第22話 2つの笑顔



 長いような短いような時間をエリクの腕の中で過ごした私はほんの少しだけ体を離し、顔を上げてエリクを見つめる。一瞬だけ目を合わせてから、すぐに逸らしたエリクはハッと我に返ったかのように両腕を離し、少しだけ頬を染める。


「ご、ごめんなさい。出会いから半年以上経っているとはいえ、異性であるスミレにこんな真似を……」


「い、いえ、私の方こそ甘えちゃってごめんなさい……」


 正体を隠していた時とは違う緊張感が場を支配する。どうしてだろう、不適切だとは分かっているのにエリクに対してドキドキが止まらない……緊張から解放されたのとは少し違う動悸が。


 彼の優しさがあまりにも深くて感動を超えた恋になろうとしているのかな? いや、駄目だ駄目だ、それはあまりにもチョロ過ぎる。これでも私はミーミル・ファンタジーの達人なのだ、エリクたちの格好良さには免疫があるはずなのだから。


 私の脳内が場にそぐわない雑念に浸されている一方、エリクは私の口調に言及する。


「今さら気付いたのですが、スミレは敬語で喋るのですね」


「え、ああ、一応私はフィオルやエリクより1歳下なので。それにスミレとしては初めましてだから……その緊張しちゃいまして」


「でしたら遠慮せず、くだけた言葉で話してください。なにせ僕たちはもう仲間であり友達なのですから」


「……ありがとう。じゃあ、今まで通り敬語は使わず喋らせてもらうね……ってアレ? エリクは全員に敬語じゃない?」


「…………あっ、確かにそうですね」


「確かに……って、フフッ、エリクは面白いね」


「ぼ、僕はこれでいいのですよ。そういう個性なのですから」


 エリクは冗談でも何でもなく本当に自分の口調が敬語であることを忘れていたようだ。真面目な雰囲気から一転、互いの顔を見て私たちは笑いだす。


 変な会話だけど空気は随分と軽くなった。もう私の心は不安定ではない、私の素性を全て話そう。


「エリクに許してもらえた今なら私の生い立ちから転生まで全部話せるよ。あのね、元々私は……」


「待ってください。そろそろ図書館が閉館する時間です。込み入った話は外でしましょう」


 確かにエリクの言う通りだ。私とエリクは図書館を出ると人のいない砂浜へと移動する。


 エリクに言われて先に砂浜のベンチで座っているとエリクは近くの売店から温かいコーヒーを買ってきた私に渡してくれた。


 スモーキーな香りと苦味、そして赤く染まる海と空が私に憩いを与えてくれる。


「美味しい……ありがとね、エリク」


「喜んでもらえて嬉しいです。では、落ち着いたところで話してもらってもいいですか? 転生した経緯を、そしてスミレのことを」


 私は時間をかけて全てをエリクに話した。こことは異なる世界、日本と呼ばれる場所で生まれて17歳で亡くなったこと。ゲームによってフィオルたちを知ったこと。モーズさんやフィオルの魂と出会ったこと、などなど1時間以上かけてじっくりと。


 とは言っても文明があまり発展していないミーミル領の人間にはゲームの説明が難しすぎた。ましてや恋愛シュミレーションゲームを通して私が血眼になってエリクたちを攻略していたなんて言えるわけがない。結果、ゲームの説明はぼやかした表現になってしまった。


 色々と覚悟していたエリクも流石に情報の濁流を受けて言葉を失っていた。彼なりに一生懸命情報を咀嚼し、紙に纏めながら感想を呟く。


「正直、スミレの言葉じゃなければ信じられませんよ。異なる世界、発展した文明、それにフィオルの魂と対話するなんて。そうか、テオとミトさんは本当にフィオルの魂を墓へ留めることに成功していたのですね。同時にフィオルが亡くなった実感が強まってきました……」


 ここでエリクは黙り込んでしまう。彼は私に疑いを持つ度にフィオルが亡くなっている可能性と向き合ってきたのだと思う。それでも目の前の私が本物のフィオルである僅かな望みに賭けていて、今この瞬間をもって完全に納得してしまったのだろう。


 彼の気持ちが落ち着くまで何分でも何時間でも待とう。楽になってもらいたいと思った私はいつの間にかエリクの手を握っていた。エリクは少し驚いた表情をみせたものの、すぐに私の手を握り返し、儚い笑顔で小さく頷く。


「大丈夫ですよ。フィオルが亡くなったことは悲しいですが、僕にはスミレたちがいますから。それより、これからスミレがどう動くか話し合わないといけませんね。元の世界に帰る方法を考えるにしても、転生した理由を調べるにしても、何をどうすればいいものか……」


 私は元の世界に帰ることなんて全く考えていなかったからエリクの言葉にとても驚かされた。日本人としてのスミレの人生を尊重してくれているようで凄く嬉しい。


 でも、私の魂が仮に日本へ帰ったところで肉体はもう残っていないはず。それにエリクとグスタフはともかく他の人に正体をバラすつもりなんてないのだから、今の私たちが考えるべきことは……


「私はずっとミーミル領で生きていくよ。フィオルの人生の続きを生きていくと決めたんだから。だから今は帰る方法も転生した理由も後回しでいいの。それよりもテオとミトさんのことを最優先に調べよう。とりあえず、エリクが3日間かけて行ってきた聞き込み調査の結果を教えてくれる?」


「スミレ……貴女は強い人ですね。分かりました、では僕が足で稼いできた情報をお伝えします。と言っても得られた情報は2つだけなのですが」


「どんな情報を得られたの?」


「1つはミトさんの罹ったパクタム病の症状に関する情報です。死因を詳細に書いた紙を元に複数の医師から話を聞いてきました。すると彼らは口を揃えて言いました『ミトさんと夫クラントさんは同じ病気ではあるものの、視覚的な症状と内臓のダメージに違いがある』とね」


「どんな違いあったの?」


「端的に言うとミトさんの方が病の進行が早く、中毒に近い亡くなられた方をしていたそうです。癌などとは違い、外因性のある亡くなり方だということですね」


「え? それってつまり誰かがミトさんの食事に毒を盛ったってこと? いや、正確に言えば2人とも毒は盛られているけど、ミトさんの方が多く毒を盛られていたってことかな?」


「その通りです。あくまで可能性が高いという話ではありますが」


 町の皆から慕われているミトさんが毒を盛られるとは思えないけど、複数の医師が示し合わせたように嘘をつくとも思えない。


 いや、そもそも殺しをするような人間の心や動機を量るなんて私には無理だ。シレーヌやルスコール家の内情に特別詳しいわけでもないし。だから今は『あらゆる可能性がある』と構えておいた方がいいはず。


 既に頭がぐちゃぐちゃになってきているけど、もう1つの情報についても聞いておかないと。エリクは更に話を続ける。


「次に2つ目に得られた情報ですが、実は夫であるクラントさんは体調を崩し始めてから早めに入院したそうです。その結果、クラントさんの体に回復の兆しが見え始めました。一方、ミトさんは亡くなるその日まで屋敷で闘病生活を続けており、回復することなく亡くなりました。このことから僕は屋敷の中の人間が定期的に少量ずつ毒を盛ったのではないかと考えています」


「身近な人による殺人かぁ……となると容疑者は沢山いるだろうから私たちだけで調べるのは厳しそうだね」


「ええ、そうですね。ですので本格的な調査は領護兵りょうごへいに任せるしかなさそうです。明日、僕の方からシレーヌの領護兵長りょうごへいちょうに伝えておきます」


 領護兵りょうごへいは確か日本でいうところの警察みたいなものだったはずだから情報さえ渡しておけば任せて大丈夫だと思う。私たちができる死因調査はここまでかな? 少ない人数でよく頑張った方だと思う。


「分かった、ありがとねエリク。じゃあ後は今後の私たちの行動を決めないといけないね。グスタフに全てを明かしてミーミル領に帰ったら……」


「待ってください。今日の話し合いはここまでしておきませんか? 空も暗くなりましたし、重要なことを決めるならグスタフの知恵も借りたいですから」



「それもそうだね。じゃあミーミル領行きの船に乗るタイミングにグスタフが合流する予定だから、その時に3人で話し合おうか」


 解散が決まったところでベンチから立ち上がった私。すると「お渡ししたい物があります」と言ったエリクが懐から手乗りサイズの小さな箱を取り出す。


「えーと、その、良かったら受け取ってもらえませんか? さっき、コーヒーを買いに行った時に見つけた髪飾りなのですが」


 エリクが箱を開くと出てきたのは三日月を模した髪飾りだった。小さくて細いからヘアピンの用途かな? とても可愛らしい。


「わぁ~、ありがとう、エリク! でも、どうして突然プレゼントを?」


「少なくとも僕の前では今日から貴女はスミレになりましたからね。だから新生祝いとでも言えばいいでしょうか。それに太陽みたいに元気な笑顔を向けるフィオルとは違い、スミレは少しシャイで月のように儚い笑顔をしていると思ったのです。だから三日月の髪飾りを贈らせてもらいました。スミレが目覚めた日からずっと笑顔の感じが少し違うなぁ、とは思っていたのですよ」


 顔は美しいフィオルのままだけど、スミレとして発した笑顔の質を褒められるのは凄く嬉しい…………反面、照れくさい。もう今の私の言動にフィオルというフィルターは無い。モテた経験が無い私には刺激が強すぎる。


 それでも、エリクはお構いなしに「付けてもらえますか?」と覗き込むように小首を傾げる。超イケメンに可愛い仕草をされてしまっては私の身がもたない。早く髪飾りをつけよう。


「ど、どう? 似合う?」


「はいっ! とっても似合っていますよ。やっぱり勇気を出して買ってよかったです。ただ、僕からプレゼントしたことが皆にバレると恥ずかしいので内緒にしてくださいね」


 太陽みたいな笑顔はエリクなのでは? と言いたくなるぐらい眩しい笑顔を浮かべていた。フィオルのフリを続けていた頃でも見たことがない笑顔だ。と言っても『内緒にしてほしい』とお願いしたタイミングでは、はにかむ笑顔で頬を赤く染めていたから太陽のような笑顔が見られたのは数秒なのだけど。どちらも私にとっては宝物だ。


 この笑顔はスミレだから見られたのだと思いたいけど、そんな訳がないって分かってる。きっと彼の中にあった疑惑という名の荷物を降ろしたことで気持ちが解放されて生まれた笑顔なのだと思う。


 これからの私はエリクとグスタフの前だけではスミレとして生きていくことになる。不安が無いと言えば嘘になるけど、目の前のエリクがずっと優しいから、きっと上手くやっていけるよね?


 私たちの笑い声は夜の海へと溶けていく。



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