テンペストの魔女

トヨヤミ

第1話 出会い

 荷馬車が揺れる。

 その荷台で、一人の男が手元の写真を眺めていた。

 写真に映るのは長い黒髪の美しい少女。

「運のない女だな。なんで天下のヴァイオラ公爵家から命を狙われているのか知らねえが」

「ああ、あの『ザミエル』に狙われるなんて、もう死んだも同然だ」

 少し離れた荷台の上で囁いた仲間の男たちは、不意にこちらを睨み付けた彼の眼光に宿った殺意に思わず口をつぐんだ。

 彼は視線を写真に戻すと、鋭いまなざしで写真の少女を見つめた。




「この写真の少女を抹殺せよ」


 それが青年やその仲間に下された命令だ。

 報酬もたんまりと支払われる依頼とあって、誰もが二つ返事で頷いた。

 彼らは裏社会でしか生きられない所謂ごろつきだ。

 この依頼で初めて顔を合わせたものも多い。仲間というより、烏合の衆。

 その中でも頭一つ抜けた存在感を持っていたのがこの青年だった。

 尖った型の銀髪に藍色の瞳、並の人間なら視線だけで怯える鋭い眼光、精悍な顔立ちと見上げるほどの大柄な体躯。

 彼は裏社会で知らぬ者はいない殺し屋だった。

「全く、運のない女だな」

 そう、木々の合間に潜んで青年は呟いた。

 木々に囲まれた街道を一人歩くのはあの少女だ。

 今回の依頼で集められたごろつきたちが「自分たちが囲んで襲う。お前は木々の合間から狙ってくれ」と言った。あの少女を殺したものには前金の数倍の報酬が支払われる。彼らはそれを狙っている。裏社会で名の通った青年には手柄をくれたくはないだろう。

 だが別に構わない。


「お前たちが殺す前に、俺が殺せばいいだけだ」


 そう呟いてライフルを構える。

 スコープから覗いた少女の横顔。その周囲をあのごろつきたちが取り囲む。

 だが少女の顔から可憐な微笑は消えないままだ。

 よほどの世間知らずか、と見下しながら引き金に指をかける。

 瞬間、少女と視線が合った。

 数々の修羅場をくぐってきた青年ですら背筋に怖気が走るほどの、悪魔のような視線に息を呑んで反射的に身を引く。

 なにも起こらない。

 だが、今、はっきりと恐怖を感じた。おおよそ、世間知らずの少女から発されるはずのない、鋭利な刃物のような殺意。それを感じた。

 なんだ、気のせいか?

 もう一度スコープで少女のほうを覗いて、息を呑む。

 周囲を包囲していたごろつきたちが、全員地に伏している。


「あのー、そちらに隠れていらっしゃる狙撃手の方、そちらまで殺しに行くの面倒なので出て来てくれません?」


 間延びした、鈴の鳴るような声で言われて呼吸が止まった。

 いつから気づいていた? いや、そもそもさっきの一瞬で、あいつらをどうやって倒した?

 そこらのごろつきとはいえ、世間知らずの少女が一瞬で倒せるはずのない数だ。

 いや、そもそも世間知らずの少女という認識自体が、誤っていた?

「あのですね」

 不意に間近で声が聞こえて固まった。

「早くしないと、殺しちゃいますよ?」

 気づいたら、目の前にあの少女が佇んでいてにこりと微笑んだ。

 見惚れるくらい麗しい笑顔なのに、感じるのは怖気のする得体の知れなさだ。

「私がどうやって彼らを殺したか、あなた知りませんよね?」

「……」

 銃を手に持ったまま、薄ら寒い笑みを浮かべる少女を見上げる。

 少女と自分の体格差は子どもと大人ほど違うが、狙撃のためしゃがんでいた自分よりは立っている彼女のほうが目線が上だった。

 確かに、自分は彼女がどうやって瞬きの間にごろつきたちを殺したか知らない。

 手の内を知らないうちは、迂闊に仕掛けられない。

「…わかった」

「はい、よかったです。無駄に殺さず済んで」

 少女はにっこりと微笑んで地面を蹴ると、軽やかな足取りで街道の地面に着地する。

 青年が潜んでいた茂みは、街道の頭上にある崖の上だ。

「早くー、殺しちゃいますよ?」

「今行くっつってんだろ」

 ぞんざいな口調で答えながら、青年は考えていた。

 どんな手段を使った? 魔法? いや魔法は呪文の詠唱が必要だ。詠唱は聞こえなかった。

 考えながら街道に降り立つ。ちょうど街道には人気がなく、倒れているごろつきたちに悲鳴を上げる旅人もいない。

 不意に弱々しい力で足を掴まれた。

「ファウ、スト。あの女を、殺し…」

 足下を見るとかろうじて息のあったらしいごろつきの一人が、青年の足を掴んでいる。

「その名で呼ぶな」

 地を這うような声で言って男の手を蹴り飛ばす。

「おやおや、私としたことが殺し損ねていたものがいましたか。

 いけないいけない」

 少女がのんびりした声音で言って、にっこり笑んだ瞬間だ。

 男が苦しげに呻いて、もがく。宙に持ち上げた手が震えて、そのまま落ちた。その顔を見る。明らかに死んでいる。

 今、なにをやった? 少女と男の距離は離れている。魔法を使った形跡はやはりないし、魔法でこんな殺し方は出来ない。

「まあ、この通りのことが出来まして。

 ついて来ないとあなたも同じように殺しちゃいますよ」

「………どこに行くんだ」

「まあ、ひとまず私、おなか空いちゃったんですよね」

 少女はあっけらかんと、今し方十人ほどの命を奪ったとは思えない屈託なさで微笑んだ。




 あの街道から数十分歩いた先にある街、その街の中にある飲食店の奥の席で、ファウストと呼ばれた青年とあの少女は食卓を囲んでいた。

「うん、この店の料理は絶品ですね。お肉の味付けが良い。

 あなたも食べないんですか?」

「…大量殺人犯を目の前にして、食欲が湧くかよ」

「おやあ、うふふ」

「なにがおかしい?」

 不意に楽しげに笑った少女にファウストはまなじりをきつくする。

 大抵の人間ならただ視線を向けただけで怯えるのに、少女はにこにこと笑んだままだ。

「大量殺人犯はお互い様では?」

 くすくすと笑って少女は言う。

「どなたかと思ったら、あなた『ザミエル』ですね。

 なるほど、あの仕留められないものはいないと言われる殺し屋ですか。

 凄腕の狙撃手というのも本当なんでしょう。

 ならなおさらに、私とあなたは似た者同士です」

「なにが言いたい」

「いえ、似た者同士、一緒に食卓を囲むのも一興でしょう?」

 その言葉にファウストは内心舌打ちしたくなった。

 なんだこの娘は。全く腹の底が見えない。

 観察眼には自信がある。ある程度話せば、どんな人間かわかる。

 なのにこの少女は全くそれが見えない。なにを考えているのかも、どんな人生を歩んできたのかも。

 全てが漆黒の闇に覆われているかのような、そんな得体の知れない化け物の纏う空気。

 それだけを感じる。

「でもファウスト、ですか」

 何気なく少女が口にした己の名にぴくり、と眉がひくつく。

「その名で呼ぶな」

「ああ、あなたこのお名前嫌いなんですね。

 確かに、ファウストと言えば悪魔に取り憑かれた男の名前です。

 そんな名前を我が子に名付けるということは、あなたは親に愛されていないんでしょう」

「黙れ」

 ドスの利いた声が口を吐いた。

 懐から取り出した小銃の銃口を少女に向ける。

 だが少女はまるで怯えないままだ。

「おやおや、図星で地雷でしたか。

 でもね、ファウスト」

 瞬間、手に持っていた小銃が落ちる。床に転がった。

 手が、しびれてうまく動かない。


「あなたが引き金を引くより、私の毒が効くほうが早い」


 薄ら寒い笑みを浮かべた少女が相変わらず、鈴の鳴るような声で言う。

「毒、だと…?」

 どういうことだ。自分は食事に口を付けていないし、少女がなにかした形跡はなかった。

「ああ、食事に毒なんて盛っていませんよ。

 そんな他人様が頑張って作った料理に毒を仕込むなんて、食に対する冒涜です」

「じゃあ」

「ただ、私はそういうことが出来るということをあなたには知って欲しくて。

 触れず傷つけず、私は毒を撒くことが出来る」

「魔法、か?」

「そんな魔法がないことはご存じでは?」

 少女の真紅の瞳が妖しく輝く。そうだ。魔法はファウストの専門分野ではないが、その程度の知識くらいはあった。

「だから、お前はヴァイオラ公爵家に命を狙われてんのか…?」

「少し違いますが、まあ、それでもいいでしょう」

 しびれてうまく動かない手を片手で押さえながら、少女を睨む。

 意に介した様子なく少女は微笑んで、


「あなた、私と一緒に旅をしませんか?」


 そう、明日の天気でも告げる口調で言った。

「………は?」

 ファウストの口から擦れた声が漏れる。意味がわからない。

「いえ、そろそろ一人旅にも飽きてきたんですよ。

 なので旅の連れが欲しいなあって」

「頭、おかしいんじゃねえのか。自分を殺そうとした相手を」

「でも、あなたには私は殺せない。それはもうおわかりでは?」

 その言葉に悔しげに口の端を噛む。事実だ。

 自分には少女が言う毒のからくりもわからない。

「ちなみに逃げたら殺しますよ?」

「…それは選択権がねえっつーんだよ。脅迫だ」

「ふふ、そうとも言いますね」

 黙っていれば麗しい、漆黒の薔薇のような見た目をしてとんでもなく恐ろしい女だ。

 これは、とんでもないものに手を出してしまった。

「ああ、すみません。

 私としたことが名乗りそびれていましたね」

 少女はふと思い出したように笑って、自身の胸にそっと手を当てる。


「私はクリス・ヴァイオラと申します。

 これからよろしくお願いしますね。フォス」


「…は」

「あ、いけません?

 フォスって愛称。

 名前を呼ばれるのお嫌いみたいですし、ファウストの『フ』と『ス』と最後の一字の母音を取ったあだ名」

「違う。そうじゃなく、お前、」

 名乗られた名前に、信じられない心地になる。

 少女──クリスは花のように微笑んで人差し指を唇に押し当てた。

「他言、詮索無用ですよ? フォス」

 そうこの怪物みたいな女に言われてしまえば、それ以上は聞けない。

 もう一度、はっきりとファウストは舌打ちした。


「ああ、一緒に行けばいいんだろ」


 投げやりに言った自分に、クリスはにこにこと笑って、

「じゃあ、これからよろしくお願いしますね。フォス」

 そう友達の挨拶のような声音で告げた。




 魔方陣が自身の足下に展開する。

 もう懐かしい、ヴァイオラ家の自室。

 目の前に佇むのは、自分に似た面差しの青年だ。

「あ、兄上」

 擦れた声で呼んだ。その声は少し高めの、紛れもない男の声だった。

「なぜ──」

「なぜかわからないか?

 お前は心が凍っている。お前の存在は僕の害にしかならない。

 さらばだ、クリス。人の心を持たぬ我が弟よ」


 兄の手の甲に刻まれた紋が発光する。


「永遠に、彷徨え」


 瞬間、魔方陣の中で動けずにいた自身の身体が変化する。

 細身ながらも鍛えられた男の身体が、柔らかく華奢な女性の身へと。

 魔方陣が真っ赤に発光し、己の身体を別の空間へと飛ばす。


 あの日に、全てが変質した。


 必ず、あなたの元へと帰ろう。

 そして、必ずあなたに復讐を。


(ねえ、兄上?)


 あれは、懐かしい自分の過去。

 今のクリス・ヴァイオラに至る話。

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