第二話 《グリードクロー》の幹部

 雑多な路地を、左に折れ、右に折れ、ときには崩れかけた階段を上り下りしながら歩き進める。

 本当なら愛車を出したいところだが、今日は場所が悪い。車で行くと無駄に遠回りになる。

 仕方なく、えっちらおっちら徒歩で移動中。


「……まあ、たまには運動も悪くねぇ。健康にいいって話だしな。──知らんけど」


 苦笑混じりにぼやく。


 そもそも、この町で“健康”を気にする輩が一体どれほどいるのか。

 大半の連中は目先の快楽にしか興味がない。酒、薬、安い娼婦──それがこの町の三種の神器みたいなもんだ。


 もちろん、中には健全な思考を持った奴もいる。

 ……が、そいつらは大抵いつの間にか死んでるか、気づけば薬漬けになっている。


「怖い怖い」


 つぶやきながら肩をすくめる。

 それでもなお生き残ってる奴は、大体“何か”を持ってるやつだ。強運か、異能か、あるいは単純に頭のネジが外れてるか。知り合いにも何人かいるが──今は棚に上げておこう。


 そんなことを考えていたら、いつの間にか目的地に到着していた。


 目の前には、でかでかと「パーツショップ」と書かれたサイケな看板。ネオンの一部は点滅もせず、死んだように消えている。横には車のイラストが掲げられているが、こちらもところどころ光が途切れていて滑稽だ。

 三階建ての建物に併設された広い工場。そのシャッターからは数台の車が出入りしている。

 表向きは車体パーツの販売や改造を請け負うディーラー。だが、ここが実際には《グリードクロー》幹部、バズ・コルドーの“居城”であることを知っている奴は少なくない。


 「表のお客さん」向けの入口を横目に、俺は建物の脇道を回り込み、裏口へと向かう。


 路地裏に入ると、若い連中が数人たむろしていた。派手な髪にピアスだらけの顔、そして口に咥えているのはタバコ……に見えて、実際はシリンダー式のドラッグだ。

 そこから吐き出される妙な色の煙が鼻腔を突き、サイケな匂いがつんと鼻に残る。思わず眉間に皺が寄った。


 俺に気づいた一人が、慌てて口からそれを外し、地面に投げ捨てる。ぐりぐりと足で潰しながら、声を張り上げた。


「お、お疲れ様です! 旦那!」


 ふざけた髪色に顔中ピアスの強面が、やけにきちんと頭を下げる。思わず笑いそうになるが──かわいそうなので堪える。代わりに、変な顔になってしまった気がする。


 頭上には、やはり吹き出しが浮かんでいた。


《やべえやべえ! なんで俺がいるときに限って来るんだよ! ちきしょう! てめえらも早く頭下げろ! ぶっ殺されんぞ!》


 いや、殺さないからね……。

 心の中でだけツッコむ。

 ……もっとも、さっきの路地裏で一人撃ち抜いたのは事実だ。

 ……まあ、アレは正当防衛だから。うん。

 小さく自己弁護しておく。


 俺がそんなことを考えている間に、他の数人も慌てて立ち上がり、バタバタと頭を下げて道を開ける。


「す、すいやせん! どうぞ……!」


 ピンと腕を伸ばしながら道を作る若いギャングに、俺は苦笑しつつ「構わん、構わん」と軽く手を振る。

 そのまま扉へと歩み寄ると、建物に取り付けられた複数の監視カメラが、ジーッと音を立てながら俺の姿を追ってきた。


 無視して扉に手を掛ける。

 ばしゅん、とエアロックが空気を抜く音を響かせ、俺はそのまま室内へと足を踏み入れた。





 * * *





 中に入ると、カウンターに一人の女が立っていた。

 整った顔立ちに、過不足のない笑顔。だが見覚えはない。新顔か……あるいは“新しい顔”に差し替えたやつか。


 俺と目が合うと、女はにっこりと笑い、澄ました声で挨拶してきた。


「灰島さま、いつもお世話になっております。コルドー様は上階でお待ちですので、こちらのエレベーターからどうぞ」


 なるほど、声の調子で分かった。人間じゃねえな。ヴィーラ社製の接客用アンドロイドだ。

 ……高ぇ買い物してんな。

 思わず心の中でぼやく。

 世代にもよるが、あれ一体で上層連中の給金一年分以上は軽く飛ぶはずだ。裏口に設置して上客対応だと? 見栄にしては度が過ぎてる。俺には、あの“完璧すぎる笑顔”のどこがいいのかさっぱり分からん。


 アンドロイドの横にある仕切りの裏──人目につかない直通のエレベーターに乗り込む。

 わずかな揺れと共に上昇し、やがて「チン」と軽快な音が響いた。


 扉が開いた先は、広めの待合室。

 コルドー直属の部下が数人、黙って控えていた。鋭い視線を投げてきたが、すぐに俺を確認すると、緊張をほぐすように軽く頭を下げる。


「お疲れ様です。中でお待ちですので、どうぞ」


 門番よろしく立っていた二人が、頑強そうな木製の扉を両手で押し開けた。

 中に足を踏み入れた瞬間、相変わらずの豪華な室内に口笛の一つでも吹きたくなる。


 ──シック、というか古めかしい執務室。

 この時代では珍しい天然木の執務机、重厚な彫り物が施された調度棚、壁にかけられた油絵。どれも合成品じゃなく本物。部屋一つで一財産分の値打ちがある。

 外のスラムの腐臭とは別世界だ。


 奥のソファに腰を下ろしていた偉丈夫が、俺に気づくと片手をひらりと挙げた。


「よぉ、こないだぶりだな。どうだ、調子は」


 ……相変わらずの存在感だ。

 俺もそこそこ長身だが、それでも頭一つは大きい。二メートル近い長身に、ジャケットを突き破らんばかりの筋肉の塊。

 磨き上げられたように光るツルツルの頭に、刻まれた皺はひとつもない。キリッと引き締まった表情で、妙に精悍さを感じさせる。


 暑苦しい。だが、不思議と嫌いじゃない。部屋の趣味が合うからかもしれない。


 テーブルの上には、琥珀色に輝く液体の瓶とグラスが二つ。

 一つには既に並々と注がれていて、コルドーはそれをガパリと一息で飲み干した。


 ……あれ、確か七十度はあったはずだよな。

 喉が焼けるどころか胃袋に穴が開く代物を、水みたいに流し込んでやがる。変態め。


 手招きされ、俺はため息をひとつ吐いてから、どっかりとソファに腰を下ろした。

 コルドーがにやりと笑い、空いたグラスに酒を注いで俺の前に差し出す。自分のグラスにも継ぎ足し、掲げて見せた。


 ……しゃーねぇな。

 俺もグラスを持ち上げ、軽く合わせる。


 カチリ、と響いた音は──注ぎすぎた液体のせいで、どこか間の抜けた低音だった。

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