第6話 俺が殺すまで

 ふっと意識が浮上する。こちらをのぞき込む男と目が合った。

「お目覚めですか?

 我が女神よ。ご気分は?」

「良くはないですねえ。

 女神にする仕打ちではないのでは?」

 首を絞められたせいで頭痛がしたが、クリスはにっこりと微笑んで答えた。

「ああ、失礼。逃げられては困りますので」

「それに私は、女神なんてものになった覚えはないんですが」

「あなたはわたしの理想の女神だ。

 その黒い髪、真紅の瞳。

 わたしの理想の、女神バルデアそのもの」

 セドリックはうっとりと囁いて、頭上を見上げる。

 そこに大きな絵画が飾られていた。

 その中に描かれているのは長い黒髪に緋色の瞳の女性だ。

「ははあ、それだけで私を女神だと?」

 つまりこの絵画の女性が誰か知らないが、その女性と同じ髪の色瞳の色だからクリスに執着するのだ。

「それで、私をどうするおつもりです?」

「わたしと、一つになっていただきたい。

 女神の寵愛を得てこそ、教祖となれるのですから」

 そう言って祭壇に拘束されたクリスに覆い被さったセドリックに、クリスは笑みを引っ込めて冷たく射殺す。


「近づいたら殺します」


 その冴え冴えとした眼光に思わずセドリックが怯む。

「本気ですよ」

「……ふふ、冗談です。

 わたしたちが一つになるのは、今夜。

 満月の夜に」

 セドリックは一瞬身を引いたが、クリスにはなにも出来ないと思ったのか笑みを浮かべて、

「また来ます。我が女神よ」

 と囁いて背を向けて祭壇のある地下室を出て行った。

「悪趣味な男に掴まりましたね。

 殺してもいいんですが、…信者の洗脳の解き方がわからないのは困る」

「意外だな。クソ女」

 そう独りごちた矢先、扉の向こうから聞き慣れた声がして目を瞬く。

「構わず殺すと思ったぜ」

 扉の向こうから姿を見せたファウストに、クリスは少し驚いたようだった。

「よく忍び込めましたね。

 というか、居場所がなぜわかって」

「信者どもは素人だからな。足跡を辿って来れた。

 奴ら、気配はないが痕跡を消す方法は知らねえらしい」

「ああ…、あそこは草原が続いていましたからね。

 ………しばらく様子を見てくれますか」

「なにを企んでる?」

「別に。ただ、」

 祭壇のそばまで歩いてきたファウストに、なにか言いかけてクリスはそのまま口を閉じる。

「ただ?」

「なんでもありません。

 ああ、頼みがあるんです。

 大勢を洗脳するなんて、たった一人の魔力で出来るはずありません。

 魔法具かなにかが、この屋敷のどこかにあるはず」

「なるほどな」

 クリスの言葉ににやりと笑ったファウストが、ふと身をかがめて、顔を近づけて吐息のような声で問う。

「壊してきたらなにくれる?」

「褒美をご所望ですか?

 生憎と、あげられるのはこの身体くらいなんですよ。

 私、まだ死ねないもので」

 瞬間、頭上で舌打ちが響いた。

「そんなものは、要らねえよ」

 それだけ言って身を離すと、ファウストは大股で歩いて地下室を出て行く。

「相変わらず、面白いひと」

 残された室内で、クリスはかすかに口の端をつり上げた。




 屋敷の中を気配を殺して歩いていると、不意にある部屋から明かりが見えた。

 身を潜めて、ファウストはその中を覗く。

「バルデア様」

 聞こえてきたのはあのセドリックの声だ。

「我が女神を、女神がどうしても欲しいのです。

 悪魔バルデアよ」

 広い室内、壁には地下室と同じ女性の絵画が飾られている。

 その絵画に向かって、セドリックは首にかかった宝石の嵌まった魔法具を掲げて祈りを捧げていた。

 その魔法具が妖しく輝く。

「あの女神を意のままに操る力を」

 あれは魔法の輝きだ。

「なるほど、あの首飾りか」

 そう呟いたファウストは、不意にセドリックが動く気配を感じて部屋から離れると隣の部屋に隠れる。セドリックが部屋から出て来て、地下室に向かうのを見送ってからその部屋の中に入った。

 部屋の中にあるのは絵画と、アンティークな造りの家具と寝台。

 ふと棚を開けて、その中にあった日記帳を手に取った。




「我が女神よ。

 約束の満月の夜です。

 わたしと、今こそ一つになるとき、そして、我が愛は永遠になる」

 地下室に戻ってきたセドリックは、祭壇に手足を固定されたクリスを見つめて恍惚と告げる。

 その周囲には複数の男と、正気ではない目つきの信者たちがいる。

「そちらの方々は?」

 信者、とは違う。下卑た笑みを浮かべてクリスを見ている。信者たちには自我がなかったが、彼らには自我が存在している。

「ああ、彼らはわたしの護衛です。わたしとあなたが一つになる儀式を見たいと」

「…反吐が出るほどの下衆ですね。でも、なら遠慮しなくていい」

 おそらくファウストはもう魔法具の在処を見つけた頃だろう。彼は有能だ。

 そう考えて、すうと息を吸った。

「赤い刃で首を切る ひとつふたつと指折り数え」

「…女神よ?」

「首をどこまで落とせるか お前はどこまで覗けるか

 井戸の底まで覗こうか 首をいくたび落とせるか」

 クリスの囁きめいた言葉は、魔法の詠唱とも違う、呪文とも違う、不思議で禍々しい響きの──まるで呪詛のような。


「何百何千落とそうと、お前の願いは届きゃせぬ」


 そう紡いだ瞬間、周囲にいた下品な笑みを浮かべていた男たちの頭が弾けて飛ぶ。鮮血が噴き出して身体が倒れた。

「ぐっ」

 不意に苦悶の表情になったセドリックが喉を押さえた。

 その手が震えながら、クリスを拘束する枷を外す。それは明らかにセドリックの意思ではなかった。

 信者たちが倒れていく。

 その音を聞きながら、クリスは祭壇の上に起き上がる。

「このくらい、私には訳ないんですよ。

 制約があるので、やらないだけでね」

 自由にならない身体でこちらを見つめ、信じられない顔をするセドリックににっこりと微笑みかける。

「この身は、私の毒。

 何者にも、殺せはしない」

 そう誓うように呟いた瞬間、クリスの口から血があふれた。

 それを受け止めた手、口元を袖で拭って深い息を吐いた。

「やはり、制約を破ると代償が来ますね。気をつけないと」

 仕方なさそうに呟いた矢先だ。地下室の扉が開いた。

「おい、クソ女」

「待っていましたよ。フォス。

 信者たちを洗脳していた魔法具は?」

「これだ」

 大股で近寄ってきたファウストが、床に座り込んだセドリックの首飾りを引っ張る。

「こいつを壊せば、おそらく正気に戻る」

「なるほど」

「ついでにこんな真似をした動機もわかったぜ。

 亡くなった恋人をよみがえらせる。

 その恋人が、この絵画の女だ」

「それで私に執着しましたか。はた迷惑な」

 祭壇に腰掛けたままセドリックを睥睨したクリスに、セドリックが震える手を伸ばす。

「ば、バルデア…。

 どうか、行かないで…」

「お断りします」

「がっ」

 クリスがにこりと笑んだ瞬間にセドリックは血を吐いて、そのまま床に倒れ伏した。

 ファウストは首飾りをちぎって、床にたたきつける。魔法具が壊れた。

「信者どもは?」

「殺してません。意識を失わせただけです」

「そうかよ。…本当に珍しいな」

「別に、大した理由はないんです」

 そう答えてクリスは祭壇から足を降ろすと、意識を失っている信者たちを見やった。

「ただ、他人の勝手で好きにされる人を見るのは、あまり良い気分ではなくて」

「ふうん?

 俺はてめえの勝手で好きにされてるがな」

「ああ、フォスはいいんです」

「なんだそりゃ」

「だって、私の楽しいオモチャで、…………どうして助けに来てくれたんです?」

 笑顔で言いかけて、ふと疑問に思ったように尋ねる。

「おい、今オモチャっつったか?」

「そんなことはどうでもいいんです」

「よくねえが」

「なんで助けてくれたんです?

 昨日も」

「………別に、大した理由じゃねえ」

 ファウストは痛いところを突かれたように苦い顔をして、がしがしと後ろ頭を掻く。

「ただ、俺を好き勝手にしたてめえが、ほかの奴に殺されるのは癪に障るんだよ」

 そう言ってクリスの胸ぐらを掴む。

「てめえは生きてろ。俺が殺すまでな」

「…ふっ」

 その真っ直ぐな、ごまかしの利かない感情をぶつけられてクリスは目を限界まで見開いた後、笑い出した。

「あっはははははは」

「なにがおかしい」

「いえ、ただ、フォスらしいなって」

 くすくすと笑いを零しながら、クリスは目尻を拭ってそうして、ファウストを見上げた。

「嬉しいですよ。その動機」

 そう柔らかく微笑んで。


(殺すためでも、私に生きろと言った。

 あなただけが)


「ありがとうございます。フォス」

「チッ。いいから、さっさと出るぞこんなところ」

「はい」

 そのまま差し出された手を取って、振り返ることなく歩き出した。

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