、【糧食Cアレ】は僕の必需品だ」

 セリナはため息をついた。

「わかったよ。で、何人でいく?」

「飛べるのは五人。使えるのはふたり。残りは第五確定。ふたりは両方即戦力でいけそうだけど、戦力には入れない」

 最終訓練の場合、ハルカの結論は大抵同じだった。

「あっそ。てか五人って多くね? ほとんど【志願者ナチュラル】だって聞いたけど?」

「うん、今回はやたら成績いい」

 会話を交わしながら、ふたりは意図的に速度をあげていく。敵影がはっきりと確認できたとき、ハルカは【耐竜装】に折りたたまれた装備をすべて展開し、身の丈ほどもある細長い剣を構えた。

「先いく」

 セリナはさらに加速し、自らの得物である鉈を手にして敵の群に突入する。

 【ドラゴン】の群は決して大きいものではなく、明らかに【竜段レベル1】の範囲に収まる個体しかおらず、それも数匹だけだった。ハルカでなくとも、セリナひとりで十分だと判断できる程度のものであった。

 かれらは群に入り込んできたセリナを追い払うように鉤爪を振り下ろすが、セリナはそれを最小限の動きで躱し、翻弄する。

 

 滞空するハルカに五名の新兵が追いついた。

 【耐竜装】の飛行能力を使いこなしているのは、ミツキともうひとりくらいで、残りはどうにかついてきている、という状況だった。



「わたしたちは、【ドラゴン】の持つ強靱な肉体からヒントを得て生み出されました。わたしたちの持つ鱗は、【竜】のそれと同じように火器を通しません。わたしたちの持つ刃は、【竜】の牙と同じように、その鱗を貫きます。わたしたちの持つ翼は、【竜】のそれと同じように空を飛び回れます。強大な鎧と刃を得たわたしたちは、その圧倒的な力で【竜】と対峙し、討伐します。決して楽な任務ではありませんし、殉職者の数を見てもむしろ、厳しい仕事であると思います。しかし、今の人類にとって、【ブイ】――わたしたちはなくてはならない存在なのです」

「オーケーです! サエグサ曹長、いつも完璧です! 今度の広報ページの動画はこれでよいでしょう!」



「セリナさま!」

 ミツキは声をあげる。かれには、セリナが群とひとりで戦っているように見えるだろう。事実、そうかもしれないが、戦力的に劣勢では全くない。けれど、ミツキのような新兵が、それを研修で習うはずがない。

 ハルカはうんざりするほどそれを理解していた。

「今助けに向かいます!」

「待ちなさい!」

 金属特有のぎらついた光を返すまさかりを右手で止め、ハルカはミツキを制する。ミツキは鉞を振り抜き、ハルカを睨む。気の強さはそれまでの訓練でも垣間見せていたが、ハルカはなぜミツキがこれほどまでにセリナに執着するのか理解できなかった。

「なぜ助けないのですか?」

「その必要がないからです」

「どうみても必要でしょう!」

 ハルカをすりぬけ、ミツキはセリナのもとへと向かおうとする。ミツキの視線の死角から【竜】が急降下しているのが見えた。

 どんな態度をとられようが、部隊長としてかれらを守らなくてはならない。

 【竜】の急降下に合わせてミツキとの間に割って入り、ハルカは素早く剣を振るった。振り返ったミツキの鉞がハルカの左腕をかすめ、灰色の鱗が二枚剥がれ落ちた。【竜】の体液を傷口にくらい、ハルカは顔をしかめた。

 ミツキはあまりのできごとにはっとした顔のまま固まってしまった。その背中ごしに【竜】の影を認めたハルカは、しかしミツキの鉞を止めたまま放せない。このまま振り払ってしまえばかれは墜落してしまうだろう。しかし向かってまともに攻撃を受ければどちらにせよ同じことだ。一瞬の隙を突いて斬り倒し、ミツキを拾えることに賭けようか。そう判断しかけたときだった。

 ミツキと【竜】のわずかな隙間に、すっ、と目にもとまらない早さで何者かが割り込み、【竜】は小さく叫んで絶命した。身体の中央、急所に正確な一撃を放ったかれは、ミツキと同じく新兵であった。

 ハルカはかれを凝視する。【識別票ステータス】には「シバタ・アカネ」とあった。

「シバタ、ハギワラを頼みます。無事に地上まで」

 あらかじめ決めていたように、ハルカはミツキをアカネに託す。

「はい。わかりました」

 突然の指示にアカネは驚いたが、幅広の両刃剣クレイモアをしまい、動かないミツキを抱えると翼を大きく広げて降下していった。

「おいおいどれだけ手間かかってんだよ」

 セリナは軽く笑いながら【竜】の爪をかわした。振り抜いた一瞬でハルカが両断する。

「ごめん」

「いや何もやばくなかったけど、なに? もしかしてハギワラがなんかやったの?」

「うん」

 セリナの苦い顔で、ハルカはかれもまた同じ思いを抱いていることに気づいた。能力が高いだけ、問題を抱えていることも伝わっているらしい。

 合流して一分も経たずにふたりは群れのすべてを地に墜とした。ハルカの剣もセリナの鉈も【耐竜装フォース】に紐付けられてするりと折りたたまれていった。

「終わったね」

「今回も全員無傷。無事でよかった」

「いや、それは違うよ」

 セリナはハルカの腕をさした。

「それ、ハギワラがやったんでしょ」

「違う」

「嘘つくなよ。あの程度の群れの爪にあんたがやられるわけないじゃん」

「ううん、でもこれは僕のミス」

「はあ」

 セリナはため息をついた。

「んじゃそういうことにしようか」

 降下した先に第一部隊をみとめた。ちょうどアカネが地上に降り立ったところだった。

「ハギワラ抱えてる真っ白な子、なんて名前?」

「シバタ・アカネ」

「ふうん。聞いたことないな。普通あれだけ動けたら噂になってねえ?」

「少なくとも能力で突出している個体ではないね。もう十分、やっていけると思うけれど」

 ――敵影の殲滅を確認。帰投してください。

 指令システムの機械的な声を耳で聞き、ハルカは急降下を始めた。

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