第六話 1か月の待ち時間
国王が拒否権を行使したことを知らなかった貴族たちは噂を耳にして驚愕し、揃って廃嫡を奏上した。国王は初めこそ拒否していたものの、とうとう王太子の廃嫡を認め、公爵位を与えることを約束した。子爵令嬢たるジュリアマリアとは貴賤結婚になるため、生まれる子供には地位を与えないことを条件に婚約が許された。
しかしながら、新たな王太子を定めるのは一ヶ月待つようにとの沙汰が下った。貴族たちは戸惑いつつもそれを受け入れた。
「なっんで一ヶ月先なのよ大学に帰らせなさいよ!」
――訳でもなかった。
「まったくだな……」
フェデリカとカルミネは王宮図書館の一角で深々と溜息を吐いた。フェデリカはアンヌンツィアータ家の名代として、カルミネは王位継承権を持つ者として、王都滞在の延長を余儀なくされていた。
「ここには実験道具もないし記録計も足らないし、あぁ! こんなところでどうやって生きろと言うの」
「いや生きてはいけるだろ」
「挙句の果てに王宮で舞踏会ですって? 御免被るわ」
「行けよ!? 叛意を疑われたくなかったら参加しろよ!?」
舞踏会の開催が宣言されたのは王太子の廃嫡が決まった4日後、あと二週間もすれば舞踏会が行われる。次の王嗣を宣言するのでは、と囁かれていた。
「流石に行くけれど。本来なら今頃は教授と議論をしているところだったのに……何が悲しくてひらひらふりふりのドレスを着て壁の花にならなきゃいけないのかしら」
「それはほんとうにその通りだ……」
「あなたは尚更可哀想よね......侯爵家次男、伯爵位持ちという肩書があっても遠巻きにされるなんて」
「やかましいわ」
ふたりは揃って机に突っ伏する。王宮図書館の蔵書は歴史や地理に偏りがちで、どうしても物理や数学の蔵書は少ない。あったとしても大学図書館で何度も借りた著名なものばかりだ。
「......ところで、ラヴィニアから手紙が届いたわよ」
「あぁそうか、大学合同研究発表会があったな......出たかった」
「言わないでちょうだい、悲しくなるわ」
ラヴィニア・プロヴェンツァーレ。フェデリカとカルミネの同期であり、女性としては史上最年少の11歳で大学に入学した才媛である。専攻は医学で、神殿が解剖を認めるようになってまだ10年、彼女は嬉々として日夜人体解剖を行っている。
「海の王国の医学論文が随分刺激になったみたいね......蘇生法が口づけみたいで面白かった、ですってよ」
「蘇生などという神の領域に対する評価が口づけか......」
「書かれていることを見る限り、特定の条件でないと使えなさそうだけれど......これが解剖学の進展の差かしらね」
「まあ、大陸の外は神殿の影響範囲外だからな。解剖も二世紀前から許されていたのだろう」
「ええ。あちらの航海技術の進歩のおかげで行き来も楽になったし、一度行ってみたいわ......あぁ、論文が読みたい」
「言うな、私まで読みたくなってくる」
ふたりが何度目とも知れぬ溜息を吐いた時である。後ろから掛けられた声があった。
「――アルディーニ伯爵、アンヌンツィアータ令嬢」
「「王弟殿下」」
王弟である。ふたりが揃って頭を下げようとすると、良い、という声に押しとどめられた。
「此度の騒動で大学に帰ることができず、儘ならぬ思いをしているだろう。詫びと言ってはなんだが、王立研究所への立ち入りを許可する」
「誠ですか!? 古代算術の権威であるクレッシェンツィ研究員が在籍されているのですよね」
「ああ。話してみるといい」
「ありがとうございます!」
カルミネは深々と頭を下げた。フェデリカも席を立って一礼する。
此度の騒動でラ・ヴァッレ侯爵家は少なからず影響を受けたし、アンヌンツィアータの名代であるフェデリカを宥めようという策略であろうか。大変嬉しい。
「――ところで、アンヌンツィアータ令嬢。邸宅の生垣を乗り越えようとする不審者がいたと警備隊に聞いたけれど、その後大丈夫だったかい?」
「はい。悪意は感じられなかったので、そのまま解放いたしました」
「そうかい。まあ、うら若き乙女を些細な罪に問うのは心苦しいしね」
「......ええ」
王家の影の仕事は恐ろしい、とフェデリカは思う。すべてバレているような錯覚さえ抱いた。
「王都の治安は良いとはいえ、時には事件も発生している。ふたりとも、くれぐれも注意するように」
「「はい」」
王弟が去り、早速ふたりは王立研究所に足を運んだ。数学界の権威のひとりに出会えたカルミネは感動していた。フェデリカは久方ぶりの研究施設の雰囲気を噛みしめ、心の中で王弟に礼を述べた。
***
舞踏会当日である。フェデリカは瞳の色に合わせた紫の衣装に身を包み、壁に背を預けワインを傾けていた。華やかな内装の元、音楽に合わせて貴族たちが踊っている。婚約破棄騒動以来初めての大きな宴だからか、皆の表情も心持ち明るい。宴が始まって暫く経つのに、一度退出した国王が戻ってこないことは気がかりだが、それ以外に大した問題はなさそうに見受けられる。
フェデリカは楽しそうに踊る一組の男女を見ていた。イゾラ公爵、もとい元王太子と、元妹である。彼らが婚約を結んで初めての舞踏会だ。王太子という身分を捨てても貫いた純愛は、今のところ無事に続いているらしい。
「――すっかり壁の花が板についているわね」
「ペネロペ」
「御機嫌よう。随分詰まらなさそうだけれど」
フェデリカは小さく笑った。デビュタントやお茶会は大学進学前はある程度参加していたが、以来とんとご無沙汰だった。
「ペネロペはどうなの。新しい婚約者は見つかって?」
「砂の皇国に売られそうよ。前王朝に嫁いだ王姉殿下が殺されてから没交渉だったけれど、最近、かなり交易も復活してきたし」
「そう。いい方と巡り合えるといいわね」
「その台詞、そっくりそのままあなたに返すわ。どうなの? ラ・ヴァッレ侯爵家の次男坊とよく会っていると聞くけれど」
「同じ国の貴族階級出身の同期入学よ、恋愛感情はないわ」
「あらそう、残念。大学に良い方は?」
「私と同じような研究馬鹿の集まりに、色恋沙汰なんて期待しないでちょうだい」
ペネロペは扇の向こうで目を細めて笑った。
「ねえ、あなたはベルトラン・ラミロ・デ・エスピノサ殿を知っていて?」
「海の王国の天文学者の?」
「ああ、ほんとうに有名なのね」
「ええ、彼が教授の跡を引き継いで完成させた彗星の円錐曲線の方程式は物理学的、数学的観点からも偉大なものとされていて......」
言葉につい熱が籠るが、ペネロペはこれを遮った。
「お会いしたことは?」
「ないわ。けれど今、キエザで海の王国のロサノ大学と合同研究発表会をしているから、いらしているかもしれないわね」
「こちらにもいらっしゃるそうよ。正式な使節団というわけではなく、外遊という形みたいだけど」
「あぁ、そう」
ペネロペの婚約者候補の筆頭だろうか。天文学者としての認識しかしていなかったが、はて年はいくつだったろう。
フェデリカが首を捻っていると、ペネロペが声を潜めた。
「――あなたに、よく似ているの」
瞬間、すべての音が遠のいた。
「色彩はまるで違うのよ。彼は海の王国の人らしく褐色の肌だし、髪は白いし。けれど、瞳の色が紫なの」
「......そう」
思いの外低い声が出た。ペネロペはそっと目を伏せる。
「あなたがどこまで関わっているのか分からないけれど――元妹を焚きつけたのは、あの噂のせい?」
フェデリカは答えず、黙って窓の外を眺めた。
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