第8話 その名前を

 その日の晩だ。宿屋の一室、ベッドの上に寝転がってファウストは天井を見上げる。

 昼過ぎのクリスの言葉を思い返し、ベッドの上に起き上がった。

「盗作、ねえ」

 そう呟いた矢先に部屋の扉が開いて、風呂に行っていたクリスが戻って来た。

 まだ湿った髪をタオルで拭いながらもう片方のベッドに腰掛けたクリスがこちらを見て、

「フォスはお風呂いいんですか?」

 と聞いて来る。

「おい、根拠はあんのかよ」

「なにがです?」

「盗作」

「ああ、あれ」

 端的に言えば、クリスは思い出したような相づちを打つ。

「ありますよ。

 彼、愛着がなさそうだったんですよね。あの歌に。

 自分の作ったものに愛着がないってこと、あるでしょうか。

 それに私の褒め言葉に対しても、反応が妙だったんですよね。

 後ろめたそうな反応、というか」

「…その反応についてはともかく、別に、珍しいもんでもねえだろうよ。

 産んだ子どもを愛さない人間だっているんだ」

「そうですね、フォス」

 こちらを見たクリスがにっこりと微笑む。

 急に立ち上がったクリスがこちらに近づいてきたと思ったら、

「はい隙有り」

 と突然ファウストの肩を押して押し倒した。

 基本クリスに対して警戒していない(無意味なので)ファウストは簡単にシーツの上に倒れてしまう。

「おい、なにすんだ」

「なにって、ただの遊びですよ。

 あなたがその気になれば簡単に退かせるでしょう?」

「てめえの場合、反撃が怖いんだよ」

 実際その通りだ。触れずとも人を殺せるようなおっかない女に、どうやって反撃しろと言うのだ。

「遊びでそんなことしませんて」

「本当かよ」

 嫌そうに眉を寄せてから、ふと何気なく触れた肩に手を当てる。

「怪我」

「はい?」

 覆い被さる体勢になったまま、クリスが疑問符を漏らす。

「バルデア教の騒動で負った怪我、治ったのかよ」

「はい、すっかり。

 フォスも背中、治りましたよね?」

「まあな」

 こちらに流れて落ちる黒髪を眺めながら、そっとそのシャツの胸元に手をずらし、ボタンを外す。

「おや、今回はその気になりました?」

「うるせえ」

 見上げたまま片手で器用にクリスのシャツのボタンを外したファウストは、そのシャツを片側だけ脱がせるとあらわになった肩をなぞった。

 そこには引き攣れたような真新しい傷跡が残っている。

「傷」

「?」

「傷跡、残ったな」

「まあ、撃たれちゃいましたからねえ」

「綺麗な肌してんのに」

 他意なく呟いたような声に、クリスが意外そうに目を瞠る。

「…フォス」

「俺以外の奴に、傷つけられてんじゃねえよ」

 そう、腹を立てたように吐き捨てたファウストに、クリスは目を丸くして、それから吹き出した。

「あはははは」

「んだよ」

「本当にフォスは私を殺したいんですね」

「あ? 当然だろ。文句あんのか」

「いいえ~。でも駄目ですよ。そんな誤解させるような言い方しちゃあ」

 浮かんだ涙を指で拭い、笑いを収めてクリスはファウストの自分の倍以上大きな手を取り、己の胸に押し当てる。

「女の子はお砂糖で出来ている、ですか。

 でもね、フォス」

 その常の笑みが、妖しく緩む。


「本当はもっと、怖くて醜いもので出来ているんですよ…?」


 その悪魔のような微笑に、魅入られたようにファウストは呼吸を止める。

「クソ女…?」

「なんでもありませぇん」

 次の瞬間には、もういつものファウストのよく知る笑顔だった。




 その翌日だ。まだ高い空の下を歩いて、クリスが訪れたのはある大きな邸宅だ。

 呼び鈴を鳴らすと、出て来たのは意外にも使用人ではなく身なりの良い青年だった。

「あなたが依頼主ですね?

 ゲートさんの件です」

「あ、ああ、それがなにか」

「なぜあんな依頼を?

 私、その依頼を引き受けた人間なんですよ。

 冒険者ギルドにする依頼じゃないなあって」

 クリスの言葉に多少納得した反応をした青年は、やや後ろめたそうに視線を逸らす。

「ほかに依頼する場所を知らなかったんですよ」

「じゃあなぜそこまでして?」

「…だって、おかしいじゃないですか」

 ややあって青年はぼそりと言う。

「あんな、住む家もなかったような奴、おれが見つけて拾ってあげたのに。

 急に作家になるとか」

「ははあ、つまり嫉妬ですか?」

「違う!」

 あからさまな邪推をしたような言葉を口にしてみれば、大声で反論された。

 図星の反応ではない。どこか悲痛ささえある響きの。

「違う、おれは、そんなんじゃ………ただ、ずっと」

 前髪の下から覗いたのは、どこか泣きそうな瞳だ。

「ずっと一緒にいるって言ったのに」

 そう、寄る辺ない子どものような声で彼は呟いたのだ。




 とん、と足を床に降ろす。

 窓から家の中に侵入したクリスは、室内を見回す。

 ここはゲートの住むアパートメントの一室だ。

 部屋の机の上には大量の紙が散らばっている。

 その一枚を手に取って首をかしげた。

「作曲した、にしては妙ですね。まるで記憶を頼りに書き起こしたもののような…」

 そう呟いた矢先、部屋の扉が開いた。

 気配には気づいていたが、気にしなかった。むしろ好都合だ。

 本人に聞きたいことがあったのだから。

「あ、あなたは」

「すみません。お邪魔してます。

 これ、盗作ですよね?」

「な」

「あなたが作った歌じゃない。違いますか?」

 にこにこ笑ったまま尋ねると、図星のようにゲートの視線が彷徨った。

「ち、ちがう」

「じゃあどうして新作が出来ないんです?

 もう三ヶ月、新作が出来ていないそうですね」

 その言葉にゲートが小さく呻いた。

「ここに書いてある歌、歌詞は良いのにメロディがめちゃくちゃです。

 あなたは、作曲すらまともにしたことがない。いいえ、楽譜すらまともに読めない人間なのでは?

 それが曲を作るなんて、無理でしょう」

「だ、だったら、だったらなんだって言うんですか」

 クリスの追求に、不意に自棄になったようにゲートが震えた声で反論する。

「いけませんか。作家になって有名になって、ぼくを拾ってくれたジャックに恩返しがしたいと思って。

 でも、所詮ぼくは凡人だから、そんな才能なんかなくて、元の世界で聞いた曲を自分が作ったと嘘を吐くことしか」

 ジャックというのはおそらく、あの青年のことだろう。

 それがわかったから、クリスは「そうですか」と興味が失せたように返す。

「じゃあ、好きにしてください」

「え」

「私は世間に公表なんてしません。あなたの好きにすればいい」

 そう言われて、ゲートは反応がすぐに出来なかった。

 まさかそんな風に言われると思わなかったからだろう。

「でも、あなたが一番大切にしたかったものはなんですか?」

 だから不意にそう問われて、声を失う。

「名声? それとも、誰かとの絆ですか?

 今のあなたの名前を、呼んでくれる大切なひとはいるんですか?」

 それに胸を突かれたように、呼吸すら止まった。

 その顔を見て、クリスは静かに告げる。


「名前なんて、大切なひとが呼んでくれなきゃ意味ないんですよ」




 なにかに気づいたように茫然としたゲートを置いて、家を出たクリスはすぐ外の道ばたで待っていたファウストに目を瞠る。

「らしくねえ善行だな」

「おや、全て聞いていましたか」

「まあな」

 ファウストはそう答えて、口に咥えた煙草を吸う。白い息を吐いて、隣に並んだクリスに尋ねた。

「結局なんだったんだ」

「ただの友情のすれ違いでしょう」

「元の世界ってのは?」

「さあ?」

 そのまま歩き出した二人の会話を聞くものはいない。

 道を行く人はまばらな、閑散とした住宅街だ。

「ただ、案外彼はこことは違う世界から来た人間なのかも。

 ここで得た新しい絆は、彼が今までおそらく持ち得なかったもの。代えがたいものでしょうね」

 その言葉に、ファウストは大股で一歩クリスより前に出ると、クリスの前に立ってその胸に手を当てる。

「女の子は醜いもので出来ている、か」

「ええ、そうですよ。醜くて、汚らしくて、グロテスクなものばっかりです」

「それでもお前は、綺麗な女なんだろ」


『今のあなたの名前を、呼んでくれる大切なひとはいるんですか?

 名前なんて、大切なひとが呼んでくれなきゃ意味ないんですよ』


(こいつは、俺が自分の名前を嫌っていることをわかっていて、俺をフォスと呼んだ)


 こいつだけが。そう、気づいたから。

「クリス」

「え」

 初めてのように、その名を声に乗せれば初めてのように驚いた表情が目の前で揺れた。

「行くぞ。クリス。

 無駄足だ。ちゃんとした報酬の出る依頼探さねえと困る」

 その反応で充分だ。そう思って背を向けると歩き出す。

「ま、待ってください。フォス。今ですね、あなた私を」

「いいから、さっさと行くぞ」

「ああ、もう」

 珍しく狼狽える彼女の反応が愉快だったから、久しぶりの満面の笑顔で足を動かす。

 その顔を見上げて、クリスは困ったように息を吐くと、

「はい」

 そう、嬉しそうに弾んだ声で答えた。

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