第二章〜途切れた挑戦と続いていた想い〜
季節は静かに巡っていた。
紫陽花が枯れ、秋の風が吹き抜け、また冬が訪れる。
私は変わらず、サロンに通っていた。
いつの間にか、先生の展示会の準備や出張ワークショップのサポートも任されるようになっていた。
最初は“お手伝い”のつもりだった。
でもそれは少しずつ、“責任ある仕事”へと変わっていった。
そこには報酬も生まれ、
「私の力を、誰かが必要としてくれている」
そんな実感が確かにあった。
季節は巡り新しい年を迎えたある日
先生からお話があった。
「春休みに子ども向けの出張ワークショップがあるんだけど……まだ企画の段階。でも、やってみない?」
その一言が、胸の奥で小さく響いた。
やってみない?
「わたしにできるかな」
「子ども相手に教えられるのかな」
「責任、重くないかな」
そんな不安が、確かに胸をよぎった。
だけどそれよりも先に、心の奥がふっと“うずいた”。
それは、かつて優がくれた「やってみたら?」という言葉の、どこか遠い延長線。
あの日のページが、また一枚、めくられたような感覚だった。
私はまだ気づいていなかった。
この“やってみない?”が、
これからの人生を少しずつ、でも確かに動かしていくきっかけになるということに。
先生が差し出してくれた企画書には、春休みに開催予定のワークショップの内容が記されていた。
対象は小学生。
テーマは「色と感覚を遊ぶクラフトワーク」。
“本職ではない”私は会社員として本職を持っている。
その言葉が、私の足を少しだけ止めた。
「先生がいるなら、大丈夫」──そう思う自分がいた一方で、
「それでもこれは、わたしの“初めて”だ」
という緊張と重みもあった。
それでも私は、前に進むことを選んだ。
チャンスは、ただ待っているだけでは来ない。
目の前に差し出されたとき、「やる」と決めた人にしか、掴めない。
その最初の一歩を、私はこの日、確かに踏み出した。
「先生、お受けします」
そう伝えたとき、先生は少しも驚かなかった。
「そう言うと思った」
まるで最初から、私の心の動きも、迷いも、そして最終的に“選ぶ”ことまで、わかっていたように。
それは甘やかしではなかった。
私の本質への信頼だった。
迷っても、立ち止まっても、最後はちゃんと踏み出せる。
自分の足で、選び取れる。
そんな人間だと、見抜かれていた。
だからきっと、この仕事は「お願い」ではなく、「託された」ものだったのだと思う。
ふたりの言葉が交わったその瞬間、サロンの空気がふっとあたたかくなった。
頼りと覚悟。
経験と未知。
すべてが交差した、“はじまりの場所”。
私はまだ知らなかった。
この先、自分の心がもう一度、深く揺らぐ出来事が待っていることを。
それは、過去から吹いてくる風か。
それとも、まだ名前のない未来か。
いずれにせよ、
その予感はまだ何も語らず、
ただ静かに、息をひそめていた。
「今回は本当にタイトなスケジュールだけど、
全力でサポートするから、一緒に楽しみましょうね」
先生の言葉は、力強くて、やさしかった。
そこからの二ヶ月間は、まさに”怒涛”。
試作を重ね、会場との調整をし、保護者への案内や道具の手配、安全確認
目まぐるしく準備に追われた。
本職以外の休みの日は全て費やした。
そして迎えた、本番一週間前。
すべてのチェックが終わり、ようやくひと息つけたその日の夜。
「なんか……体がだるい」
熱はない。
咳も出ないし、鼻も喉もおかしくない。
それなのに、体が妙に重たい。
疲れかな、本職と掛け持ちでの仕事は体に負担もあった。
初めてのワークショップ、緊張のせいかも……そう自分に言い聞かせた。
でも、それはただの疲れではなかった。
その夜、早めにベッドに入った。
ぐっすり眠れたわけじゃなかったけれど、最低限の睡眠は確保できた。
「ちょっと休めば、きっと元に戻る」
そう思いたかった。
けれど、朝目が覚めても、体の重さは昨日と変わらない。
どこが悪いと説明できるわけじゃない。
ただ、重たい背中、気だるさ、そして体の奥からじんわりと広がる、名もない違和感──。
ふと、頭をよぎった
「まさか……」
その”まさか”は、ずっと遠くにあるはずだった。
準備は順調で、それなりに体調にも気をつけていた。
心も前を向いていたし、先生もそばにいた。
何も、見落としたはずはなかった。
それなのに。
「まさかが……まさかじゃない……?」
静かだったはずの日常が、
その瞬間からゆっくりと、けれど確かに、音を立てて動き始めていた。
年が明け主人が帰ってきてくれたいた。
有給と公休を合わせて3週間ほどの連休だった。
「結婚したら盆も正月もない」——そう言っていた人が、休みをとってくれた。
お正月はとっくに過ぎていたがお節らしきものを食べ、初詣に出かけ、少し遅れたお正月を楽しんだ。
休みが終わる前に一泊で旅行へでかけた。
夫婦として、自然な営みもあった。
きっと、そうだ。
心の奥で“何か”が、音を立ててつながるのを感じた。
この2ヶ月、私はワークショップの準備に追われ、
いつものように自分の体にまで意識を向ける余裕がなかった。
そんな小さな“ずれ”が、
まさか現実につながっていたなんて
信じたくなかった。
それでも確かめずにはいられなかった。
日常を装ってバッグを持ち、近所のドラッグストアへ向かった。
歩いている途中も、商品棚を眺めている時も、心はどこか遠くに浮いていた。
レジに持っていったのは、小さな箱。
それは「答え」を求める行為であり、
同時にその答えを知る“覚悟”でもあった。
いつもなら足早になることのない私が、
この日だけはまっすぐ、迷いなく歩いた。
ドラッグストア。何でもない、日常の一角。
けれど手にしたその箱には、
「日常のままではいられない瞬間」が詰まっていた。
帰宅してもすぐには試せなかった。
緊張と不安、そして言葉にならない“何か”が胸を締めつけ、
体が思うように動いてくれなかった。
「出ない……」
そうつぶやきながら、水を一気に飲んだ。
ようやく迎えた、検査の時間。
白いスティックに、静かに線が浮かび上がる。
陽性。
やさしく、でも確かに、心の奥を揺らしたそのサイン。
「妊娠してたんだ……」
頭では理解できても、
心がそれを受け止めるには、ほんの少しだけ時間がかかった。
「何も気づかなかった……ごめんね、赤ちゃん」
検査薬の陽性反応を見た瞬間、世界の色が変わった。
優しいピンク色。でもどこか、眩しすぎるほどの白。
嬉しかった。心の奥が、ふわりと温かくなった気がした。
だけどすぐに、現実がそれを包み込む。
「来週には、子どもたちの前に立つんだ」
「これは、先生と約束した初めての仕事……」
「でも今、私の体には“もうひとつの命”がある」
どうすればいいんだろう。
誰に、どんな順番で伝えるべき?
夫? 親? それとも、まずは先生?
どんなに嬉しい知らせでも、どんなに愛おしい命でも
“今の私”には、大きすぎて、抱えきれなかった。
午後。
初春の光が、少しだけ傾きかけていた頃、私は静かに家を出た。
検査薬の陽性。それは、ただの“知らせ”でしかなかった。
信じたい。でも、まだ信じきれない。
喜びたい。でも、まだ少し怖かった。
どうやって病院まで歩いたのか、よく覚えていない。
でも確かに、足だけは自然にその場所を目指していた。
答えが欲しかったわけじゃない。
ただ、ちゃんと——向き合いたかった。
受付を済ませ、名前を呼ばれ、紙コップを手にしてトイレに向かう。
何気ない仕草なのに、指先がほんの少しだけ震えていた。
「次の方、どうぞ」
問診、検査、母子手帳の話、検診チケットの説明。
どれも大事な話のはずなのに、耳をすり抜けていく。
そしてふとしたタイミングで、医師が言った。
「予定日は、○月○日ですね」
その言葉だけが、鮮やかに胸に残った。
命が、確かに——始まっていた。
診察室を出たとき、足取りは来たときとは違っていた。
荷物が増えたわけじゃない。
でも、心にはずっしりと重たくて、あたたかいものがひとつ増えていた。
診察室を出たあと、私の身体が真っ先に訴えたのは「喉の渇き」だった。
たくさんの情報が頭の中に流れ込んで、体の内側に熱がこもっているようだった。
それは緊張だったのか、驚きだったのか、それとも喜びだったのか。
全部が混ざっていた。
病院を出てすぐ、近くのコンビニでミネラルウォーターを手に取った。
冷たさが、手に心地よかった。
そのままレジに向かい、何事もなかったように会計を済ませた。
誰にも気づかれずに、
私はひとつの命を抱えて、静かな帰り道を歩いていた。
家に帰っても、まだ頭の中は整理しきれていなかった。
それでも、私は携帯を開いて、夫にメールを送った。
「妊娠しました」
「病院に行きました」
「○月○日予定日です」
たった三行。
けれどそれは、“母になった”と、誰かに初めて伝えた、大切な最初の言葉だった。
涙も、不安も、まだ胸の中で揺れていたけれどそれでも私は、自分の言葉で、ちゃんと伝えた。
そのとき一番、届けるべき人へ。
メールを送ってから、1時間ほど経った頃。
着信音が鳴った。
いつもと同じはずの音が、どこか違って聞こえた。
「もしもし」
電話を取ると、彼の声が少しかすれていた。
「ひかり、大丈夫か?」
「ごめんな、ついて行ってやれんで。ありがとうな」
その一言で、何かがふっと緩んだ。
張り詰めていた心、押し込めていた感情、戸惑いと衝撃の間で揺れていた気持ち。
「大丈夫?」のその声が、すべてを優しく包んでくれた。
その後に何を話したかは、あまり覚えていない。
どんな返事をしたかも、もう思い出せない。
でも、あのとき確かに、彼の声が隣にいてくれたことだけは、ちゃんと残っている。
先生に、伝えなければ。
そう思った瞬間から、頭の中では何度も言葉が行き来した。
「どう切り出せばいいだろう」
「誤解されないように言えるかな」
「迷惑だと思われないかな……」
でも、伝えなければいけなかった。
これは、“命を授かった”と同時に始まった、私自身の「責任」だったから。
レッスンが終わる頃を見計らい、ゆっくりと、でも迷いのない手で電話をかけた。
呼び出し音が鳴る間、ひとつ息を深く吸い込んだ。
「先生、こんばんは」
声が少し震えていたかもしれない。
それでも、ちゃんと続けた。
「今日、病院に行ってきました。妊娠していたんです」
「でも……ワークショップは辞退したくありません」
「体調管理は徹底しますし、最後まで責任を持ってやり遂げたいです」
電話越しの先生の声は、想像していたよりもずっと穏やかで、そして想像していたよりも、はっきりと線を引いてきた。
「それは許可できません」
「たった1日のことで、生涯悔やむことになるかもしれない。そんなリスクは負わせられません」
「経営というのは、どんなことも“想定内”で考えるのが基本です」
私は食い下がった。
「いや、でも……」
「それでも私は」
けれど、先生の答えは変わらなかった。
「ご丁寧に連絡ありがとうね」
「お身体に障らないよう、どうかご自愛ください」
静かに、でもはっきりと、幕が引かれた。
悔しさも、もちろんあった。
やりきれなさも、ほんの少し。
でも、それ以上に心に残ったのは、
「愛のある断り方」だった。
電話を切ったあと、しばらく動けなかった。
静かな部屋の中に、鼓動と、ぽろぽろと落ちる涙の音だけが響いていた。
しばらくして、再び電話が鳴った。
夫からだった。
さっきまで話していた、サロンの先生とのこと。
やろうとしていた仕事のこと。
私が迷いの中で話したすべてに、夫は静かに答えをくれた。
「ここまで積み重ねてきたことは、ちゃんと結果として残ったよ」
「今はできなくても、またチャンスが来たときに挑戦すればいいだけ」
その言葉に、ふっと心がほどけていくのを感じた。
「今できないこと=終わりじゃない」
それは、私の頑張りを一番近くで見てきた人の言葉だった。
先生との電話でこぼれた涙、夫の言葉でほどけた心。
ひとりきりになった部屋で、ふと気づいた。
私の中にはもう、ひとつの小さな命が宿っている。
静かにお腹に手を当てて話しかけた。
「ごめんね、今日まで気づかなくて」
「でも、これからは全力で守るからね」
その一言が、もしかしたら赤ちゃんにとっての“最初の記憶”になったかもしれない。
その日から母子日記をつけた。
最初のページには、その夜の気持ちをそっと書き留めた。
誰の目にも触れないけれど、それは私自身への、そして小さな命への
何よりも強い「母の約束」だった。
朝、目が覚めても身体が重い。
吐き気で何も食べられない。
水さえ、飲んだら吐いてしまう。
「これが、悪阻(つわり)なんだ」
頭では理解しても、身体はそれを受け入れてくれなかった。
ただ、ただ、苦しかった。
職場にも伝えた。
父にも報告した。
「私、妊娠しました」
だけど仕事には行けなかった。
有給も公休も、すべて使い果たした。
それでも起き上がることすらできなくて、2ヶ月近く休職した。
頑張るというより、“耐える”という時間だった。
そんなある日。
携帯電話に一通のメッセージが届いた。
先生からだった。
添えられていたのは、ワークショップに参加した子どもたちの、笑顔いっぱいの写真。
そして、あたたかい言葉。
「ひかりさんのおかげで、無事に開催できました」
「あなたの勇気ある決断が、みんなの幸せにつながったと思います」
まるで、そっと手を握ってくれるようなその言葉に、
胸の奥に少しだけ、あたたかい灯が灯った。
優と別れてから、二度目のゴールデンウィーク。
もう、あの日のような切なさや痛みはなかった。
けれど、ほんの少し離れた場所から、自分自身にこう思った。
「もう、あの頃の私じゃない」って。
職場復帰を果たしたのは、そのすぐあとだった。
無理のないように、少しずつ。
心と体を社会に慣らしていくように、ゆっくりと歩き出した。
そして迎えた夏。
照りつける陽射しの中、汗ばむ体に息を弾ませながら、
お腹の命と一緒に歩く毎日は、これまででいちばん「私自身」を生きていると感じられた。
日に日に大きくなるお腹。
ちょっと重くて、少し苦しくて、それでもこの世界のどんなものよりも愛おしい。
ある日、ふと心の奥で、こんなふうにつぶやいた。
優、わたし、もうすぐお母さんになるよ。
もう、伝える相手がいないとわかっていても
その言葉は自然に浮かんできた。
あのとき、あなたがくれた言葉が
わたしをここまで連れてきてくれたよ。
そう、伝えたくなったんよ。
産休に入ってからは、時間はたっぷりあるはずなのに
一日があっという間に過ぎていった。
お腹の中では赤ちゃんが元気に動いていて、
「すこぶる元気」という表現がまさにぴったりだった。
寝てるか、蹴ってるか。
とにかくじっとしていない。
そんな様子に「わんぱくな子になるのかな」なんて、笑いながら思ったりして。
でも、気がつけばいつも、こう願っていた。
早く会いたいな。
まだ顔もわからない、声も知らない、でも、世界でいちばん会いたい人。
日に日に増していく期待と、ほんの少しの不安と、
それでも包まれるような幸せに、心が満たされていた。
20○○年○月○日 0:18
2780gの男の子誕生
分娩室に入ってから、わずか18分。
想像もしていなかった、まさかの「超・安産」だった。
「軽かったお産やったね」
あとから助産師さんや先生がそう言ってくれたけれど、
そんな言葉が耳に届く余裕なんてなかった。
「かわいい」とか、「感動した」とか、
「やっと会えたね」なんて、ドラマみたいなセリフは浮かばなかった。
ただただ、しんどかった。
全身の力が抜けて、放心状態で、
「やりきった」というより、「終わったんや……」
「生み落としてしまった」という感覚が、
ぼんやりと、ゆっくり、身体の奥から湧いてきた。
それでも、腕の中には確かに、
あたたかくて、生まれたての小さな命が眠っていた。
そこからは、授乳という息子の命の源を与える、母としての新しい仕事が始まった。
けれど、なかなか母乳が出ず、マッサージをしてもらうたび、
あまりの激痛に涙がこぼれた。
「飲ませなきゃ」
「母親の仕事なのに、できない……」
「このままじゃ、死んでしまう……」
そんな思いが頭の中をぐるぐると回り、
睡眠不足と食欲不振の日々が続いた。
あれだけ美味しく食べていた食事も、喉を通らない。
ゼリー、プリン、フルーツ……
まわりがあらゆる手を尽くしてくれているのに、
それすら申し訳なくて、情けなくて、
涙が止まらなかった。
今思えば、きっと気負いすぎていたのかもしれない。
退院が近づく頃、先生が電話で夫や父と相談して、
しばらくの経過入院を勧めてくれた。
息子は元気そのもの。
けれど、私の心と体が、このままでは家に戻る準備が整っていなかった。
そして産後3週間
ようやく退院の日を迎える。
「いらっしゃい、我が家へ」
「ここがあなたのおうちだよ」
そんな言葉を胸に、
わたしたちの新しい生活が、静かに始まった。
夫が息子と初めて対面したのは、退院してから二日後のことだった。
息子を見るなり夫は泣いた、そして私を労ってくれた。
夫は育休をとってくれた。
しばらくのあいだ、私たちは親子3人の時間を過ごした。
ミルクの時間は夫の担当。私はその間、起きないことに決めていた。
そんな日々もあっという間に過ぎていき、3ヶ月検診を迎えた。
すくすくと育っている。
体重は平均よりやや軽めで少し気にしていたけれど、問題はまったくなくて安心した。
すこぶる健康優良児だ。
あれから三度目のお正月を越えた。
優、私、お母さんになったんよ。
まだまだ頼りないけど。
3月のある午後、電話が鳴った。
表示された名前に、心臓が跳ねた。優だった。
どうしよう…と思う間もなく、私は通話ボタンを押した。
「もしもし」
「ひかり?元気?」
懐かしい——あの声だった。
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