第31話 勝ち負け



 グスタフとモーズさんが帰り、部屋には私と護衛のエリクしかいなくなってから数時間――――ベッドで横になっている私は日付を跨いでも、まだ寝付けなかった。昨日もあまり眠れなかったから今日は沢山寝られると思っていたのに。


 きっと家族に事情を話して騒ぎが大きくなり、防備について話し合う中で死の実感が強まってきたのが原因だと思う。


 もう何度目の寝返りを打ったのかな? 眠れなさ過ぎて目を開けると視線の先にある椅子に座っていたエリクがこちらを見つめていた。


「緊張して眠れませんか?」


「うん……そうみたい。ちゃんと寝ないといざって時に動けないから尚更寝なきゃいけないはずなのにね」


「不安や緊張は気合でどうにかなるものではありませんからね。どうせ眠れないなら僕と話をしませんか? 日の出まで続くお喋りになっても構いませんので」


「……ありがとう」


 弱った心にエリクの優しさが凄く沁みる。それから私たちは他愛ない話を続けた。


 いつものように大きな声で笑う元気はないけれど、いくらか不安は減ってきた気がする。むしろ今頃になってエリクと部屋で2人きりだという事実を意識してしまい、別の意味で緊張してきたかも。


 そんな私へ追い打ちをかけるようにエリクはベッドに腰かけて柔らかな笑みを向ける。距離が近い……ますます緊張してきた……。


 彼は何をするつもりなのだろう? 目が合わせられなくて仕方なく肩を凝視しているとエリクは穏やかな声を発する。


「スミレと話していると楽しいです。だからという訳ではないですが、改めて言わせてください。転生してくださりありがとうございました」


 心のこもった礼を伝えてくれているけど感謝するべきは私だよ。私ほど周りに恵まれている人間はいないのだから。


「お礼ならフィオルに言ってあげて。墓の前に行けば満月の日じゃなくてもこちら側の声だけは届くから。むしろフィオルみたいな可愛いくて素敵な子に転生できた私が1番礼を言わなきゃいけないのだけどね」


「泉の水面で見た前世のスミレもフィオルに負けないぐらい素敵な女性でしたよ?」


 …………! 目の前のエリクは全く目を逸らさず甘い言葉を掛けてきた。こんなの反則だよ……。でも、対応がパーフェクトなエリクならお世辞なんて息を吐くぐらい楽にできるはず、真に受けちゃいけないよね?


「ありがと、お世辞でも嬉しいよ」


「お世辞じゃありませんよッ! 僕は本気でそう思いましたから。見た目について深く言及するのはよくないかもしれませんが前世のスミレは小柄で可愛らしかった。ミーミル領では見かけない黒髪と黒い瞳の組み合わせはどこか神秘的にも感じました。そして丸い瞳と――――」


 エリクは強く否定した後、延々と私とフィオルの容姿を褒めてくれた。嬉しい反面、照れくさい。


 ただ、前世の私を褒めると同時にフィオルのことも褒めているから、どうしても比較してしまう。エリクが私の瞳の奥にいる本物のフィオルを見つめているような気がしちゃう……。


 やっぱりフィオルには勝てないなぁって思っちゃうよね……ってアレ? 私、いま勝ちたいと思ってた? 勝ち負けって何? 私とフィオルがエリクを取り合いしているわけでもないのに。私はいつの間にかエリクを独占したいと思っていたの?


 黒い気持ち……と言っていいのか分からないけど、私の中に何か別の感情が湧き上がってきているのを感じる。心がいくつもあるような感覚があって思考が上手くまとまらない。


 初めての感覚で私はおかしくなっていたのかな? 気が付けばエリクに意地悪な質問を投げかけていた。


「エリクってさ……フィオルのことをどう思っていたの?」


 やってしまった……。1度吐いた唾は呑めないというのに。


 こんな切り込んだ質問をしちゃったらエリクが困っちゃう。今からでも訂正して話題を変えないと……って理屈では分かっているのに、返答が聞きたくて訂正の言葉が口から出てこない。


 もう何秒経ったか分からない。濃くて重たい沈黙の果てにエリクは苦笑いを浮かべる。


「…………ははっ、もちろん大切な仲間ですよ」


 ここで私が納得した素振りを見せたら話を終わりにできる。だけど、今の私はもう冷静じゃない、止まれない。私が知りたいのは……


「大切っていうのは恋愛感情ってこと?」


「…………」


 我ながらここまで暴走してしまった以上突き抜けるしかない。今度は私が目を逸らさずにエリクを凝視する。エリクは逃げるように視線を斜め下に向けると手を組んで指をもてあそぶ。


「好きだった……のかもしれません。テオを含めた4人でいることがあまりにも当たり前でしたからね。友達以上の関係を望み、何か特別な行動をとることはありませんでしたが。まぁ……その……過去の話です」


「過去の話と言い切れるのはフィオルの死を乗り越えて気持ちを切り替えられたってこと?」


「…………」


「あっ! その、ごめんなさい。深掘りしすぎだよね……」


 私がすぐに謝った理由……それは自分の言葉が良くなかったこともあるけれど、それ以上にエリクの目が悲しそうに……怒っているように見えたからだ。


 ここまで暴走した今ならハッキリ分かる。私はエリクが好きなのだと。ずっとゲーム内で恋愛してきたくせにリアルの人間と恋をしたことがなかったから自分の気持ちすら理解できなかった。それぐらい恋愛レベルが低かったのだ。


 初恋を自覚する私を尻目にエリクは何故か不意に笑いだす。


「そうか、そういうことだったのか。髪飾りを贈る行為に意味を込めるのはミーミル領だけの風習だったみたいですね」


「へ?」


 一瞬、いきなり何を言い出したのかと困惑したけれど思い出した! あの日、港町シレーヌの海岸でエリクが私に髪飾りをくれた時『僕から贈ったことは内緒にしてくださいね』と言っていたことを。これってつまり……一応、意味を聞いておこう。


「ミーミル領では髪飾りを贈ることにどういう意味があるの?」


「改めて聞かれると……その、恥ずかしいので内緒です」


 私は喜んでいいの? 両想いだと思っていいの? もし私が舞い上がっているだけならどうしよう。エリクが教えてくれないならもう自分で調べてやる! 自室の本棚に文化や風習を記した本があるはずだから。


「だ、だったら自分で調べちゃうもん!」


「あっ! 待ってください!」


 ベッドから立ち上がって歩き出す私の腕をエリクが慌てて掴んで引き寄せる。少し痛かったけど、そんなことはどうでもいいと思えるぐらいエリクとの距離が近い。焦った彼の呼吸が私に届くほどに。


 異性に免疫が無い私では嬉しさと恥ずかしさで耐えられない! 私は半歩後ろへと下がって反射的に言葉を返す。


「ごめんなさい……私、貴方の気持ちが知りたくて焦っちゃったみたい」


 言葉を返した瞬間、私は自分のミスに気が付いた。今の言葉は実質告白したようなものであることを。


 鏡を見なくても分かるくらい自分の頬と耳が熱い。部屋が暗いからバレてないかな? 隠れられる場所があるなら隠れたいよ。もう布団を被るしかない?


 逃げる事しか考えられない私は足先をベッドに向ける。だけど、エリクは再び私の腕を掴んで後ろから抱き寄せる。さっきよりも優しく、包み込むように。


「このハグが答えでいいですか?」


 背中越しに感じるエリクの鼓動はとても早い、私に負けないぐらいに。もう贈り物の意味を調べる必要はなくなったのかも。


 エリクは友達以上に私を大事に想ってくれている。それでも私は自分に自信が持てない。だってフィオルという壁があまりに大きいから。


「どうして……私なんかを……」


「私なんか……なんて言わないでください。貴女はいつも誰かの事を想って行動し、自分自身の気持ちを抑えて頑張ってくれていました。そんなスミレが好きなのです」


 『自分を抑えて頑張ってくれました』……この短い言葉に込められた労いと敬意に胸が熱くなる、涙が出てしまいそう。自分の事をちゃんと見てもらえていた喜びが大きいからかな。


 私が必死に涙を堪える中、エリクは言葉を続ける。


「アナイン病から目覚めて以降、フィオルとは違う空気を放ちながらも懸命に生きるスミレを目で追っていました。そして、異鏡の泉で貴女の過去を見た僕はスミレの心が好きなのだと確信した、それだけのことなのです。フィオルは関係ない、僕はスミレを守り、共に未来を歩みたいのです」


 私の前世を見て、私の心が好きだと言ってもらえた。もう劣等感とはお別れしよう。私はエリクの両腕から離れて後ろを向いた。視線の先には温かい笑顔を向けるエリクがいる。


 彼の笑顔があまりにも優しくて、素敵で、ゲームでは1度もなかった愛に溺れる感覚が私の心を支配する。私の今の気持ちをすぐに彼へ伝えないと。


「エリク……私は……」


 貴方のことが好き――――と言葉を発しようとしたその時、エリクが人差し指を私の唇に当て、続きの言葉を遮られてしまう。


「続きはまた今度聞かせてください。他にもスミレに想いを伝えたい人がいるかもしれませんから。僕を含めた全員の気持ちを聞いてからスミレ自身に選んでもらいたいのです。じゃないとフェアじゃない」


 公正を求めるエリクの言葉を久しぶりに聞いた気がする。私と仲の良い異性はもうグスタフぐらいしかいないけど、私はもうエリクのことを……。いや、エリクが望むなら、まだ気持ちを口にせずに待とう。


 エリクが誰よりも誠実なことは分かってる……それでも私の口を塞がれたのは正直苦しい。


 私はエリクに手を引かれて優しくベッドに寝かされた。さっきのやりとりを思い出しちゃって全然眠れないよ……。


 せめて目だけは瞑っておこう。今晩はもうエリクと目を合わせられそうにないから。



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