第21話 偽物だとしても
『貴女は本当のフィオルじゃありませんね?』
エリクの口から放たれた言葉に私の動悸が急激に早まる。
「あ、あはは、何を言ってるの? 言葉の意味が分からないよ」
言葉を詰まらせながらも必死に誤魔化す私。しかし、エリクは首を横に振り、私が机の上に置いている本を指差す。
「決定的な根拠は1つもありません。ですが、疑いたくなる点は沢山あるのです。そこに置いてある本もそうでしょう? 貴女はミトさんが借りた本を調べ終わった後も『転生・転移・異界』関連の本をかなり真剣に読んでいましたね」
「……それは単に私が空想やオカルトに興味があるだけだよ。そんなことで私を偽物だと疑うなんてエリクらしくないよ?」
今なら推理マンガの犯人の気持ちが痛いほど分かる。筋の通った否定の言葉を頭から捻り出し、平静を装い続けなきゃいけないのが凄く辛い。
そんな私の苦労などお構いなしにエリクは持論を展開する。
「最初に違和感を覚えたのは貴女が目覚めた日の事です。僕は貴女に『体が本調子に戻ったらやりたいことはありますか? 例えばミーミル川の研究の続きとか』と尋ねました。すると貴女は『ミーミル川の研究の続きって何?』と返しました」
「それの何がおかしいの? アナイン病で記憶が部分的に抜けてしまっただけのことだよ」
「確かにアナイン病は部分的に記憶が消えるケースも多いです。ですが、貴女の言う通り、あくまで部分的……つまり特定の期間の記憶が抜けるわけです。逆に言えば幼児の頃からずっとミーミル川に強い関心のあったフィオルがミーミル川への関心そのものを丸ごと失くすとは考えにくいのです。そもそも僕が海洋学や水棲生物に興味を持ち始めたのはフィオルから長年布教されてきたことがきっかけなので」
「で、でも、私は目覚めたその日から色々なことを知っていたでしょ? エリクの前で『テオはどうしてるの?』と聞いたりしていたじゃない」
「そうですね、だから最初のうちは軽い違和感しか持っていませんでした。ですが、元々フィオルについて詳しい関わりのあった人間が転生していたとすればどうでしょう? 本物のフリができると思いませんか? この説が正しければフィオルの幼少期や深いプライベートな部分に詳しくないことにも説明がつきます」
フィオルが小さい頃から川に興味があったこと、エリクが海洋学を好むようになったきっかけ、どちらもゲーム内では語られていない……。時々起きる含有知識とのズレがこんなトラブルを生んでしまうなんて。
「…………」
「黙ってしまいましたね。でも、これだけではまだ確信とは言えません。ミーミル川に関する記憶だけが抜けている可能性も0に近いとはいえ完全な0ではありませんから。今から僕が疑いをもったポイントを時系列順に並べていきます」
ここからはエリクが一方的に喋る時間が続いた。
『私がたまたまフィオルの墓と蓄音機を見つけたのが不自然であること』
『テオが辛辣になっていた理由が私の転生に気付いているなら納得がいくこと』
『航海中の私が船上で魚を食べていた際、塩辛い方の魚を口に入れた時の方が美味しそうにしており、本物のフィオルとは違う嗜好が見えたこと』
などなど、小さな疑惑も重なれば確信になる! と言わんばかりに彼は詰めてくる。
そして、エリクは右手の指を2本立てるとトドメとでも言いたげに最後の疑惑を口にする。
「では、僕が特に怪しいと思った点を2つ教えましょう。1つは貴女が船の上で氷魔術を使った時に発した言葉です。覚えていますか? 貴女は『魔力を……変質させて……これでいいのかな?』と言ったのです。この反応は魔術の会得でも想起でもありません、氷魔術の存在だけは知っている貴女が知識をもとに実践している状況だったのです」
今更ながらエリクは本当に私を……フィオルをよく見ている。
もう言い逃れは出来ないかな? いや、私はフィオルの人生の続きを生きると決めたのだから、まだ白旗はあげない。態度だけでも冷静に努めて、最後の疑惑を教えてもらおう。
「……残る1つは何?」
「それは……」
どうしてだろう……追求する側のエリクが言葉に詰まり、視線を落としている。途切れた言葉の続きを待つこと10秒、エリクはまだ迷いの残った目で口を開く。
「シレーヌ到着前夜、貴女は言いました『私がまたアナイン病で眠ることがあれば、その時は最初に2人の顔を見たい』と」
「それのどこかおかしいの?」
「このような話をする際、フィオルがテオの名を出さない訳がないのです。何故なら本物のフィオルは……」
またしても言葉を詰まらせるエリク。でも、私には何となく言葉の続きが分かる。
きっとエリクから見てフィオルと1番仲が良かったのはテオだったのだと思う。そしてテオもエリクも昔から本物のフィオルが好きだったのだろう。もし予想が当たっていれば偽物の存在なんか憎くて認められるわけがないよね。
ここまでエリクがフィオルのことを想っているならグスタフも同じ熱量を抱いていたのかな? エリクに聞いてもグスタフの本心を知れるかは分からないけど聞いてみよう。
「グスタフもずっと前から怪しいと思っていたの?」
「いいえ、グスタフは疑っていませんでした。僕がフィオルのことを怪しいと思っているとグスタフに告げたのはシレーヌに着く前の晩です。彼は最後まで“偽物とは思えない”と言ってましたから」
シレーヌに到着後、港で担架に乗せられて運ばれていたグスタフは『昨晩のことだが正直は俺は未だにピンときていない。それでもお前が気になるならやっておけ』と言っていたけど、ようやく意味が分かった。到着前夜に私の正体について2人で話していたのだと。
今思うと怪しいところだらけだった私の言動にグスタフが全く気付かなかったのは何故だろう?
彼の性格が
「あの日の夜、グスタフは懐の大きさを僕に見せてくれました。彼はこう言ったのです」
――――もしフィオルの体に入った偽物がいるのなら、そいつはきっと心からフィオルのことを大事にしたい気持ちがあるのだと思う。そうじゃなきゃ目覚めたフィオルの人生の続きを“そのまま歩むような生き方”はしないはずだ。言動を真似られるぐらいフィオルのことを把握できている偽物のことを俺は嫌いになれないだろうな……とね。
グスタフの温かい言葉に涙を流してしまいそう。だけど、ここで泣いてしまったら偽物だと認める事になっちゃう。堪えなきゃ……堪えなきゃ。
かつてないほどに涙を我慢する私。だけど、追い打ちをかけるようにエリクは優しい言葉をかけてくる。
「僕はグスタフの考えに感銘を受けました。だから、もし貴女が転生者だと判明したら、その時はまず、ありがとうと伝えたい。そして、貴女がこれから先の人生もフィオルとして生きていき、素性を隠し通すつもりなら僕は応援したい。嘘を貫き通す共犯者として……仲間として」
異界の使者であるモーズさん、魂となったフィオルを除けば、エリクは初めて本当のことを打ち明けられる存在になるのかもしれない。この世界に来てから沢山の人に優しくしてもらったけど、自分だけが異端者だという感覚だけは抜けなかった。
ホームシックとも孤独とも違う言語化できない寂しさが私にはあった。でも、少し手を伸ばせば寂しさを捨てることができる。
だけど、本当に認めていいの? 私がスミレと名乗った瞬間からエリクとグスタフは大事な友フィオルを失うことになる。私が意地でも認めない事で彼らに死の悲しみを与えないようにできるのだから。
「……フィオル?」
あれ? どうしてエリクは悲しそうな顔で見つめてくるの? まだ私は何も言っていないのに。
いや、もう認めたようなものかな。だって、私の目に映るエリクの顔は既に滲んでしまっているのだから。
「うぅ……ごめんなさい……私は……立花スミレは偽物なんです。フィオルの体に運よく転生できただけの……何の取り柄も無い……異界の女なんです」
謝っているのに気が楽になっていくのは何故だろう。床に落ちる涙の粒は音が聞こえそうなほどに大きく、止まらない。今は私とエリクしか周りにいないのが救いだ。
「立花スミレ……それが転生者である貴女の名前なのですね」
「……はい、そうです。異世界から転生してきた私は訳あって3年前からフィオルのことを、ミーミル領のことを知っていました。そして、みんなのことが大好きになっていました。だから転生した直後はミーミル領に来られた喜びとフィオルの魂が失われた悲しみに挟まれていました」
「そう……でしたか。続きが気になるところですが詳しい話は後で聞かせてもらいます。今は僕の務めを果たさせてください」
「エリク……さんの務め?」
フィオルという仮面を失った私はエリクのことを呼び捨てに出来なくなっていた。それでもエリクは昨日までと変わらない、いや、これまでよりも優しい笑顔で私に近づき……
「フィオルの人生の続きを生きてくれて、ありがとうございます」
エリクは宣言通りに礼を伝えると両腕でそっと私の体を抱きしめる。
もう出し尽くしたと思っていた私の涙がエリクの胸を濡らす。言葉は少なくても彼の腕が、温もりが私を許してくれたのだと確信させてくれる。
図書館の閉館時間は迫っているけど、もう少しだけ彼の腕の中にいさせてもらおう。彼の腕の中は私が私でいられる場所だから。
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